1C.小野不由美

白銀の墟 玄の月

著 者:小野不由美
出版社:新潮社
出版日:2019年10月12日(1,2) 11月9日(3,4)
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「十二国記」シリーズの第10作。前作「丕緒の鳥」からは6年、書下ろし長編としては2001年の「黄昏の岸 暁の天」から実に18年。その空白を埋めるかのような4巻、計1600ページの超大作。

 舞台は戴国。「十二国記」の国々は、「王」と王を補佐する「麒麟」が揃って、善政を施すことで国の安寧を得る。どちらかが欠けても国が傾く。そういう天の理がある。
 それなのに戴国は政変があって、王の驍宗と麒麟の泰麒の二人ともが行方不明になっている。王の座を簒奪した僭主の政(まつりごと)がデタラメなこともあって、国が荒廃の一途をたどり民衆が苦しんでいる。そういう中で物語が始まる。

 シリーズとしては「黄昏の岸 暁の天」を受ける。「黄昏の岸~」で謀反の濡れ衣を着せられた軍の元将軍の李斎と、李斎に救出された泰麒が、物語の主人公。李斎が泰麒に付き従う形で登場して始まるけれど、途中で道が分かれ、李斎による驍宗の探索行と、泰麒による王宮での政争の、2つの物語が並行して進む。

 どっぷりと物語世界に浸かってしまった。

 4冊1600ページもあって、劇的な出来事は長く起きない。まぁ「泰麒の政争」は、心理戦でもあるので「何か起きそうという予感」だけでも充分なのだけれど、「李斎の探索行」は、行けども行けども行き着かないので、普通なら飽きてしまうだろう。

 ところがそうならない。李斎たちが新しい街に行き、それらしい情報を得て、時には同志と呼べる人に出会い、そしてまた次の街に...とする間、「十二国記」の世界を一緒に生きているような感覚になる。おそるべし。

 念のため。「十二国記」の予備知識なしで本書を読んでも楽しめないと思う。最低でも「風の海 迷宮の岸」「黄昏の岸 暁の天」を読んでおきたい。できれば「魔性の子」も。作品間に細かい繋がりがあるので、さらに可能であれば他の作品も。

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丕緒の鳥

著 者:小野不由美
出版社:新潮社
出版日:2013年7月1日 発行 7月20日 第4刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「十二国記」シリーズの第8作。4編を収めた短編集。文庫として出版されたものとしては、現在のところ本書が最新刊。

 シリーズの中では異色作だと思う。これまでは十二国のどこかの国の国王か王宮を描く作品ばかりだったけれど、本書収録の4編には共通して、国王も王宮もほとんど登場しない。代わりに描かれているのは庶民や下級官吏の暮らしだ。

 また、国が傾き荒廃する時期が舞台となっていることも共通している。十二国の世界では、国王の治世の末期には国が勢いを無くし、国王が不在となると災害が頻発するなどして国土が荒廃をし、庶民の暮らしは凄惨を極める。そんな中でも日々の暮らしを営む(営まなければいけない)人々を描く。

 表題作「丕緒の鳥」は、儀式で使う陶製の鳥である「陶鵲」を司る官吏が主人公。儀式で撃ち落とされてしまう「陶鵲」を、庶民の姿と重ね合わせて悩む。

 「落照の獄」は、死刑についての答えの出ない問いを真正面から取り上げたもの。「青条の蘭」は、植物の奇病に端を発する環境破壊が題材。どちらも今日的な問題を、壮大なファンタジー世界の中に落とし込んだものだ。

 最後の「風信」は、自国の軍隊に蹂躙されて故郷を追われた少女が主人公。たどり着いた場所には、自然観察に没頭する「浮世離れした」暮らしをしている人たちがいた。「悲惨な外の世界の暮らしをどう思っているのか」と、少女は腹立たしく思う。

 「落照の獄」を除いて、他の3編にはもう一つ共通点がある。それは「再生」の物語だということだ。失いかけた何かを再び手にする、そんな予感がしみじみとうれしい作品だった。

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華胥の幽夢

著 者:小野不由美
出版社:講談社
出版日:2001年9月5日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 「十二国記」シリーズの第7作。シリーズで初めての短編集で、5編の短編を収録。

