35.三崎亜記

チェーン・ピープル

著 者:三崎亜記
出版社:幻冬舎
出版日:2017年4月20日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 著者の作品を読むのは久しぶり。この前は2012年に読んだ「決起! コロヨシ!!2」で、それもそうっだったけれど、著者が描くのは「あり得ない」とは言えないけれど、明らかに「普通じゃない」少しズレた世界。本書にもそんな物語が6編収められている。

 本書は一人のルポライターが、各章ごとに一人、合計6人の人物にスポットを当てて取材し、その人生の軌跡を辿った、という体裁になっている。章の間の関連はそれほどなく、それぞれが独立したルポルタージュとして読める。

 2つ紹介する。表題作「チェーン・ピープル」は、チェーン店のように画一化された人々の物語。彼らは、言動や身のこなし、癖、考え方に至るまで「手引書」に沿うように自らを律して暮らしている。全国的に353人いる。彼らはどうして自らの個性を捨てることにしたのか?

 冒頭の「正義の味方」は異色作。スポットを当てたのは、わが国が「未確認巨大生物」に襲われた時に、どこからともなく現れて撃退してくれる「正義の味方」。国民もマスコミも当初は歓迎していた(だからこそ「正義の味方」と呼んだ)けれど、戦いが繰り返されるうちに論調が一変する。現れるタイミングが良すぎるじゃないか?とか、あいつが戦うことで被害が大きくなってる、とか。

 読み進めていくうちに共通点を感じた。この2作を含めて「視点の転換」が見え方を一変させる、ということ。「正義の味方」では顕著だけれど、ある視点からは「善」と見えても、別の視点からは「悪」に見える。もちろん「悪」に見えていたものが「善」に見え出す、ということもある。

 最後に。普通じゃない少しズレた世界は、ちょっと気味が悪い。でも、小説は所詮「作りもの」。現実離れすればするほど、物語との距離が保てるので「怖い」という感覚は薄まる。その点、最後に収録された「応援-「頑張れ!」の呪縛-」は、現実であってもおかしくなくてすごく怖い。

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決起! コロヨシ!!2

著 者:三崎亜記
出版社:角川書店
出版日:2012年1月31日 初版発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 昨年6月に「これはハマってしまった」とレビューに書いた「コロヨシ!!」の続編。月刊小説誌「野生時代」に連載された「コロヨシ!!シーズン2」を書籍化したもの。

 主人公は高校3年生で「掃除部」の主将の藤代樹。「掃除」はこのシリーズでは、芸術性や技術の高さを競うスポーツになっている。前作で樹は「掃除」の全国大会に出場し、個人競技第3位になった。これまでは、政府直轄校が上位を独占していて、一般校の樹が3位に入ったことで注目の受けている。

 樹が注目を受けるのには他の理由もある。この国では先の敗戦によって、国技を持つ権利を失った。「掃除」も理由は定かではないが、政府の厳しい規制の元にあった。それが、敗戦から40年がたち、新国技の候補となって、脚光を浴びているのだ。ただ「居留地」「西域」という名の、この国を取り巻く国々は、その動きに警戒感を募らせている。

 このような説明から、独特の世界観を少し感じてもらえただろうか。この世界観を理由として、前作のレビューで「普通の青春小説とは一味違う」と書いた。逆に言えば一味違うとは言え、前作は「青春小説」だった。友情、家族との葛藤、挫折と克服、淡い恋。

 しかし、本作では「青春要素」は背景に引いて、陰謀渦巻くアクションサスペンスになっている。著者が作り上げた世界観も、前作では「一風変わった設定」にしか感じなかったが、ストーリーに深く関わって生きてくる。前作の延長線上にはない、思わぬ大がかりな展開。タイトルの「決起!」と樹が叫ぶ時には、読者は遥か遠くまで連れて来られている。

