5.ノンフィクション

精神科医・安克昌さんが遺したもの

著 者:河村直哉
出版社:作品社
出版日:2020年1月17日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 今年1月に放送された「心に傷を癒すということ」というドラマで知った安克昌さんのことを、もっと知りたいと思って読んだ本。

 何よりもまず安克昌さんとは。安克昌さんは、1995年1月の阪神大震災において、神戸大学附属病院精神科医局長として、自らも被災しながら、精神科救護所・避難所などで、カウンセリング・診療などの救護活動を行った医師。その後も被災者の心の問題と取り組み続けた。しかし2000年12月に39歳の若さで肝臓がんで亡くなっている。

 著者は新聞社の記者で、安医師(著者に倣って「安医師」と書く)とは震災前から記者と医師として付き合いがあり、震災後は安医師に依頼して、新聞紙面に「被災地のカルテ」という連載を掲載している。おそらくはその過程で、互いに記者と医師という関係を越えた信頼感が生まれたのだろう。安医師の死後にもご遺族との面会を続け、関係者にインタビューを重ね、本書の基になった原稿を仕上げた。

 安医師が残した功績は大きい。昨今の災害時の「心のケア」として取り組まれている活動の多くが、阪神大震災時に安医師ら(安医師個人ではなくて、あの時活動したたくさんの人々)が、暗中模索の中で確立していったものだと言える。本書には、そのことが「被災地のカルテ」などの安医師の文章を引用する形で記されている。

 しかし実は、本書はそのことを多く書いたものではない。本書に書いてあるのは、そうした功績を残した後のことだ。自らの容態を知った安医師が、医師としての責任を全うしながら、どのように家族に寄り添って生きたか。そしてその遺族はどのように「その後」を生きたか。その記録だ。

 読んでいる間ずっと圧倒されっぱなしだった。私は神戸の出身だけれど震災時には東京に住んでいて、震災は「体験していない」。そのことがずっと心の中にわだかまりとしてある。本書にある「同じ体験をした人でないとわからない」という被災者の言葉に少し息苦しくなる。

 実は、先の被災者の言葉に対して「わかりますよ、といったとたんに嘘になってしまう」と、安医師も語っておられた。私などとは比較できないほどの葛藤を抱えておられたのだと知り、決して気が楽にはならないのだけれど、少し視界が広がった。ありがたい。

 最後に。著者は平成14年に原稿を脱稿したものの、ご遺族に配慮して本にはしなかった。それを今年になって本にしたのは「日本に大きな災害が相次いで起こるようになってしまったから」だと言う。「(安医師が)心の傷と癒しについて、とても大切なことを教えてくれているように思う」と。まことにその通りだった。

NHK土曜ドラマ「心の傷を癒すということ」公式サイト

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女帝 小池百合子

著 者:石井妙子
出版社:文藝春秋
出版日:2020年5月20日 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

「経歴詐称は重大なことだけれど、そんなこともかすむ」と聞いて読んでみたら本当にそうだった本。

東京都知事の小池百合子さんの半生を追ったノンフィクション。著者は2018年の文藝春秋に「虚飾の履歴書」という記事を載せて、小池氏の「カイロ大を首席で卒業」という経歴に切り込んでいる。本書の幹の部分はこの経歴疑惑だけれど、根の部分にあたる「幼少期からエジプト時代」、幹から伸びる枝の部分にあたる「キャスターから政治家へ」を加えることで、小池氏の全体像が明瞭な輪郭をもって浮かび上がっている。

本書には小池氏のネガティブ情報が満載だ。「芦屋令嬢」の住まいが阪急電車の線路わきにあったこと。政治家のタニマチを自称する父が大言壮語の末に身上をつぶしてしまったこと。細川護熙、小泉純一郎、 小沢一郎と時の権力者に近寄って自身の地位を固めたこと。頼ってきた人たちへのたくさんの裏切り..。