 時代としては、「月の影 影の海」で陽子が十二国の世界に来た前後らしい。舞台となった国や登場人物は様々。これまでに語られた物語の「その後」もあれば、ほとんど触れられなかった国の物語もある。

 「冬栄」は、「風の海 迷宮の岸」の戴国の泰麒の「その後」で、「黄昏の岸 暁の天」の前日譚。幼い泰麒が訪問する、という形でこれまであまり触れられなかった漣国が描かれる。

 「その後」の物語はあと2つ。「乗月」は、「風の万里 黎明の空」の祥瓊が、公主(王の娘)の身分をはく奪された後の芳国の物語。「書簡」は、「月の影 影の海」からしばらくした、陽子と楽俊の往復書簡。

 これまでほとんど触れられなかった国の物語は2つ。「帰山」は、傾いていく柳国での物語。ただし登場するのは「図南の翼」に登場した利広と「東の海神 西の滄海」の風漢。二人ともそれぞれある国の王族なのだけれど、それを知っていてお互いに知らんぷりをしている。風漢が突然語りだす囲碁のエピソードは意味深長だ。

 「華胥」は、同じく傾いていく才国の物語。若くして傑物と言われ悪政を敷いた先王を討ち、自ら天命を受けて登極した、清廉潔白な王と有能な部下。しかし何故か国は荒んでいく...。正直言って、回りくどくて冗長で途中で飽きてしまった。ただ、ハッとする言葉にも出会った。

 「責難は成事にあらず」(人を責め非難する事は、何かを成す事ではない)

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魔性の子

著 者:小野不由美
出版社:新潮社
出版日:1991年9月25日 発行 2002年11月30日 24刷
評 価:☆☆☆(説明)

 「十二国記」シリーズの外伝。ただし本編の第1作「月の影 影の海」より前に発行されていて、発行当初は外伝であることも(本編がないのだから当然だけれど)、シリーズであることも明らかにされていなかった。「黄昏の岸 暁の天」の物語と表裏となる、私たちの世界の出来事を描いている。

 主人公は広瀬。私立の男子高校を3年前に卒業し、母校に教育実習生として戻って来た。広瀬が受け持った2年6組に、これと言って目立つわけではないのに、明らかに周囲の者とは違う、と感じる生徒がいた。彼の名前は高里。彼にはある噂がつきまとっていた。

 その噂は「高里は祟る」というもの。高里をいじめたりからかったりした者が、大けがを負ったり事故で命を落としたりしているというのだ。広瀬が学校に来て5日目にも、高里と関わった生徒2人が不可解な事故で怪我を負った。こうしたことは偶然なのか、それとも...

 「高里の祟り」は偶然ではありえないほど繰り返される。高里が直接手を下していないことは明らかでも、周囲の感情は高里を許せない。結果として悪意に包囲され、その報復は徐々にエスカレートし、それが更なる悪意を呼ぶ。

 「黄昏の岸 暁の天」の読者には、「高里の祟り」の正体が分かる。十二国の世界から見た視点で、本書のの出来事の一端が描かれていたからだ。しかし当然ながら、本書の中の人々には分からない。そうした視点で描くと、こんなにもホラー色の強い物語になる。

 本書が発行された時点で「黄昏の岸 暁の天」の物語が、すでにほぼ完成した姿で存在していたことが感じられる。細部にわたって2つの物語の関連が、齟齬を起こさずに散りばめられているからだ。それなのに「外伝」である本書を最初に出したのは、「祟りの正体を知らない視点」を読者に提供するためだったのかもしれない。

 それに対して私は「正体を知って」読んだのだけれど、それはそれで良かった。私は「怖い話」が苦手なのだけれど、その苦手意識を感じずに最後まで読めたからだ。本書では、広瀬が抱える「自分がいるべき世界は別にある」という想いや、異端に対する人々の反応など、人間の内面に関わることもテーマとなっていて、そちらに興味を向ける余裕もできた。

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黄昏の岸 暁の天


著 者:小野不由美
出版社:講談社
出版日:2001年5月15日 第1刷発行 5月29日 第2刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「十二国記」シリーズの第6作。第1作の「月の影 影の海」で陽子が「慶」の国王に就いてから約2年。今回は登場人物が多い。陽子はもちろん、「東の海神 西の滄海」の主人公の尚孝と六太、「風の海 迷宮の岸」の主人公の泰麒と女武将の李斎、「風の万里 黎明の空」の祥瓊と鈴...。いわゆるオールスターキャスト。これまで線としてつながっていた物語が、面としての世界に広がった。

