心でっかちな日本人

書影

著 者:山岸俊男
出版社:日本経済新聞社
出版日:2002年2月25日1版1刷
評 価:☆☆☆(説明)

 「心でっかち」という言葉は著者の造語。「頭でっかち」が、知識(頭)ばかりで実際の経験や行動とのバランスがとれていないことを言うように、「心でっかち」は、「心」に重きを置きすぎるものの考え方を言う。

 例えば、学校でのいじめの問題について。「いじめが起きるのは、行き過ぎた個人主義で、子どもたちから他人を思いやる「心」が失われているからだ」という言説。だから「心」の教育が大事、と続いていく。一見して受け入れられやすい話だ。だからこそ危険でもある。
 実際に子供たちに接していれば違和感を感じるはずだ。そうでなくても少しの想像力を働かせれば気が付くのではないかと思う。いじめが起きているクラスの1人1人の子どもを見れば、友達を死に追いやるような子どもが何人もいるはずはない。
 もちろん、全くいないとは言わない。でも、子どもたちに他人を思いやる「心」がない、と言うのは間違いか少なくとも過大な表現であることが分かる。大多数の子どもに「心」の欠如の問題がない以上、この問題を、「心」の教育という漠としたもので解決しようとするのはムリなんじゃないかと思う。
 しかし、先の言説があまりにスムーズに受け入れやすいために、それで良しとして、それ以上の考えも対策もなされない。だから危険なのだ。いじめだけでなく、犯罪や格差の問題など、社会の不都合なことをすべて「心」の問題にしてしまう傾向が感じられるが、それは危険なのだ。

 いじめについての著者の見解はこうだ。クラスの1人が誰か1人をいじめたとする。その時の他の子どもたちの反応が問題を左右する。ほんの少しのバランスが崩れることで、一気に凄惨ないじめに発展することも、解決することもある。
 たとえ自分1人でもそのいじめに立ち向かう子、誰かが一緒なら立ち向かう子、何人以上かが一緒なら立ち向かう子、他の全員が立ち向かうなら従う子、いろいろな子どもがクラスには混在している。逆の言い方もできる。自分もいじめに加わってしまう子、何人かがいじめ始めればそれに加担してしまう子、というように。
 さて、ここで思考実験。自分1人でも立ち向かう子が1人、誰かが一緒なら立ち向かう子が1人、他に3人いれば立ち向かう子が5人…..とすると、このクラスでは2人しか立ち向かうことにならない。しかし、もし「誰かが一緒なら立ち向かう子」がもう1人だけいれば?そう、「他に3人いれば…」の5人も加わって8人、「8人味方がいれば…」という子が何人かいれば、さらにその数は増える。初期のたった1人の行動の違いで結果は大きく左右される。

 このように考えると、いじめは子どもたちの「心」の問題というよりは、社会心理学的現象と捉えられる。そうすれば、解決の糸口も見える。
 学校では、子どもたちのそれぞれが、少しでも仲間が少なくても(3人いれば..と思っていた子は誰か1人でも一緒なら、誰かと一緒ならと思っていた子は自分1人でも、といううように)立ち向かうようにすればいいのだ。
 子どもたちは先生を見ているから、初期の先生のリーダーシップで少なからず反応が変わるはず。いじめに立ち向かおうとする子どもの後ろ盾に、先生がほんの少しでもなれば、事態は変わるかもしれない。これが解決の糸口だと思う。

(補足)
 私は、子どもたちの心に問題がないとは言いません。だから、他人を思いやる心を育ませる、という教育に異議はありません。念のため付け加えさせていただきます。しかし、制度やカリキュラムをいじることで、これができるとは思いません。

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ハイコンセプト 「新しいこと」を考え出す人の時代

書影

著 者:ダニエル・ピンク 訳:大前研一
出版社:三笠書房
出版日:2006年5月20日第1刷 5月30日第3刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 訳者の大前研一氏によれば、これからの日本人は「右脳を生かした全体的な思考能力」と「新しいものを発想していく能力」が必要になるという。そして、本書にはそういった能力の重要性とその磨き方が書かれている。

