信州教育に未来はあるか

書影

著 者:山口利幸
出版社:しなのき書房
出版日:2014年12月22日 初版発行
評 価:☆☆☆(説明)

 まず最初に本書のタイトルにある「信州教育」について。長野県では「信州教育」という言葉は、単に「信州(長野県)の教育」を表すだけでなく、ある種の固有名詞として扱われる。たとえて言うと「九州男児」が単に「九州の男性」を表すだけでなく、その性格を意味の中に含むように。

 ただ「九州男児」とは違って「信州教育」は、その意味が曖昧になって、具体的に何を表すのか分からなくなってきている。それでも今も、この言葉が県民、特に教育関係者の口から出る時には「(かつてあった)素晴らしいもの」「信州だけにあるもの」という気持ちがこもっている。

 著者は前長野県教育長。平成18年10月から25年3月まで、長野県の教育行政の責任者であった人だ。著者の就任の以前から今日まで、教育と子どもたちを取り巻く環境は激変し、たくさんの問題が噴出した。本書はそれらを先頭に立って対処した著者が、職を離れた後に振り返り将来を展望したものだ。

 その問題とは。ネット依存・ネットいじめなど「ネットにからめ捕らわれる子どもたち」、激増する「キレる子どもたち」、モンスターペアレント、学力問題、学校の安心・安全、教員の能力の問題、その裏返しの教員と教育現場の苦悩...

 問題点がよく整理されているし、それに対する著者と長野県教育委員会の対応の説明も丁寧で分かりやすい。その意味では教育に関心のある方はお読みになるといいと思う。しかし本書には画期的な何かが書かれているわけではない。山積した問題に対するよく効く処方箋はない。「結局どうにもならないのか」という無力感を感じることになりかねない

 ただし著者に言わせると、このような無力感こそ打ち破るべきものらしい。「あとがき」の中の言葉が帯に踊っている。「それでも、子どもに賭ける。未来に賭ける。」あきらめることは見放すこと。自分たちの子どもを、自分たちの未来を見放してはならない。

 最後に。冒頭に書いた「信州教育」について。「信州教育」という言葉を、そろそろ手放したらどうかと思うことが時々ある。そんなものはもうないと思う。ただ「信州教育」という言葉を使えば、県民に当事者意識が芽生えるという効果はある。確かにこの言葉がなければ、私は書店で本書を手に取らなかっただろう。

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