25.梨木香歩

ほんとうのリーダーのみつけかた

著 者:梨木香歩
出版社:岩波書店
出版日:2020年7月10日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆☆(説明)

 「言葉」に対する著者の真摯な態度に、共感し背筋が伸びる思いがした本。

 出版社の岩波書店のサイトによると、本書の大部分は、2015年に「僕は、そして僕たちはどう生きるか」の文庫の刊行を記念して、20歳までの人を対象に開催された、梨木香歩さんの講演を収めたもの。梨木さんは原則として講演の依頼を受けてこられなかったけれど、当時の社会情勢に強い危機感を抱き「若い人たちに直接メッセージを届けたい」とこの講演を引き受けられたそうだ。

 講演の主題は「社会などの群れに所属する前に、個人として存在すること。盲目的に相手に自分を明け渡さず、自分で考えること」。これを例をあげたり他の書籍を引いたりして、噛んで含めるように語る。私は講演の対象となった「若い人たち」ではないけれど、ゾクゾクするような共感と気付きを得た。

 「共感」は、著者が「日本語」について語る部分で。「大きな容量のある言葉をたいした覚悟もないときに使うと、マイナスの威力を発揮します」と著者は言う。「今までに例のない」「不退転の決意で」など。それほどのこともないのに、大袈裟な言葉を使うと、言葉が張り子の虎のように内実のないものになってしまう。そして「今の政権の大きな罪の一つは、こうやって、日本語の言霊の力を繰り返し繰り返し、削いできたことだと思っています」と続く。

 「気付き」は、「ほんとうのリーダー」について。これは書籍のタイトルにもなっているように、本書のキモなので、ぜひ読んでもらいたい。上の「講演の主題」で書いた「盲目的に相手に自分を明け渡さず、自分で考えること」に深く関わってくる。どうすればそうできるのか?を教えてくれる。

 本書に深く関わりのある本が2つある。一つは講演のきっかけとなった著者の「僕は、そして僕たちはどう生きるか」。もう一つは吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」。この本は1937年、日中戦争に突入しファシズムが世を覆い始めたことに危機感を感じて、若い人に向けて出版されたもの。梨木さんの「僕は~」は、この本の問いかけへの一つの答えの意味合いがある。だから3冊を読んで欲しい。順番は問わない。敢えて言えば本書は70ページと、とてもコンパクトで読みやすい。それで本書を読むと、他の2冊のことが気になって読みたくなるだろう。

 最後に。吉野源三郎の本の出版(1937年)も危機感からなら、著者がに講演を引き受けた(2015年)のも危機感からだ。実は「僕は~」の執筆(2007年)も、本書の刊行(2020年)も危機感からなのだ。1937年はファシズムに対して、2007年は前年の教育基本法の改変に対して、2015年はやはり前年の集団的自衛権行使容認などに対して。そして今年は、新型コロナウイルス感染症下の同調圧力に対して。「自分を明け渡してはいけない」私たちは繰り返し試されている。

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岸辺のヤービ

著 者:梨木香歩
出版社:福音館書店
出版日:2015年9月10日 初版発行 11月5日 第3刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「生きる」ということは悩ましい、それでも素晴らしいことだ、と思う本。

 梨木香歩さんが描く児童文学。川の蛇行の後にできたマッドガイド・ウォーターという三日月湖が舞台。主人公はハリネズミに似た不思議な生き物、クーイ族のヤービ。ヤービたちが「大きい人たち」と呼ぶ、人間の「わたし」の語りで物語が進む。「わたし」は、マッドガイド・ウォーターにある寄宿学校のフリースクールで教師をしている。

 冒頭に「わたし」とヤービの出会いが描かれていて、これで「わたし」がどんな人なのか分かる。マッドガイド・ウォーターにボートを浮かべて本を読んでいる時。ミルクキャンディーを口に入れようとしていた時に、目と目があって、手に持ったキャンディを差し出した..。心豊かで優しい、でも慌てると自分でも思わぬ大胆なことをしてしまう。そんな人。

 ヤービの方はクーイ族の子どもで男の子。虫めがねで花粉やミジンコを観察して「帳面」に書き留めるのが好き。ヤービのひいおじいさん(グラン・グランパ・ヤービ)は、博物学者だったらしく、ヤービはその血をひいているのだろう。つまりは好奇心旺盛で感性も豊か。

