3.ミステリー

空をこえて七星のかなた

著 者:加納朋子
出版社:集英社
出版日:2022年5月30日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 読み終わって「やっぱりそう来なくちゃ」に加えて「そう来たか!」と思った本。

 帯に「<日常の謎>の名手が贈る、驚きと爽快な余韻に満ちた全七話」とある。後半の「驚きと爽快な余韻」は感じ方次第だけれど、前半の「日常の謎の名手」は妥当な表現だと思う。本書に収録された7編の短編も、ちょっとした謎を含んだちょっといい話だ。

 7編のタイトルは「南の十字に会いに行く」「星は、すばる」「箱庭に降る星は」「木星荘のヴィーナス」「孤舟よ星の海を征け」「星の子」「リフトオフ」。なんとなく「星」が関係した物語が想像できる。ちなみに、最後の「リフトオフ」は、ロケットの打ち上げのこと。秒読みで「3、2、1、liftoff」と言ったりする。

 ただし「星つながり」以外には各短編に共通点は感じられない。「南の十字に会いに行く」は、小学生の女の子がお父さんと石垣島に旅行に行く話。行く先々で、黒服、黒サングラスのいかにも怪しい男が現れる。「星はすばる」は、事故で視力をほとんど失った少女の話。事故の前に参加した「こども天文教室」で光り輝くような王子様のような少年と出会う。

 「箱庭に降る星は」は、地方の高校の「天文部」と「文芸部」と「オカルト研究会」の廃部の危機。「木星荘のヴィーナス」は、東京の木造二階建てのアパートが舞台。「星の子」は、中学生の女子の友情を描く。こんな風に舞台となる場所も登場人物もバラバラ。「孤舟よ星の海を征け」に至っては、宇宙船の事故を描いたSFで、ジャンルさえ違う。

 ひとつひとつの短編は、それぞれに「そういうことか!」と思ったり、温かい気持ちになったり、その先が楽しみなったり、最初に書いたように「ちょっといい話」で心地いい。天文学者のおばあちゃん(動植物や文化の研究者でもあり合気道の先生でもある)や、洗濯物を入れたネットを振り回して人力脱水する美女(何してるんですか?で聞かれたら「自転」って答えた)や、登場人物には個性的かつ魅力的な人が多い。私が好きなタイプの物語だ。

 それでも欲深いことに、少しもの足りない。...と思っていたら...

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六人の嘘つきな大学生

著 者:浅倉秋成
出版社:KADOKAWA
出版日:2021年3月2日 初版 2022年1月20日 14版発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 あの新卒の就活をもう二度とやらなくていい、ということがありがたく思えた本。

 本屋大賞第5位。様々なミステリーランキングでも4位とか6位とか8位とかを受賞。

 主人公は波多野祥吾。物語は祥吾が自身の8年前の就職活動を振り返る形で進められる。創業まもなく急成長したIT企業「スピラリンクス」の最終選考に、祥吾たち6人が残った。本社に呼ばれた6人は「最終選考はグループディスカッション、開催日は一カ月後」と告げられる。「当日までに最高のチームを作り上げてきてください」と人事部長からそう言われる。内容がよければ6人全員に内定が出る。

 その最終選考で「事件」は起きる。それは物語が始まって間もなく。五千人の中から選ばれた6人だけあって、彼らはとても優秀で、一カ月間の準備も万端で、互いに信頼しあった「チーム」になっていた。しかし会社は「採用枠は一つ、グループディスカッションでその一人選べ」という。さらにチームの信頼感を打ち砕く事態が発生して、最終選考は極度に緊迫した「事件」に発展する。

 少し戻って、扉のページの前に祥吾のモノローグがあって、事件が発生したこと、祥吾がその調査をしたこと、犯人はわかりきっていること、が書いてある。「ただ僕はひたすらに、あの日の真実が知りたかった」とあるので、当時は真実が明らかになっていない、ということも伺える。

 いや参った。著者の思うままに翻弄された読書だった。最終選考の緊迫感が半端ではなくて胸が苦しかった。その後も、どこに真実があるのかが全く分からない。ネタバレになるから具体的には言わないけれど、トリックが方々に仕掛けられている。だから「これが真実か」と思ってつかんだものは、すぐに手からこぼれ落ちてしまう。