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バスジャック

著 者:三崎亜記
出版社:集英社
出版日:2005年11月30日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 著者が描くのは「当たり前でないことが当たり前の世界」。本書もそんな物語が7つ収められた短編集。すべて「小説すばる」に2005年に掲載された作品ながら、短いものは3ページ、長いものは約90ページと、長さはまちまちだ。

 「当たり前でないことが当たり前」で、現実を歪んだレンズを通して見ているような落ち着かなさを感じる。そこまではどの作品も共通なのだけれど、読後感で二分される。読み終わってスッキリとした作品と、そうでない作品だ。

 スッキリした作品は、まず最短の3ページの作品「しあわせな光」で、これは希望の中で終わる。次に短い4ページの作品「雨降る夜に」は、何となくホッとする。表題作の「バスジャック」は18ページ、ピタリと着地が決まった感じ。「動物園」は52ページ、幾分ムリ目な設定を何とか描き切った。
 そうでない作品は、まず冒頭の30ページの作品「二階扉をつけてください」。「歪んだレンズ」を一番強く感じる作品、著者には珍しいブラックユーモア。「二人の記憶」は17ページ、ハッピーエンドに見えるが、本当にそうだろうか?

 最長の約90ページの作品「送りの夏」は、著者の作品のもう一つの特徴である「喪失と回復」を描いたものだ。「喪失」を抱えた人々の寄り添うような暮らしを、小学生の少女の目を通して描く。ただこの物語は、着地がうまくいかなかったように思う。

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コロヨシ!!

著 者:三崎亜記
出版社:角川書店
出版日:2010年2月26日 初版発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「海に沈んだ町」のレビュー記事のコメント欄で、ポポロさんに教えていただいた作品。ポポロさんに感謝。

 これはハマってしまった。著者の作品はアンソロジーを除くと4冊目。3冊目の「海に沈んだ町」のレビュー記事で、「なるほどこういう物語を書くのだな」などと、何かを見切ったようなことを書いた。「当たり前でないことが当たり前の世界」「喪失と回復」。このことは、本書にも当てはまる。しかし、本書は私が思っていた三崎作品とは全く違う物語だった。

 主人公は高校2年生の藤代樹。「掃除部」に所属している。そう、本書では「掃除」はスポーツになっている。「長物」という棒状のもので、「塵芥」という羽根を扱う演舞で、芸術性や技術の高さを競う。彼は、昨年の新人戦で優勝し、今は掃除部のエースになっている。
 主人公を一人紹介しただけで、ちょっと設定が風変わりなものの、本書がいわゆる「青春小説」だと想像する人は少なくないだろう。その通りだ。樹は、仲間に支えられ、友情を育み、家族と葛藤し、挫折を乗り越えて成長する。もちろん淡い恋もする。本書には「青春小説」の要素が詰まっている。

 しかし、普通の青春小説とは一味違う。それは舞台となる世界のせいだ。現代の日本のようで、少し軸がズレたような異世界。「西域」「居留地」といった地名や習俗から、「失われた町」の舞台と同じ世界であることがわかる。そして、その怪しげで危険な雰囲気が、そのまま引き継がれている。「あの街に「爽やかな青春」は似合わないでしょう?」と思うのだが、これがうまくハマっているのだ。

 本書は、月刊小説誌「野生時代」に2008年から2009年にかけて掲載された小説に、加筆修正して単行本化されたもの。実は、2010年4月号から続編「コロヨシ!! シーズン2」が連載され、先ごろ最終回を迎えたそうだ。続編の刊行が楽しみだ。

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海に沈んだ町

著 者:三崎亜記
出版社:朝日新聞出版
出版日:2011年1月30日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 「小説トリッパー」という季刊誌に、2009年~2010年に掲載された8編と、書き下ろし1編を加えた、短編集。前後の作品と緩やかにつながっている、連作短編集の形になっている。

