33.森博嗣

「やりがいのある仕事」という幻想

書影

著 者:森博嗣
出版社:朝日新聞出版
出版日:2013年5月30日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 本書の紹介の前に、私がこの本を読もうと思ったきっかけを紹介しようと思う。Facebookである方が私が以前に読んだ「希望のつくり方」という本のことを話題にしていた。その本の一節に「日本ではあまりにも仕事に希望を求めすぎている」ということが書いてある、と。

 実は、私もそのことは常々思っていた。この本のタイトルと、帯の「働くことって、そんなに大事?」というコピーは、そのFacebookでの話題と私の気持ちにフィットした。少し前に著者の「人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか」を読んでいたことも、プラスに作用したかもしれない。

 さらに「まえがき」に、「「自分に合った仕事に就かないと人生が台無しになる」というプレッシャーを、大人たちが与えている(中略)本当に気の毒なことだと僕は思う」と著者は書いている。これがまた、私の気持ちを代弁するかのような、モノの見方だった。

 その後、第1章「仕事への大いなる勘違い」では、「仕事」についての固定観念を次々とはぎ取っていく。「仕事をしている者は、仕事をしていない者より偉いのか?」「どんな仕事をしているかが、その人の価値なのか?」「仕事は大変なのだと大人は語りたがるが、本当にそうか?」次々と投げかけられる問いに、まっすぐに向き合うことで、本質に近づいていく予感がする。

 ただし、本書は「今現在、就職や仕事に悩んでいる人」には役に立たないかもしれない。第4章「仕事の悩みや不安に答える」で、実際に著者が受けた質問や相談に答えているのだけれど、これが(そういう指摘が既にあるそうだけれど)「身も蓋もない」のだ。「職場が殺伐としています」という悩みに、(成果を問う)仕事というものは殺伐としている(ものだ)」と答えたりしている。

 「なるほど」と思うものもあった。それは「仕事をしないでやりたいことだけをして人生を送りたい。どうしたらいいか?」という、トンデモな感じの質問への答え。スキーがしたい人は、たぶん滑るのが楽しいのだと思うけれど、その前に上まで登らなければならない。お金を得る手段としての「仕事」はそれと同じで、「やりたいこと」の「準備」や「一部」だ、というもの。

 視点を高く持って俯瞰すると、「やりたいこと」があれば、「仕事」をその一部に位置づけることができる。その考えは「仕事」に「やりがい」も「希望」も「人生」さえも預けてしまうよりも、よほど健全で安全だと思う。

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人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか

書影

著 者:森博嗣
出版社:新潮社
出版日:2013年3月20日 発行 4月5日 2刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 何とも曖昧模糊としたタイトルだ。「私たちは」とかでなく「人間は」とやけに広範囲だし、「いろいろな問題」ではどんな問題のことだか分からない。「もう少し本の内容を具体的に表して欲しい」と思う人に、この本は新たな気付きをもたらしてくれる(かもしれない)。

 世間一般には、「具体的」が良くて、「抽象的」はダメなもの役に立たないもの、という意識がある。「もっと具体的に話せ」と言われる場面は多くても、「もっと抽象的に話せ」と言われたという話はなかなか聞かない。上に書いた「もう少し本の内容を具体的に...」というのも、それに沿ったものだ。

 ところが本書は、問題の解決のためには「抽象的な思考」が必要で、その思考を鍛えるにはどうしたらいいか?を書いたものなのだ。いわば世間一般の「具体的」信奉に楯突くもので、そういう考え方を知るのは「気付き」なのではないかと思ったのだ。

 本書の主張を要約する。例えば「抽象的」は曖昧な分カバーする範囲が広い。何かを買ってきてもらうのに、具体的な商品を指定すれば誤りは少ないが、その商品がなければ買ってきてもらえない。目的を伝えて「○○のようなもの」と抽象的に伝えれば、代わりのものを買ってきてくれるかもしれない。

 また「具体的」は「主観的」に通じやすい、という問題がある。原発の存廃や領土問題についての人々の反応が、本書執筆のきっかけの一つらしい。そこには主観の衝突が生じていて(というかそれしかない)、相手の意見を聞くことすらタブーだというのでは、解決の余地がない。

 さらに「もうちょっと考えよう」。著者に言わせれば「全然考えていない人が多すぎる」。いつからか私たちは、分からないことがあると「検索」するようになった。判断に迷う時にも「検索」。あなたの意見はあなたが「考えた」ものではなく「選択」したものじゃないですか?という指摘に、私は自信を持ってNoと言えない。

 最後に。著者は「スカイ・クロラ」他に多くのヒット作がある人気作家で、大学の助教授でもあったが、数年前にどちらも引退した。貯金が「一生かかっても使い切れない額」になったからだ。今は、ガーデニングと工作という趣味に費やす自由な暮らしをしている。「恵まれた暮らしをしているから、そんなことを言えるんですよ」という気持ちが勝ってしまうと、本書からは何も得られない。冒頭に「(かもしれない)」と書いたのは、そういう懸念からだ。

 この本は、本よみうり堂「書店員のオススメ読書日記」でも紹介されています。

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どちらかが魔女

書影

著 者:森博嗣
出版社:講談社
出版日:2008年8月28日 初版第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 また森博嗣さんにやられてしまった。完全にだまされた。

