人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか

著 者:森博嗣
出版社:新潮社
出版日:2013年3月20日 発行 4月5日 2刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 何とも曖昧模糊としたタイトルだ。「私たちは」とかでなく「人間は」とやけに広範囲だし、「いろいろな問題」ではどんな問題のことだか分からない。「もう少し本の内容を具体的に表して欲しい」と思う人に、この本は新たな気付きをもたらしてくれる(かもしれない)。

 世間一般には、「具体的」が良くて、「抽象的」はダメなもの役に立たないもの、という意識がある。「もっと具体的に話せ」と言われる場面は多くても、「もっと抽象的に話せ」と言われたという話はなかなか聞かない。上に書いた「もう少し本の内容を具体的に...」というのも、それに沿ったものだ。

 ところが本書は、問題の解決のためには「抽象的な思考」が必要で、その思考を鍛えるにはどうしたらいいか?を書いたものなのだ。いわば世間一般の「具体的」信奉に楯突くもので、そういう考え方を知るのは「気付き」なのではないかと思ったのだ。

 本書の主張を要約する。例えば「抽象的」は曖昧な分カバーする範囲が広い。何かを買ってきてもらうのに、具体的な商品を指定すれば誤りは少ないが、その商品がなければ買ってきてもらえない。目的を伝えて「○○のようなもの」と抽象的に伝えれば、代わりのものを買ってきてくれるかもしれない。

 また「具体的」は「主観的」に通じやすい、という問題がある。原発の存廃や領土問題についての人々の反応が、本書執筆のきっかけの一つらしい。そこには主観の衝突が生じていて(というかそれしかない)、相手の意見を聞くことすらタブーだというのでは、解決の余地がない。

 さらに「もうちょっと考えよう」。著者に言わせれば「全然考えていない人が多すぎる」。いつからか私たちは、分からないことがあると「検索」するようになった。判断に迷う時にも「検索」。あなたの意見はあなたが「考えた」ものではなく「選択」したものじゃないですか?という指摘に、私は自信を持ってNoと言えない。

 最後に。著者は「スカイ・クロラ」他に多くのヒット作がある人気作家で、大学の助教授でもあったが、数年前にどちらも引退した。貯金が「一生かかっても使い切れない額」になったからだ。今は、ガーデニングと工作という趣味に費やす自由な暮らしをしている。「恵まれた暮らしをしているから、そんなことを言えるんですよ」という気持ちが勝ってしまうと、本書からは何も得られない。冒頭に「(かもしれない)」と書いたのは、そういう懸念からだ。

 この本は、本よみうり堂「書店員のオススメ読書日記」でも紹介されています。

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