著 者:村上春樹
出版社:新潮社
出版日:2010年4月16日 発行
評 価:☆☆☆(説明)
昨年5月の発売以来、BOOK1,2合わせて227万部という大ベストセラー。このBOOK3も発売前から増刷がかかり70万部が用意されているという。それでも近所の書店では「売り切れ」になっていた。まぁお祭り状態になっている。もちろん、bk1で早くから予約していて発売日に手にした私もそれに参加している。
青豆はどうなったのか?ふかえりと天吾の一夜の意味は?いろいろなことが明らかになり、また新たな問いかけが提示される。自分が読むスピードが遅くてもどかしい、もっと早く先を読みたいと思った。「読む楽しみ」を堪能したことをまずは認めよう。
形式的には前作までと同じように、章ごとに主人公が入れ替わる。今回の特徴は「牛河」という、前作までどちらかと言えばマイナーな登場人物が、その一角を担っていることだ。彼の章が物語を推し進める牽引役になっている。逆に言うと、それ以外の主人公にはあまり動きがない。
敢えて、本書には不満がある、と勇気を持って言わせてもらう。起伏もリズムも意外性も乏しい。もちろん色々な出来事が起きるのだけれど、基本的には「こうなったらいいな」と思っていることにゆっくりと近づいていく感じだ。そもそも、こんなにも主人公たちに動きが乏しくては、展開するのも難しいと思う。(大作家を前に小説の技術論を語るのはおこがましいが)
昨年9月の毎日新聞のインタビュー記事で、著者が「1、2を書き上げた時はこれで完全に終わりと思っていたんです。(中略)でもしばらくして、やっぱり3を書いてみたいという気持ちになってきた」と答えている。「(批評は)全く読んでいません」とも答えているが、「続編があるのでは..」という声はおそらく著者の耳に届いていたと思うし、「3を書いてみたい」という気持ちに、それは少なからず影響したと思う。
その前提で考えると納得するのだが、BOOK3は前2巻で投げかけた問い(謎)に対する解答編のようだ。翌月号に載った雑誌のパズルの解答のようだ、と言った方が的確かもしれない。つまり、227万部の読者に対するサービスなのではないか。だから主人公を動かさずに、親切に謎解きを語った、と見るがどうだろう。
批判めいたことを書きましたが、著者の作品の特長である暗喩や深読みができる部分などは数多くあり、それを勝手に夢想するのは楽しかったです。この後は私が思い付いた部分を書きます。(ネタバレを含みます)>>続きを読む
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まずはプルーストの「失われた時を求めて」。私の考え通りであれば、暗喩とは言えないほど直接的な意味合いがあります。それは円環的時間。一般的に思われる直線的なものではなく、円を描くように戻ってくるという時間の観念で、プルーストが提示したもの。
1Q84年という世界そのものが、時間と空間が奇妙にねじれた世界である、ということは随所で見られる考えです。また、天吾が「(時間は)ねじりドーナツみたいなかたちをしているのかもしれない」という場面もあります。
この「ねじりドーナツ時間論」は、天吾が「カラスの考え」として紹介しています。カラスは様々な人の窓をたびたび訪れ、何かを象徴しているようで、ドアを叩いて姿を現さないNHKの集金人と対になっているのかとも思いましたが、今ひとつ分かりません。
ただ、カラスは様々な神話や伝説で太陽と密接な関係があります。1Q84年を象徴するのは2つの月ですが、それに対抗しうるものとしての太陽の使者として、迷い込んだ者を導こうとしたのかもしれません。結局、その導きは功を奏さなかったのですが。
夕方に来るのは、それ以降は月が支配する世界になるから。ふかえりが、玄関を出たところで虚空を見つめるのは、太陽の使者のカラスを探していたのかもしれません。
それから「ゴムの木」。BOOK1の冒頭とBOOK3の最後に、高速道路脇のマンションのベランダに放置された鉢植えのゴムの木が出てきます。BOOK2では、青豆が「私にはもう何も残されていない。みすぼらしいゴムの木ひとつ残されていない。」と涙する。
ゴムの木の花言葉は「永久の幸せ」。これが非常にみすぼらしい状態になっているのは、幸せが失われつつあることを示しているのでは。あるいは、そこにあるのに気が付かれないで見過ごされているとか。
最後に、気が付いた意味ありげな符合を2つ。1つめは、ふかえりとタマルの子どもの歳が同じであること。タマルは「メジャー・リーグ級のゲイ」だけれど、女性を妊娠させたことがあると唐突に告白しています。その子が生まれて生きていれば17歳で、ふかえりと同じ歳です。
2つめは、天吾の母と安達クミとの符合。天吾の母は絞殺されているのですが、安達クミは自分は「一度死んで再生した」「死んだとき(つまり殺された時)のことはよく覚えている」「誰かが私の首を絞めていた」と言っています。
今のところはこんなところです。また何か見つけたら追記するかもしれません。
YO-SHIさん、やはり早々に読んだのですね、1Q84。
わたしは自分のブログ以前書きましたが、群像新人賞でデビューした村上春樹の作品を
全て(翻訳本や他人が書いた研究本も含めて)オンタイムで夢中になって読んできましたが、村上春樹が大ブレイクした「ノルウェイの森」は、自分の中では評価が高くなく、それ以降はなんだか違うな~、という思いが。
そして、1Q84は、たまたま友人が貸してくれたので1,2共に読みましたが、感想は
やはり、???????です。
青豆と婦警の男漁りのエピソードや、天吾とふかえりも、結局そういう関係をもってしまうのか・・・・・など、なんだか全く登場人物に感情移入できず。
全く持って個人の好みの問題で、この作品自体の善し悪しではなく、わたしは個人的に、
世間の人が言うほどの魅力を感じられなかったのです。
ですが、そんな作品の3がどうなんだろうという興味はあるので、読む機会があれば、
また自分のブログに書きたいと思います。
松田朋恵さん、コメントありがとうございます。
はい、早々に読みました。どんな話なのかという気持ちに抗えず、というのと、
どうせいつかは読むのだから、という気持ちから予約していました。
私も「風の歌を聴け」から、ほぼすべての作品を読んできました。(研究本は
少しだけですが)、松田さんと私は同じ年生まれなので、たぶん同じ年齢のころに
同じ本を読んでいるのでしょうね。
それで、同じように「ノルウェイの森」には違和感を感じました。多分あの頃に
ちょっとした変化があって、ノンフィクションを書くようになった90年代終わり
から、また変わっているように思います。
そして、1Q84は、BOOK1,2の記事にも書きましたが「一線を越えてしまっている」
と感じました。
それでも読まずにいられないのは、一度のめりこんでしまった者の性でしょうか?
松田さんの感想を、あせらずゆっくりと待ってます。
書籍「1Q84 BOOK3」終わりにさせるための解説本だった
「1Q84 BOOK3」★★★★
村上春樹著、新潮社、2010/4/16初版
602ページ、1995円
→ ★映画のブログ★
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「発売初日の深夜、書店に出来た行列、
新作ゲームの発売じゃあるまいし、
村上春樹の読者層がこんな熱狂を持っているのを
TVのこちら側から不思議な気持ちで見つめた、
それはねじれたもう一つの世界のようだった」
村上春樹ファンとしては
こんな解…