 巻末の初出の一覧によると本書は、講談社の文芸雑誌「メフィスト」他に掲載された短編で、一旦は別の短編集に収録されたものから、8作品を取り出して再編した短編集らしい。登場人物は、国立N大学助教授の犀川創平や、その研究室の学生の西之園萌絵ら。
 彼らは、著者のS&Mシリーズ、Vシリーズ、Gシリーズと呼ばれる作品群の主要な登場人物でもあるらしい。「らしい」が2回続いてしまったのは、私はこういったことを全く知らずに本書を手にして読んで、後付けの知識で知ったからだ。

 8編の作品は、どれもちょっとしたミステリーを犀川らが解き明かす趣向。大学の構内に出現する「踊る紙人形」の謎や、30人もの人間が忽然と消えた事件、誘拐事件の身代金が入れ替わってしまった事件、小さな島の怪異現象など。深刻なものではなく「謎解き」を楽しむトレーニングのようなもの。実際にいくつかの謎は、西之園家の晩餐の話題として用意されたものだ。

 それで冒頭の「完全にだまされた」について。それぞれの作品の謎解きもなかなかのもので楽しめたが、それとは別に、著者はこの本1冊を使ったトリックを仕掛けていた。最後の最後で本書が全く違って見えてくる仕掛けだ(くれぐれも最後を先に読んでしまわないように)。
 一度短編集として出した作品をいくつかピックアップして1冊にしたのはこのためだったのだ。著者のイタズラっぽい笑顔が目に浮かぶ。ところで、上に挙げたシリーズの既読者は、馴染みの登場人物が入れ代り立ち代り出てくる本書には別の楽しみがあるはず。でも、ある程度事情を知っているとすると、最後のトリックはどう映るのだろう?

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カクレカラクリ

書影

著 者:森博嗣
出版社:メディアファクトリー
出版日:2006年8月28日 初版第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 著者の作品を読むのは、昨年の夏に「スカイ・クロラ」シリーズの謎解きのために精読して以来9か月ぶり。面白そうな作品がたくさんあるのだけれど、「謎解き」に疲れてしまった後遺症のような感じで何となく敬遠してしまっていた。リハビリではないけれど、できれば楽しくて軽い読み物がいいなと思って手に取ったのが本書。

 主人公は、工学部の大学生の郡司朋成、栗城洋輔、真知花梨と、花梨の妹の高校生の玲奈の4人。郡司と栗城は、夏休みに花梨に故郷の鈴鳴村に誘われる。村には「120年後に動き出す」と伝わる絡繰り(カラクリ)の伝説があり、今年がその120年後に当たる。村人の多くは、単なる伝説だとあまり本気にしていないのだけれど、4人はそのカラクリの秘密を探り始める。
 主人公4人が揃いも揃ってメカ好きで、歯車に萌えるタイプだし、花梨と玲奈の恩師でもある高校教師の磯貝は、蒸気で動く「自動薪割り機」なんかを自宅の庭で製作している。工作好きの著者のそれぞれの年代を映したかのような登場人物たちだ。(ちなみに私も歯車は大好きだ)

 主人公たちが20歳前後の若い世代なのと、鈴鳴村の夏の長閑な風景や青い空が目に浮かぶのとで、ひたすら爽やかだ。淡い恋心や将来への漠とした不安なども抜け目なく語られ、村の名家の確執や秘密や、暗号めいた図形が読者の興味を引く。実に巧みで実に読みやすい。期待通りの作品、つまり楽しくて軽い読み物だった。

 ※玲奈がいつも首からコーラを下げているけれど、最後まで読むとその訳が分かる仕組みなっています。なるほど...。

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「スカイ・クロラ」シリーズの謎解きに挑戦(3/3)

 これまで、いくつかの謎について私の考察を紹介してきましたが、最終回の今回は「スカイ・クロラ」についてです。少し長くなってしまいましたが、お付き合いください。

 「スカイ・クロラ」は「スカイ・イクリプス」を除いた本編5冊の時系列的には最後、出版順では最初の作品です。読む順番について著者の森さんは、 「MORI LOG ACADEMY」で「どこから読んでも良いが、もし5冊を全部読む自信がある人は、第1巻のナ・バ・テアから読むことをすすめる。それが一番誤解がないだろう。もし5冊も読む自信はない、とりあえず1冊、という人には、最終巻のスカイ・クロラを」と書かれています。
 また、「ダ・ヴィンチ」のインタビュー記事には、「「スカイ・クロラ」を最初に書いたことに他意はないんです。これ一作でもう続編は書けないだろうと思っていたから、観念して最後の部分から書いてしまった」とあります。

 このように「スカイ・クロラ」1冊だけになる可能性を、森さんが考えておられたのであれば、「スカイ・クロラ」1冊の中にも、作品世界を見渡すためのヒント、真相に近づくためのヒントが込められているはずです。
 そこで「スカイ・クロラ」を、特に細かい点まで注意して読むことにしました。すると、ヒントという意味では、各エピソードの扉のページにあるサリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」からの引用が目を引きます。このような引用は「無くても良いもの」なので、それがあるということは「何か意味がある」はずです。そう思って読むと「ナイン・ストーリーズ」と「スカイ・クロラ」には、その主題に親和性が見えます。