 アンソロジーを除くと、著者の本を読むのは「失われた町」「となり町戦争」に続いて3冊目。なるほどこういう物語を書くのだな、という特徴がいくつか分かってきた。1つは「当たり前でないことが当たり前の世界」。それによって「当たり前のことが、実は当たり前ではない」ことを描く。
 「失われた町」は「町の消滅」、「となり町戦争」は「隣町と戦争をする」という当たり前でない設定。それによって、「今日と連続した明日」「戦争とは無縁の日常生活」という当たり前のことの危うさが描かれている。

 本書の表題作「海に沈んだ町」も、「町がそっくり海に沈む」という当たり前ではない設定。20年以上前に飛び出してきた故郷が海に沈んだ男性。憎んでいたはずの故郷が無くなることで、逆にその存在感が大きくなる。著者が描く物語のもう一つの特徴は「喪失と回復」。
 どんな「喪失」を抱えても、残された者はその後を生きている、いや生きていかなければならない。「失ったものは返って来ない」その底の知れない哀しみと、そこから一歩踏み出したしなやかな強さを感じる。私が一番心にしみた作品「四時八分」は、そんな物語だ。

 良かった作品とそうでもなかった作品が半々。それが私の正直な感想。思うにその分かれ目となるキーワードは「回復」らしい。

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となり町戦争

著 者:三崎亜記
出版社:集英社
出版日:2005年1月10日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 著者のデビュー作で、2004年の第17回小説すばる新人賞を受賞。私は、本書の2年後に発表された「失われた町」を読んで、そのレビューで「私には、すごく面白かった」と書いた。それに「「私には」とわざわざ付けたのは、これはダメな人には徹底的にダメだろう、と思ったからだ」と続けた。

 舞台は、舞坂町という人口1万5千人余りの地方の町と、その「となり町」。主人公は北原修路。一人暮らしの独身男性。となり町を挟んで舞坂町の反対側にある、地方都市の会社に勤めている。物語は、ある日届いた「広報まいさか」の記事から始まる。その記事の題は「となり町との戦争のお知らせ」。
 この「戦争」は、何かの比喩でもなければ、悪趣味なネーミングの行事でもない。実際に戦死者が出る戦闘行為を行う「戦争」なのだ。しかし、この「戦争」は、舞坂町と「となり町」で行う、財政健全化や活性化を目的とした「共同事業」だという。北原修路は、町の「となり町戦争」担当の香西瑞希と共に、となり町の偵察任務につく。

 「町の事業として「戦争」をする」とは、突飛な設定だ。しかし、「辞令交付式」に始まって、「業務分担表」やら「地元説明会」やら「文書起案」やらの、「お役所」を誇張するエピソードが繰り返されると、違った見方もできそうだ。つまり「お役所」なんて、地域活性化とかの「大義名分」と、稟議の決裁という「体裁」が整えば、どんなに突飛なことでもやってしまいそうだ、と。ちなみに著者は本書の執筆時には市役所職員だった。

 冒頭に紹介した「失われた町」も「町が消滅する」という突飛な設定だった。「ダメな人には徹底的にダメだろう」と思った理由はそれで、物語を受け入れるためには、その突飛な設定を受け入れなければならないからだ。そのためには「何か」が必要なのだ。「失われた町」ではその「何か」は、町の消滅に立ち向かう人々の生き方だった。私はそこに感銘を受けた。本書には、その「何か」を感じられなかった。

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本からはじまる物語

著 者:恩田陸、有栖有栖、梨木香歩、石田衣良、三崎亜記 他
出版社:メディアパル
出版日:2007年12月10日 初版第1刷発行 
評 価:☆☆☆(説明)

 るるる☆さんのブログ「rururu☆cafe」で紹介されていた本。

 アンソロジー作品を読むたびに思っていて、「Story Seller2」のレビューにはそう書いてあるのだけれど、本書も「贅沢だぁ」と言いたい。それは著者の面々のことだ。恩田陸さん、有栖有栖さん、梨木香歩さん、石田衣良さんといった、当代切って人気作家。阿刀田高さん、今江祥智さんらのベテラン。本多孝好さん、いしいしんじさん、三崎亜記さんら、近頃評判の作家さん。とても全員は書ききれない。本書は、総勢18人の作家さんによる、「本」をテーマにした「競演」作なのだ。

