5.ノンフィクション

もう、国には頼らない。 経営力が社会を変える

書影

著 者:渡邉美樹
出版社:日経BP社
出版日:2007年6月25日初版第1刷 7月9日第2刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 えみさんのブログ「Diary」で紹介されていた本。気になることがあって読んでみました。
 著者は、ご存じの方も多いと思いますが、居酒屋「和民」を運営するワタミ株式会社の社長・CEO。居酒屋の経営だけでなく、教育や病院、福祉・介護の分野でも活躍している。私は、安倍内閣の時に設置された「教育再生会議」の有識者委員としての発言で、特に注目するようになった。

 本書は、タイトルの通り、著者が学校、病院などの「公」の事業を手掛けるにあたって、国に頼らない「民」の経営手法を取り入れたことについて書かれている。いや、「公」の事業を「官」が行うことへの痛烈な批判とともに、「民」による「公」の事業の再生を訴えている。
 つまり、「官」による事業は、本当の顧客が誰かを忘れてしまって、子どもや患者や消費者のためではなく、学校や教師や病院や官僚や政治家のための事業になってしまっている、ということだ。そして、これを再生するためには、「民」による「経営」と「競争」が必要だとする。

 本書に言われていることは、すべて正論だと思う。ここで使った「正論」という言葉に「空論」だという意味合いは全くない。なぜなら、著者がこの正論でもって実際に事業を実践した事例で裏付けられているからだ。
 その意味では私は、本書を高く評価する。政治家も官僚もそして全国の経営者にも読んで欲しいと思う。

 しかし、私にはどうしても払拭できないわだかまりがある。冒頭に書いた「気になること」もでもあるんだけれど、それは著者が教育再生会議で「教育バウチャー制度」と「学校選択制」を推し進める発言をしていることなんです。

 教育(学校や先生)も競争によって切磋琢磨することでよりよいサービスが実現する。簡単に言えばそういう原理なんですが、教育に競争を持ち込むことには異論も多い。
 著者もそんなことは承知で、「すべてが競争で解決できるとは考えていない」「人口が少ない地方ではバウチャーは機能しにくいでしょう」と述べておられるし、過疎地の学校については、「当然セーフティーネットを作って守るべき」 とも言われています。
 ですから、著者自身はよ~くわかって発言されているのだとわかりました。これは、この本を読んだことの収穫の1つです。

ここから先は、書評ではなく、バウチャー制度とわが街のことについて書いています。
興味のある方はどうぞ

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(さらに…)

ぼくには数字が風景に見える

書影

著 者:ダニエル・タメット 訳:古屋美登里
出版社:講談社
出版日:2007年6月11日第1刷 7月10日第2刷
評 価:☆☆☆(説明)

 著者は、サヴァン症候群とアスペルガー症候群という脳の障害を持っているロンドンの生まれの30歳の男性。巻末の解説によると、サヴァン症候群の人は、記憶、計算、芸術などの領域において超人的な才能を発揮する。
 実際、著者は、円周率を22,514桁暗証することができ、驚異的なスピードで言語を習得することができ(例えば、アイスランド語を1週間で)、10ヶ国語を自在に操る。その他にも、カレンダー計算や、ある数が素数かどうかの判断などが一瞬でできる。我々の想像をはるかに超えた「天才」なのだ。

 しかし、彼のことをただ「天才」と呼ばないのは、アスペルガー症候群でもあって、対人関係を築くのが難しかったり、予想外の出来事にうまく対応できなかったりするからだ。
 さらに、彼の素晴らしい能力でさえ、大多数の我々のような「普通の人」(こういう言い方は不適切かもしれないが)とは、脳の働き方が違うという意味では「異常」なので、脳の機能障害とされるからだ。

 本書は、そういった背景を持つ著者が、自分の幼年時代から現在までを克明につづった回想録だ。もちろん、さまざまな出来事があり、苦悩することもあり、ドラマチックでさえある。しかし、正直に言って、赤の他人の自分史を読んでいるわけで、「私はいったい何のためにこの本を読もうと思ったのか?」という気分になってきた。あるところまでは。
 気分が変わるのは、彼が単身東欧の国へ10か月のボランティアに出かけるあたりから。そんなことして大丈夫なのか?しかし、著者自身が本書の中で述べるように、彼はこのことのよって、新しく生まれ変わったようになる。