 オールスターキャストの中で主人公を一人挙げるなら李斎だろう。「風の海 迷宮の岸」で「戴」の国王の知遇を得た李斎は、そのまま戴国の首都州の将軍に就いた。しかしわずか半年後の政変で、国王とそれを補佐する泰麒が共に行方が分からなくなってしまった。それから数年間、王と泰麒が不在の戴国は荒廃を極めていた。

 この戴国の政変とその後の泰麒の物語と、泰麒救出を目指す慶国を中心とした物語の、数年間の時間差がある2つの物語が並行して進む。その間を繋ぐのが李斎だ。李斎は、逆賊として追われ妖魔に襲われ満身創痍で、慶国の王の陽子の助力を乞うために慶国の王宮に駈け込んで来たのだ。

 登場人物だけでなく、物語が扱うテーマも豊富だった。国の政(まつりごと)を行う難しさ、人としてどう振る舞うべきか、天の理(ことわり)と人の道のありよう、行き違いが生む悲劇、それぞれの故国への思い。ハッピーエンドとは言い難い結末が粛然とした余韻を残す。

 陽子が物語に戻ってきてうれしい。「風の万里 黎明の空」で反乱を鎮めたものの、国の復興は道半ばといったところながら、着実に進歩はしているようだ。「よそ者、バカ者、若者が改革を担う」と言われるが、異世界から来て、この世界の仕組みに不案内な、高校生だった陽子は、まさに「十二国」の改革者になりそうだ。

 本書は、このシリーズに先立って発表された「魔性の子
」と対になる作品らしい。実はそれと知ってこれまで読むのを取っておいた。ようやくここまでシリーズを読み進めたので、近々に「魔性の子」に取り掛かろうと思う。

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図南の翼

著 者:小野不由美
出版社:講談社
出版日:1996年2月5日 第1刷発行 1999年10月8日 第11刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「十二国記」シリーズの第5作。前作「風の万里 黎明の空」のレビュー記事で「陽子の物語で今後も押して欲しい」と書いたのだけれど、本書は別の人物を主人公に据えた、陽子が十二国にやってくる「月の影 影の海」の約90年前の物語だった。

 主人公の名は珠晶。「恭」の国の裕福な商家の娘で12歳。物語の冒頭で彼女が登場した場所は、何と首都にある家から遠く遠く離れた辺境の地の宿屋。しかも、ほとんど身ひとつで連れもいない。およそ12歳の(しかも裕福な家の)少女に対して世間が抱くありようではなかった。

 珠晶は「恭」の国王を選ぶ「昇山」に加わるためにここまで旅してきたのだ。「恭」の国は先王が崩御して27年。十二国の世界では、王がいないと国が乱れる。災厄が頻発し妖魔が人を襲うようになる。「27年も王が決まらないのは、自分がその王だからかもしれない。であればそれを確かめなくては。」というのが珠晶がここまで来た理由だ。

 これを、子どもじみたよく言えば可愛らしい、悪く言えば愚かな考えだと思うのが「大人の考え」だろう。しかも「昇山」のためには、妖魔が跋扈する荒地を何十日も旅しなければいけない。こんなことを聞いたら優しく諭してやめさせるのが、まっとうな人間の行いだと、私も思う。。

 こんな具合で物語は、珠晶が家を飛び出してから、辛苦を耐えて旅を続け、「昇山」に至るまでを描く。その途上で、大人を相手に「子どもじみた正論」を吐きまくり、そのたびに周囲の大人は苦笑いで応える。しかし、「正論」というのは正しいから「正論」という。珠晶が口にする「正論」のうちの幾つかには、ハッとするような真理が垣間見えるのだ。

 元気な少女が活躍する物語は、ファンタジーの世界では定番と言える。そうであっても(そうだからかもしれないけれど)私は、本書はとても面白かった。大人がいなくては子どもは生きてゆけないのだけれど、大人は子どもから学ぶこともある。そう思った。

