著 者:前田健太郎
出版社:岩波書店
出版日:2019年9月20日 初版
評 価:☆☆☆☆(説明)
女性を登用しない「実力主義」が、男性優位のルールによるまやかしであったことが分かった本。
本書の発端の問題意識はこうだ。日本は民主主義の国であるとされている。「民主主義」は「人民が主権を持つ」ことを表し、その「人民」には男性も女性もいる(この枠にはまらない性的少数者も)。であるのに、日本では圧倒的に男性の手に政治権力が集中している。それはなぜなのか?さらに「それにも関わらず、日本が民主主義の国、とされているのはなぜなのか?」
著者は「これは「政治学」の性格の問題で、こんな疑問を持たなかったぐらいに、著者を含めた政治学者は、女性がいない政治の世界に慣れきってしまっていた」と言う。それによって何か重要なものが見えなくなっているかもしれない。本書は、その「見えなくなっているかもしれない」ものを可視化する試みだ。
そのために、本書ではジェンダーを「争点」ではなく「視点」として位置付ける。補説すると、「経済」「環境」「人権」「安全保障」などの争点の並列項目ではなく、あらゆる政治現象の説明に用いる「視点」とする、ということ。そうすれば「福祉」が「男性が稼ぐ」モデルを基にしていることが明確になるし、「選挙」において女性候補者が立候補できない理由も浮き彫りになる。
ひとつ「あぁそういうことか」と思ったことがある。「男性らしく、女性らしく」というジェンダー規範は、二重構造になっている、と言う指摘。例えば企業において「積極的」な社員を高く評価するとする。一方で「男性らしく」に「積極的」、「女性らしく」に「控えめ」という規範があれば、企業としては男女を差別していなくても(いないつもりでも)、男性を優遇する結果になる。
「差別しているつもりはない」。こういう話題で男性の答えにありがちな言葉だけれど、二重構造のために見えなくなっているだけで、差別になっていることはたくさんあるのだろう。そういう例が本書にたくさん載っている。資本主義という体制自体が、「競争」が原理的の組み込まれている以上、ジェンダー規範に従うと女性は評価されにくい。女性は、不平等なルールのゲームに参加させられているようなものだ。
最後に。以前読んだ同様のテーマの「日本の女性議員 どうすれば増えるのか」では不調であった「女性議員と男性議員の政策志向の違い」の論考は、本書では見事に証明されている。いい仕事をしたと思う。
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