 読み終わって思い返すと、本書は、ある特殊な障害を持った人間の自己革新ともいえる成長の記録だと分かる。それは、同じ障害を持つ人やその周囲の人々に勇気を与える。そして、我々「普通の人」にも勇気を与える。
 「あんな障害を持った人でさえ...」という言い方は、差別意識を含んでいるのかもしれないけれども、そんな感想が私の心を奮わせた。

 最後に1つ。彼の両親のことを。
 彼の両親は、彼を含めて9人の子どもを育てた。想像するに、とても手間のかかる子どもだったに違いないのに、他の兄弟姉妹と共に、惜しみなく愛情をかけ、さらには、彼の決断を尊重して海外へ送り出した。
 さらに特筆すべきは、彼の両親は彼の病気についての知識はなかったことだ。他の子どもとは違っているように感じられる自分の子どもを、普通の親として育てた。素晴らしい。

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人類が知っていることすべての短い歴史

書影

著 者:ビル・ブライソン 訳:楡井浩一
出版社:日本放送出版協会
出版日:2006年3月25日第1刷
評 価:☆☆☆(説明)

 著者は、ユーモアのある旅行記を書く作家として有名だそうだ。物書きとしては一流であることの証だが、科学については門外漢。その著者が、3年の月日をかけて科学界の重鎮を含む多数の専門家を取材して、人類がこれまでに解明してきた科学の成果を語る。
 テーマは、宇宙のあり方から、45億年あまりの地球の歴史の様々な分野にわたる。相対性理論や量子力学などの物理学はもちろん、生命の誕生や進化論、小惑星の激突やプレートテクトニクス、恐竜の絶滅と人類の起源、その他の科学の様々な発見と、ほぼ文字通りの「すべて」の歴史だ。(原題は「A Short History of Nearly Everything」,ほとんどすべて と少し控え目だ。)

 これだけの内容の豊富さだから当然と言えば当然だが、600ページを超える大書だ。読み通すにはそれなりの時間と根気が必要だ。著者がいかに平易に書く努力をしてくれたとしても、テーマがテーマだけに難しい内容であることに違いないから、なおさら根気が必要になる。

 しかし、それでも本書は思いの外読める。(私も何度か睡魔に襲われながらも結局読み通した。)それは、本書が科学的事実の解説ではなく、その解明に至る経緯と、それに関わる人に焦点を当てているからだ。
 紹介される研究者の多くは、その変った言動と共に紹介される。塩素、フッ素、マンガンなどを発見したある科学者は、研究材料を何であれ舐めずにはいられない性格だった。ある極限状態の研究者は、酸素濃度が人体に与える影響を調べるために、自分はおろか家族や周辺の人々を次々に減圧室に放り込んだ。実験中に痙攣を起こした妻は、発作が治まった後、夕食の支度のために家に帰された。という話が盛りだくさんに紹介されている。

 また、科学というのは新しい発見がなかなか認められないらしい。その発見が既成の学説を否定するとなればなおさらだ。プレートテクトニクスは今でこそ主流の学説だが、広く認められるようになったのは、1960年代の後半だ。
 それまでは、大陸が移動している証拠として、遠く離れた大陸に生息する同種の動植物が次々と発見されると、科学者たちは大陸のどこにでも陸橋を懸けてこれを説明しようとしたと言う。アインシュタインも反対の立場を表明して、その誤りに気付かないまま亡くなっている。
 こうしたことを、現代から過去を見て笑ってばかりはいられない。20年ぐらい後になって、「わずか20年前には、人が猿から進化したと本気で思っていたんだ」と言われているかもしれないのだから。

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最初のヒト

書影

著 者:アン・ギボンズ 訳:河合信和
出版社:新書館
出版日:2007年8月25日初版第1刷
評 価:☆☆☆(説明)

 「最初のヒト」化石の発掘をめぐる、化石ハンター達の仕事と成果が、詳細に、時に生々しく語られている力作。特定の分野に焦点を当てた著作によくあるように、専門家から見れば色々と異議はあるのだろう。
 しかし、専門家ではない私から見れば、理解できない専門用語の行列に悩まされることまく、「人類の祖先をめぐる数多くのことを知ることができたし、何より十分に楽しめた。専門書ではなく一般の図書として出版されている以上、専門家でない人が楽しめることが第一に大切だと思う。
  謝辞に70人にもおよぶ研究者の名前が並ぶので分かるように、膨大な取材の上に本書は成り立っている。科学誌「サイエンスの」主席ライターだからこそできたとも言えるが、これだけの深い内容を引き出した取材は、並大抵のものではない。

