精神科医・安克昌さんが遺したもの

著 者:河村直哉
出版社:作品社
出版日:2020年1月17日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 今年1月に放送された「心に傷を癒すということ」というドラマで知った安克昌さんのことを、もっと知りたいと思って読んだ本。

 何よりもまず安克昌さんとは。安克昌さんは、1995年1月の阪神大震災において、神戸大学附属病院精神科医局長として、自らも被災しながら、精神科救護所・避難所などで、カウンセリング・診療などの救護活動を行った医師。その後も被災者の心の問題と取り組み続けた。しかし2000年12月に39歳の若さで肝臓がんで亡くなっている。

 著者は新聞社の記者で、安医師(著者に倣って「安医師」と書く)とは震災前から記者と医師として付き合いがあり、震災後は安医師に依頼して、新聞紙面に「被災地のカルテ」という連載を掲載している。おそらくはその過程で、互いに記者と医師という関係を越えた信頼感が生まれたのだろう。安医師の死後にもご遺族との面会を続け、関係者にインタビューを重ね、本書の基になった原稿を仕上げた。

 安医師が残した功績は大きい。昨今の災害時の「心のケア」として取り組まれている活動の多くが、阪神大震災時に安医師ら(安医師個人ではなくて、あの時活動したたくさんの人々)が、暗中模索の中で確立していったものだと言える。本書には、そのことが「被災地のカルテ」などの安医師の文章を引用する形で記されている。

 しかし実は、本書はそのことを多く書いたものではない。本書に書いてあるのは、そうした功績を残した後のことだ。自らの容態を知った安医師が、医師としての責任を全うしながら、どのように家族に寄り添って生きたか。そしてその遺族はどのように「その後」を生きたか。その記録だ。

 読んでいる間ずっと圧倒されっぱなしだった。私は神戸の出身だけれど震災時には東京に住んでいて、震災は「体験していない」。そのことがずっと心の中にわだかまりとしてある。本書にある「同じ体験をした人でないとわからない」という被災者の言葉に少し息苦しくなる。

 実は、先の被災者の言葉に対して「わかりますよ、といったとたんに嘘になってしまう」と、安医師も語っておられた。私などとは比較できないほどの葛藤を抱えておられたのだと知り、決して気が楽にはならないのだけれど、少し視界が広がった。ありがたい。

 最後に。著者は平成14年に原稿を脱稿したものの、ご遺族に配慮して本にはしなかった。それを今年になって本にしたのは「日本に大きな災害が相次いで起こるようになってしまったから」だと言う。「(安医師が)心の傷と癒しについて、とても大切なことを教えてくれているように思う」と。まことにその通りだった。

NHK土曜ドラマ「心の傷を癒すということ」公式サイト

人気ブログランキング「本・読書」ページへ
にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
(たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)

女帝 小池百合子

著 者:石井妙子
出版社:文藝春秋
出版日:2020年5月20日 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

「経歴詐称は重大なことだけれど、そんなこともかすむ」と聞いて読んでみたら本当にそうだった本。

東京都知事の小池百合子さんの半生を追ったノンフィクション。著者は2018年の文藝春秋に「虚飾の履歴書」という記事を載せて、小池氏の「カイロ大を首席で卒業」という経歴に切り込んでいる。本書の幹の部分はこの経歴疑惑だけれど、根の部分にあたる「幼少期からエジプト時代」、幹から伸びる枝の部分にあたる「キャスターから政治家へ」を加えることで、小池氏の全体像が明瞭な輪郭をもって浮かび上がっている。

本書には小池氏のネガティブ情報が満載だ。「芦屋令嬢」の住まいが阪急電車の線路わきにあったこと。政治家のタニマチを自称する父が大言壮語の末に身上をつぶしてしまったこと。細川護熙、小泉純一郎、 小沢一郎と時の権力者に近寄って自身の地位を固めたこと。頼ってきた人たちへのたくさんの裏切り..。

「カイロ大を首席で卒業」について言えば、小池氏が証拠として提示した「卒業証書」に、成績が「5段階の3番目」と記されている。この卒業証書が仮に真正なものだとしても「首席」ではありえない。文藝春秋の記事が出た後に、都議会でこのことを問われた小池氏は「教授にいい成績だったといわれて嬉しくなって書いた、ということだと思います」と答えている。