 物語はヤービと、いとこのセジロ、クーイ族の別の種族のトリカ、の3人を、ちょっとした冒険を交えて描く。これが思いのほか様々なテーマを含んでいる。家族のあり方、親戚のあり方、仕事のあり方、環境の変化、そして「他の命をもらって生きる」ということ...。

 ちょっと重めのテーマもあるけれど、ちゃんと子どもの心に届く物語になっている。私は子どもではないので、本当のところは分からないけれど、そう思う。「トムは真夜中の庭で」とか「床下の小人たち」とか「ナルニア国物語」とか、海外の児童文学の古典を読んでいるような気持ちになるから。それは、小沢さかえさんの絵によるところも大きい。

 私が子どものころに夢中で読んだ「コロボックル」シリーズのことも思い出す。

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椿宿の辺りに

著 者:梨木香歩
出版社:朝日新聞出版
出版日:2019年5月30日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

不思議なことが当たり前に起きる、梨木作品の特長が心地いい本だった。あの作品につながるのか!も気持ちいい。

主人公の名前は、佐田山幸彦。三十代。化粧品メーカーの研究員。名前について念を押すと、姓は佐田で名が山幸彦(やまさちひこ)。古事記や日本書紀にも記述がある「海幸彦山幸彦神話」の山幸彦だ。当然ながら海幸彦も登場する。主人公の従妹が海幸比子という名だ。

主人公たちがこのような名前を授かったのは、二人の祖父が「正月元旦の座敷で、二人並べて「山幸彦、海幸彦」と呼んでみたい」という、ただそれだけの理由。主人公は、この名付けを親に抗議したが、女である従妹の方が自分より気の毒だと思っている。

発端は「痛み」と「手紙」。山幸彦はこのころ肩から腕にかけての激痛に悩まされていた。痛み出すと一睡もできない。また、実家を貸している鮫島氏からの手紙を受け取った。「転居することになったから賃貸契約を打ち切りたい」という。「実家」と言っても、曽祖父母の代のもので、鮫島家が50年以上も住み続けている。山幸彦は行ったこともない。

物語はこの後、坂道を転がるように、玉突きのように進む。従妹の海幸比子と会い、海幸比子の勧めで痛みの治療のために鍼灸院に行き、鍼灸院で「実家」のある椿宿の話を聞き...。その途中で時々不思議なことが起きる。亡くなった祖父が鍼灸師を通して忠告してくるとか。山幸彦は「祖父はきっと、私のことを信用していないのだ」と普通に受け止める。

気が付かないうちに現実から異界に移っている。梨木さんの物語ではよくある。今回は、異界に移るというよりは、現実の世界に居たままでふっと異界が重なってくる、そんな感じ。そういうことを繰り返すうちに、一族の因縁に結び付き、けっこう壮大な話につながる。山幸彦の「痛み」もその一部となる。

最後に。山幸彦の曽祖父の名は豊彦という。佐田豊彦。植物園の園丁兼植物学者だったという。間違いない。梨木さんの10年前の幻想的な作品「f植物園の巣穴」の主人公だ。「f植物園の巣穴に入りて」という書きつけも登場する。これは佐田家4代にわたる物語だった。

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この庭に 黒いミンクの話

著 者:梨木香歩
出版社:理論社
出版日:2006年12月 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 梨木香歩さんの挿絵の多い中編、または文章の多い絵本。

 表紙は雪深い庭の風景、本扉の裏の見開きには針葉樹の山の麓の街、その裏のページはカーテンを閉めた部屋が描かれている。部屋の時計は12時10分過ぎ。カーテンのすき間から光が漏れているから昼間だろう。そう、お昼なのにカーテンは閉められている。

 文字による描写の前に、絵によって物語が始まっている。閉ざされた空間、あまり健康とは言えない主人公。そんな予感。

 予感は的中で、主人公は寝起きで、カーテンのすき間から漏れる光が「心に刺さる」という。そしてこの家に来ての数日、ほとんど外に出ていない。寝室ではなくソファベッドで寝起きしている。日本酒、ウォッカ、コニャック、ポートワイン...部屋には酒瓶が転がっている。

