51.塩野七生

日本人へ リーダー篇

著 者:塩野七生
出版社:文藝春秋
出版日:2010年5月20日 第1刷 5月30日 第2刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 本書は、月刊誌「文藝春秋」の2003年6月号から2006年9月号までに連載された、著者のエッセイ40編をまとめた新書。最初の記事は「イラク戦争を見ながら」。その年の3月に米国がイラクに侵攻した。最後の記事は「「免罪符」にならないために」。小泉元総理の勇退を飾った「サンクトペテルブルグサミット」とその後のことが書かれている。こう書けば、このエッセイが書かれた時代のことをおぼろげにでも思い出せただろうか。

 月刊誌への連載ということもあって、多くは時事問題を扱っている。衆院選や自民党の総裁選、郵政民営化などの政治問題にも切り込む。さすがに選挙結果の予想などは「専門ではない」として避けてはいるが、それでもこういった文章を数年後に出すのは勇気がいるだろう。その時々には正しいと思っていても、後年の評価ではそれが覆ることもままあるのだから。
 ただこのことについては著者には強い自負があるらしい。後半の記事「知ることと考えること」に、「事後に読まれても耐えられるものを書くのは、私自身にとっても、実に本質的な問題なのである」と書いてある。これは、現在の報道への苦言の文脈の中で書かれているのだけれど、そもそも原稿を発売日の20日前に書かなくてはならないという、この雑誌の連載自体が「事後に読まれても..」を内包していたのだ。

 軍事大国でもあったローマの歴史をベースとした著者の思考には、戦争や戦争被害に対する割り切りがあり、違和感を感じる方もいるだろう。私もちょっと「そういう考えはあんまりなんじゃないの?」と思った部分もある。しかし大部分は、非常に鋭い洞察だと思うし共感することも多かった。
 その1つは「なぜか、危機の時代は、指導者が頻繁に変わる」という意見。これはローマ史の五賢帝時代の後、三世紀に入って皇帝の在位期間が平均して4年と短くなったことを踏まえている。危機の時代は民衆の不満も大きく、こらえ性なく指導者をすげ替えるが、それがかえって国の安定を失わせる。
 念のために書き添えると、これは2003年10月号の記事。第1次小泉政権が900日も続いていたころだ。それでも著者は、自民党の総裁選を控えて政策の継続性を懸念してこの記事を書いたのだ。さて2010年の今、小泉元総理の後は、安部元総理から4代の総理が現れたが、その在職期間は平均して339日、1年間もない。

 この後は書評ではなく、この本を読んで考えたことを書いています。お付き合いいただける方はどうぞ

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(さらに…)

ローマで語る

著 者:塩野七生 アントニオ・シモーネ
出版社:集英社インターナショナル
出版日:2009年12月9日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 塩野七生さんの対談集。そして対談相手のアントニオ・シモーネさんは、塩野さんの息子さんだ。実に異色の著作と言うべきだろう。塩野さん自身が、巻頭で何よりも最初に「最初にして最後」と書かれたことからも、「これは特例中の特例」という意識が伝わってくる。
 「特例」が実現した裏には、編集者の勧めあるいは意向があったようだが、とにかく塩野さんはプライベートの露出とも言えるこの企画を受けた。「仕方ないなぁ」というポーズは見てとれるが、息子との対話が「うれしくて仕方ない」感じが、全編にわたってにじみ出している。

 「これは特例」「でもうれしい」そんな母の気持ちを知っているのかいないのか、アントニオさんはマストロヤンニのドキュメンタリー映画での娘へのインタビューを「父親としてのマストロヤンニは、他の多くの父親と何ら変わりない」のだからつまらない、と切って捨ててしまう。母親としての塩野七生はどうなのだ、と返ってくる問いを予見しての発言だとしたら、脱帽モノだ。
 そして、本書が「著名な作家の息子との語らい」でしかないのであれば、私も同じようなことを、例えば「作家としての塩野七生は好きだけれど、母親としては別に興味ない」とでも言っただろう。実は私は、学生の時から25年来の塩野ファンで、著作のほとんどを読んでいるのだが、本書は長い間放置していた。それは、そんな結果になることを危惧していたからだと思う。

 ところが本書は本当に予想に反して、読んでいて実に楽しかった。31章からなる母子の対話は、1つの例外を除いて、古今東西の映画を話題にしている。これは、塩野さんが「書物と映画は同格」と育てられ、同じ教育を息子にも与えて数多くの映画を観ていることと、アントニオさんが末端とは言え映画制作の現場でお仕事をされていたためだ。
 お二人の映画についての知識と想いがハンパではなく、アントニオさんが披露するハリウッドとイタリアの映画界の裏話もアクセントとして効いている。30編の対話で130余りの映画が俎上に上るのだけれど、私は「あぁ映画が観たい」という激しい飢餓感を感じた。ものすごく美味しそうな料理の本を見て、猛烈にお腹が空いてしまったような感じだ。

 最近の作品もあるけれど、60~70年代の映画が数多く紹介される。学生時代に、下宿近くの500円で1日居られる映画館に足を運んでいた頃に観た映画と、観ようと思っていたのに観なかった映画の名前を見て、当時を思い出してしまった。(京都の「京一会館」の名前に覚えがある方はいらっしゃいませんか?)