 正直に言えば、この本を手に取ったのは、人類の歴史についてのドラマを期待していた。いつごろ、どこで、どんな姿で、どんな生活をしていたか。多少乱暴でも、少しばかり科学の味付けがあれば、好奇心を満たす面白い読み物になるだろうから。
 だから、最初は少し面食らった。その分野では著名なのだろうけれど、門外漢は知らない名前が次々でてきて、拾った化石を見比べてどうだった、ということの繰り返し。
 しかし、人物の輪郭がおぼろげに把握できるようになると、これが実に面白い人間ドラマであることが分かる。化石ハンターたちの駆け引きや、ねたみ、アフリカの政治家を巻き込んでの確執、人類の祖先の創作ドラマより断然面白いではないか。
 それぞれの化石ハンターたちが、自分を信じて調査にすべてをかけている。顎骨の化石を見つけるのに1年や2年はザラだ。いや、見つかればよし、見つからないほうが圧倒的に多いのだろう。そんな彼らが魅力的な人々に見えてくる。

 好奇心という意味では、色々なことが本書を読んで分かった。ヒトと類人猿の境界は、「直立二足歩行」にあること。頭蓋骨の化石があれば、直立二足歩行をしていたかどうかの推定ができること。そして多くのこの分野の化石は、頭蓋骨さえそろってはなく、顎骨や中には歯だけ、というのもあること(実際歯だけでどこまで何が分かるのか、というのは本書を読んで解説を受けた後でも疑問なのだが)。ヒトの祖先は、今や700万年も遡るとされていること。今はホモ・エレクトスと言われているピテカントロプス・エレクトスは「ピテク」(猿)+「アントロプス」(ヒト)+「エレクトス」(直立した)というラテン語の造語だということ。

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アトランティスの暗号

書影

著 者:コリン・ウィルソン 訳:松田和也
出版社:学習研究社
出版日:2006年9月15日第1刷
評 価:☆☆(説明)

 古代文明の謎を追う、グラハム・ハンコックの著作と通底する作品。(通底するだけではなく、ハンコックその人や著作も登場する)

 著者の言わんとすることはこうだ。エジプトやマヤその他の古代文明には、現代以上の知識と技術が認められる。しかし、それらはエジプト人やマヤ人が発明、発見したものではなく、約一万年前に水没したアトランティスを通じて更に遡り、10万年前の高度に発達した文明を共通の源としたものである。その証拠はいたるところに残っている、と。

 この手の本は好き嫌いはあるだろうが、多少展開が強引でも少し信じがたい面があっても、読者の方もそういったことは織り込み済みで読むので、「可能性としてはアリかも?」と思わせてくれればOKだと思う。
 その点では私はOKなのだが、この本には別の問題があって、どうも私には合わなかった。何かと言うと内容が散漫なのだ。エジプトやマヤ文明、地殻の変動、大洪水などは1つの流れの中で語ることができるだろう。
 しかし、麻薬物質を使ったシャーマンの幻覚や、フリーメーソン、イエスの血脈などの話まで出てくる。非常に多作な著者とのことで、自分の知っている、世間の常識から少し外れた好奇心をくすぐるような話を詰め込んだという感じで、途中から何の本なのか分からなくなってしまった。

 しかも、収められている話の多くは、○○の著作「□□」にはこうある….とか、○○の報告によると…とか、他の人の研究の引用が占める。著者には大変な侮辱かもしれないが、あまり出来のよくない学生のレポートのようだ。これでは、古代文明の研究書ではなく、古代文明の研究を調査した報告書だ。

 しかし、1つだけ、著者自身の主張とも言えるものがある。それは、超古代文明は精神文明とも言えるものだったこと。現代文明のように、電気機械や蒸気機関などの物質的な発明は行わなかったが、彼らは高度な科学を理解することができた。我々が失ってしまった「全体を認識する能力」によって。
 余談だが、本書に24桁の素数を言い当てる知的障害を持つ双子の女の子の話が出てくる。数値を1つづつ検証する方法ではこうしたことはできない。おそらく、全体を捉えて細部へ向かう方法を取っているのであろう。人類の脳にはそうした能力が内在している、と言えるのではないか。

 現代文明が、様々な発明、発見によって便利で長生きできる世の中を作ったことは確かだろうが、同時に多くの問題を抱え込んでしまった。核兵器や環境問題は、自らの生存さえ脅かしてしまっている。「全体を認識する力」によって、そうした未来が見えていたのなら「あえて発明しない」という選択肢もあったかもしれない。