「カイロ大を首席で卒業」について言えば、小池氏が証拠として提示した「卒業証書」に、成績が「5段階の3番目」と記されている。この卒業証書が仮に真正なものだとしても「首席」ではありえない。文藝春秋の記事が出た後に、都議会でこのことを問われた小池氏は「教授にいい成績だったといわれて嬉しくなって書いた、ということだと思います」と答えている。

まぁネガティブ情報については、誰でも探せば見つかるだろうし、一方からの見方でしかないかもしれない。カイロ大卒業の経歴疑惑も「些細な事」だと片付けることもできるかもしれない。ただ、カイロ大卒業をめぐる小池氏の言動には、彼女の人間性が見える。この人間性はその他の出来事にも通じる。

それは「ウソをつくこと」と「他人を尊重しないこと」だ。ウソは本人にしてみれば、他人を楽しませようとしてついた小さなウソかもしれない。「教授がいい成績だったと言った」を「首席で卒業」と言い換えるウソ。本当だったらいいのに(面白いのに)を、本当のように言ってしまう。この手のウソの例が、本書にはたくさん載っている。

「他人を尊重しない」は、「5段階の3番目」の卒業証書を示しながら「首席」と言い張ることで感じた。「5段階の3番目」だと分からないぐらいの語学力なんじゃないの?という指摘もある。そうであったとしても疑惑に答える証拠なのだから、普通なら何が書いてあるのか確かめるだろう。つまり「どうせ分かりっこない」「分かったとしても大したことない」と軽く見ているのだ。「どうせ大したことない」の例もたくさん載っている。

さて「ウソをつく」「他人を尊重しない」人を、また都知事に選んでいいの?国政に戻る気も満々で、一時は「初の女性首相候補」と言われていたけれど、そんなことに現実味を加えるようなことがあっていいの?

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新型コロナウイルスの真実

著 者:岩田健太郎
出版社:KKベストセラーズ
出版日:2020年4月20日
評 価:☆☆☆☆(説明)

 やっぱり「本当の専門家」の話を聞くことが大事だよね、と思った本。

 「新型コロナウイルスのことを何か言うなら、これを読んでからにしよう」と言われて読んでみた。

 著者は神戸大学大学院医学研究科の教授。北京でSARSやアフリカでエボラ出血熱の臨床を体験している、感染症の専門家。今の状況下ではその知見はとても大切にされてしかるべきなのに、なぜか評価が分かれている。「ダイヤモンド・プリンセス号」に乗り込んで2時間後に追い出された、という「事件」についての評価が分かれているからだ。(その事件のことも本書に詳しく書いてある)

 本書は5章立て。第一章「コロナウイルスって何ですか?」、第二章「あなたができる感染症対策のイロハ」。この2つは、著者の知識と経験による専門的知見だ。第三章「ダイヤモンド・プリンセスで起こっていたこと」。これは、あの船の中の状況を専門家の視点で伝える貴重な記録。将来の検証に必要なものだと思う。

 第四章「新型コロナウイルスで日本社会は変わるか」、第五章「どんな感染症にも向き合える心構えとは」。この2つは、社会とか人間の心理についての著者の意見で、他の章と比較すると「専門外」と言える。「専門外」であることを認識した上で、私はこの2つの章に強く惹きつけられた。そして、それとともに感染症対策の困難さを感じた。

 例えば第五章の最初の節「「安心」を求めない」。日本では「安全・安心」とひとまとめにして言うけれど、「安全」と「安心」は当然ながら違う言葉だ。「安全」は「危険性が除かれた状態」。危険に対する対策を行うことで、そういう状態は実現するわけで、その意味では「実在する」。それに対して「安心」は、「安心したい」「大丈夫だと信じたい」という「願望」で、リアリティとは離れたところにあって「実在しない」。

 「願望」だから、その人によって求めるものが違う、なかなか満たされない人もいる。誤解を恐れずに言うと「キリがない」と思わされる人もいる。また、必ずしも「安全」でなくても、大丈夫だと信じることはできる。原発の「安全神話」がいい例で、「安全」じゃなかったのに「安心」していたわけだ。