 感想としてはやや的外れだけれど、「就職活動ってもう少しなんとかならないの?」とも感じた。企業の方も学生の方も互いに「いい顔」(場合によってはウソだってアリ)だけ見せて。これって「誰得」なのか?後半の人事部長のぶっちゃけ話は、腹立たしいけれど(物語的には「全部お前のせいだ」と言いたい)、「就活なんて(人事なんて)こんなもんだ」と、気が楽になるかもしれない。

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硝子の塔の殺人

著 者:知念実希人
出版社:実業之日本社
出版日:2021年8月10日 初版第1刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 ミステリーというジャンルへの著者の愛が感じられる本。

 本屋大賞第8位。

 雪で外界から閉ざされた山奥に建つ館で起きる連続殺人事件のミステリー。主人公は一条遊馬。館の主人である神津島太郎の専属の医師。神津島が「重大発表がある」と言って、遊馬の他にミステリー作家や編集者、自称霊能力者らを館に招待したその夜に、主人の神津島が殺された..。部屋の扉にはカギが掛かっていて他に出入口はない..。館には遊馬たちゲストが6人、主人の神津島と執事とメイドと料理人の4人の、合計10人。

 いわゆる「密室殺人」で、密室の謎を解き明かさないと犯人を突き止められない..普通ならそうなんだけれど、本書は違う。なぜなら冒頭のプロローグで遊馬が犯人であることを告白しているし、続く章でいかにして密室を作り上げたかも明らかになっている。

 これは「刑事コロンボ」や「古畑任三郎」のように、犯人が最初に分かっている「倒叙ミステリー」だ。名探偵が事件の解明を進めて犯人を追い詰める心理劇。だから名探偵が必要なのだけれど、本書にも「名探偵」を名乗る、なかなか魅力的な人物が招待客の中にちゃんと配置されている。

 なかなか楽しい物語だった。閉ざされた建物の中で次々と人が殺されるのだから、緊張感が漂っているのだけれど、それが時々フッと緩むときがあって、微苦笑する。登場人物の多くがミステリーマニアだという設定で、膨大な数の実在のミステリー作品のうんちくが語られるのは、善し悪しだと思うけれど私は楽しかった。

 そうそう。上に、犯人が最初に分かっている「倒叙ミステリー」だということを書いたけれど、読み終わったらそんな説明では「全く足りない」ことが分かる。目に見えていることが真実だとは限らない。

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黒牢城

著 者:米澤穂信
出版社:角川書店
出版日:2021年6月2日 初版 11月25日 3版 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 戦国武将を描くのに、こういうやり方もあるのか、と思った本。

 2021年下半期の直木賞、2021年の山田風太郎賞受賞、4大ミステリーランキングで第1位、 本屋大賞第9位。

 時代は戦国時代、主人公は摂津国の有岡城の城主、荒木村重。村重は織田方で信長の信を得ていた武将であったが、敵対する大坂本願寺に与して謀反を起こす。やがて幾万の織田勢に取り囲まれるであろう有岡城に籠った。その有岡城に秀吉からの使者として黒田官兵衛が来る。村重は官兵衛を帰さず土牢に捕らえた。物語はこんな状況から始まる。

 この状況説明で明らかなように、本書はいわゆる「戦国モノ」。主人公の荒木村重は知名度がやや劣るけれど、この織田への謀反と官兵衛の幽閉は、信長や秀吉の物語の中での1エピソードとしてよく知られている。そこにフォーカスを当てれば、戦国エンタテインメントに仕上がりそうだ。

 しかしそれだけではなかった。本書はミステリー、その中のアームチェア・ディテクティブ(安楽椅子探偵)の変形でもある。村重が籠る有岡城内で起きる不可解な事件、例えば「監視下にあった人質が殺された。矢傷があるのに矢がどこからも見つからない」という出来事の真相を探る。

 英明な村重をしても、その謎が解けない。自ら地下に降りて囚われの官兵衛に、事件の一部始終を聞かせる...。そう、安楽椅子に座る代わりに牢につながれた官兵衛が探偵役を務める。そんなことが何度か繰り返される。背景にはもう少し大きな物語も流れている。

 最初に村重が官兵衛に事件のことを聞かせるあたりで「そういえば」と思い出した本がある。同じ著者の「折れた竜骨」という作品。本書は「戦国モノと謎解きミステリー」のハイブリッドだけれど、その本は「ファンタジーと本格推理」のハイブリッドだった。「魔法あり」の世界で「密室殺人」を描く、というチャレンジングな試みが、見事に成功していた。