書影

 「ナイン・ストーリーズ」は、サリンジャーの自薦短篇集で、9つの短編を通じて直接・間接に描かれているのは、グラース家の7人兄弟です。彼らは「これは神童」(It’s a Wise Child)というラジオ番組に次々と出演する、いわゆる天才児たちです。しかし、「ナイン・ストーリーズ」で描かれる成長した彼らの多くは、どこかバランスを欠いた不安定な人間になっています。兄弟の精神的支柱であった長兄シーモアは拳銃で自殺してしまいます。
 「スカイ・クロラ」のカンナミは、自分を指して「特別な子供(325)」と言い、他のキルドレたちにも似た形容がされ、そして大人にならない。グラース兄弟も神童と呼ばれ、そしてうまく大人になれなかった。この2つの物語に共通するのは、フワフワして捉えどころの無い雰囲気だけではなく、描かれているテーマも共通しているのです。森さんは、この引用によって「大人にならない永遠の子ども」の表現を補強したかったのではないでしょうか?

 それから、引用されている6編の短編や引用箇所にも意味がありそうです。例えばプロローグの扉の「テディ」の引用箇所にある「死んだら身体から跳び出せばいい~」は「キルドレの再生」を暗示しているように思えます。「人間の再生」は著者が否定されているので、これはミスリードを狙ったものなのでしょう。
 第1話の扉の「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」の引用部分は、その物語の中でも前後のつながりがよく分からない部分なのですが、「ハツカネズミ」と「観覧車」という言葉があり、これが回し車の中を駆けるネズミ、「前進しない永遠の回転」を想起させます。
 第2話~4話の扉の引用は、引用部分の前後までを含めると、「仮面」「シャロンをきみだと思うことにしたのさ」という言葉があったり、母親が海軍中将になりすましたりします。うがった見方かもしれませんが、「誰かが実はその誰かではない」というトリックが、この物語の中に潜んでいることのヒントかもしれません。
 そして、その考えは第5話の扉の引用「エズミに捧ぐ」ではっきりした輪郭を見せます。「私は依然として登場するけれど(中略)どんなに慧眼な読者でも私の正体を見抜くことはできないだろう。」 これは、カンナミが実はカンナミではない、またはクサナギが実はクサナギではない、という暗示と捉えて問題ないと思います。
 さらに、「エズミに捧ぐ」は、「本当の眠気を覚える人間は(中略)無傷のままの人間に戻る可能性を必ず持っているからね。」という一文で終わっています。これは、「スカイ・イクリプス」で描かれたクサナギの回復物語を感じさせます。森さんは、「ナイン・ストーリーズ」を読み返した読者が、こうしたことに感付く可能性を(かなり低い可能性かもしれませんが)考え、こんなヒントを仕掛けたのではないでしょうか?

 では、続いて、他の5冊との関連性における「スカイ・クロラ」の考察と、いよいよ最後の謎についてです。

 このシリーズは、謎の深さというか混迷度が読む順番で違うように感じました。私は、最初は「スカイ・クロラ」から始まる出版順、2度目以降は「ナ・バ・テア」からの時系列順で読みました。そうすると、時系列順、つまり森さんが「一番誤解がない」とされる「ナ・バ・テア」から読む方が悩まないのです。少なくとも「クレィドゥ~」までは、特に何の疑問もないと言っていいぐらいです。

 「スカイ・クロラ」を最初に読むと、ミツヤの「貴方はクリタさんの生まれ替わり(クロラ302)」のセリフに代表される、クローン技術めいた人間の再生のことが頭に残ります。すると「フラッタ~」でクリタが登場すると「この栗田がカンナミになるのか?」なんて、もしかしたらしなくていい想像をしてしまいます。「クレィドゥ~」では、「死んだクリタにクサナギの技術を移殖してカンナミに..」なんて考えてしまったり。ミズキのこともそうです。「スカイ・クロラ(156)」でトキノの言葉を聞いていなければ、特に妹か娘かなんて悩むこともなかったでしょう。

 とは言え、「ナ・バ・テア」から読んでも「クレィドゥ~」では主人公が誰か分からずに立ち往生し、「スカイ・クロラ」でさらに?が増えるということには変わりがないでしょう。「ナ・バ・テア」を最初にしてこれまで組み立てた私の考察でも、「クレィドゥ~」までは何とか破たんを免れたつもりですが、「スカイ・クロラ」には多くの矛盾が残ってしまいます。どうも全体から浮き上がってしまった感じで、説明がつかないことが多いのです。

謎7 スカイ・クロラが抱える矛盾

 最大の矛盾は時間です。それまでの物語との整合性がありません。時系列をみると、クリタについて言うササクラの「死んだのは一週間くらいまえ(78)」、クサナギの「ここに来たのは、七か月前(89)」という言葉が、「クレィドゥ~」とかみ合いません。「クレィドゥ~」の終わりの時点で非武装地帯での戦闘から半年、仮にエピローグを除いたとしてもサガラが病院を訪れたのが1ヶ月前、クサナギがクリタを撃ったのはその前のはずなので、どうしても説明がつきません。
 「クレィドゥ~」と「スカイ・クロラ」の順番を入れ替えたり、重ねたりという手もありますが、「スカイ・クロラ」が「時間軸上では最後」ということは、「ダ・ヴィンチ」のインタビュー記事でも明らかにされていて、「スカイ・クロラ」が最後ではないという可能性は排除しなくてはなりません。