まぁネガティブ情報については、誰でも探せば見つかるだろうし、一方からの見方でしかないかもしれない。カイロ大卒業の経歴疑惑も「些細な事」だと片付けることもできるかもしれない。ただ、カイロ大卒業をめぐる小池氏の言動には、彼女の人間性が見える。この人間性はその他の出来事にも通じる。

それは「ウソをつくこと」と「他人を尊重しないこと」だ。ウソは本人にしてみれば、他人を楽しませようとしてついた小さなウソかもしれない。「教授がいい成績だったと言った」を「首席で卒業」と言い換えるウソ。本当だったらいいのに(面白いのに)を、本当のように言ってしまう。この手のウソの例が、本書にはたくさん載っている。

「他人を尊重しない」は、「5段階の3番目」の卒業証書を示しながら「首席」と言い張ることで感じた。「5段階の3番目」だと分からないぐらいの語学力なんじゃないの?という指摘もある。そうであったとしても疑惑に答える証拠なのだから、普通なら何が書いてあるのか確かめるだろう。つまり「どうせ分かりっこない」「分かったとしても大したことない」と軽く見ているのだ。「どうせ大したことない」の例もたくさん載っている。

さて「ウソをつく」「他人を尊重しない」人を、また都知事に選んでいいの?国政に戻る気も満々で、一時は「初の女性首相候補」と言われていたけれど、そんなことに現実味を加えるようなことがあっていいの?

人気ブログランキング「本・読書」ページへ
にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
(たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)

空気を読む脳

著 者:中野信子
出版社:講談社
出版日:2020年3月1日 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 日本では他の国に比べて、新型コロナウイルス感染症に「感染する人は自業自得だ」と思う人が多い理由が分かる、と聞いて読んだ本。

 日本人が「激しいバッシングが止まらないのはなぜか」「失敗を恐れるのはどうしてか」「幸福度が低いわけは?」といったテーマを、遺伝子特性や脳科学を切り口に語る。また「容姿や性へのペナルティ」と題して、性別や性に関する調査研究を紹介。

 「バッシング」についての考察が心に残ったので、そのことを紹介する。

 本書の最初に語られるのが「最後通牒ゲーム」という実験について。ゲームは2人で行われる。一方の人(A)が資金の配分権を持つ。自分にどれだけ多く配分してもいい。ただし、もう一方の人(B)は拒否権を持ち、それを発動すると双方の取り分がゼロになる。Bは例え1円でも配分があれば、拒否権を発動しない方が取り分が多い。

 それでも拒否権は発動される。自分が損してでも不公平な配分をしたAを懲らしめるためだ。そして拒否権を発動する率が高い人は、脳にあるセロトニントランスポーターという物質の密度が低い。さらに日本人は、その量が世界でも一番少ない部類に入る。「悪いヤツを懲らしめる」傾向が強い集団なのだ

 ネットで他人を追い込むような激しいバッシングが起きるのは、日本人のこの傾向が関係しているという仮説。加えてバッシングすることは、自分が正義の側にいることを確認する行為で、脳はさらなる報酬を得る。つまり「快感」なのだ。さらに日本は、大きな災害が相次いだことで「絆」(集団の結束)をより重視する社会にシフトしている。暗澹たる思いがするけれど、これじゃ「バッシング」がなくなりそうもない。

 最初の「感染する人は自業自得だ」について。セロトニンは「安心感」をもたらす神経伝達物質で、それが少ない日本人は単純化していうと「不安」傾向が強い。「感染した人には何かをちゃんとやらなかったんだ」と思うことで、その「不安」に対処している、と考えることができる。なるほど、うまく説明できる。

 「おわりに」が印象的だった。著者のこれまでの曲折や苦悩が垣間見える。

 そんなに快感なの?「それ」は?

という言葉を起点に語られる文書は、書籍のあとがきの範疇を越えて、告白あるいは告発のようだ。「それ」によって、人々は知能のスイッチが切られ、思考停止してしまう。著者は「それ」が理解できない。大多数の人はオートマチックに「それ」を運用できるらしいのに..