 その時のような驚きは本書では感じなかったし、正直言って「これが直木賞なのかなぁ?」と思ったし、ミステリーランキングを総ナメしたのには違和感があるけれど、少し変わった設定の謎解きは楽しめた。

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ペッパーズゴースト

著 者:伊坂幸太郎
出版社:朝日新聞出版
出版日:2021年10月30日 第1刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「やっぱり好きだ。こういう伊坂作品を読みたかった」という本。

 伊坂幸太郎さんの書き下ろし最新刊。

 主人公は中学校の男性国語教師の檀千郷。生徒の一人から「自作の小説を読んでほしい」とノートを渡された。その小説は、ロシアンブルとアメショーという名の二人組の話。二人はネットに公開された猫の虐待動画に声援を送るなどした人々を、探し出して制裁を加える。猫がされたのを同じ目にあわせて。

 檀先生は特殊な体質の持ち主。他人の未来が見える。誰かの飛沫を浴びると、その人の翌日の出来事が映像として見える。何かの役に立ちそうだけれど、そうでもない。他人の不幸を知っていながら、何もできない自分に悩むことの方が多い。同じ体質を持つお父さんは「つらいことばかりだ」と言っていた。

 物語は、檀先生の日常と、生徒が書いた小説と、もう一つ、5年前におきた籠城事件「カフェ・ダイヤモンド事件」の被害者遺族の会の活動の、3本が並行する形で進む。まぁお約束のようにこの3本のストーリーはやがて交差し始める。もちろん檀先生の体質も、終盤に控える大事件で大いに役に立つ。

 面白かった。本書の公式サイトのインタビューで伊坂さん自身が「得意パターン全部乗せ」とおっしゃっている。その言葉通りで、伊坂さんの作品で私が好きな「気の利いた会話」「愛すべきキャラクター」「巧みな伏線」が全部揃っている。さらには生徒が書いた小説という「作中作」には、「こんなことするの?」という遊びや、「こんなことあるの?」という巧みさがあって楽しかった。

 作品間リンクもいくつかある。伊坂幸太郎ファンは必読。

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著 者:道尾秀介
出版社:集英社
出版日:2021年10月10日 第1刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「自分で選ぶ」ということが、こんなにも楽しみを添えるのかと思った本。

 最初に言っておかなければならないのは、本書が他の本にはない特徴をもった小説であることだ。本書は章が6章あるのだけれど、そのどの章からでもどの順番で読んでもいい、ということだ。本書の最初に各章の冒頭部分がそれぞれ書かれているので、読者はそれを読んで自分で読む順番を決める。6の階乗で720通りの読み方がある。

 各章はそれぞれ独立した物語の短編になっていて、登場人物や出来事が互いに共通しているので「連作短編集」でもある。舞台となっているのはアイルランドの首都ダブリンと、国内の海辺の町のどちらか。ある章に登場する中学生は、別の章では看護師として働いていたり、ある章に登場する老人の若いころの姿が別の章で描かれていたりする。

 ストーリーについては、読む順番に影響を与えないようにキーワードだけ。殺人事件を追う刑事、ペット探偵、残された子ども、ターミナルケア、孤独、贖罪、後悔、秘された過去...。こう書いてくると暗い物語のように感じるかもしれないけれど、登場人物の何人かには独特のユーモアがあって、けっこう気楽に読むことができる。

 面白かった。おかしなことを言うようだけれど、私が選んだ順番で読むのが一番面白んじゃないか?と思った。最初に読んだ章に登場する少女のその後が、ちゃんと次に読んだ章で描かれていた。別の章で読んだ少し謎がある人物の過去が、そのあとで明かされた。これが逆だったら、ちょっとつまらないかもしれない。確かめようがないのだけれど、そう思った。

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ビタートラップ

著 者:月村了衛
出版社:実業之日本社
出版日:2021年11月5日 初版第1刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 命が懸かっているのにどこか軽やかな「よかったね。いやよかったのかな?」と読後に思った本。

 以前に読んだ「土漠の花」という作品で著者の名前を憶えていて、新刊が出たということで読んでみた。

 主人公は並木承平、33歳、バツイチ、農林水産省の係長補佐。物語は冒頭から助走なしで始まる。泣きじゃくっていた恋人による唐突な告白「わたしは中国のハニートラップなんです」「祖国の命令であなたに接近しました」。恋人は行きつけの中華料理屋に新しく入ったバイトで、確かに中国人の留学生だった。名前は黄慧琳。

 物語は、並木と慧琳が、中国の国家安全部から慧琳の身を守るため偽装の恋人関係を続ける様を描く。

 その間、並木にはずっと疑問がある。慧琳を信じていいのか?告白の理由を問えば「並木さんのこと、本気で好きになった」という。そんなこと本当なのか?でも嘘をついているとは思えない。でも相手はスパイだ。嘘をつくのがスパイの本領だ。でもなんでわざわざ告白したのか?でも気が付けば慧琳の告白をきっかけに同棲することになっていた。これはスパイの目論見どおりなのでは?

