編 者:吉野次郎
出版社:日経BP社
出版日:2015年11月30日 第1版第1刷
評 価:☆☆☆(説明)
出版社の日経BP社さまから献本していただきました。感謝。
2020年に東京でオリンピックが開催される。あと4年7カ月と少し。まぁまだ間がある。開催が決定してからも2年あまりになるので、通常は少し話題から遠のいている時期だと思う。しかしご存じのとおり、今年は一時期、東京オリンピックの話題で騒々しかった。
新国立競技場の建設費が問題視され、結果的にデザイン・設計を白紙撤回。エンブレムの盗用疑惑が巻き起こり、これも白紙撤回。その前には東京都観光ボランティアのユニフォームにも批判が集中していた。そんなわけで「狂騒の~」という形容詞に違和感はない。
ただし、本書は2020年の東京オリンピックにまつわる狂騒を、テーマにした本ではない。第1章「国家の”喜劇”」で新国立競技場のことを扱い、その「ズサンさ」を踏切板にして、広く「日本のスポーツとカネ」の問題に跳躍している。
「カネ」という観点では、国立競技場の問題は「ムダ使い」の例と言える。全国には赤字垂れ流しの競技場や総合運動場がたくさんある。そういったものをいくつか指摘すれば「告発ルポ」として読み物にはなる。本書も部分的にはそうだ。
しかし本書のキモは「ムダ使いの告発」にはない。スポーツ界はもっと「商業化」を進めて儲けろ、というのがその主張だ。実は著者が経済誌の記者で、だからというわけではないけれど「経済合理性」を重視する。高校野球は放映権料を取れば、柔道はもっとショーアップすれば、(簡単に)儲かるはずだ、どうしてそうしないのか?というわけだ。
こう聞いておそらく多くの人は、行き過ぎた商業化が損なう「何か」を危惧するだろう。私もそうだった。腹立たしい思いさえした。最初は。
正直に言うと、読み進めるうちに自分の考えがよく分からなくなってきた。儲けたお金を有効に使って、そのスポーツの選手の育成や底上げに使う。国の補助金頼みよりも、よほど健全に思える。一方で「(来てくれれば)プレーを観なくてもいい」という野球場のコンセプトには違和感を感じる..。
モヤモヤしたままで読み終わってしまったけれど、ちょっと視野が広がったのは確かだ。
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