 「それ」が何かは、本書のタイトルにある「空気を読む」が有力候補だろう。でも敢えて最後まで「それ」と書いたのは、意味があるのだろうと思う。例えばもっと掴みどころのないものを指しているのだとか。

人気ブログランキング「本・読書」ページへ
にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
(たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)

ブレイズメス1990

著 者:海堂尊
出版社:講談社
出版日:2010年7月15日 第1刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 医療エンタテインメントを堪能した本。

 「ブラックペアン1988」から2年後。舞台は東城大学医学部付属病院、主人公は世良雅志と、前作と同じ、登場人物もほぼ共通。しかし冒頭に世良の姿は南フランス・コート・ダジュールにあった。なんとなく全く新しい物語の始まりを予感させる出だしになっている。

 世良の渡仏の表向きの目的は、国際循環器病学会のシンポジストとして参加する先輩の垣谷講師のお供。3年目の医師にタダでそんなおいしい役目が回ってくるはずはなく、教授先生から直々に「達成するまで日本に戻ってはならん」と厳命された任務がある。隣国のモナコ公国の病院に勤める天才外科医の天城雪彦へ教授のメッセージを渡すことだ。

 「全く新しい物語の始まり」の予感は正しく、天城を中心に据えた物語が展開する。天城は、中東の王族などの富豪を相手に「全財産の半分」を対価に手術を請け負っていた。東城大学医学部付属病院に来ても、日本の大学病院の価値観とあうはずもなく、病院も世良もそして読者も天城に振り回される。難題が幾度も降りかかるけれど、周到さと機智と強運で乗り越える。キザで派手な「ドクターX」。

 上々のエンターテインメント・ドラマだった。突き抜けた感のある天城の登場で、物語が明るくテンポよくなった。莫大な報酬を求める天城は「報酬で患者を差別するなんてトンデモナイ」と、ほぼ総スカンをくらうけれど、高度医療にはお金がかかるのは事実。経済的に自立しないと救える患者も救えない、ということもあり得る。

 エンターテインメント性の高い作品だけれど、問いかけるものは意外と深い。

人気ブログランキング「本・読書」ページへ
にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
(たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)

あなたのゼイ肉、落とします

著 者:垣谷美雨
出版社:双葉社
出版日:2019年11月17日 第1刷 2020年2月14日 第7刷 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 人間って色々な理由で太るのだなぁ、と思った本。

 「あなたの人生、片づけます」の大庭十萬里の妹の小萬里が全体の主人公。文字通りの姉妹編。

 小萬里は「あなたのゼイ肉、落とします」というダイエット本を出して爆発的に売れている。個別指導もしていてなかなか評判がいい。テレビなどに出ないので、どんな人か分からない。年齢も容姿も体型も。でも「本人がデブやったら話にならんやろ」と考える人が多い。まぁ素直な想像だろう。ところが...。

 本書には4つの指導ケースが収められ、それぞれのクライアントが主人公。かつては「すごい美人」だった49歳の女性。2年ほど前に急激に太りだした18歳の元華族の三女。事故を起こして一年半分の記憶をなくした会社員の32歳の男性。小さいころに父親を亡くして母親と二人で暮らす小学校4年生の男の子。

 小萬里の指導は想像の「ナナメ上」を行っている。例えば、最初のケースの園田乃梨子の場合。夕食は野菜を中心にした鍋に、毎日ひと駅分は歩く、夜七時以降は食べない..。「あたり前なことばかりおっしゃるんですね」と言う乃梨子に対して「わたくしが魔法の痩せ薬を持っているとでも?」と返して、挙句に課題として出したのが「ブスとして生き直す」ことを考える、だ。

 面白かった。というか興味深かった。姉妹編の「あなたの人生、片づけます」では「部屋の乱れ」が「心の乱れ」に関連していた。「部屋」に比べると、「体重」は「心」との関連が想像しやすいので意外性は少ない。だから解決方法に「そういうことか!」という気持ちよさはないけれど、「役に立ちそう」と感じた。

人気ブログランキング「本・読書」ページへ
にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
(たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)

超訳 日本国憲法

著 者:池上彰
出版社:新潮社
出版日:2015年4月20日 発行 2109年3月30日 16刷
評 価:☆☆☆(説明)