 著者の(訳者も)時代認識では、現在の「情報化の時代」から、これからは「コンセプトの時代」になるとしている。アルビン・トフラーが「第三の波」で、産業社会から情報化社会への移行を指摘したが、今度はその情報化社会も終わりを告げ、次の時代へ移るということだ。
 その「コンセプトの時代」では、6つの感性が求められる。1.機能だけでなく「デザイン」 2.議論よりは「物語」 3.個別よりも「全体の調和」 4.論理ではなく「共感」 5.まじめだけでなく「遊び」 6.モノより「生きがい」だ。
 ここまでなら、よくあるお手軽自己啓発本のようだ。「デキるビジネスマンはここが違う」みたいな本だ。しかし、本書は少し奥が深い。

 何より現状分析が的確だ。上の6つの感性も現状分析の上に成り立っていて、思い付きではない。著者の現状分析では、情報化時代にもてはやされた、金融業やITのエンジニアや、弁護士、会計士などの「ナレッジワーカー」の職が危うくなっているという。
 原因の1つは、インドとIT技術だ。米国の大手金融業では、企業会計や財務分析をインド人MBA取得者に委託しているという。米国内で行うのと同じ品質の仕事が、何分の1かのコストでできるからだ。判例検索をする弁護士業務、ソフトウェア開発も同じ理由で、インドに流出している。米国内で高給を謳歌していたエリートたちは、ずっと安い賃金で同じ仕事を提供する人々と競争しなくてはならなくなった。
 IT技術も脅威だ。データベースの充実で、医療情報など、従来は一部の有資格者が独占していた知識が、限りなく無料に近いコストで誰でも手に入れることができる。また、会計や医師の診療行為さえ、初歩的な部分に限られるとは言え、数万円のパソコンソフトでできてしまう。

 だからこそ、ネットワークでつながった遠いインドではできないこと、コンピュータソフトではできないこと、がこれからは重要になってくる。それが「デザイン」他の感性を必要とする仕事だ、というわけである。本書には、それぞれの感性を磨くには、どこのサイトに行って何を手に入れて、と詳しく書いてあるので、興味を持った人は一読の上実践することをおススメする。

 しかし、著者も訳者も触れていない点で、気になることがある。それは、著者が指摘するような能力を持つ人は、「そんなに沢山いなくても良い」ことだ。
 商品のデザインはともかく、ビジネスのグランドデザインなどを行うのは、一握りの人々だと思う。本書の読者のひとりひとりが、こういった能力を磨いたり仕事を目指したりするのは良いことだが、社会全体で見ると、多くの人が職を失うか抑制された賃金で働くしかなくなるのではないか。
 世界の工場といわれる中国に生産ラインを移してしまったことで、多くの工場従業員の職が奪われたのと同じことが、今度は、高学歴で高い技能を持ったナレッジワーカーにも起きるということだ。社会や技術の進歩は確かに、極端な貧困などからは人々を救ったが、その行き先は幸せにつながっているのだろうか?

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ななつのこ

書影

著 者:加納朋子
出版社:東京創元社
出版日:1992年9月25日初版
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「ささらさや」の著者の作家としてのデビュー作品。第3回鮎川哲也賞受賞作。鮎川哲也賞というのは、長編推理小説に贈られる賞。本書がいわゆる推理小説かというと、そうではないと思う。巻末に選考委員の選評が載っていて、著者の力量は認めながらも、これを長編推理小説として良いものかどうか?、と悩んだ跡を見て取ることができる。悩んだ上で賞を贈っているのだから、本書が問題を抱えいてもなお捨てがたい優れた作品であった、ということなのだろう。

 殺人事件も起きなければスパイも登場しない。ここで起きる事件は、デパートの屋上のビニールの恐竜が、一夜にして遠くはなれた保育園に現れた、とか、夜に畑からスイカを盗まれた、とかいうことだ。著者が扉のページで書いている言葉を借りれば、「日常に溢れている謎解き」がふんだんに盛り込まれている。
 筋立ては、複雑かつ巧みだ。「ななつのこ」という架空の小説の中で、「あやめ」さんという名の女性が、その小説の主人公である「はやて」が体験する様々な不思議の謎解きをしてみせる。そして、本書の主人公である「駒子」と「ななつのこ」の作者である「綾乃」の往復書簡の中では、駒子が体験する事件の謎解きを綾乃がしてみせる。さらに….、と2重3重の入れ子構造になっている。