 今の日本の状態は、著者の意に反して「安心」を求めて前のめりになっているように思う。「安心」を求めるあまり「安全」を損なうようなことが起きるかもしれない。心配だ。一方で「「安心」を求めない」でいられるほど、私たちは強くないとも思う。感染症対策の困難さを感じたのは、そのためだ。

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サードドア: 精神的資産のふやし方

著 者:アレックス バナヤン 訳:大田黒奉之
出版社:東洋経済新報社
出版日:2019年9月5日 第1刷 9月25日 第3刷
評 価:☆☆☆(説明)

 サブタイトルの中の「精神的資産」という言葉に魅かれて読んだ本。それは今いちよく分からなかった。

 まったく無名の学生だった著者が、大学1年生の時に「ビル・ゲイツはどうやって成功の第1歩を踏み出したんだ?」と思ったことがきっかけで始めた、「成功した人たちにインタビューして、そこで得たことを本にする」プロジェクト。本書は、その始まりから、驚きのアイデア、悪戦苦闘、赤面の失敗、ありがたい援助などを経て、当初の目的を果たすまでの一部始終。

 タイトルの「サードドア」は「第三のドア」の意味。どこかに入ろうと思ったら、まず「第一のドア」は正面入り口。99%の人がそこに並んで長い行列を作る。ところが並ばないで入っていく人がいる。金持ちやセレブが使うVIP専用入り口が「第二のドア」。ふつうはこの2つしか気が付かない。「第三のドア」は「裏道を駆け抜け、何百回もノックして窓を乗り越え、キッチンを通り抜けたその先」にある。

 「成功者にインタビューしたい」と思ったものの、どうしたらいいのか皆目わからない著者は、知り合いの大人に片っ端からメールして、アドバイスを求める。そのうちの一人がスティーブン・スピルバーグが大学のキャンパスに来ることを教えてくれる。抜け駆け的にスピルバーグに話しかけていると学部長が飛んできて「こんなことは許されない」と、追い返されてしまう。

 こんな感じでプロジェクトは前途多難に始まるのだけれど、彼に協力してくれる人も現れる。例えば参加したビジネスカンファレンスで話しかけてくれた登壇者。彼はマイクロソフトのディレクターで、著者が「プロジェクト」のことを話すと、マイクロソフトのオンラインサービスのプレジデントを紹介してくれた。そのプレジデントはビル・ゲイツに彼のメールを転送してくれる、という。

 すぐにもビル・ゲイツのインタビューが実現しそうに思うが、ここからが大変。大変だけれど面白い。そしてためになる。まぁ著者と同じ事はできない。「できない」と思う心が邪魔をしてできない。でもいろいろとヒントは得られる。

 例えば、著者はプロジェクトの資金を稼ぐために、クイズ番組に出て懸賞金を得る、という驚きの作戦を成功させるのだけれど、このエピソードがその後の出会いのスパイスとして効いている。成功した人たち、セレブたちは「聞いたこともない経験」に興味を示す。1つでも他人に話せる「経験」を持っていることは、とても役に立つ。

 それから協力者を得ることも大事。ビル・ゲイツに直接のコネクションはなくても、マイクロソフトの幹部を知っているディレクターと知り合う機会はあるかもしれない。その人に協力してもらうことで、1歩階段を上がれる。

 あとは「何百回もノック」できるか?だ。

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あいちトリエンナーレ「展示中止」事件

著 者:岡本有佳 アライ=ヒロユキ
出版社:岩波書店
出版日:2019年11月27日 第1刷 2020年1月15日 第2刷 発行
評 価:☆☆☆☆☆(説明)

「表現の自由」「言論の自由」「○○の自由」は、キチンと対策を立てて対処しないと守れないものなのだと知った本。

本書には昨年の「あいちトリエンナーレ」で何が起こっていたかが克明に記録されている。ずい分と話題になったので必要ないかもしれないけれど、まずは「あいちトリエンナーレ「展示中止」事件」を簡単に振り返ってみる。