 次は、「スカイ・クロラ」のクサナギは誰なのか?ということです。「クレィドゥ~(310)」でソマナカは「あれは、別人だ」と言っています。それを受ければ、偽クサナギということになりますが、この偽クサナギには「クレィドゥ~」以前のクサナギの記憶があります。これでは「記憶移殖」はない、という森さんの言葉に反してしまいます。キルドレには、他人の話と自分の記憶を混濁させてしまうという症状がありますが、選択的にクサナギの記憶を混濁させるというのは、都合が良すぎるように思います。
 しかしクサナギが偽クサナギではなく、カンナミは「クレィドゥ」のエピローグから続いてクサナギが持つ別人格だとすると、「スカイ・クロラ」ではクサナギもカンナミもクサナギ、一人二役ということになってしまい、2人がササクラやトキノや他の人の前で会話していることの説明ができません。(レストランの店員などを含めて、その他全員が2人いるふりをしているのでなければ)

 また、性別の問題も出てきます。 トキノと同室であることや、トキノが娼館へ案内したこと(65)や、そこの女に「よろしくね、ボーイ」と言われたこと(68)、シャワーから上半身裸で部屋に戻っていること(143)。カンナミが男性であること示唆する記述はまだ他にもあります。すると、女性のクサナギの別人格という考えと相入れません。
 このような矛盾が問題となるわけですが、実は、偽クサナギの問題と性別の問題は、それぞれに説明をつける方法がないわけではありません。記憶移殖などしなくても記憶を学習することは可能だし、性転換手術を受けたという説明も可能です。しかし最大の矛盾である時間の整合性の問題は残ります。そして、時間の整合性の問題を含めて、全てを説明する仮説が少なくとも1つあります。

 それは、「「スカイ・クロラ」はクサナギの別人格であるカンナミの頭の中の出来事、つまり妄想なのだ」という仮説です。妄想の中の話なので、時間が合わなくても、一人二役でも、上半身裸でウロウロしたってどうということもありません。クサナギの記憶を持っていることも説明ができますし、別人格のカンナミが別の記憶を持っていることも不思議ではありません。色々と悩んだ末に「夢オチ」みたいな話で恐縮ですが、それを裏付ける要素がいくつかあります。

 その1つは、森さんがこのシリーズのもとにしたという、デヴィッド・リンチ監督の映画「ロスト・ハイウェイ」です。前回、「途中で主人公が入れ替り、片方はもう片方が作り出した別人格」ということを書きました。さらに言うと、この映画は最初から最後まで全編が、刑務所の中にいる主人公の妄想という解釈ができるのです。
 もちろん、「スカイ・クロラ」シリーズよりも難解とも言えるリンチ監督の映画ですから、この解釈が正しいとは言い切れませんが、「解釈ができる」というより、私が観た限りでは「他の解釈では説明できません」でした。(「スカイ・クロラ」の謎解きのために、リンチ作品の謎にまでブチ当たってしまって、本当に消耗しました。)

書影

 2つ目は、「スカイ・アッシュ」でクサナギが見た夢(イクリプス230)です。この夢でクサナギは自分が撃った人々を思い出しますが、その最後の1人のところで「あれは、僕だ」と「スカイ・クロラ」のカンナミがクサナギを撃つ場面を思い出します。「あれは、僕だ」ですから、本人による告白とも言えます。
 それから、これは直接的な裏付け要素とはなりませんが、多重人格の中のある人格が「死ぬ」「殺される」という考えは、多重人格者を扱ったノンフィクション「24人のビリー・ミリガン」「ビリー・ミリガンと23の棺」の中にも見られます。「~棺」の方はタイトルからして分裂した人格の「死」を暗示しています。

 3つ目は、エピローグです。それまでとは違って一歩退いた視点で自分のこと、クサナギとのことを振り返っています。一歩退いた視点なので、最初の「夢の中で、僕はただ戦った。」という言葉の「夢」とは、「今見ている夢」という意味ではなく、それまでの話、つまり「スカイ・クロラ」全編のことを指して「夢」と言っているのではないでしょうか。
 冒頭に書いたように、「スカイ・クロラ」1冊の中にもヒントが込められているとすると、最後のシーンに分かりやすいヒントを持ってくるのは極めて自然です。「夢オチ」の物語で最後にガバッとベッドから起き上がるシーンのようなもの、だと考えることができます。ちなみに「ロスト・ハイウェイ」の最後のシーンも、主人公の別人格への変身を暗示する、一種のタネ明かしでした。

 このように「ロスト・ハイウェイ」をもとにした、ということを素直に受け取れば、「スカイ・クロラ」全編が妄想で、先立つ4冊はそこに至る物語と捉えて問題ないと思います。以上、Q.E.D. (ふぅ~、疲れた)

—–追記—–

 この考察に至る前に、同じように「スカイ・クロラ」シリーズの謎を追われた多くの方のブログを拝見しました。その時感じたのは、同じ目的に向かっているのだから協力できないものか、ということでした。メールやコメントで?とも考えましたが、読む時期も違うのでリアルタイムに協力するのは難しそうでした。

