15歳の寺子屋 ゴリラは語る

書影

著 者:山極寿一
出版社:講談社
出版日:2012年8月30日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 著者は、京都大学第26代総長で、ゴリラ研究の第一人者。本書は「15歳の寺子屋」というシリーズで、科学者や哲学者やスポーツ選手など、その道を究めた方々が、15歳という「大人への第一歩を踏み出す」人たちへ贈る言葉が記されている。

 15歳の人たちに対して、ゴリラの研究がどんな役に?という疑問は、まぁ、当然の疑問だ。カバーにはこんなことが書いてある。「人間がどういう生き物なのかを知りたいときに、よき鏡となってくれるのが、ぼくたちと祖先を同じくしているゴリラなのです

 続けて「恋と友情の間で悩むのは、なぜ?家族の役割って、なに?戦争をするのは、なぜ?自然が必要なのは、なぜ?そんな難しい問いに、ゴリラはヒントをくれます」 「大人への第一歩を踏み出す」人たちに話すにふさわしいテーマだと思うがどうか?

 著者の話は、著者がゴリラ一家にホームステイしていた時のことから始まる。そう、ゴリラの研究は、ゴリラ流あいさつとゴリラ語を学んで、群れと一緒に暮らして(ホームステイして)その生活を観察する。ここでは、若い6歳のゴリラと一緒に、木の洞で雨宿りした経験が紹介されている。

 その後、話は一旦著者の子ども時代に戻り、人間不信に陥った高校時代を経て、大学そして霊長類、ゴリラの研究に至る道程が語られる。最初はニホンザルの、次にゴリラのフィールドワークを経験する。ある時、その視線の使い方の違いを知って、人間は「ゴリラの世界の方に属している」と気付く。おそらく、この経験が「ゴリラを通してヒトを見る」ことにつながったに違いない。

 例として「ゴリラを通して見たヒト」を一つだけ。ヒトは食物を分けあって顔を合わせて食べるけれど、ゴリラはそうしない。というか、食物は争いの種になるので、ほとんどの動物は別々に食事をとる。これはどういうことか?著者の見解は「あえて食事をともにすることで、絆を確認し共感を深める」。人間にとってそれだけ「共感」は、必要なものだったのだ。

 最初に書いたように本書は、15歳の人たちへ書かれたもの。しかし、私のように50歳を疾うに過ぎても、分からないことだらけなのだから、こういう本を糸口にして考えを巡らせるのも悪くないと思う。

 最後に。もしこの本が気になったら、著者の近刊「ゴリラは戦わない」も読んで欲しい。

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