希望の国のエクソダス

著 者:村上龍
出版社:文藝春秋
出版日:2000年7月20日第1刷 2000年8月5日第2刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 エクソダスとは脱出の意、旧約聖書にある「出エジプト記」に原意がある。
 本書は、2000年に、2001年からのほぼ10年間の日本を舞台にした、極近未来小説。読んでいる今は2006年だから、小説の真っ只中というわけで、意地悪な見方とすれば、どれだけ当たっているか、という見方もできる。もちろん、著者は予言書を書いたわけではないので、そんな読み方は正しくないのだけれど。

 小説では、中学生の過半数が不登校になっている。彼らは現在の教育への積極的なNOを意思表示するために、学校へ行かないでいる。その中の一部は、緩やかなネットワークで結ばれて組織化され、映像配信や職業訓練などの事業を手がけ、為替を操って巨額の資金を手にし、北海道に十万人単位で移住して新たな街を建設してしまう。
 当たりはずれで言えば、はずれだろう。中学校へは大半の生徒が未だ通っているし、大人社会はその面目をなんとか保っている。しかし、薄い膜1枚を隔てた事実のような気もする。
 文科省の調査では、平成15年度の中学校の不登校は10万2千人、2.73%だ。実際にはもっと多くいることが想像されるが、この数値でも40人学級を前提にすれば、1クラスに1人以上だ。全部のクラスで不登校生徒がいると思えば、異常事態にはちがいない。
 現在の不登校は、言わば消極的不登校。「本来は行くべき」という考え方までは揺らいでいない。これが小説のような積極的不登校という考え方に変わらないとも限らない。

 「この国には何でもある。だが希望だけがない」と、中学生のリーダーに著者は言わせた。この言葉は有名になった。コピーとして良くできているから。しかし、その前の言葉のやり取りの方が興味深い。国会での議員との対話だ。
 中学生:「どうして中学校というものが、この国に存在するのか」
 議  員:「法律で決められていて、誰でも行かなくてはならないから」

 この後、中学生は対話を拒否してしまう。答えになっていないからだ。言葉で議論をするのが仕事の国会議員の面目丸つぶれだが、同情もする。中学生までは学校に通う、という自明と思われていたことにも、理由が必要になっているのだから。自明なことに対する理由は説明が難しいだろう。

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