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ローマ亡き後の地中海世界(下)

著 者:塩野七生
出版社:新潮社
出版日:2009年1月30日発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 上巻が、西ローマ帝国の滅亡後の6世紀から15世紀までの地中海世界を、イスラムの海賊の横行とそれに対するキリスト教社会の対応を描いたものだった。下巻の本書は、ビサンチン帝国(東ローマ帝国)の滅亡後の16世紀のイスラム+海賊とキリスト教社会の攻防を描く。一見すると年代が下っただけに見えるが、実は大きく対立の構図が異なっている。
 下巻では、海賊の頭目たちはトルコのスルタンによって、トルコ海軍の総司令官に任命される。キリスト教社会も、スペインやヴェネチアといった強国がそれぞれの海軍を派遣してこれに対抗する。つまり、以前は個々の海賊行為とそれに対する対応策であったものが、16世紀には強国間のパワーゲームの時代に突入したということだ。
 「強国間」と言ったが「トルコ対その他の国」という単純な構図ではない。国がプレイヤーとして登場するようになって、政治的な駆け引きが渦巻く三つ巴、四つ巴の複雑なゲームになった。こうした駆け引きを書かせれば、著者はやっぱりウマい。上巻よりもこの下巻の方がはるかに面白く読める。

 トルコと西欧社会の攻防はとても面白い、詳しい内容は読んでもらうとして、読んでいてつくづく思うのは、大国のエゴと宮仕えの哀しさだ。フランス王はスペインに対抗意識を持っているし、スペインはヴェネチアの利益につながることは徹底して避ける。たとえ、トルコの侵攻に対して西欧の連合軍として戦っている最中でもだ。ヴェネチアだって、利があればトルコと単独で講和を結ぶことだってする。
 それから、スペインやトルコの宮廷官僚が最高司令官に任命される例が結構多いのだが、彼らの絵に描いたような凡庸さが笑えない。目的地に着く前に病気や海賊の襲撃で2000人もの兵士を失っても、王からの命令がない限り作戦は続行、でも何人失ったかは知りたいので、数えるためだけに13日も全軍を停止する、といった具合。そんな不手際が重なって大敗を喫して本人はこっそり逃げ出す始末だ。
(私の職場でもたくさんの集計資料を作ります。上司がさらにその上司から聞かれた時にすぐ答えられるように、念のために用意しておく集計、なんてものもありました。そんなものを作っている間、現場は停滞と混乱の極みです。...失礼、これは余談でした。)

 最後にちょっと気になったこと。この16世紀には、様々な出来事が地中海世界で起きていて、著者としてはそれぞれに思い入れもあるのだけれど、本書で全部を書くことはムリ。そこで「これについては、□□を読んでもらうしかない(□□は著者の著作の名前)」という一文が挿入されるのだが、これが目ざわりなぐらいに多いように思った。

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ローマ亡き後の地中海世界(上)

著 者:塩野七生
出版社:新潮社
出版日:2008年12月20日発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 古代ローマの建国から西ローマ帝国の滅亡までの1200年間の歴史を、「ローマ人の物語」として、1992年から毎年1巻ずつ15巻を費やして描ききった著者による、地中海世界のその後の出来事だ。
 シリーズは15巻で完結ということになっているが、表紙デザインも共通性を感じるし、描かれている歴史は連続しているのだから「続編」ということで良いだろう。シリーズの後半は毎年12月に出版されたので、私の読書の年末から年初の読み物として定着していた。この習慣が1年のブランクを経て復活した感があり、大変うれしい。

 本書は「ローマ人の物語」のような年代記の形ではない。もっともこの時代は、地中海の南側からジブラルタル海峡を越えてイベリア半島まではイスラム化し、北側は大小様々な国家に分断され、東側にはビサンチン帝国があるものの領土保全に汲々としている状態。皇帝や元首を基に年代順に出来事をまとめることは難しい。
 そこで、上下巻の上巻である本書では、年代としては6世紀から15世紀までの長きに渡るが、テーマを強大な帝国が制海権を失ったあとに跋扈した「海賊」に絞って、この時代のあり様が描かれている。島国に住む我々には海は境界という意識が強いが、航海術に秀でたローマ人にとっては、地中海は内海の通行路だった、とは著者の卓見だと思うが、この時代は地中海が、国家や宗教の境界線または障壁になった時代ということになる。