 「そう言えば憲法ってちゃんと全文を通して読んだことなかったなぁ」と思って読んでみた本。

 池上彰さんが日本国憲法の条文を一つ一つ取り上げて、その意味するところ、背景や関連のニュースなどを解説してくれる。条文の言い回しが難しいものについては、読みやすい文章に「超訳」してある。例えば結婚について定めた第24条1項はこうなっている。

 <条文>婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

 <超訳>結婚は、男女二人の合意で成立する。他人が口を出すことはできない。夫婦は同じ権利を持っているのであり、お互いが協力して維持しなけれなならない。

 本書は著者の危機感が端緒になっている。本書発行の前年の2014年7月に「梅雨空に 九条守れの 女性デモ」という俳句が、公民館だよりへの掲載を拒否される。そして12月の総選挙で与党が議席数の3分の2を維持し、安倍首相は憲法改正への意欲を見せる。

 第99条には、国会議員や公務員は憲法の尊重と擁護の義務を負う、と明記されているにも関わらず、公務員が「憲法を守ろう」を拒否する矛盾、それを許してしまう世間の関心の薄さへの危機感。まずは国会議員と公務員、続いて国民が、憲法を知らなさすぎる。このことが、今日の憂いを招いた原因ではないか、と著者は考えた。

 私は、これまでに憲法を学ぶ機会が何度かあった。中学生の時、高校生の時..。通読したことはあったのかなかったのか?本書を読むことで通読して気が付いたことがある。「憲法って意外と読みやすい文章で書かれてる」ということ。例えば上に書いた第24条1項。本書の主旨としては、難しいから「超訳」しているのだけれど、「これ難しい?「超訳」必要?」と思う。他の条文はもっと読みやすい。

 一番よく取り上げられる9条が例外的に難しいのだ。いや9条も平易な言葉で書かれているのだけれど、文意に揺らぎがあるのだ。これは2項の冒頭にある「前項の目的を達するため」という文言のために生じている。この文言が挿入された経緯の解説があって、例外的に難しい9条も、私としてはスッキリと理解ができた。

人気ブログランキング「本・読書」ページへ
にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
(たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)

新型コロナウイルスの真実

著 者:岩田健太郎
出版社:KKベストセラーズ
出版日:2020年4月20日
評 価:☆☆☆☆(説明)

 やっぱり「本当の専門家」の話を聞くことが大事だよね、と思った本。

 「新型コロナウイルスのことを何か言うなら、これを読んでからにしよう」と言われて読んでみた。

 著者は神戸大学大学院医学研究科の教授。北京でSARSやアフリカでエボラ出血熱の臨床を体験している、感染症の専門家。今の状況下ではその知見はとても大切にされてしかるべきなのに、なぜか評価が分かれている。「ダイヤモンド・プリンセス号」に乗り込んで2時間後に追い出された、という「事件」についての評価が分かれているからだ。(その事件のことも本書に詳しく書いてある)

 本書は5章立て。第一章「コロナウイルスって何ですか?」、第二章「あなたができる感染症対策のイロハ」。この2つは、著者の知識と経験による専門的知見だ。第三章「ダイヤモンド・プリンセスで起こっていたこと」。これは、あの船の中の状況を専門家の視点で伝える貴重な記録。将来の検証に必要なものだと思う。

 第四章「新型コロナウイルスで日本社会は変わるか」、第五章「どんな感染症にも向き合える心構えとは」。この2つは、社会とか人間の心理についての著者の意見で、他の章と比較すると「専門外」と言える。「専門外」であることを認識した上で、私はこの2つの章に強く惹きつけられた。そして、それとともに感染症対策の困難さを感じた。

 例えば第五章の最初の節「「安心」を求めない」。日本では「安全・安心」とひとまとめにして言うけれど、「安全」と「安心」は当然ながら違う言葉だ。「安全」は「危険性が除かれた状態」。危険に対する対策を行うことで、そういう状態は実現するわけで、その意味では「実在する」。それに対して「安心」は、「安心したい」「大丈夫だと信じたい」という「願望」で、リアリティとは離れたところにあって「実在しない」。