 そこで、私が考察に使ったメモを提供することにしました。そうすれば、次の人は私の作業の続きから始められます。幸い、アウトラインプロセッサーソフトを使っていましたので、テキストファイルに出力できました。今後、「スカイ・クロラ」シリーズの謎に挑もうとされる方がいらっしゃったら、遠慮なくダウンロードして使ってください。
 ここを右クリックして「対象をファイルに保存」 (コピー・転載・改変は自由/著作権は放棄していません)

——–
(2010.7.28 追記)
sugiさんから、コメント欄にご指摘をいただき、新たな考察を加えたのでここに追記します。

 「スカイ・クロラが抱える矛盾」に挙げた「性別の問題」が、「クレイドゥ~」のエピローグにもあることが分かりました。エピローグ2ページ目で、ベッドの上段で寝ている奴のことを「彼」と表現していることから、主人公が男性と同室であることが推察されます。
 これは「クレイドゥ~」エピローグのカンナミが、女性のクサナギの別人格だとする考えと相入れません。それ以前の物語の考察(「妊娠して非キルドレ化した」など)から、この主人公が男性の誰かであるという考えも排除すると、残る有力な可能性は、「「クレイドゥ~」エピローグから既に、クサナギ=カンナミの妄想」というものです。

 「都合の悪いものは全部「妄想」かよ、ずいぶん都合のいい考察だな」という声が聞こえてきそうで怖いですが、それは上に書いた「それを裏付ける要素」の3つと、ここに至る長い道のりに免じてご勘弁いただきたいと思います。

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「スカイ・クロラ」シリーズの謎解きに挑戦(2/3)

 前回、「スカイ・クロラ」シリーズ6編の時系列のまとめを紹介しました。今回はいくつかの謎について私の考察を紹介します。考察に当たって「スカイ・イクリプス」のいくつかの作品は三人称で書かれているので、これらの作品に書かれていることは事実として考えています。また、著者の森博嗣さんの次の言葉を、謎解きの前提としています。

———

森さんのブログ「MORI LOG ACADEMY」(※)から

Q 『スカイ・イクリプス』を読んでも、まだ読み解けない読者のために何か少しヒントをいただけないでしょうか。
A 無理に読み解かない方が良いと思います。ヒントとしては、以下のとおり。

  • シリーズ5作では、主人公(一人称)はそれぞれ1名。
  • クローン(特に短時間で人間を再生する)や記憶移植といった非科学的なものはこの世界にはない。
  • 「スカイ・クロラ」から読むから難しく感じるかもしれない。たとえば、草薙瑞季は、水素の娘だと思っている人が多いですが、土岐野がそう言っただけです。このように、何を信じるべきか、ということが重要だと思います。
    書影

———

雑誌「ダ・ヴィンチ」2008年8月号の森さんのインタビュー記事から

このシリーズのもとになっているのはデヴィッド・リンチ監督の「ロスト・ハイウェイ」なんですよ。

———

それでは、1つずつ私の考察を...( )の数字はページ数。

謎1:「クレィドゥ・ザ・スカイ」の「僕」はだれか?

 これは、クサナギスイトだと思います。その理由の1つは、サガラやカイの「僕」に対する態度です。
 例えば、サガラは病院に「僕」を訪ねて、電話番号を渡し注射をします(85)。後になってその注射はキルドレに戻すものであることが分かります(291)。「キルドレに戻る」ことができるのはクサナギしかいません。その他「子供のときを、思い出さない?(122)」や、「今、名前を言ったわ(240)」などのセリフも、それを暗示します。
 カイのセリフ「私は、君が生きていてうれしい(296)」「散香に乗れることを約束する(286)」なども、相手がクサナギだと考えれば自然です。なお、前半でフーコと逃げる場面が、「僕」が女性のクサナギでは不自然な感は否めませんが、「スカイ・アッシュ」でフーコが再会を喜ぶ相手が女性であることを考え合わせれば、受け入れられるかと思います。「主人公はそれぞれ1名」という森さんの言葉もあり、「クレィドゥ・ザ・スカイ」の「僕」は、全編を通してクサナギスイトだと思います。

謎2:では、「クレィドゥ・ザ・スカイ」のエピローグのカンナミは?

 このカンナミは、クサナギが持つ別人格だと思います。「主人公はそれぞれ1名」という森さんの言葉を厳密に捉えてエピローグも含まれると考えます。すると「クレィドゥ~」の「僕」が、クサナギではないカンナミだとすると、サガラやカイの態度が説明できません。
 また、「僕は、あなた以外じゃない(ダウン~248)」など、シリーズの複数の場所にクサナギとカンナミが同一人物であることを暗示する部分があります。「ドール・グローリィ」でミズキがカンナミに言う「お姉さまのために編んだのよ」というセリフ(イクリプス209)は決定的とも言えます。
 さらに、森さんがシリーズのもとになっているとした映画「ロスト・ハイウェイ」は、途中で主人公が入れ替わるのですが、実は「それは1人の人物で、片方はもう片方が作り出した別人格」という内容です。これらを考え合わせれば、いわゆる二重人格あるいは多重人格がストーリーに取り入れられていると考えるのが妥当だと思います。

謎3:では、カンナミは実在しなかったのか?