 そんな調子だからか、缶詰のサーディンが泳ぎだしたりして、夢とも現とも分からない(いや、どう考えても夢か)物語へと続く。そこに少女がやってきて、一緒に逃げたミンクを探すことに。他人との関りが、主人公を現実につなぎ留めるかと思ったら...。

 静かにイマジネーションが喚起されるような物語。自由奔放なイメージが展開する中で、現在と過去も行き来しているようだ。実は本書は著者の名作「からくりからくさ」に連なるお話。主人公の名前はミケル。私は読んでいないのだけれど文庫版(私が読んだのは単行本)の「からくりからくさ」に、「ミケルの庭」という物語が収録されている。本書と併せて読みたい。

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不思議な羅針盤

著 者:梨木香歩
出版社:新潮社
出版日:2015年10月1日 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 梨木香歩さんのエッセイ集。「あとがき」によると、2007年から2009年に雑誌「ミセス」に連載されたもの。それを2010年に単行本としてまとめ、さらに2015年に文庫化した。全部で28編を収録。

 日々の暮らしの中で目にしたこと、旅先で出会った物事、十年以上前の出来事、さらに遡って子どものころの話等々、テーマを特に設定せずに様々なことが、落ち着いた筆致で綴られる。テーマはない中で一つ全体の特長を挙げると、著者の作品の読者なら馴染みのことだけれど、動植物、特に植物の話題がとても多くて、とても細やかだということだ。

 例えばこんな感じ。「貝母という花には複雑な思いがある。一本であるときは真っ直ぐに誰にも何にも依りかからず生きているのだが、これが数本まとめて花瓶に挿そうものなら、みるみるうちにその巻きひげのような葉っぱがお互いに絡み合ってまつわり合って簡単には離せなくなる。

 貝母は別名をアミガサユリといい、取り立てて珍しい花ではないようだけれど、私はその名前を知らなかった。著者は、露地に咲くその花を見つけて、両手のひらで包むようにして「ようこそようこそ、永らえて、まあ」と話しかけた。こういう感性の持ち主なのだ。身の回りの小さなことを、ちゃんと受け取ることができる。

 さらに「絡み合って依存し合うのは莢が重いから」という説を引いて、「自分で何とかまかなえるだけの暮らしをすればいい話ではないか」と言う。これが「サスティナビリティ(持続可能性)」の話につながっていく。本書の特長をもう一つ挙げると、1つのエッセイの中に、こんな風にいくつかの話題があって、それが繋がって最初の話題に戻って円を成していることだ。読んでいてとても気持ちがいい。

 最後に。本書には著者の憂いも感じる。例えばこんな一文に。「たとえば国のリーダーが、どう考えてもばかばかしい政策を掲げたときにはどうしよう。従うのか、意見するのか、見限るのか。(中略)もっと他に何かあるだろうか」。念のため言うと、これは今のことを言っているのではない。このエッセイが始まったのは2007年で10年近くも前だ。..今と同じ人が首相だったけれど。

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海うそ

著 者:梨木香歩
出版社:岩波書店
出版日:2014年4月9日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 梨木香歩さんの書き下ろしの近著。一昨年に創業百年を迎えた岩波書店の「創業百年記念文芸」として出版。大自然の中で魂に触れそうな物語。

 舞台は南九州の「遅島」。時代は昭和の初め。主人公は20代半ばの人文地理学の研究者の秋野。秋野は亡くなった主任教授が残した未完了の報告書を見て、遅島に心惹かれてやってきた。遅島は古代に修験道のために開かれた島で、明治初年までは大寺院が存在していた。

 「存在していた」と過去形なのは、明治初期の廃仏毀釈の嵐によって、寺院が徹底的に破壊されたからだ。後に明らかになるけれど、今は礎石などの痕跡が残されているだけだ。この島は「喪失」を抱えている。

 物語は、フィールドワークとして、秋野がかつてあった寺院群を訪ねる山行を描く。実は、秋野も心の内に「喪失」を抱えている。一昨年に許嫁を亡くし、昨年には相次いで両親を亡くしていた。秋野が抱える「喪失」に島の自然が共鳴する。そんな物語だ。

 本書は、この物語に50年後の後日談が続いている。50年の歳月は、物語の雰囲気をガラッと変えてしまう。しかし、そこにさらなる「喪失」を描き、「再生」と「発見」を描くことで、物語世界が大きく広がっている。