 「願望」だから、その人によって求めるものが違う、なかなか満たされない人もいる。誤解を恐れずに言うと「キリがない」と思わされる人もいる。また、必ずしも「安全」でなくても、大丈夫だと信じることはできる。原発の「安全神話」がいい例で、「安全」じゃなかったのに「安心」していたわけだ。

 今の日本の状態は、著者の意に反して「安心」を求めて前のめりになっているように思う。「安心」を求めるあまり「安全」を損なうようなことが起きるかもしれない。心配だ。一方で「「安心」を求めない」でいられるほど、私たちは強くないとも思う。感染症対策の困難さを感じたのは、そのためだ。

人気ブログランキング「本・読書」ページへ
にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
(たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)

トライアウト

著 者:藤岡陽子
出版社:光文社
出版日:2012年1月20日 初版第1刷 3月5日 第2刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 近しい人たちが支えあっていけば、まぁなんとか幸せに生きていける、と感じた本。

 主人公は久平可南子。38歳。仕事は、一般紙の新聞社の校閲部から運動部に異動になった。シングルマザー。8歳の息子の考太を、宮城県にある新聞販売店を営む実家で預かってもらって、自分は東京でひとり暮らしをしている。考太の出生については、ちょっと複雑な事情があるらしく、可南子は、考太の父親が誰であるのかを誰にも言っていない。本人にも両親にも妹の柚奈にも。

 運動部になって最初の仕事がプロ野球のトライアウト。所属球団から戦力外通告を受けた選手が、もう一度どこかの球団に入団するために受けるテストだ。可南子は、そこでテストを受けていた投手から目が離せなくなった。深澤翔介。一時期は活躍したかつての高校野球優勝投手。可南子は記者1年目の時にその決勝戦に取材で来ていた。

 実は考太の「複雑な事情」にはプロ野球選手が関係していて、正直もうプロ野球には関わりたくない。でも何故か深澤のことが気にかかる。そして取材を申し込み...。この後は、可南子のこと、両親のこと、実家の新聞販売店のこと、妹のこと、考太のこと、たくさんのエピソードで織り上げるように物語が進む。もちろん「複雑な事情」も明らかになってくる。深澤はこのいくつかのことで重要な役割を担う。

 面白かった。誠実な人たちが支えあっているのが気持ちのいい物語だった。
可南子は、巧く立ち回れないのと意固地なところがあるのとで苦労をしている。それでも人に恵まれている。そりの合わない父の含めて両親は愛情深いし、妹は奔放に見えて一番の支援者だし、考太は芯の強いいい子に育っている。細かく見ると考太の担任も…。

 タイトルの「トライアウト」は、もちろん深澤が受けた入団テストのことを一義的には指すのだけれど、読み終わってみると複数の意味があるように思う。それは「再挑戦」とか「あきらめない」とか「心機一転」とか。深澤はもちろん、可南子にも、考太にも、柚奈にも、そういうことが起きる。

人気ブログランキング「本・読書」ページへ
にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
(たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)

たまちゃんのおつかい便

著 者:森沢明夫
出版社:実業之日本社
出版日:2016年6月15日 初版第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 海辺の町の磯の香りや、そこで暮らす人々の温かさを感じた本。

 著者の作品は「虹の岬の喫茶店」「キッチン風見鶏」を読んだ。どちらもとても良かった。

 主人公は葉山珠美、親しい人からは「たまちゃん」と呼ばれている。20歳。青羽町という海辺の町の出身。翡翠色の清流の青羽川が作った扇状地で、紺碧の海に面している。美しい所だけれど、頭に「ど」がつく田舎で、地元の人たちのつながりが濃密。実家は父の正太郎が営む「居酒屋たなぼた」。

 物語は病院から始まる。正太郎が腫瘍の切除手術を受けているからだ。手術の終わりを待つたまちゃんには、正太郎に言わないといけないことがあった。青羽町に戻ってきて起業しようと思っていること。そのために、通っていた都会の大学をもう辞めてしまったこと。起業して始めるのは、町のお年寄りに食品や生活用品を届ける「移動販売」だ。