 実は、珠晶は前作「風の万里 黎明の空」にも登場している。それに気が付くと、ある程度は結末が予想できてしまうのだけれど、それで興が削がれることはない。「あの珠晶はこういう子どもだったのか、なるほどね」と、分かった気になれる。

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風の万里 黎明の空(上)(下)

著 者:小野不由美
出版社:講談社
出版日:1994年8月5日 第1刷発行 1996年8月12日 第8刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「十二国記」シリーズの第4作。主人公は第1作の「月の影 影の海」の陽子と、「芳」の国の公主(王の娘)の祥瓊(しょうけい)、蓬莱の国(日本)からやってきた鈴、の3人。同じ年頃の少女たちの旅路とその先の邂逅を描く。

 時代は、「月の影 影の海」から1年。「慶」の国王に就いた陽子は苦悩していた。蓬莱から来て国の仕組みもしきたりもわからないため、王としての判断ができない。官僚たちのいいようにされ、また彼らから軽んじられていた。

 祥瓊は、父王がその悪政のために臣下の領主によって誅殺され、自身も公主の位をはく奪されて野に下り、辛酸をなめるような日々を送る。鈴は、言葉が分からず周囲に馴染めなかった。ようやく言葉が通じる飛仙に拾われたが、そこでも執拗ないじめを受ける。2人は生命の危機を乗り越え脱出に成功するが、そこでも安寧は得られなかった。

 祥瓊も鈴も、陽子が「慶」の国王に就いたことを聞き、陽子を訪ねる決心をする。一人は救ってもらえると思い、一人は自分にないものを手に入れた陽子に恨みを持って。その想いは、陽子に近づくにつれて変化していく。やがて、思わぬ形で3人の運命は交錯し始める。

 これは傑作だと思う。700ページに及ぶ長編ながら一気に読んでしまう。ドラマチックでありながら、ところどころに思慮深い諫言がちりばめられている。少女の口からこんな言葉が出る「自分がいちばん可哀想だって思うのは、自分がいちばん幸せだって思うことと同じぐらい気持ちいいことなのかもしれない」

 陽子の物語は、第1作以来3作ぶり。私としては陽子の物語で今後も押して欲しい。

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東の海神 西の滄海

著 者:小野不由美
出版社:講談社
出版日:2000年7月15日 第1刷発行 2004年3月19日 第12刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「月の影 影の海」「風の海 迷宮の岸」に続く、「十二国記」シリーズの第3作。主人公は前2作にも登場した、「雁」の国の延王・尚隆とその補佐を務める麒麟・延麒の2人。ただし時代は前2作から遡ること約500年、尚隆が「雁」の国の治世を始めて20年の時。

 物語の発端はさらに18年前の偶然の邂逅。延麒は妖魔と呼ばれる魔物に乗って空を飛ぶ、人間の少年の更夜と出会う。妖魔はその本性として人間に馴れることがない。ましてやその背に人間を乗せて飛ぶことなどありえない。しかし、更夜とその妖魔は強い絆で結ばれていた。

 そして物語の現在。先王の末期に荒廃を極めた「雁」の国は、尚隆の治世の20年で目に見えて復興を遂げていた。尚隆が有能な為政者である以上に、側近の官吏たちが更に有能だった。なぜなら、尚隆は良く言えば豪放、悪く言えば出鱈目な男だったからだ。お忍びで街に出かけて民と交わることは好きだけれど、朝議と呼ばれる御前会議はすっぽかして出席しない。

 そんな風だから、全体としては国の復興が成っていても、国の隅々を見れば大事な事業が滞っている。それを恨みに思う地方もある。都から離れた「元州」では反乱の気配。こんな状況で、延麒は18年ぶりに更夜の訪問を受ける...後から振り返れば、これが新たな騒乱の幕開けだった。

 王宮には王宮の、反乱を起こそうとする元州には元州の理(ことわり)がある。民に近いところにいる元州の領主が説く理の方が、真に人々のためになるように思えるのだが、ことはそう単純ではなかった。

 読み進めるほどに、人間の内面が深々と掘り下げされる。善政の影に隠れた後ろ暗い闇。思いのほか重く鋭い刃を突きつけられた感じだった。

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風の海 迷宮の岸

著 者:小野不由美
出版社:講談社
出版日:2000年4月15日 第1刷発行 2002年4月11日 第3刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 「月の影 影の海」から始まる「十二国記」シリーズの第2作。世界観はそのままに、主人公も舞台も時代も変わる。