2019年に愛知芸術文化センターなどで開催された国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で、その一企画である「表現の不自由展・その後」に対して、開幕の8月1日から多数の匿名の「電凸」による嫌がらせや攻撃があった。それを理由に開催3日後にこの企画は展示中止を強いられた。後に10月8日に展示を再開、閉幕まで6日間の展示を行った。

もう少し細かく言うと、展示中止に至るまでには、河村たかし名古屋市長による展示撤去の要請や、菅義偉官房長官による補助金不交付の示唆などがある。あいちトリエンナーレ(以下、あいトリ)実行委員会の展示中止の理由は、匿名の攻撃、特に放火を示唆するFAXを受け「安全性の確保ができない」こと。

これは表向きの理由で、側面的に(あるいは本当の理由)は名古屋市長や官房長官による「検閲」と捉えられている。つまり「河村市長+管長官+電凸組」対「あいトリ実行委員会(大村県知事+津田芸術監督)+作家」を「表現の自由を侵す側」対「守る側」という対立構造だと考えられている。。

しかし、本書を読んでもっと深く掘ると別の姿が見えて来る。それは、作家とあいトリ実行委員会が対峙する姿だ。あいトリ実行員会には、展示中止の前にも後にも、できることするべきことがたくさんあったのだ。本書はこのことを、一方の当事者である「表現の不自由展実行委員会」によって記録したものだ。

さらに言うと「表現の不自由展実行委員会」は、キュレーターとしての立場でもあって、各々の作品の作家たちと同一ではない。さらにさらに言うと、作家の間(例えば海外の作家と国内の作家)でも、この展示中止に関する態度が違う。実に複雑で錯綜した関係を、私たちは(少なくとも私は)報道を通して、「侵す側」対「守る側」なんて単純に見ていたのだ。なんと浅いことか。

「おわりに」を読むと、展示中止というショッキングな出来事の直後に、「何が起きたのか、しっかり社会に伝える本を作ろう」と著者に伝えた人がいるという。それが本書の編集者らしい。歴史に残る業績だと思う。「おわりに」の冒頭にはこうある。「記録は抵抗のはじまり」。金言だ。

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新聞記者・桐生悠々忖度ニッポンを「嗤う」

著 者:黒崎正己
出版社:現代書館
出版日:2016年12月16日 初版
評 価:☆☆☆☆(説明)

 私は、桐生悠々のことを深くは知らず、浅薄であったな、と思った本。

 タイトルにある「桐生悠々」というのは、明治から昭和初期に活動した石川県出身のジャーナリストの名前。いくつかの職業に就き、いくつかの新聞社で記者として勤めた後、明治43年に信濃毎日新聞社の主筆に就任。一度退社した後に昭和3年に復帰、昭和8年まで同社の主筆を務めた。

 「桐生悠々」の名は、「長野県の近現代史」や「戦争とジャーナリズム」について勉強していると、比較的早い段階で知ることになる。昭和8年に信濃毎日新聞社を退社する原因となった「関東防空大演習を嗤ふ」という社説が有名だからだ。当時、関東一帯で行われた防空演習について、「帝都の空に迎へ撃つといふことは、我軍の敗北そのものである」と、「防空演習なんてしたって意味ないじゃん」と嗤ったのだ。昭和8年は、日本が国際連盟を脱退した年。2年前に起きた満州事変を境に、報道と世論が軍部支持に染められていたころだ。

 前置きが長くなった。しかし、このことは著者が本書を著すきっかけであり、現在と大いに関係がある。2017年に「X国からミサイルが発射され、我が国に飛来する可能性がある」として、全国で避難訓練が行われた。アラートから着弾まで4分とされる中で、頑丈な建物に避難するか、物陰に身を隠す、そうなければ「地面に伏せて頭部を守る」、という訓練だ。もうお分かりだと思うが、「関東防空大演習」と同じかそれ以上に「意味ないじゃん」だ。