 これだけの入り組んだストーリーを、混乱することもなく一気に読ませる筆運びが、著者の力量の表れだ。迷いながらも本作を選定した選考委員の気持ちも分かる気がする。そして感謝する。これは長編推理小説ではない、として選考されなければ本書を手にすることはなかっただろう。もしかしたら、後に続く著者の作品群を読む機会もなかったかもしれないのだから。

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人類が知っていることすべての短い歴史

書影

著 者:ビル・ブライソン 訳:楡井浩一
出版社:日本放送出版協会
出版日:2006年3月25日第1刷
評 価:☆☆☆(説明)

 著者は、ユーモアのある旅行記を書く作家として有名だそうだ。物書きとしては一流であることの証だが、科学については門外漢。その著者が、3年の月日をかけて科学界の重鎮を含む多数の専門家を取材して、人類がこれまでに解明してきた科学の成果を語る。
 テーマは、宇宙のあり方から、45億年あまりの地球の歴史の様々な分野にわたる。相対性理論や量子力学などの物理学はもちろん、生命の誕生や進化論、小惑星の激突やプレートテクトニクス、恐竜の絶滅と人類の起源、その他の科学の様々な発見と、ほぼ文字通りの「すべて」の歴史だ。(原題は「A Short History of Nearly Everything」,ほとんどすべて と少し控え目だ。)

 これだけの内容の豊富さだから当然と言えば当然だが、600ページを超える大書だ。読み通すにはそれなりの時間と根気が必要だ。著者がいかに平易に書く努力をしてくれたとしても、テーマがテーマだけに難しい内容であることに違いないから、なおさら根気が必要になる。

 しかし、それでも本書は思いの外読める。(私も何度か睡魔に襲われながらも結局読み通した。)それは、本書が科学的事実の解説ではなく、その解明に至る経緯と、それに関わる人に焦点を当てているからだ。
 紹介される研究者の多くは、その変った言動と共に紹介される。塩素、フッ素、マンガンなどを発見したある科学者は、研究材料を何であれ舐めずにはいられない性格だった。ある極限状態の研究者は、酸素濃度が人体に与える影響を調べるために、自分はおろか家族や周辺の人々を次々に減圧室に放り込んだ。実験中に痙攣を起こした妻は、発作が治まった後、夕食の支度のために家に帰された。という話が盛りだくさんに紹介されている。

 また、科学というのは新しい発見がなかなか認められないらしい。その発見が既成の学説を否定するとなればなおさらだ。プレートテクトニクスは今でこそ主流の学説だが、広く認められるようになったのは、1960年代の後半だ。
 それまでは、大陸が移動している証拠として、遠く離れた大陸に生息する同種の動植物が次々と発見されると、科学者たちは大陸のどこにでも陸橋を懸けてこれを説明しようとしたと言う。アインシュタインも反対の立場を表明して、その誤りに気付かないまま亡くなっている。
 こうしたことを、現代から過去を見て笑ってばかりはいられない。20年ぐらい後になって、「わずか20年前には、人が猿から進化したと本気で思っていたんだ」と言われているかもしれないのだから。

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重力ピエロ

書影

著 者:伊坂幸太郎
出版社:新潮社
出版日:2006年7月1日発行 2007年11月30日14刷
評 価:☆☆☆(説明)

 2003年に発表された作品で、著者紹介欄によると「ミステリファン以外の読者からも喝采をもって迎えられ」た、ということだ。2006年に出た文庫版で読んだ。

 主人公は、遺伝子関係の会社員、泉水。絵の才能があるハンサムな弟、春と、末期癌で入院中の父がいる。ストーリーは、泉水と春の兄弟を中心に進み、泉水の回想として家族の過去の出来事が語られる。そして、結末に向けて長い坂を上るように静かに盛り上がる。
 泉水の家族には、公然となった秘密がある。それは、春がレイプ犯によって母が身ごもらされた子どもであることだ。何とも重々しい設定だ。父が生むことを決断したのだが、それが正解であったのかどうかは、今もって誰にもわからない。
 「泉水も春も私の息子ですよ」と、動じることなく言い切る父の態度に救われはするが、家族につきまとう影は払いようがない。春の絵の才能さえ、レイプ犯の血を受け継いだのではないかと言われてしまう始末だ。