 いくつもの「でも」でつながって堂々巡りする考えを、整理することができない並木の煩悶の生活が続く。周辺の状況はめまぐるしく変わり、剣呑さを増していく。そうするうちに日本の公安警察も絡んできて、並木自身の身の安全も危うくなる。

 面白かった。並木は「平凡ないい人」で、慧琳もスパイとはいえ素人同然(という設定)。そんな二人が身を守るために国家を相手にする。そのためにお互いを必要として寄り添ったり反目したりと忙しいが、それが普通の恋人っぽかったりもする。基本的にサスペンスなのだけれど、とても特殊な状況の恋愛物語でもあった。

 最後に。並木と慧琳の反目は、日本と中国との習慣や価値観の違いによるものも多い。そしてその違いは、両国の国民が互いに相手に感じる偏見でもある。並木の同僚たちの会話でその偏見が顕在化するのだけれど、それがいかにも屈託なく、いかにもありそうな会話。そしてそう思うことに私自身が苦い気持がした。

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リボルバー

著 者:原田マハ
出版社:幻冬舎
出版日:2021年5月25日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆☆(説明)

 その景色をこの目で見るためにフランスに行きたい、と思った本。

 原田マハさんのアートミステリー最新作。ファン・ゴッホの死にまつわる謎に迫る。

 ファン・ゴッホの死については、晩年に住んでいたオーヴェール=シュル=オワーズの麦畑付近で拳銃で自殺を図った、とするのが定説。しかし目撃者はおらず確証もないので真実は分からない。その真実を求めて日本人のオークショニアが調査を進める。

 主人公は高遠冴。37歳。パリのオークションハウス「キャビネ・ド・キュリオジテ(通称CDC)」に勤めている。パリ大学で美術史の修士号を取得、ファン・ゴッホとゴーギャンの研究者でもある。

 物語は冴が勤めるCDCに、錆びついた一丁のリボルバーが持ち込まれたところから動き出す。オークションでは、リボルバーはコンディションのいいものしか値が付かない。そのリボルバーは出品できるようなものではない。しかし持ち込んだマダムは「あのリボルバーは、フィンセント・ファン・ゴッホを撃ち抜いたものです」と言った。

 もし本当にそうと証明できれば、これはスゴイ値がつくことになる。CDCの名前も世界に広まる。冴は、事実を確かめるために、アムステルダムのファン・ゴッホ美術館に行き、オーヴェール=シュル=オワーズに行って関係者の話を聞き、フランス国立図書館で資料を渉猟して調査を進める。その過程で冴のもう一人の研究対象であるゴーギャンに行き当たる..。

 これはとても面白かった。著者のアートミステリーにハズレなしだ。「ファン・ゴッホの死の真実」と言っても、描かれているのはもちろんフィクションなのだけれども、背景の様々なエピソードには事実が散りばめられている。例えば「ファン・ゴッホが自殺に用いたとされる拳銃」は、物語の中で言及されるとおりに、ファン・ゴッホ美術館の展覧会で本当に展示されている。

 構成も面白かった。著者のアートミステリーでは、画家が生きた時代と現代との2つのパートの物語が並行して語られることが多いのだけれど、今回は少し違っていた。今回は、現代パートを主にして、過去のパートは「私が聞いた母の話」の中で「母が聞いた祖母の話」が語られる。千夜一夜物語のような入れ子構造になっている。この構造に時代を遡るタイムマシンのような効果を感じた。

 もう一度。著者のアートミステリーにハズレなし。今回は大アタリで☆5つ。。

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クスノキの番人

著 者:東野圭吾
出版社:実業之日本社
出版日:2020年3月25日 初版第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 「誰かに想いを伝えたい」「誰かの想いを知りたい」ということの切実さと難しさを感じた本。