 この後物語は、無事に父の了解と後押しを受けて、たまちゃんが移動販売の「たまちゃんのおつかい便」を始めて軌道に乗せていく様を描く。

 たまちゃんの周辺の人々がいい。父の正太郎、継母のシャーリーン、祖母の静子、その友人の千代子、たまちゃんの同級生の壮介、おなじく同級生の真紀、真紀の姉の理沙、移動販売の師匠の正三、お客さまの初音...。みんないろいろある。例えば、真紀は引きこもりだし、正三は元やくざだし、シャーリーンはフィリピン人だ。(フィリピン人だからなんだ?外国人差別か?と思われるかもしれないけれど、この設定は本書に欠かせないものになっている。)

 たまちゃんのすごいところは、たまちゃんが「たまちゃんのお使い便」を始めたことで、上にあげた全員の暮らしが、よい方向に変わったことだ。それは著者のすごいところでもあって、たまちゃんを描くことで、たくさんの人の心情や暮らしまで描いている。秀作だと思う。

 正直に言って、冒頭でたまちゃんの起業の話が出た時には「そんな思いつきで始めてもうまく行きっこない」と感じたけれど、後でたまちゃんはけっこう周到だったことが分かる。なんだろう?この細かなリアリティは?と思っていたら、「あとがき」でモデルがいることが分かった。なるほど。

 心に残った言葉。わたしを夢見心地にさせたその声を、わたしは記憶のいちばん浅いところにタトゥーのようにしっかりと刻み付けておいた。

 「記憶の深いところに..」「心の奥の方に..」はよく見かけるけれど、「浅いところに..」は初めて(だと思う)。こういうことを意識的にできるといいなと思った、うれしかったこと、よかったことを、記憶の浅いところに刻んでおけば、すぐに思い出せる。

人気ブログランキング「本・読書」ページへ
にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
(たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)

猫を棄てる 父親について語るとき

著 者:村上春樹
出版社:文藝春秋
出版日:2020年4月25日 初版
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「いったい私は何を読まされているのか?」と疑問を感じながらも、ページをめくる手が止まらなかった本。

 本書は、村上春樹さんがお父さまの人生を、ご自身との思い出を交えて記した「父親語り」。エッセイでご自身の若い頃のことに触れたり、奥さまのことを書いたりしたものは読んだことがあるけれど、お父さまのことを書かれたものは記憶にない。しかし「あとがき」によれば、「いつか、まとまったかたちで文章にしなくてはならない」と前々から思っていたそうだ。

 「父親語り」の端緒は、お父さまと一緒に飼い猫を海岸に棄てに行く、本のタイトルになったエピソード。著者の記憶では昭和30年代初め、著者が小学校低学年だったころのこと。物語のような不思議なことが起きる。だから記憶に残ったのだろう。「猫を棄てる」とはまた、ひどく耳障りなフレーズだけれど、愛猫家の著者にことだから、敢えての選択なのだと思う。

 このあと、お父さまが毎朝ガラスケースに収められた菩薩像に向かって、長い時間お経を唱えていた、というエピソードを挟んで、お父さまと、さらに時代を遡って、お祖父さまの人生を辿り始める。

 その概略を紹介。お祖父さまは京都のかなり大きなお寺の住職で、お父さまはその6人いるうちの2番目の息子。お父さまを含めた6人全員が僧侶の資格を持っている。お父さまは、仏教の専門学校に在学中に召集されて、京都の第十六師団に配属、日中戦争に従軍。招集解除後に帰国して京都帝国大学文学科に入学...。

 読んでいて「おやっ?」と思った。お父さまの、特に戦時中の経歴をすごく詳細に書いている。作家なので史料の調査には慣れているだろう。しかし相当の熱意を持って調べないと分からないと思う。この熱意はどこから来たものなのか?そういえば「いつか、まとまったかたちで文章にしなくてはならない」という義務感も、その理由は何なのか?

 「あとがき」にそのヒントがあった。以下2か所引用。

 僕がこの文章で書きたかったことのひとつは、戦争というものが一人の人間-ごく当たり前の名もなき市民だ-の生き方や精神をどれほど大きく深く変えてしまえるかということだ。

 ここに書かれているのは個人的な物語であると同時に、僕らの暮らす世界全体を作り上げている大きな物語の一部でもある。

人気ブログランキング「本・読書」ページへ
にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
(たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)