 著者は金沢の放送局の現役のディレクターだ。報道に携わる者として、「国難」とまで言って煽って実施された、2017年の避難訓練について、「こんな訓練に意味はあるのか?本当は誰のための何のための訓練だったのか?こんな訓練を各地で繰り広げるより前に、政府がすべきことがあるのではないのか?」と伝えるべきだった(逆に言うと、そういう報道はされなかった)としている。

 著者には「抵抗するものを排除し、安全を理由に自由を規制し、情報を隠蔽する」現在の光景が、桐生悠々の時代と二重写しに見えている。だから桐生悠々を見直すことで、現代日本の危機を浮かび上がらせ、教訓を引き出したい。本書はそんな意気込みがこもった本だ。

 私は「長野県の近現代史」を勉強する中で、桐生悠々の名に出会い、「関東防空大演習を嗤ふ」のことも知っていた。しかし、和たちは浅薄であった。この社説を詳しく読んだことがなかったため、その主張が、主義としての「反戦」より、リアリズムに立ったものであることを、初めて知った。また、信濃毎日新聞退社後も、会員制の個人雑誌を8年間にわたって、29回もの発禁・削除処分を受けながら発行して主張し続けたことも知った。その記事の多くを読むこともできた。よかった。

 最後に。桐生悠々は昭和10年に「第二の世界戦争」を予想し、それが各国国民を挙げての絶望的戦争となり、その悲惨さ故に「「将来戦争は戦われ得ない、少なくとも戦われてはならないことを、人類が痛切に感ずる時期がくる」と記している。(念のため。世界が二度目の世界大戦に突入するのは、4年後の昭和14年(1939年))。完璧な予言だ。しかし「将来戦争は戦われ得ない」の部分の「戦争」を「世界大戦」に限れば、だ。この限定さえも破ってしまうことのないように祈る。

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となりの難民

著 者:織田朝日
出版社:旬報社
出版日:2019年11月8日 初版第1刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 この国はマズいんじゃないかと、本格的に思った本。

 著者は、日本で暮らしている外国人を支援する活動として、外国人収容施設での面会活動などをしている。外国人収容施設とは、出入国在留管理庁(以前の入国管理局)が管理をしている施設で、全国に17カ所ある。そこには在留資格のない外国人「非正規滞在者」が収容されている。

 本書は、著者が支援活動を通して知った、外国人収容施設のヒドイありさまが記されている。そこに実際に行って収容されている外国人と面会して知った「実体験」だけに迫真の報告だ。そしてそればあまりにも痛々しく、そんなことを行う施設と国家に(それは私の国、日本だ)、私は強い怒りを感じる。

 そこでは何が行われているか?収容時にはスマホや病気の薬などの持ち込みが禁止される。持病があっても薬を飲むこともできない。家族や友人への連絡は、KDDIの高いテレホンカードを買って公衆電話からしかできない。外から連絡を取ることはできない。

 刑務所のようだ、と言いたいところだけれど刑務所よりヒドイことがある。刑務所は、裁判を受けて刑期が決まって入る。外国人収容施設は突然に収容が決まる。弁護士も付かず自身を守る方法もなく、身一つで収容される。裁判に相当する手続きもなく、収容期限は決まっていない。いつ出られるのか分からない不安は心身を蝕む。

 とりわけ人道上の問題があって許せないと思うのは医療の問題だ。持病の薬が持ち込めないだけでなく、外国人収容施設では必要な医療が受けられない。著者らの調べでは1997年から2019年の約20年に起きた、入管での死亡事故・事件は18件。うち5件は「医療放置」。「死ぬまで放っといた」ということ。ちなに自殺は6件、餓死が1件...

 「在留資格がないのに在留しているのは法律違反だ」だから当然だ、という声が、ネットを中心にある。しかし、たとえ法律違反でもこれはひどい。それに、望まずにその状態にされてしまった人もいる。母国を追われて日本を頼って来た人が、難民申請をしてもなかなか認められない。認められなければ在留資格もない。その間も場合によっては容赦なく収容される。こんな理不尽なことってある?