 泉水の職業や春の才能などの設定に無駄がなく、ストーリーに絡んでくる。連続放火事件が事の発端なのだが、放火とグラフィティアート(壁に描かれた落書き)に深い相関があり、事件のナゾを解くカギは遺伝子にある。また、家族の過去の悲劇とも深く関わっていた。
 徐々に明らかになってくる真実と、気の利いたエピソードの重層構造で読ませる、技ありの作品で、評判になったのもうなずける。

 少し残念に思うのは、ストーリーに意外性がほとんど無いことだ。もちろん、最初からすべて分かってしまうような単純なストーリーではない。でも、徐々に明かされることを追って行くと、中盤ぐらいで読者が「もしかしたら」と予想してしまい、そのとおりになってしまうのではないかと思う。少なくとも私はそうだった。結末に向かっての道筋がまっすぐな感じなのだ。
 それから、読んでいてつらくなってしまう時があった。レイプという凶悪な犯罪に対する嫌悪感だと思う。母の事件の他にも何度か、そういったシーンや話題が出てくる。この小説に限って言えば、重要な要素であるので取り除きがたいことは分かる。しかし、嫌な気持ちになってしまった。

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あけましておめでとうございます。

 皆さん、あけましておめでとうございます。

 昨年は、このブログで102作品を紹介しました。これで2010年から6年連続で100作品超えとなりました。暮らしが安定しているからこそ本が読めるわけで、本が読める幸せに感謝しています。

 このブログでは昨年の7月に、記事数が1000本になりました。今年は、紹介作品数が1000作品になる予定です。現在956作品ですので、あと44作品、順調に行けば6月には1000作品目のレビュー記事を書けることになります。それまでは這ってでも続けるつもりです(笑)。

 今年は本当に穏やかな気候の正月を迎えました。スキー場などでは困惑しているようですが、日々の暮らしは楽で助かります。今年1年、日本が、また世界が、この気候のように穏やかであることを祈っています。

 それでは、今年が、皆さんにとって良い年でありますように。

図書館革命

書影

著 者:有川浩
出版社:メディアワークス
出版日:2007年11月30日初版
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「図書館戦争」シリーズの完結編。この巻で完結ということは前巻で予告されていた。だから、どう完結するのかが知りたくて、待ちに待ったという感じ。いろいろなシリーズを読んだけれど、こんな感じは久しぶりだった。

 あとがきによると、最終巻のネタだけは決めてあったらしい。さすがに、読み手を引き付けたまま離さない見事なネタでした。1巻、2巻、3巻と、それぞれに大規模な攻防戦や拉致事件、謀略などがあり、こうした盛り上がりを後半に置いて、それに向けて前半は徐々にスピードを上げつつ助走していく、という構成だったかと思う。今回はちょっと違う。
 堂上と郁がある作家を護衛して疾走する。途中で堂上が倒れ、郁に言う。「ここからお前一人で….大丈夫だ。お前はやれる」 郁は感極まって、愛の告白(の予告)をして、一人で任務の遂行に向かう。こんな劇的なシーンが登場するのだが、これがまだ物語の中盤なのだ。このシーン以前にも結構ハデな逃走劇やらあり、この後には、郁の大立ち回りまであって、今回は前半から終盤まで走りっぱなしなのだ。

 国際テロという事件の発端も、現在の世界情勢からすると生々しいが、その後の世間の反応などは、今まで以上に「ありえる」展開だから、なお生々しい。
 我々は、テロの危険にを身近に感じたときに、なお冷静に物事を見極められるだろうか?表現の自由や基本的人権の尊重など、憲法に明記されている権利が、テロの防止と相反すると考えられた時に、どのような行動を取るだろうか?答は、9.11直後の米国を見れば想像は付く。
 本書は、もちろんフィクションだし、著者はそんなことを世に訴えるために、このシリーズをしたためたのではないことも承知している。しかし、シリーズ全体の小気味よさの背景に、薄気味悪い未来も見え隠れしてしまう。

 結末は、私としては実に落ち着きの良い結末でした。シリーズが完結したことを祝福したいと思います。そして、登場人物たちの今後の人生について、近い将来に知る機会が来ることを願います。