 「遅島」は架空の島。冒頭に地図が載っているけれど、その姿は、鹿児島県薩摩川内市の中甑島に似ている。

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僕は、そして僕たちはどう生きるか

著 者:梨木香歩
出版社:理論社
出版日:2011年4月 初版第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「家守綺譚」「西の魔女が死んだ」など、私が大好きな作品の著者である梨木香歩さんの近著。

 主人公は14歳の少年のコペル。両親とは離れて一人で暮らしている。コペルというのはもちろんあだ名で、叔父のノボちゃん(これももちろんあだ名)が命名した。ノボちゃんは染色家、草木染作家をしている。

 物語は5月の連休の初日の1日を描く。その日コペルは市内を少しはずれたところにある雑木林に出かける。土壌採取して棲んでいる虫の種類を調査するためだ。そしてそこで、熱心にイタドリを刈り取るノボちゃんに会う。

 ノボちゃんがイタドリを刈り取っているのは、染色の材料に使うためだ。ではコペルの「調査」は?中学生の休日の過ごし方としては変わっていると思う。まぁ理由は後で明かされるし、彼の周囲の人々が明らかになるにつれ、その中では「そんなに変わっていない」ことも分かる。

 この後、コペルとノボちゃんは、コペルの友達のユージン(これもあだ名)の家に行く。ユージンの家は代々裕福な農家で、広い敷地はちょっとした森のようになっている。

 梨木さんの作品は植物の描写が丁寧なものが多いけれど、本書もそのひとつ。ユージンの家の森の木々や草花がひとつひとつ丁寧に紹介される。それはそれは瑞々しく描かれる。

 こんな感じで、中学生が自然の中で過ごす爽やかな休日、と思っていたら、思いのほかズッシリと重いものを受け取る。そこで読者は「僕は、そして僕たちはどう生きるか」というタイトルを思い出すことになる。

 この国が「右傾化している」と言われる今、本書が投げかけるテーマは重大な意味があると思う。少し長くなるけれど、2カ所引用する。

 「大勢が声を揃えて一つのことを言っているようなとき、少しでも違和感があったら、自分は何に引っ掛かっているのか、意識のライトを当てて明らかにする。自分が足がかりにすべきはそこだ。自分基準で「自分」をつくっていくんだ。他人の「普通」は、そこには関係ない。

 「国が本気でこうしたいと思ったら、もう、あれよあれよという間の出来事なんだ。

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丹生都比売

著 者:梨木香歩
出版社:出版工房 原生林
出版日:1995年11月20日 初版第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 本書は、著者のデビュー作「西の魔女が死んだ」に続く第2作。日本古代史最大の内乱と言われる「壬申の乱」を題材にしたとてもナイーブな物語。

 「内乱」と「ナイーブ」という2つの言葉は、お互いに似つかわしくない。本書は壬申の乱そのものを描いた「戦記もの」ではない。その前後を生きた一人の皇子を主人公とした、彼の身の回りの物語。

 主人公の名は草壁皇子。壬申の乱の一方の当事者である大海人皇子(のちの天武天皇)の第2皇子。彼は体が弱く、すぐに熱を出して寝込んでしまう。幼い子のためにあつらえた弓矢でも、それ引くこともできない。周囲の期待を集めるタイプではない。聡明で利発で文武に秀でた弟の大津皇子とは対照的に。

 時代としては、父の大海人皇子が、皇位継承の争いを避けて、出家して吉野に下っている期間を中心に描く。つまり壬申の乱の直前。タイトルの「丹生都比売(におつひめ)」とは、吉野の水銀と水を統べる神霊で、大海人皇子を加護する姫神の名前だ。

 大海人皇子が、皇位継承から身を引いたとはいっても、近江宮の大友皇子にとっては、自分を脅かす政敵に違いなく、吉野の宮にも常にきな臭さが漂う。そんな中で草壁皇子は、父母の期待に応えられない自分を不甲斐なく思い、悪夢にうなされる日々を過ごしている。そしてある日、キサという名の言葉を話せない少女と出会う。

 物語は、草壁皇子とキサの子どもらしい邂逅を描いていくうちに、周囲はきな臭さの度合いを増す。やがて大乱となることもその結果も分かっているのだけれど、息が詰まる。丹生都比売の加護はあるのか?