 読んだら気持ちが沈むと思うけれど、知っておいた方がいい。私の国の一部分は、紛れもなく「最低」だ。

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ケーキの切れない非行少年たち

著 者:宮口幸治
出版社:新潮社
出版日:2019年7月29日 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 いろいろなことが分かったけれど、これはちょっと重たい問題だと思った本。

 発売されたころに新聞や雑誌などでさかんに取り上げられていたので、帯のいびつな円の「三等分」とともに書名は知っていた。きっかけがあって読んでみた。

 著者は、現在は大学の臨床心理系の教授。前歴は、児童精神科医として病院で勤めた後、医療少年院に法務技官として勤務している。本書は、その医療少年院での勤務経験が元になっている。医療少年院というのは、発達障害や知的障害を持ち非行を行った少年たちの「矯正施設」のこと。

 まずケーキの話から。医療少年院で、ある粗暴な言動が目立つ少年の面接で、円を描いて「ここに丸いケーキがあります。3人で食べるとしたらどうやって切りますか?皆が平等になるように切ってください」という問題を出した。すると少年はまずケーキを縦に半分に切って、その後「う~ん」と悩みながら固まってしまった、というエピソード。タイトルが「~非行少年たち」と複数になっているように、こうした少年(少女も含む)は、医療少年院に大勢いるらしい。

 ケーキが切れない理由は何かと、これの何が問題なのかと言うと「少年たちは、こんな簡単なことも分からない。ちゃんとした教育を受けられなかったこと」ではなく、ましてや「ケーキを切ってもらうような家庭環境になかったこと」なんかではない。(タイトルだけを見て考えると、こんなことを思う人もいそうだけど)

 ケーキが切れない理由は「認知機能に問題がある」からなのだ。そして問題は「この少年たちへのこれまでの支援が役に立たない」ということ。これまでの支援というのは「認知行動療法」と言って、ワークブックなどで思考の歪みを修正して対人関係スキルなどを改善するもの。しかし「認知機能」に問題があれば効果は期待できない。この点については著者からの解決策の提示がある。

 さらに発展した問題。医療少年院や児童精神科に来た少年たちは「発見された」わけで、まだ発見されていない少年たちが存在する。「認知機能」に問題があると、簡単な問題が解けない。想像ができないので、他人の気持ちがわからない。先のことを考えられないので、目標を立てられないし、それに向かって努力もできない。そんな子どもは、本来は支援を必要としているのに、「困った子」「悪い子」と思われている可能性が高い。そして「少年」はいつか「大人」になる

 正直に言って、どう消化していいのか分からない。今は「知ること」で第一歩だと思うしかない。

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帝国の慰安婦

著 者:朴裕河
出版社:朝日新聞出版
出版日:2014年11月30日 第1刷 2015年1月30日 第4刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 いわゆる「慰安婦問題」について、興味がある人は読むといいし、どのような立場であれ発言しようとする人は読むべきだと思った本。

 著者は韓国の世宋大学校日本文学科教授。日本の慶應義塾大学文学部を卒業し、早稲田大学大学院の博士課程を修了。著書や研究で日韓関係について積極的に発言、本書で、アジア・太平洋賞特別賞、石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞を受賞している。ちなみに著者は、本書に先立って同名の書籍を韓国で出版しているが、本書はその翻訳ではなく、著者自身が日本語で書き下ろしたものだ。

 「慰安婦問題」とは、第二次世界大戦中に日本軍が関与し、兵士の性的な相手をした女性たち、特に「朝鮮人慰安婦」に対する人権問題だ。彼女たちは「性奴隷」なのか「売春婦」なのか、「強制連行」だったのか「自発的」だったのか。相反するイメージを持った対立が先鋭化して、解決の糸口が見えない。

 本書はそんな中で、感情や政治的立場を排して、慰安婦自身の声と文献に当たって、事実に忠実にあろうと努めた、孤高の存在と言える。なぜなら著者が言うように「慰安婦問題発生後の研究は発言が(中略)発話者自体が拠って立つ現実政治の姿勢表明になっ」てしまっているからだ。どのようなことを言うにしても「(慰安婦問題を支援するのか否定するのか)どちら側なのか?明確にしろ」という圧力がかかる。