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夜のピクニック

書影

著 者:恩田陸
出版社:新潮社
出版日:2004年7月30日発行 2005年4月5日第17刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 著者が人気作家であることは知っていて、何度か手に取ってみたこともあったのだけれど、読むに至らないままになっていた。幅広いジャンルを手がけているらしいので、本書が著者の作風すべてを表しているのではないとしても、読後感がさわやかで、他の作品も読んでみようと思った。

 高校生活も終わりに近づいた秋の1日の物語。1日というのは文字通り24時間の意味で、朝の8時から翌朝の8時まで80kmを歩き通すという学校行事「歩行祭」が舞台の青春小説だ。
 中学生高校生に読んでもらいたい。登場人物の高校生が「ナルニア国物語」を「なんで、小学生の時に読んでおかなかったんだろう」と、後悔する話が出てくる。「ナルニア~」がそういう本かどうかは置いて、本書は中高生の時に読んだ方が、大人になってから読むより意味があるように思う。
 もちろん、ここには青春のすべてが描かれているのではない。イジメも受験の苦しみも、「自分とは何なのだ」というような葛藤さえも、存在はするのだけれどストーリーの背景に押しやられてしまっている。そういう意味では「大人が振り返って思い描く青春」なんだろうと思う。だから、大人は「そんな時代が自分にもあったなぁ」などと懐かしんで読むことができる。逆に言えばそういいう読み方しかない。
 しかし、現在青春の渦中にある中高生には、別の読み方がある。きれいごと過ぎるように思えるかもしれないが、それでもなお読んでもらいたいと思うのは、恋愛を含む人間関係の悩みや、友人という大切なものなど、青春時代に経験をしてもらいたいと思う事柄が全編からあふれ出ているからだ。自分たちの今の生活にも、同じように大切なものがあることに気が付いてもらいたい、そうすればもっと良い青春を送ることができる。そう言った「今」を変えるような読み方だ。

 主人公は融と貴子の2人。学校では内緒なのだが2人は異母兄弟で、何の因果か高校3年のクラスメートだ。お互いに距離のとり方が分からないまま一言も言葉を交わさずに秋になっている。このまま卒業してしまえば、一生言葉を交わすこともないだろう。それで良いのがどうか分からない。少なくとも貴子の方は良くないんじゃないかと思い始めている。
 どちらか一方でも、イヤなヤツであれば悩むこともなかったのだろう。お互い相手を憎んだり無視したりしていれば、それはそれで安定しているとも言える。しかし、どうやら2人とも良き友人にも恵まれ、クラスの中でもそれなりに存在感のあるイイヤツらしいから困ったことになっている。 言葉を交わさなくても強烈に意識し合っていることは、周囲も感付くほどになっていて、2人は実は付き合っているのでは?と勘ぐられてしまう。

 24時間の間に2人の距離というか位置関係が微妙に変わる。特に貴子の心が行きつ戻りつ、本人が「こうありたい」と思うものに近づいていく。この様子が、「歩行祭」という特別な時間を舞台にして良く描き出されている。「こうなってよかった」と思える結末を期待しつつ最後まで気持ちよく読める。良き友人がいることのありがたさを噛み締めることができる1冊。

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チルドレン

書影

著 者:伊坂幸太郎
出版社:講談社
出版日:2004年5月20日第1刷 2004年6月16日第3刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 短編小説のふりをした長編小説です。と著者が言うように、収められている5つの話は、時間を前後しながらつながっている。「終末のフール」と似たスタイルだ。(「終末のフール」の方が後の作品なので、こういう言い方はおかしいかもしれないけど)

 1本目の「バンク」で、ウマイ!と思った。それぞれの話には小さなナゾがあって、最後になって解き明かされるのだけれど、このナゾ解きが実にスッキリとさせてくれる。「それは、都合が良すぎるんじゃないの?」ということがない。クリスティーの短編のように心地よい騙され方ができる。(ちょっとホメ過ぎか?中にはナゾが早くから分かってしまったものあるけれど)

 主な登場人物は5人の男女。盲目の永瀬、その恋人の優子、2人の友人の鴨居と陣内、陣内の後輩の武藤。5つの話は、1人称で語る人が変わるので、主人公というのは1人に特定されていない。しかも、時間が10年は前後するので、5人が全員登場する話はない。

 私が惹かれたのは永瀬。頭の回転の良さ、推理力、視覚以外の研ぎ澄まされた感覚によってナゾを解く。盲目であることで不快な目に遭うこともあるが、常に冷静て紳士的である。