 主人公の名は直井玲斗。20代半ばの青年。勤め先の工作機械のリサイクル業者で、商品に欠陥があること客に教えてクビになり、未払いの給料と退職金代わりに金目の商品を盗みに入って捕まった。刑務所行きを観念していたところ、弁護士が接見に現れて「自由の身になりたいのなら」と提示した「依頼人の命令に従う」という条件をのんだところ、本当に釈放された。

 依頼人は、玲斗がこれまで存在も知らなかった伯母で、命令というのは「神社でクスノキの番人をする」というものだった。伯母の名前は柳澤千舟。玲斗の見当では「60歳よりもう少し上」。神社とクスノキは何十年も前から代々柳澤家が管理していた。そのクスノキに祈念すれば願いが叶うという。本当に願いが叶うのかどうか、玲斗は信じていないけれど、祈念に来る人たちの真剣さはが半端ない。

 物語は、このクスノキの祈念の秘密と、祈念に来る何人かの客の目的、といった謎を追いかけるミステリー。祈念の客が「クスノキの番人をしていながら、何も知らんのか」と言うし、千舟は「いずれわかる日が来る」と言うからには、クスノキの祈念はただの願掛けではない。客の真剣さを考えてもそれは確かだ。

 まぁまぁ面白かった。クスノキの祈念の秘密は、なるほど客が真剣になるようなものだった(「現実にあれば」ということだけれど)。客の目的の謎解きも面白かった。帯に「ナミヤ雑貨店の奇蹟」の名前が上がっているけれど、確かにいくつかの共通点がある。ハートウォーミングな仕立てはその一つで、私はこういうのがけっこう好きだ。

 そうそう。千舟さんは柳澤一族が経営する、不動産、マンション、ホテル事業の運営会社で、かつては最高経営責任者を務めて「女帝」と呼ばれた人。今は一線から身を引いているけれど、いまだ影響力がある。物語にはホテル事業に関する一族との攻防も織り込まれていて、これも面白かった。

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ザリガニの鳴くところ

著 者:ディーリア・オーエンズ 訳:友廣純
出版社:早川書房
出版日:2020年3月15日 初版 2021年1月20日 12版 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

成長物語とミステリーと法廷劇が楽しめる本。

今年の本屋大賞翻訳小説部門の第1位。出版社の情報によると全世界で1000万部突破とのこと。世界中でとにかくすごく売れているベストセラー。

主人公はカイヤ。1952年の物語の始まりの時は6歳の少女だった。5人兄弟の末っ子で両親も一緒に、ノース・カロライナ州の海辺の湿地にある小屋に住んでいる。ところが、物語が始まって間もなく、暴力をふるう父から逃れるように母が出ていき、兄弟も出ていき、父と二人で取り残される。そしてカイヤが10歳の時、その父もどこかへ行ったきり帰ってこなくなる。

カイヤが住んでいる湿地というのは、誰かから逃げてきた人たちが勝手に住み着いたような水浸しの土地。そこの住民は、町の人々からは「沼地の貧乏人(トラッシュ)」と蔑まれている。そんな場所に10歳の少女、学校に行っていないので読み書きもできない少女が取り残され、一人で生きていかねばならない。物語は前半生を中心にカイヤの生涯を綴る。

もうひとつ。カイヤの生涯に並行する形で、一つの殺人事件の捜査が語られる。その事件はカイヤが23歳の時に起きたものなので、カイヤのパートが進むにつれて時代が近づいていく。それに同調するように、カイヤと事件の関係も近づいて、やがて1つの物語になる。

これは名作だと思う。正直なところ、カイヤのパートの最初のころは、物語としては平板な上に悲惨さが際立って、私は子どもがつらい目にあう話は苦手なので、ちょっと読み進めるのがキツかった。殺人事件のパートが注意を引きつけ、そのうちに物語に起伏が出てきて読みやすくなった。ただし、カイヤには平穏な暮らしはなかなか訪れないのだけれど。

本書を読んだ読者はいろいろなものを受け取ることができる。一人生きるカイヤの逞しさ。カイヤを見守る善意の温かさ(「一人生きる」と書いたけれど、本当は一人ではなかった)。才能が花開くさまの輝かしさ。一人の人を愛するひたむきさ。水浸しの荒れ地のはずの湿地の自然の豊かさ。悪意も多く描かれるけれど、それ以上の「善きもの」がこの物語にはある。

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