 父の想い、母の想い、子どもの想い。古代の内乱の渦の中心に、こんな濃やかな物語を綴ることができるとは。著者に敬服。

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エンジェル エンジェル エンジェル

著 者:梨木香歩
出版社:出版工房 原生林
出版日:1996年4月20日 初版第1刷発行 2002年10月10日 第3刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 「家守綺譚」「西の魔女が死んだ」 の著者である梨木香歩さんの、今から20年近く前の作品。私は単行本で読んだのだけれど、B6版より少し小さい版型の160ページ、紙面に余裕のある文字数の「小品」。

 高校生の「コウコ」の物語と、女学校に通う「さわこ」の物語が交互に綴られる。「女学校」という言葉の響きからも想像できるように、「さわこ」の物語は時代が何十年か前のことのようだ。

 コウコは情緒不安定。意味もなくいらいらしたり、泣きたくなったり、じっとしていると焦燥感で手に汗がにじんだり。そんなコウコが、精神の安定を得るために熱帯魚を飼うことを思いつき、母親に認めてもらった。寝たきりになっている祖母の世話を、一部引き受けることと引き換えに。

 その祖母の世話というのは、夜中のトイレへの付き添い。もともと学校から帰ったら寝てしまって夜中に起きだす、という生活をしていたからそう無理はない。そんな夜中の二人きりの時間に、おばあちゃんが覚醒する。いたずらっぽい力のある目をして、若い女の子のような声で話しかけてくる。

 おばあちゃんに何が起きたのか?ちょっとドキドキする展開。もちろん「さわこ」の物語ともつながっている。二人の会話に控えめなユーモアも感じられて、穏やかな気持ちで読んでいた。ところが突然、心を深くえぐるような展開になるので、ご用心を。

 終盤のおばあちゃんのセリフが心に残った「神様もそうつぶやくことがおありだろうか」

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春になったら苺を摘みに

著 者:梨木香歩
出版社:新潮社
出版日:2006年3月1日 発行 2013年2月20日 第18刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「家守綺譚」「西の魔女が死んだ」の著者である梨木香歩さんの初エッセイ。2002年2月、今から12年前の作品。30~40ページぐらいのエッセイが10編、すべて書下ろし。最後の「五年後に」は文庫版のみに収録。

 本書は、著者が20代の頃に英国に留学した時の下宿の女主人「ウェスト夫人」と彼女の周囲の人々や、著者が旅先などで出会った人々との交流をつづったもの。20代の頃から「今」(さらに文庫版では5年後)と、時代を自在に行き来しながら、エピソードが重ねられる。

 ウェスト夫人は徹底した無私の人。宗教も人種も経歴さえも(殺人の前科があっても)問わず、その下宿の部屋を提供する。部屋が空いていない場合を自分のベッドを明け渡してしまう。彼女を筆頭に実に多彩で個性豊かな人々が登場する。ウェスト夫人が引き寄せるのか、ウェスト夫人ごと著者が引き寄せているのか?

 私が一番印象に残ったのは「子ども部屋]という作品。著者が湖水地方のホテルに滞在した時のことを書いているのだけれど、どのようなきっかけがあるのか、そこから様々な時代に遡って、さらにそこからもう一段飛んでと、縦横無尽にエピソードと想いを綴っている。

 ウェスト夫人とその子どもたちのこと。その子どもたちが出て行って、空いた子ども部屋に著者が滞在していたころのこと。ウェスト夫人の元夫の家の家政婦のこと。20年前に通っていた学校のこと。騎士道のこと。そして「日常を深く生き抜く、ということは、そもそもどこまで可能なのか」というような思索的な言葉がふいに発せられ、自らの「精神的原風景」に言及する。

 そもそも著者は個人的な情報があまり公になっていない。本書の著者紹介だって作品名以外には「1959年(昭和34年)生まれ」としか書いていない。だからエッセイとは言え、経歴はもちろん、これだけ内面を記した文章に、私はとても引きつけられた。これは読んでよかった。

 上橋菜穂子さんが高校生の時に訪ねたという、英国の児童文学作家のルーシー・M・ボストンさんを、著者も訪ねたことがあるそうだ。何てことのない発見だけれど、気が付いた時はうれしかった。

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