 たくさんの作家さんによる「競演」のメリットは、同じテーマから生まれた、全く違う物語をたくさん楽しめることだ。異世界を感じる不思議な物語、本が生き物のように羽ばたくファンタジー。それに人が行き交う場所でもある書店は、ミステリーでもホラーでも恋愛モノやハートウォーミングな物語でも、その格好の舞台になるのだ。

 18編それぞれに心に残るものがあるのだけれど、1つだけ紹介する。三崎亜記さんの「The Book Day」。4月22日の夜、人びとは公園に集まり、家族で「本」を囲んで思い思いに過ごす。翌23日が「本の日」、本に感謝する日だからだ。やがて零時になると、本たちが羽ばたき始める..その日は、その本への想いに区切りを付けて前に進むための日でもあるのだ。

 私は、三崎さんの作品は「失われた町」しか読んでいない。けれども、2つの作品の間には強く通じるものがあると思った。それは「喪失と回復」。「失われた町」でもこの短編でも、多くの人が大切なものを失い、その喪失を乗り越える。その凛とした姿に勇気付けられた。
 また、時に「本」には、出来事や人と結びついて、特別な想いが宿ることがある。乱読の私はこれから先の人生で、そんな本に出会うのだろうか?

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失われた町

著 者:三崎亜記
出版社:集英社
出版日:2006年11月30日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 私がいつも拝見している読書ブログのいくつかで、しばらく前に紹介されていたのを覚えていて、今回手に取った。我ながらあきれたことに、紹介記事は読んだはずなのに、本書を前にして、著者のことも、どんな物語なのかも、どういう評価だったのかさえ覚えていなかった。それでも何か惹かれるものがあって読み始めた。

 私には、すごく面白かった。「私には」とわざわざ付けたのは、これはダメな人には徹底的にダメだろう、と思ったからだ。その理由は、本書の独創性にある。ジャンル的にSF、恋愛小説、サスペンス、ミステリー、ヒューマンドラマ、本書はこれらの境界にあって、何か1つのものだと思うと非常に宙ぶらりんな感じなのだ。
 また、「町が消滅する」という設定はともかく、「消滅耐性」「別体」「余滅」など、独創的な設定と造語が多い。それが、冒頭の「プロローグ、そしてエピローグ」という章に頻出するのだから「ついていけない」と思う人もいるはず。実際、私も面くらってしまった。
 しかし、ここで挫けずに先へ進もう。章題で分かるように、これはエピローグでもある。すべてが終わった後にここに戻ってくる。その時にはちゃんと分かる、もっと感慨深いシーンとなっているはずだ。

 物語の舞台は、日本によく似た別の場所。そこではおおよそ30年に1度、町が消滅する。正確には、その町の人間だけが忽然と消える。どうしてなのか、消えた人たちはどうなるのか、そういったことは分からない。その他大勢の人々は、消えた町のことは禁忌として扱い、自分とは関係ないと思うことで、この不気味な出来事と折り合いをつけている。
 本書の主人公たちは、多くの人が関わりを避けようとする中、「町の消滅」に立ち向かう人たちだ。消滅を予知・対処する「管理局」の桂子、消滅の防止を研究する由佳、消滅した町を見下ろすペンションで働く茜。これ以外にも多くの人が、それぞれの立場で「次の町の消滅」に立ち向かって生きている。
 とは言っても、本書は「町の消滅」の防止の実現を描いたサクセスストリーではない。消滅によって大切な人を失った、残された人々の「喪失」と「回復」を描く。人は大声で泣いて悲しむことを経て、「喪失」から立ち直るものだと思うが、実はここの人々は失った人を悲しむことを、ある理由から禁じられている。悲しむことさえ許されない、残された人々の悲しくも力強い物語。

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