 相変わらず淡々と出来事を記していくやり方は、人によっては読むのに辛いかもしれない。逆に、書いてある出来事は著者の目(主観)を通して見た脚色も加わっていて、歴史的事実とは言い難い、という批判があることも知っている。
 それでも、私は著者の目を通した歴史物語が好きだ。それは、皇帝であれ庶民であれ、悩んだり怒ったりする人間の行いに焦点を当てた歴史だからだ。事実を書くには「○○年に□□が△△した。」という方法が最適なのだろう。しかし、それでは本書で語られている、イスラムの海賊による多数のキリスト教徒の拉致や強制労働、それに対抗するキリスト教世界の動きと、無名の人々による何世紀にも渡る救出劇を、こんなに活き活きとは伝えれらなかったと思う。やはり、著者は非凡な語り手である。

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ローマ人の物語15 ローマ世界の終焉

著 者:塩野七生
出版社:新潮社
出版日:2006年12月15日発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 ローマの歴史を綴る全15巻の完結。
 本巻は、ローマが東西に分裂して別の皇帝が治めるようになる395年から、476年に西ローマ帝国が滅び、その後東ローマ帝国による領土の回復のための100年間を描いて終わる。
 この後は、1453年のオスマントルコによるコンスタンティノープルの陥落まで、約1000年間も東ローマ帝国ないしビサンティン帝国は続く。しかし、塩野氏はこれを含めない形で「ローマ人の物語」とした。

 後世の歴史家の評として、帝国滅亡の70年前に亡くなったスティリコという蛮族出身の将軍を「最後のローマ人」としたのは、塩野氏の考えでもあるのだろう。ローマ人とは、ローマ市民である以上に、その姿勢(スタイル)までローマ的であるべきだ、と言うのである。
 確かに東ローマ帝国は、あまりにオリエント的であるし、カトリックの考えのためか排外的でもある。また、ローマという都市なしでのローマ帝国はあり得ない、とも言う。確かにそうであろう。地中海を内海とする歴史に類を見ない帝国であり、ローマはそのカプト・ムンディ(世界の首都)であったのだから。

 それにしても、本巻の主役たちが全員軍人であるのはどうしたことだろう。皇帝は、宮中深くでろくなことをしない存在としてしか描かれていない。
 ローマは王政、共和政、帝政を通して、有能なリーダーが支えた帝国ではなかったかと思う。最終巻の主役が全員軍人になってしまったということは、帝国末期には、皇帝がリーダーでなくなってしまっていたことを表しているのだろう。

 西ローマ帝国は、壮絶な戦いの末に滅んだのではなく、蛮族出身の将軍に皇帝が退位させられ、その後の皇帝が選ばれなかった、というだけなのだ。滅亡でなく消滅、気が付いたら無くなっていた。歴史に類を見ない大帝国の最後にしては、あまりに情けない。

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ローマ人の物語14 キリストの勝利

著 者:塩野七生
出版社:新潮社
出版日:2005年12月30日発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 キリスト教徒から「大帝」と呼ばれるコンスタンティヌスの死の年の337年から397年のテオドシウス帝の死までの60年間のローマの歴史。
 15巻の予定のシリーズだから残すはあと1巻。この巻の最後でローマ帝国は東西に分裂する。そして一方の西ローマ帝国が滅亡する476年まであと80年。ボロボロと崩れ落ちる音が聞こえてきそうな中身の濃い1巻だ。

 著者によれば、ローマ帝国は崩壊ではなく溶解する。少なくとも宗教的には多神教を国の宗教としていたローマ人が、キリスト教徒になってしまう。対決して負けたわけではなく、変質してしまった。このことが、サブタイトルの「キリストの勝利」につながっている。

 この巻では、皇位継承の安定から考え出された世襲制がほころびる。コンスタンティヌスの死後、葬儀の直後に親族の4人が殺され、息子3人による分割統治が行われる。しかし、それも1人死に、2人死にして、副帝になったいとこまでも処刑されるというありさま。同じぐらいの力と正統性を持った複数の者が並び立つことはでいないのだろう。血のつながりが不幸を招く。