 カンナミは実在したと思います。「クレィドゥ~」のエピローグ以前にカンナミが登場するのは、「ダウン~」の病院で2回、研修会で2回、夢で2回です。夢はともかく、病院の1回、研修会の1回は、看護婦や他の研修生など他の人間が同時にいます。研修会ではカイから参加者は全員パイロットで17人と伝えられ(ダウン~117)、実際にカンナミを入れて17人いました。(もう1人いましたが、その人はパイロットではありません)
 病院と研修会の残る1回ずつのカンナミは、もしかしたらクサナギの幻覚かもしれません。しかし、その後の展開を見ると、この時はクサナギが妊娠によってキルドレではなくなっている時期です。「他人の人生が自分の中に入り込んでくる」のがキルドレが持つ症状(イクリプス225)だとすれば、キルドレではないこの時期に覚醒時に幻覚を見たとする積極的な理由がありません。クサナギの記憶に残っていたこの出会いが、「クレィドゥ~」のエピローグで別の人格として発現したのではないでしょうか。

謎4:では、クリタはどうなのか?

 クリタも実在したと思います。クリタが初めて登場するのは、「ナ・バ・テア(180)」です。その後、クサナギやササクラと一緒に転属して、「フラッタ~」の主人公になったようです。「スカイ・クロラ(302)」で、ミツヤが「貴方はクリタさんの生まれ替わり」とカンナミに言うところが謎めいていますが、この話は森さんの「MORI LOG ACADEMY」での答えに反するので、取り上げなくて良いと思います。
 もちろん、「ナ・バ・テア」の栗田と「フラッタ~」のクリタが同一人物である証拠はありません。しかし、「ナ・バ・テア」で登場、「フラッタ~」の主人公となって、その後なんらかの理由から逃走中にクサナギに撃たれる(イクリプス196)、という流れで破たんするところはありません。

謎5:ミズキはクサナギの妹なのか娘なのか?

 ミズキはクサナギの妹だと思います。ミズキが初めて登場するのは「フラッタ~(194)」のクサナギの母の葬儀でです。この時の年齢は分かっていませんが、一人でクリタの前に現れたことから、幼く考えても4~5才にはなっているはずです。
 一方「フラッタ~」でクリタが「草薙水素とは、もうけっこう長い。一年以上彼女と飛んでいる。」と思う場面があります(フラッタ~41)。クサナギの妊娠は「ナ・バ・テア(180)」でクリタがクサナギの基地に転属してきた後の出来事ですから、ミズキが娘だとするには年月が足りません。もちろん、5年だって「一年以上」には違いありませんが、「一年と少し」という意味に取るのが妥当だと思います。
 また、謎4でも触れたように「ナ・バ・テア」の栗田と「フラッタ~」のクリタが同一人物ではないという可能性は残ります。しかし、子どもはティーチャが引き取って育てているはずで、クリタが「フラッタ~(270)」で遭遇していることから、少なくともこの時には現役なので、クサナギが妹として引き取る必然性がありません。また、引き取るためには、ティーチャと連絡を取りあって子どもの養育について話し合う、ということが必要ですが、どちらもそのようなことをするキャラクターではないと思います。そのようなムリを考えるよりは、母が違う妹とする方が良いと思います。

謎6:クサナギとフーコはいつ仲良くなったのか?

 「フラッタ~」と「クレイドゥ」の間の空白の期間だと思います。「クレィドゥ~」の「僕」がクサナギだとすると、フーコはなぜクサナギと逃げているのでしょうか?いつ、そんな間柄になったのでしょうか?その辺りのことは書かれていないため、推察することしかできません。
 クサナギが初めてフーコに会ったのは「ナ・バ・テア(113)」で、路上に寝ているフーコをバイクではねそうになった時と、ティーチャと娼館へ行った時(ナ・バ・テア249)。その後はフーコの口からクサナギの話題が出る(フラッタ~61)、といったことが2人の関係に言及した部分です。このことからは、一緒に逃亡するといった危険を冒すような関係は掴めないのですが、「スカイ・アッシュ」によれば、二人の関係が親密なものであったのは確かなようです。
 問題は「いつ?」ということですが、「フラッタ~」と「クレィドゥ~」の間の空白の期間であれば、充分な時間がある可能性があり、クサナギが非キルドレ化している期間でもあります。その間にクサナギは精神的にも安定し成長して、他人との関係を築くことができた、と考えることができます。

※「MORI LOG ACADEMY」は現在は閉鎖されていますが、森博嗣ファン倶楽部「森ぱふぇ」に寄贈され、会員登録(無料)すれば、閲覧することができます。
URL http://www.pure.cc/~pramm/morifan/index.html

 次回は最終回、「スカイ・クロラ」について少し詳しく考察します。

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「スカイ・クロラ」シリーズの謎解きに挑戦(1/3)

 「スカイ・クロラ」シリーズの謎解きに挑戦します。昨年読んだ時には「謎は謎として楽しもう」なんて言っていました。でも「本カフェ」のコミュ二ティをきっかけに再読して、やっぱり「知りたく」なってしまいました。できる限り読み解いて、自分なりの決着をつけないと先に進めない感じです。それで、シリーズ6冊を精読して得た考察を3回に分けて披露します。
 ある程度の自信を持ってお伝えしますが、見落としなどの可能性は大いにあります。気が付いたことなどがあれば、お手やわらかにお伝えくだされば幸いです。