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ローマ人の物語15 ローマ世界の終焉

書影

著 者:塩野七生
出版社:新潮社
出版日:2006年12月15日発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 ローマの歴史を綴る全15巻の完結。
 本巻は、ローマが東西に分裂して別の皇帝が治めるようになる395年から、476年に西ローマ帝国が滅び、その後東ローマ帝国による領土の回復のための100年間を描いて終わる。
 この後は、1453年のオスマントルコによるコンスタンティノープルの陥落まで、約1000年間も東ローマ帝国ないしビサンティン帝国は続く。しかし、塩野氏はこれを含めない形で「ローマ人の物語」とした。

 後世の歴史家の評として、帝国滅亡の70年前に亡くなったスティリコという蛮族出身の将軍を「最後のローマ人」としたのは、塩野氏の考えでもあるのだろう。ローマ人とは、ローマ市民である以上に、その姿勢(スタイル)までローマ的であるべきだ、と言うのである。
 確かに東ローマ帝国は、あまりにオリエント的であるし、カトリックの考えのためか排外的でもある。また、ローマという都市なしでのローマ帝国はあり得ない、とも言う。確かにそうであろう。地中海を内海とする歴史に類を見ない帝国であり、ローマはそのカプト・ムンディ(世界の首都)であったのだから。

 それにしても、本巻の主役たちが全員軍人であるのはどうしたことだろう。皇帝は、宮中深くでろくなことをしない存在としてしか描かれていない。
 ローマは王政、共和政、帝政を通して、有能なリーダーが支えた帝国ではなかったかと思う。最終巻の主役が全員軍人になってしまったということは、帝国末期には、皇帝がリーダーでなくなってしまっていたことを表しているのだろう。

 西ローマ帝国は、壮絶な戦いの末に滅んだのではなく、蛮族出身の将軍に皇帝が退位させられ、その後の皇帝が選ばれなかった、というだけなのだ。滅亡でなく消滅、気が付いたら無くなっていた。歴史に類を見ない大帝国の最後にしては、あまりに情けない。

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ローマ人の物語14 キリストの勝利

書影

著 者:塩野七生
出版社:新潮社
出版日:2005年12月30日発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 キリスト教徒から「大帝」と呼ばれるコンスタンティヌスの死の年の337年から397年のテオドシウス帝の死までの60年間のローマの歴史。
 15巻の予定のシリーズだから残すはあと1巻。この巻の最後でローマ帝国は東西に分裂する。そして一方の西ローマ帝国が滅亡する476年まであと80年。ボロボロと崩れ落ちる音が聞こえてきそうな中身の濃い1巻だ。

 著者によれば、ローマ帝国は崩壊ではなく溶解する。少なくとも宗教的には多神教を国の宗教としていたローマ人が、キリスト教徒になってしまう。対決して負けたわけではなく、変質してしまった。このことが、サブタイトルの「キリストの勝利」につながっている。

 この巻では、皇位継承の安定から考え出された世襲制がほころびる。コンスタンティヌスの死後、葬儀の直後に親族の4人が殺され、息子3人による分割統治が行われる。しかし、それも1人死に、2人死にして、副帝になったいとこまでも処刑されるというありさま。同じぐらいの力と正統性を持った複数の者が並び立つことはでいないのだろう。血のつながりが不幸を招く。

 この巻の主役はユリアヌスだろう。生き様が劇的だ。コンスタンティヌスの死後の大粛清時には6才だった皇帝の甥は、父を殺され兄とともに幽閉される。18年後に学究生活から呼び戻され、副帝、正帝となっていく。しかもこの時代、キリスト教へとひた走るローマ帝国の流れを、ただ一人押し留めようとした皇帝だ。彼を主人公とした物語がいくつかあるそうだが、いつか読んでみたいと思った。

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検証 松本サリン事件報道

書影

著 者:テレビ信州
出版社:龍鳳書房
出版日:2001年3月4日発行
評 価:☆☆☆(説明)

 オウム真理教が係争中の裁判の裁判官の殺害を目的として、住宅街に猛毒のサリンを噴霧し、7人が死亡、数百人が被害を受けた「松本サリン事件」の報道を巡る顛末記。
 当初、第一通報者の河野義行さんが犯人視されていた。報道各社もこぞって、河野さんが犯人であるという前提で報じていた中で、テレビ信州は「裏付けの取れない情報は報道しない」という方針の下で、「農薬の調合ミスで毒薬を発生させてしまった」などの報道を行わなかったそうだ。同社は、この事件報道を端緒に、メディアリテラシーというものの活動を進めていくことになる。