 主人公は泰麒、十二国の内の1つ「戴」の国の麒麟。舞台は生まれ落ちた麒麟が育つ「蓬山」。時代は、「月の影 影の海」を少し遡ったころ。麒麟とは、12の国にそれぞれ1体だけいる神獣で、天意に従って王を選び、その王を補佐して国を治める役割を担う。

 本来、麒麟は蓬山の奥にある木の実から孵って、王を選ぶその日まで蓬山で暮らす。しかし泰麒が宿る実は、「蝕」と呼ばれる天変地異で、蓬莱の国に流れて行ってしまった。蓬莱の国とは、つまり私たちが暮らす「こちら側」の世界。泰麒は、私たちの世界で10歳まで育った後に、蓬山に帰還する。

 この物語を通して感じるのは、泰麒が抱く「欠落感」。10歳まで育った私たちの世界では、泰麒は「お友達とうまくやっていくこと」ができなかった。両親や祖母を喜ばせることもできなかった。そして蓬山でも、別世界で10年の年月を暮らした泰麒は、他の麒麟たちができることが何一つできない...

 ただしこの少々重たい感覚は、物語を底流してはいるものの、常に表面に出ているわけではない。表面には10歳の少年の、全く異質な世界に放り込まれながらもそれに順応する「しなやかさ」と「成長」が描かれていて、清々しくさえある。

 前作「月の影 影の海」が、何度もアップダウンを繰り返す波乱の展開であったのに対して、本書は後半の盛り上がりに向けてなだらかに登っていく感じだった。それはそれで悪くはないのだけれど、私としては前作の方が面白かった。

 前作と重なる登場人物もあり、シリーズとしての繋がりは保たれている。また、前作では分からなかった「十二国記」の世界の成り立ちやシステムについても書かれていて、本書は良いガイダンスにもなっている。

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月の影 影の海(上)(下)

著 者:小野不由美
出版社:講談社
出版日:2001年1月15日 第1刷発行 2003年3月7日 第10刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「キアズマ」の記事のコメントで、あまねママさんにおススメいただいた、「十二国記」シリーズの第1作。おススメいただいた時に、ちょうど図書館で予約したところだったという、不思議な巡りあわせもあり、さっそく読んでみた。

 「十二国」とは、その名の通り12の国からなる世界。中心にある神々が住まう地を、国々が幾何学的に取り囲んでいる。私たちが住む「こちら側」とは「虚海」という海でつながっている。ただし、人間は「こちら側」から「あちら側(十二国)」への一方通行しかできない。

 シリーズ第1作の本書の主人公は中嶋陽子、女子高の1年生。職員室でケイキと名乗る膝に届く金髪の男の訪問を受け、そこからは怒涛の展開。窓ガラスが突然全部砕け散り、でかい怪鳥の襲撃を受け、その怪鳥相手に大立ち回りを演じ..。

 それらが落ち着くと、陽子は十二国の1つ「巧」という名の国の海岸に打ち上げられていた。その国では「こちら側」から来た者は「お尋ね者」で、陽子は追手に追われ、妖魔と呼ばれる魔物たちの襲撃を受ける。落ち着いたのは一時だけで、その後も緩急を付けた波乱の展開が物語の終盤まで続く。

 陽子は、ちょっと醒めたところはあるが「普通の女子高生」だ。その陽子が逃避行を重ねて野宿を繰り返し、身一つで妖魔と戦う。そのことに最初は、陽子本人はもちろん、読者も違和感を感じてしまう。しかし、いつの間にかその違和感は消えている。陽子の中の何かが目覚めて、それだけ陽子が「変わった」からだ。

 面白かった。まぁ以前からどんな物語かは何となく聞いていて、ハマりそうな予感がしてはいた。ハマってしまうのが怖くて、読むのを敢えて後回しにしてきた面もある。しかし、読んでしまったものは仕方ない。案の定この世界に首まで浸かってしまいそうだ。下巻の裏表紙の紹介に書いてある通り「十二国の大抒情詩」は始まったばかりだ。

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