 まず、シリーズ6冊の時系列を追いました。下の表がそれです。「時間」は物語の中の時間や季節の記載から考えました。グレーの部分は作品と作品の間などで、物語では語られていない部分です。「出来事」は本の内容を思い出せる程度の出来事(グレーの部分は時間を考えるのに参考になる記述)を書いています。

時間 出来事 作品名
1年 クサナギ入隊
クサナギ、僚機が敵機に体当たり、病院でカイに会う ハート・ドレイン
クサナギ、転属。カイも転勤
1か月半 クサナギ、ササクラと一緒にティーチャのいる基地に転属。キャリアは1年 ナ・バ・テア
クリタとヒガサワが基地に転属
5か月~ クサナギ、妊娠。子どもはティーチャが引き取る
ティーチャ退職
 7ヶ月+
ティーチャ、モナミと子どもを育てる ナイン・ライブズ
クサナギ、撃墜した敵に撃たれる→入院 ダウン・ツ・ヘヴン
クサナギ、病院や研修会でカンナミと会う
クサナギ、ティーチャとの市街戦
 
クサナギ、指揮官補佐になる ジャイロスコープ
クサナギ、カイらの指示で写真撮影
「フラッタ~」でクリタが、「クサナギと1年以上飛んでいる」
半年? クサナギ、クリタ、ササクラと共に転属。指揮官(小隊長)に フラッタ・リンツ・ライフ
クリタ、クサナギの母の葬儀でミズキと会う
クリタ、サガラに撃たれ入院、転属
 
  クサナギ、ミズキを連れてクリタを捜す。撃つ。 ドール・グローリィ
 
  クサナギ、大戦で死亡とされる クレィドゥ・ザ・スカイ
5か月? ○○○が、ソマナカの話を聞いて「半年まえ?」と思う 
  ○○○、病院でサガラに会う。注射と電話番号を受ける
1か月 ソマナカ、サガラに「1か月ほどまえに病院へ行かれましたね」
1週間 ○○○、病院を抜け出し、フーコと逃げる
○○○、サガラの元へ
○○○、20分で4機を墜とす
半年 エピローグで「半年前の戦闘」とある
  カンナミ、この基地に来て半年、ソマナカに会う。
4年半 「クレィドゥ~」エピローグで新人のカンナミが基地に来て半年
「スカイ・クロラ」でカンナミが「飛行機に乗って5年」
3か月~ カンナミ、クサナギの基地に転属 スカイ・クロラ
クリタが来たのは7か月前、死んだのは1週間前
カンナミ、クサナギを撃つ
10年?  
フーコ、クサナギから金をもらい店を辞める アース・ボーン
10才ぐらいだったミズキが「ドール・グローリィ」で就職している
10か月? カンナミ、前に1度転院。もう何年もここにいる ドール・グローリィ
ミズキ、就職。音楽の先生
ミズキ、カンナミに「お姉さまのために編んだ」セーターを贈る
 
  ○○○、十字を切る女、ネオンの光の中の男を撃つ記憶 スカイ・アッシュ
○○○、もうひとり撃った。「あれは、僕だ」
○○○、フーコに会う。

 この表から、クサナギが入隊してから「スカイ・クロラ」に至るまでに、最低でも8年の月日が流れていることが分かります。 もちろん期間不明の空白があり、特に「フラッタ・リンツ・ライフ」と「クレィドゥ・ザ・スカイ」の間の時間の手がかりがなく、長期間にわたる可能性もあることから、実際にはもっと長くなるはずです。
 なお、「スカイ・イクリプス」に収められている「ワニング・ムーン」と「スピッツ・ファイア」の2編は、この時系列に入れるための手がかりが見つけられなかったので入れていません。

 次回は、「クレィドゥ・ザ・スカイ」の「僕」はだれか?などの謎を追っていきたいと思います。

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「スカイ・クロラ」シリーズ読者の方へ

 「スカイ・クロラ」シリーズの読者の方、謎解きに挑戦して身動きができなくなってしまった方、あきらめの境地に達した方に朗報?です。
 のんさんのブログ「猫も杓子も」で、謎解きの重要なヒントが紹介されていました。

 MORI LOG ACADEMYという、森博嗣さんのブログの10月18日の記事で、ご本人が、メールインタビューへの答えとして、「「スカイ・イクリプス」を読んでも、まだ読み解けない読者のために何か少しヒントをいただけないでしょうか。」という質問への答えを公開していらっしゃいます。

 どんな答えかは、実際に見ていただくとして、これまでの考察が根底から覆される人もいるんじゃないでしょうか?これは著者から読者へのプレゼントにはちがいありません。しかし、読者と戯れるようになぞなぞを仕掛けた著者です。種明かしのような答えは期待しないように。これはダンスの続きなのですから。

(2010.5.24追記)

 「スカイ・クロラ 謎解き」などの検索でこの記事に辿りついて、そのまま帰ってしまう方が多いようなので追記します。
 「MORI LOG ACADEMY」は現在は閉鎖されていますが、森博嗣ファン倶楽部「森ぱふぇ」に寄贈され、会員登録(無料)すれば、閲覧することができます。
URL http://www.pure.cc/~pramm/morifan/index.html