 まぁ、他の報道と比べると、テレビ信州の姿勢は格段に良かったと言える。しかし、内実は英雄視するようなものではなく、限られたスタッフと取材能力のために、なかなか情報が得られない中で、他と同じような見切り発車をしなかった、ということらしい。
 本書は、当時の現場の様子が伝わって来て面白い読み物になっている。その一方で、現場の細かい動きが明らかになるに従って、背筋が寒くなる思いも募る。河野さん犯人説を疑うべき事実は、いくつも明らかになっていたらしい。にも関わらず、地下鉄サリン事件まで、その疑いは晴れなかった。警察は人権を軽視した取調べを行っていたようだ。ジャーナリズムは何をしていたのか、がもっと検証されるべきだと思う。ジャーナリズムが明らかにすべきは真実であり、戦うべき相手は悪と、市民に敵対する公権力だったはず。
 誰かを標的にしてたたきまくるような報道は今も続いている。報道各社は、この事件について、それぞれ反省や謝罪を口にしたが、進歩はしていないようだ。

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複雑な世界、単純な法則 ネットワーク科学の最前線

書影

著 者:マーク・ブキャナン (訳:阪本芳久)
出版社:草思社
出版日:2005年3月3日発行
評 価:☆☆☆(説明)

 世界のさまざまな複雑な事象を、ネットワークの観点から論じる「ネットワーク科学」の解説書。ネットワーク科学は、物理学、生物学、経済学などの多くの学問に通じる。例えば、物理学では従来は、物質の成り立ちを極限まで小さな構成要素に分解し、個々の要素の性質と働きを調べることで、全体を理解しうるとする「還元主義」の立場であった。こういったアプローチの仕方が科学的であるとされ、生物学でも経済学でも、こういった方法が試みられてきた。しかし、この方法では、生物の複雑な働きや社会現象などを説明し切れない。要素とその間の相互作用を理解して初めて説明することができる、というのが、ネットワーク科学である。

 本書では、さらに「スモールワールド理論」を中心に取り上げ、その例として人と人とのつながり、脳のニューロン、インターネット、生態系、河川のパターン、感染症の流行など多くのものを挙げている。スモールワールドとは、あるパターンのネットワークによって、多くの要素がつながることで、どの2つの要素も非常に少ない隔たりでつながるというもの。
 人と人とのつがなりで言えば、地球上の60億の人口は、どの2人の間も6次の隔たりしかないという。ここでは、弱いつながりが重要になる。ただの知り合い、という弱いつながりがあるから、60億もの人が6次の隔たりでつながるのだ。
 感染症も流行も、弱いつながりを経ることで、広範に広まる。そしてこのスモールワールドは全くの自然に発生する。多くのリンクがあるところに更に多くのリンクが集まるという形で形成されていく。

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ローマ人の物語13 最後の努力

書影

著 者:塩野七生
出版社:新潮社
出版日:2004年12月25日発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 1200年に及ぶローマの歴史で、ディオクレティアヌス帝とコンスタンティヌス帝の3世紀後半から4世紀初めにかけての物語。コンスタンティヌス帝の死後60年で帝国は東西に分断され、その80年後には西ローマ帝国は滅亡してしまう。終焉間際だ。
 ディオクテティアヌス帝からを専制君主制と言うそうだ。ローマの歴史は、伝説時代を含めた王政の後、約500年の共和政、アウグストゥスから始まる帝政と続く。本書の前100年ぐらいは、軍人皇帝の時代と言われる。終身の位である皇帝においては、リコールとは殺されることを意味する。皇帝が殺されては軍隊が新しい皇帝を擁立する、といったことが繰り返され、混乱した時期だ。

 ディオクレティアヌスは、それに終止符を打つため、皇帝の地位と権力を高めた。人々や兵士から遠い存在にすることで、地位の保全を図った。また、帝国の統治を分担制にした。皇帝を4人にして地域分担して統治した。(この分担の地区分けで面白いのが、イタリアと北アフリカが同じ地区であること。地中海が境界線ではなく、通路として考えられていた)この政策は中々うまく機能した。ディオクレティアヌスの時代1代限りは。
 次のコンスタンティヌスは、キリスト教を公認したことで有名だ。しかし、そのことで有名なミラノ勅令は、キリスト教を国教にしたのではなく、「キリスト教の他の宗教と同じように、信じるのは自由だよ」と言ったに過ぎないらしい。統治の道具としてキリスト教を公認したのではないか、という著者の分析は的を射ていると思う。
(ダヴィンチコードにもそのようなくだりがあったように思う。)

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