 要約することは難しい。本書を読めば、この問題が大変複雑であり、その複雑さを無視して「性奴隷か売春婦か」「強制はあったのか否か」という、単純化した論争にしてしまったことに、解決の困難さがあることが分かる。要約してはいけないのだ。

 それでも2つだけ。「植民地支配と記憶の戦い」というサブタイトルに関係して。

 一つ目は少女像が象徴し、国連の報告書にも反映されている「慰安婦=強制的に連れていかれた少女」というイメージは誤りだということ。平均年齢が25歳という資料もあり、「自発的」「親に売られた(買ったのは韓国の業者)」というケースもある。でも、これらは韓国の「公的な記憶」の成立過程で、都合が悪いために消し去られてしまっている。

 二つ目。少女だけでないとしても、日本軍による強制がないとしても、その責任が免れるかというと、そうではないこと。なによりも人権を蹂躙したことには変わりない。また、「大日本帝国」と「植民地」という、支配関係の中での出来事であるという文脈から、その「強制性」を検証しなくてはいけない。

 私自身、これまでこの問題をもっと単純化して考えていて、どう受け止めればいいのか分からないことが多い。本書の内容を消化するのに、もう少し時間がかかりそうだ。

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命に国境はない 紛争地イラクで考える戦争と平和

著 者:高遠菜穂子
出版社:岩波書店
出版日:2019年6月5日 第1刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

私は何も知らなかったんだ、と思った本。

著者は、イラクでエイドワーカーとして人道支援の活動をしている高遠菜穂子さん。30代より上の世代には、2004年に起きた「イラク日本人人質事件」で、人質として拘束された女性、と言えば、多くの人が思い出すだろう。今も変わらずイラクで平和のために活動していらっしゃる。

本書は、その著者が、2003年のイラク戦争勃発から現在に至るまでのイラクの現状と、自身の人道支援の取り組みを記したもの。現地に身を置いて、あるいは現地から日本を見て、自身の目と耳で得たこと。それは、私たちが(少なくとも私が)知っていることと、まったく違うことだった。

例えば、イラク戦争は正規軍の戦いが終結した後にも、「武装勢力」と米軍の戦いが長く続いた。ではその「武装勢力」とはどういった人々なのか?イラク軍の残党?地方の軍閥?アルカイダ?そういう人もいただろう。しかし「米軍に殺害された市民の遺族」が、抵抗勢力となったものが数多いのだ。(著者を拘束した武装集団もそうだった)

では、遺族はどうやって生み出されたのか?私の認識では「巻き添え」だ。米軍が言うような「戦闘員だけを標的にしている」という言葉は信じていないけれど、「多少の犠牲は仕方ない」という大雑把な攻撃をして市民にも多くの犠牲が出ている、と思っていた。

ところが例えば、ファルージャではこんなことが起きた。米軍は小学校を占拠。「子どもたちが勉強できないから返せ」と200人ぐらいがデモ行進。米軍はなんと銃撃して20人ぐらいが死亡。こんなことが繰り返されて、米軍側にも犠牲者が出るに至って、米軍は街を封鎖して総攻撃を行う。14歳以上の男性は戦闘年齢にあたるとして街から出ることを許さずに。「虐殺」だ。「巻き添え」なんかではない。

最後に日本について。上に書いたような出来事が進行する最中に、米軍を支援する日本の陸上自衛隊がサマワに派遣される。「人道復興支援」といいながら軍服を着ている。米軍の兵站も担う。当然だけれど「自衛隊」なんて言葉はアラビア語にはない。「日本」がイラク国民からどう見えたか?今もどう見られているか?私たちは「知らなかった」では済まない。「国民として責任がある」なんていう間接的なことではなくて、このままでは私たちが危険だ言う意味で。

本書は、わずか87ページ、わずか620円(+税)。それで大事なことを知ることができる。

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