 異彩を放つのは陣内だ。彼が1人称で語る話はないが、5つの話すべてに登場する。主人公という言い方は合わないかもしれないが、彼を中心に展開した「長編」であることは間違いない。
 陣内はハッキリ言って「ハタ迷惑」だ。その場に合っていなくても本音や正論を吐く。もちろん本音と正論は全く違うもので、時には正反対のこともあるから、陣内の言うことは時によってバラバラだ。なのに、友人は彼の元を離れていかないし、家裁の調査官である彼を慕う元不良少年少女が大勢いる。
 それは彼のウラオモテのないありさまがいいのだろう。こんなエピソードが挿入されている。
–永瀬は、盲目だというだけで通りすがりの女性に5千円渡されてしまう。彼女には悪意はないのだが、永瀬のことを自分より「かわいそう」な存在と見ているわけで、そうしたことが永瀬や優子の心に影を落とす。陣内も憤慨する。「(目が見えないことなど)そんなの関係ねえだろ」「何で、おまえがもらえて、俺がもらえないんだよ」–

 私が永瀬に惹かれたのにも、もっと言えばこれだけ頭脳明晰な男を、著者がイヤ味なく描くことができたのも、永瀬が盲目であるという事実から自由ではありえない。しかし、陣内は違うらしい。まったく素直な気持ちで、友人を見ることができるのだ。

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有頂天家族

書影

著 者:森見登美彦
出版社:幻冬舎
出版日:2007年9月25日第1刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「夜は短し歩けよ乙女」の著者による新刊。「夜は~」と同じく舞台は京都の街、時代はおそらく現代。前作も奇怪な人々が登場したが、今回は更に変わった人々が京都の街を縦横に駆ける。いや正確に言うと「人々」ではない。この物語は狸と天狗と人間の物語なのだ。

 設定によると、野生の天敵がいなくなって狸はその数を増やし、人間に化けて京都の街で大勢暮らしているのだそうだ。これは、そうした狸の先代の頭領の息子たち四兄弟の話。
 4人はそれぞれ父親から、責任感、暢気な性格、阿呆ぶり、純真さだけを受け継いだ。4つを併せ持つことで、先代は偉大な狸足りえたのだけど、それぞれ1つだけでは父の跡を継ぐのには不足。「あの父の子」の割にはダメな兄弟なのだ。

 現代の京都に狸や天狗が人に混じって暮らしているという設定は、特に珍しくないかもしれない。しかし、登場する狸や天狗や人は変わったのばかりだ。
 兄弟の恩師はかつては偉大な天狗だったが、今は力をなくし四畳半のアパートで暮らしている。昔の思いがあるので今でもプライドだけは異常に高い。その弟子だった女は、子どもの頃に天狗にさらわれてきたのだが、今は冷酷無比な向かうところ敵なしの半天狗になっている。主人公は兄弟の三男だが、1つ上の兄はある事件の後、蛙に化けたまま寺の井戸の中で暮らしている。
 人間たちだって負けていない。金曜倶楽部と称する連中は、毎年忘年会に狸を捕らえてきて鍋にして食う。全部で7人いるのだけれど、全員一癖も二癖もある連中だ。その内の1人はさっきの半天狗の女、長老格の高利貸しはたぶん、「夜は~」に登場した李白だろう。

 ストーリーは、四兄弟の下鴨家と宿敵の夷川家の抗争を中心に進む。夷川家の頭領は四兄弟の父の弟つまり叔父、その娘は主人公のかつての許婚だというわけで、この辺りも複雑に絡んでアップダウンを繰り返し、ちょっとホロリとさせる。実にエンタテイメントな1冊だ。

 蛇足ながら、私が個人的にウケたのは「百万遍界隈には、腐れ大学生は腐るほどいる」というところ。主人公は普段はサエない大学生の姿に化けていることが多く、同じようなのが沢山いるので目立たない、ということを言っている。私自身ずっと昔に、まさに「百万遍界隈の腐れ大学生」だった。

(2010.5.21 追記)
6月21日から、NHK FMの「青春アドベンチャー」で、「有頂天家族」のラジオドラマをやるそうです。そのことを、「ラジオドラマ「有頂天家族」放送決定」という記事に書きました。

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