著 者:逢坂冬馬
出版社:早川書房
出版日:2021年11月25日 発行 2022年4月10日 19版
評 価:☆☆☆☆(説明)
ロシアのウクライナ侵攻が起きている今この時に、この物語を読む因果を考えた本。
本屋大賞受賞作。
主人公の名はセラフィマ・マルコヴナ・アルスカヤ。物語の始まりではモスクワ近郊の人口40人のイワノフスカヤ村に住む、猟師の娘の16歳の少女だった。時代は1940年。翌年にはドイツがソ連に侵攻して独ソ戦が始まり、セラフィマの村でも砲声を遠くに聞くようになる。
のどかな村の風景から一転して、ドイツ軍の敗走兵に襲撃されてセラフィマ以外の村人全員が殺される。セラフィマの命もここまで、というところにソ連の赤軍が来て救われる。しかし安堵する間もなく、赤軍の女性の指揮官はセラフィマに「戦いたいか、死にたいか」と聞くのだ。
女性の指揮官の態度に反発したセラフィマは、何度目かの「戦いたいか、死にたいか」の質問に、「ドイツ軍も、あんたも殺す!」と答える。場面を転じて、セラフィマはあの女性指揮官の下で、狙撃手としての教育を受ける。少女ばかり十数人で編成された訓練学校。さながら学園ドラマのような雰囲気(習っているのは「狙撃」だけど...)
こんな感じで序盤は緩急をつけた展開。しかし「緩」を感じるのはここまでで、訓練学校を出た後はセラフィマたちは、狙撃小隊として前線に投入され、そこからは「急」ばかりが続く。撃ち殺さなければ撃ち殺される。「友情」も「師弟愛」も「信頼」も描かれるのだけれど、その場面の背景は常に「命のやりとり」がされる戦場だ。
「なんなんだ、この物語は」と思った。本屋大賞は納得する。描かれる物語の熱量というか牽引力というかが圧倒的だ。しかし、どうして日本人の著者が独ソ戦の物語を書いたのか?どうして主人公が女性狙撃兵なのか?いや別にいいのだけれどどうして?といういくつもの「どうして?」を感じた。ストーリーの緻密さに、並々ならぬ取材を感じて「なにか訳があるんでしょう?」と著者に聞きたくなった。
彼女たちは何のために戦ったのか?物語の中にある、タイトルと同じ「同志少女よ、敵を撃て」という言葉が意味深長だ。
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