 登録したり、記事を探したりが面倒な人のために、森さんのヒントをここに引用しておきます。
——————-

  A 無理に読み解かない方が良いと思います。ヒントとしては、以下のとおり。

  • シリーズ5作では、主人公(一人称)はそれぞれ1名。
  • クローン(特に短時間で人間を再生する)や記憶移植といった非科学的なものはこの世界にはない。
  • 「スカイ・クロラ」から読むから難しく感じるかもしれない。たとえば、草薙瑞季は、水素の娘だと思っている人が多いですが、土岐野がそう言っただけです。このように、何を信じるべきか、ということが重要だと思います。

——————-

 私なりの謎解きを「「スカイ・クロラ」シリーズの謎解きに挑戦」でやっています。

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スカイ・イクリプス

著 者:森 博嗣
出版社:中央公論新社
出版日:2008年6月25日初版
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「スカイ・クロラ」 シリーズ 番外編の短編集。読売新聞の会員制WEBサイト等で連載された作品5編と、書き下ろし3編を収録。本編で重要な脇役であった、ササクラやティーチャ、カイ、それからミズキ(!)らを中心に据えたサイドストーリーだ。連載された既出作品は、シリーズの世界で生まれた「小さな物語」。魅力的な脇役にスポットを当てて、世界観を補足したり、脇役のファンに応えたりするものだろう。(実際、ササクラやティーチャのファンは多いようだし)

 しかし、書き下ろし作品3編はそういう主旨のものとはちがう。これは、本編の5冊を読んだ読者に巻き起こった「あの「僕」は一体誰だ?」の堂々めぐりに、著者が応えたものだと思う。
 「何て読者想いの著者なのだろう」とは思うが、そこはシリーズ5冊を費やして読者に「なぞなぞ」を仕掛けた著者だ。種明かしはしてくれない。ヒントだけを残して「これでおしまい」とばかりに、またもや扉を閉じてしまった。
 ただし、提示されたヒントは、謎の核心に迫るものだった。「ここまで分かれば、ちゃんと整理し直せば、すべてがスッキリする答えにたどり着けるのでは?」という期待を抱かせるに必要十分なヒントだと思う。

 今、私の手元には本書で得たヒントを元に、出来事を組み立て直そうとしたメモがある。あと少しで分かりそうなのに..。いやいや、5冊を読み終わった後に「分からないのが楽しい」なんて言って自分に言い聞かせたはずだ。これでまた、分かりたくなってしまったではないか。著者は何てことをしてくれたのか..。
 思えば「スカイ・クロラ」を読んでからこれまで、ずっと著者の術中にはまりっぱなしで、もてあそばれたようなものだ。

 あぁ、ホントはどういうことなのか知りたい..。

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クレィドゥ・ザ・スカイ

著 者:森 博嗣
出版社:中央公論新社
出版日:2007年6月25日初版
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「スカイ・クロラ」 シリーズ5部作も本書にてひとまず完結。時系列に沿って、1作目の「スカイ・クロラ」の直前までの出来事がこれで明らかになった。しかし、明らかにならなかったこともある。著者は、最後の作品で最大の謎を提示して物語を閉じてしまった。クサナギは、クリタは、カンナミは、何者なのか?

 今回の主人公が誰であるのか?物語の中では明確になっていない。そもそも1人称で語られるこのシリーズでは、誰かが主人公を名前で呼ぶようなことがないと、主人公が誰であるのかはっきり分からない。また、女性であるクサナギが「僕」と自分を呼ぶので、2作目の「ナ・バ・テア」では、途中までは主人公は男だと読者の多くは騙されたはずだ。
 そういった仕掛けの延長線上にあるのだから、主人公が分からないことや、ある場面を根拠に誰かに仮定すると、別の場面でその仮定が破たんしてしまうことは、いわゆる「つじつまが合わない」というような、著者の未熟さの結果ではないことは明らかだ。
 著者は、本の中に謎を仕掛けることで、読者と戯れているのではないかと思う。このシリーズで登場するパイロットたちは、命のやり取りである空中戦を「ダンス」と称して、真剣ではあるけれど楽しんでもいる。同じように著者は物語の謎を介して読者と「ダンス」を楽しもうとしているんじゃないか、と思う。命のやり取りはないけれど。

 だとすれば、著者の目論見は見事に的中したと言える。本書の感想を書いたネットの記事をいくつか見れば、それは一目瞭然だ。主人公が誰だか分らないような、言わばいい加減な本を読んだのに、そのことに憤慨したり、非難したりする意見はほとんど見当たらない。
 その代りに「もう一度1冊目から読み直します!」という内容か、「私の考えでは、主人公は...」という謎解きに挑戦したものばかりが目につく。まるで、ちょっと難しいなぞなぞを問われた子どもたちのようだ。本書の謎は読者を魅了したらしい。

 ストーリーにも触れておく。今回は全編が逃走劇。病院を抜け出した主人公は、誰に追われて何処に行こうとしているのかも分からないまま、逃走を続ける。中盤に追手の影が見え隠れするあたりからは、憎らしいことに結構ドキドキする。サスペンス小説としても上々だ。
 まぁ、ストーリーが上々であることを除いても、ここまでのシリーズを読んで謎が残った読者は、本書を読まないわけにはいかないだろう。そして更なる謎を抱えて「なぞなぞサークル」に仲間入りしよう。

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