著 者:古市憲寿
出版社:講談社
出版日:2011年9月5日 第1刷 10月11日 第3刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)
本書は26歳の気鋭の社会学者による「若者論」だ。私が著者のことを初めて知ったのは、昨年12月に新聞に載ったインタビュー記事でだった。記事の見出しは「いまどきの20代は不遇?幸せですけど」。本書の内容も、この見出しに集約されている。もちろん、この「幸せですけど」には含意があって、言葉通りではないけれど。
20代を代表とする若者が不遇だという根拠はある。内閣府の2005年の試算によると、年金や医療などの公的部門を通じた受益と負担の関係は、60歳以上世代は6500万円の得、20歳未満世代は5200万円の損。若者世代は祖父母の世代と比べると1億円以上も損しているのだ。
他にもある。本書には書かれていないけれど、財務省の11月の発表によると、9月末の国の借金はなんと983兆円。当然このツケは将来世代に回ってくる。労働環境も非正規雇用が拡大して不安定になっている。つまりは「お先真っ暗」なのだ。
しかし内閣府の2010年の調査によると(内閣府って、いろんな調査を行っているようだ)、20代の70.5%が、現在の生活に「満足」していると答えている。この数値は他のどの世代よりも高く、過去の20代と比べても高い。
まぁここまでが「絶望の国」の「幸福な若者たち」の舞台設定だ。著者はここから、「若者」の定義や「若者論」の歴史、世間一般で言われる「若者」の検証、ナショナリズムについて..と論を展開する。大体は真面目に、時にユーモアたっぷりに、時にチクリと皮肉の針を刺しながら。
著者は、あらゆるものから距離を置いている感じがした。「不遇な若者」論を唱える上の世代に対してはもちろん、著者自身が属する20代の若者にも醒めた目を向ける。研究者としては当然なのかもしれないが、「若者はもっと熱くなくっちゃ」というおじさんには評判が悪かろうと思う。
ただ、そんな「俺たちの若い頃はなぁ」と言おうとした、おじさんたちに警告しておく。著者の論は、おじさんたちに対してはとても切れ味がいい。政府予算の10倍の借金も、不安定な労働環境も、破たん寸前の年金制度も全部、上の世代、つまりおじさんたちが作ったものなのだ。そして、おじさんたちの老後だって既に危ない。「「若者よもっと頑張れ」という前に、あんたが頑張れ」と言われたら、返す言葉がないだろう。
ここからは書評ではなく、この本を読んで思ったことを書いています。お付き合いいただける方はどうぞ。
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著者は、「ユニクロとZARAでベーシックなアイテムを揃え...マクドナルドでランチとコーヒー、友達とくだらない話を三時間、家ではYOUTUBEを見ながら...」と、今でも若者はそこそこ楽しい日常を送れる、と言っています。
このことを聞いて思い出したことがあります。それは先日、ショッピングセンターの、幼い子ども連れのファミリーでごった返すゲームコーナーを見た時のことです。「あぁ、日本はまだまだこんなにも余裕があるんだ」と思ったのです。ゲームへの支出は、「余裕」の最たるものに思えるからです。著者が言う「そこそこ楽しい日常を送っている」若者と重なって見えます。
もちろん、そんな余裕のない人もいるでしょう。私は職場の採用担当もしていて、就職が相当厳しいことになっているのも実感として感じます。ですが日本全体が、世間で言われるような危機的状況とも思えない。あんなにたくさんの家族が、休日に子どもを連れてコインゲームに興じる余裕があるのだから。
もう一歩踏み込んで考えてみます。来月には衆院選があります。「今のままでは日本は滅んでしまう」などと声高に言う声も聞こえてきます。ある政党の政策に反対すると、「じゃぁ今のままで(日本が滅んでも)いいんですか?」と半ば脅しのような反発が返ってくる、なんて場面もありました。
私は敢えて言います。「今のままでいい」も選択肢なのではないか?と。当たり前のことなのに、このところ見落とされているように感じるのが、「変えること」=「良くなること」ではない、ということです。また、私たちは残念ながら「パーフェクトな政策」ではなく、「よりましな政策」しか選べないのです。
選挙前なので、たくさんの人の口から様々な政策が語られています。そのどれもが今より良くなりそうになかったら、「今のままでいい」を選ぶべきではないんでしょうか?それは、とても悲しい選択かもしれないけれど。
絶望の国で46歳が一番不幸?
天候は良く変わるが季節は着実に巡って来てアジサイが咲いている。