著 者:D・J・ブーアスティン 訳 星野郁美 後藤和彦
出版社:東京創元社
出版日:1964年10月1日 初版 1991年1月30日 30版
評 価:☆☆☆☆(説明)
本書が米国で出版されたのは1962年、日本語版は1964年。50年以上前の本を読もうと思ったのは、SMAPの騒動がきっかけ。「そんなことあったね」という感じがするが、フジテレビの番組で「生謝罪」したのが1月18日。あれから1カ月も経っていない。猛スピードで出来事が遠ざかっていく。
タイトルの「幻影の時代(原題はThe Image)」は、本書の主題でもある。著者は、当時の米国の社会を、実体よりもイメージ(本書では訳者の考えによって「イメジ」と表記されている)を優先させ、あるいはそれに囚われて「イメジ」を現実だと思い込んでいる、と分析している。
その第1章のタイトルが「ニュースの取材からニュースの製造へ-疑似イベントの氾濫」。簡単に言ってしまえば、現代(50年前から、という意味だけれど)のニュースは「誰かが何かの目的を以て作ったもの」だということ。
記者は「取材」しながらそれを「ウケるネタ」に仕立てる。ニュースになるコメント(失言とか?)を、うまく引き出すことを「上手な取材」だと思っているかもしれない。ニュースを作るのは記者だけではない。ニュースの当事者も「ニュース番組で取り上げられるために」発言したり、どこかに出かけて行ったりする。
ニュースで衆目を集める出来事の多くは、ニュースという、大衆に伝える仕組みがなければ、そもそも起きなかった出来事なのだ。「疑似イベント」というのは、こうした「ために作られた出来事」のことを指している。
本書はこのあと、様々なものに実体よりイメジが優先されている例を挙げる。有名人(人間的疑似イベント)、旅行(「冒険」も含めて期待したイベントの体験」、芸術(オリジナルより魅力的なコピー)、広告(..言うまでもない)、アメリカ(世界におけるアメリカの「威信」)。
だれもが薄々は気が付いていたことかもしれない。しかし、これだけキッチリと「まやかし」を暴いている本は他にないだろう。私が読んだ版は、小さな字の二段組みで、決して読みやすい本ではないので、おススメはしにくいのだけれど、少しずつでも...と思う。
SMAPの騒動がどうしてこんなに大事になるのか?私が感じた違和感は、本書を読んでほとんど解けた。「大事にしたい」。たくさんの関係者がそう思ったからそうなった。単純なことだった。
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これ かなり興味あります。
マスコミの操作で 大衆があやつられる。
そのマスコミを操作している さらに大きな力。
SMAPの次は 清原。
いつも 国の一大事の時に こういうものをぶつけて
目くらましされてしまう。
最近はニュース 見なくなってしまった。
まずは 一般大衆の私から 意識変えます
なかむらさいこさん、コメントありがとうございます。
イメージを現実だと思い込んでいたら、簡単に操作されて
しまいますね。怖いことです。
悩ましいのは、それでも私たちはマスコミを通してしか
知りえないことが多いことです。なんとか健全な報道を
取り戻してもらわないと..
大学3年の演習でこの本を読みました。
非常に有名な本らしく大学のマスコミ学科の学生はほぼ全員読まされる本だらしいです。
アメリカの大学に留学した日本の大学生がアメリカの大学の授業でもこの本の英語の原書を読ませられたので
日本でこの本の日本語版を読んでいたので助かったと述べていたというエピソードを教授が紹介していました。
マスメディアからソーシャルメディアの時代になってもこの本の内藤は古くなっていません。
SNSで自撮り写真を「盛る」という行為も実物よりイメジを重んじる行為なのでしょう。
通りすがりさん、コメントありがとうございます。
そうですか、大学のマスコミ学科の学生はほぼ全員読まされる本らしい、と。
この本に書かれていることは、マスコミが作るイメージを現実だと思い込んで
しまう危険性に対する警鐘だと思います。逆に言えば、大衆を簡単にミスリード
できる、ということが明かされているとも言えます。
そう思うと、ちょっと怖い気もしました。