著 者:安部龍太郎
出版社:エイチアンドアイ
出版日:2011年3月14日 初版第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)
出版社の株式会社エイチアンドアイさまから見本を献本いただきました。感謝。
本書は著者が「月刊武道」という雑誌に連載した小説に加筆修正したもの。「武士道とは、死ぬことと見つけたり」という苛烈な言葉で有名な「葉隠」を基にしている。だから、まず「葉隠」の説明から始めるのが良いと思う。
「葉隠」は、佐賀藩の鍋島家の家来である山本常朝の口伝を、同じく家来である田代陣基が筆記編集したもので、1716年に完成した。総論と11巻の各論からなり、武士のあるべき姿を述べた教訓や、鍋島家の代々の君主らにまつわる挿話が記されている。その項目数、なんと約1300にも上る。
「死ぬことと見つけたり」だけに焦点が当てられて、「命を軽視している」と捉えられたり、「国のために命を捧げろ」と軍国主義に利用されたりした。そうでなくとも、この一文があまりに有名なために、「時代錯誤の教訓集」のイメージが強く、全体像を誤って捉えられているように思う。私もそうだった。
本書は、この一文だけに引きずられることなく、著者が多数ある中から選んだ挿話を基にして、23編の短編にまとめたものだ。読み進めると、そこには君主を初めとする、佐賀藩の「曲者」(一癖も二癖もある剛勇の者の意味)たちの、活き活きした姿が立ち上ってくる。
「曲者」なのは男だけではない。藩主の臨終の床に臨んで「さてさて、めでたいご臨終でございます。~これにてお暇いたします」と席を立つ奥方。屈辱を晴らすために決闘に出かけた夫の助太刀に、鎌をつかんで走り出す無役の武士の妻。男も女も、身分の上も下も、腹が据わっているのだ。
「死ぬことと見つけたり」が「葉隠」のすべてではない。しかし本書を読み終わった今、そのテーマがこの一文に回帰していることが分かる。それは「死ぬこと」に対する「覚悟」だった。敢えて言えば、現在でも「死んだ気になって..」という表現があるが、字面の意味はそれと同じだ。
ただ、現在は「死」は完全に例えであって、この言葉から本当の「死」をイメージすることは難しい。「葉隠」の当時は、「死」はもっと日常にあるものだった。特に、武士ならば常に半日先にはあるかもしれないもの。それだけに字面の意味が同じであっても、求められる覚悟は全く違う。そこから生まれる「生」の輝きも同じく全く違うものになる。
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安部龍太郎 『葉隠物語』 今、武士道が見直されている??? 小説好きの読者向け、葉隠れ入門書
「葉隠」については詳しくない。ただ、その語感にはつつましさに潜む熱い思いがある。いつのまにか失ってしまった日本人の美徳を象徴しているようで、引きつけられるところだ。時代小説では葉室麟が描いた『いのちなりけり』にあった葉隠には共感するところが多かった。
ところが一方で、最近評論家の語るあるべき国家論やあるべき日本人論のなかに、よくこの葉隠精神をみかけるのだが、そこにはなんとなく胡散臭いものを感じるのだ。どうやら現代人の立場からは適当につまみ食いができるあいまいな主張の寄せ集めのよう……