 この巻の主役はユリアヌスだろう。生き様が劇的だ。コンスタンティヌスの死後の大粛清時には6才だった皇帝の甥は、父を殺され兄とともに幽閉される。18年後に学究生活から呼び戻され、副帝、正帝となっていく。しかもこの時代、キリスト教へとひた走るローマ帝国の流れを、ただ一人押し留めようとした皇帝だ。彼を主人公とした物語がいくつかあるそうだが、いつか読んでみたいと思った。

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ローマ人の物語13 最後の努力

著 者:塩野七生
出版社:新潮社
出版日:2004年12月25日発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 1200年に及ぶローマの歴史で、ディオクレティアヌス帝とコンスタンティヌス帝の3世紀後半から4世紀初めにかけての物語。コンスタンティヌス帝の死後60年で帝国は東西に分断され、その80年後には西ローマ帝国は滅亡してしまう。終焉間際だ。
 ディオクテティアヌス帝からを専制君主制と言うそうだ。ローマの歴史は、伝説時代を含めた王政の後、約500年の共和政、アウグストゥスから始まる帝政と続く。本書の前100年ぐらいは、軍人皇帝の時代と言われる。終身の位である皇帝においては、リコールとは殺されることを意味する。皇帝が殺されては軍隊が新しい皇帝を擁立する、といったことが繰り返され、混乱した時期だ。

 ディオクレティアヌスは、それに終止符を打つため、皇帝の地位と権力を高めた。人々や兵士から遠い存在にすることで、地位の保全を図った。また、帝国の統治を分担制にした。皇帝を4人にして地域分担して統治した。(この分担の地区分けで面白いのが、イタリアと北アフリカが同じ地区であること。地中海が境界線ではなく、通路として考えられていた)この政策は中々うまく機能した。ディオクレティアヌスの時代1代限りは。
 次のコンスタンティヌスは、キリスト教を公認したことで有名だ。しかし、そのことで有名なミラノ勅令は、キリスト教を国教にしたのではなく、「キリスト教の他の宗教と同じように、信じるのは自由だよ」と言ったに過ぎないらしい。統治の道具としてキリスト教を公認したのではないか、という著者の分析は的を射ていると思う。
(ダヴィンチコードにもそのようなくだりがあったように思う。)

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ローマ人の物語12 迷走する帝国

著 者:塩野七生
出版社:新潮社
出版日:2003年12月15日発行 12月20日第2刷
評 価:☆☆☆☆☆(説明)

 15巻で完結予定のローマの歴史をつづる12巻目。211年のカラカラ帝の即位から284年のカリヌス帝の謀殺までの73年間の歴史。
 タイトルの通り、ローマ帝国の迷走ぶりが描き出されている。現役の皇帝が捕らえられてしまったかと思うと、帝国の西(ガリア)と東(シリア)でそれぞれ独立運動があり、帝国は3つに分断されてしまう。その間にも北方のゲルマン民族は、絶え間なく侵入してくるといった始末。
 そして、何よりも迷走を表しているのは、この73年間の間に22人もの皇帝が即位しては消えていること。ローマの皇帝は終身であるから、全員が皇帝になってまもなく死んでいるわけだ。それも、何かをやり遂げる前に殺されることが多い。良い政治を行っていてもつまらないことで殺されてしまう。3つに分断されたローマ帝国の再統合を成し遂げたアウレリアヌスは、厳しく叱った秘書に殺されてしまう。もう少し長く皇帝を務めていれば、ローマを再興したかもしれない。歴史で「もし...」は言っても仕方のないことだけれど。
 わずか100年足らずの間に、仮にも皇帝になるような人材を次々と失っては、如何に当時の世界帝国であっても、人材の枯渇を招かずにはいられなかっただろう。

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ローマ人の物語11 終わりの始まり

著 者:塩野七生
出版社:新潮社
出版日:2002年12月10日
評 価:☆☆☆☆(説明)

 古代ローマの歴史1000年をつづる連作の第11作目。
 15巻で完結の予定であるし、前753年から1000年の歴史ということは、395年のローマ帝国分裂か、476年の西ローマ帝国の滅亡まで、ということだろうから、161年就位のマルクス・アウレリウス帝から211年退位のセヴェルス帝までのこの巻は、もう終盤である。
 マルクス・アウレリウス帝は、五賢帝と呼ばれるローマの最盛期を飾る皇帝たちの最後の人である。だから、タイトルが「終わりの始まり」。実に簡にして要を得たタイトルである。
 この時代から、ローマ帝国は軍事帝国化し、坂道を転がり落ちるように、崩壊への道を進むことになる。言うまでもなくローマ帝国は、ずっと以前から強大な軍事力を持ち、周辺の民族との戦争を経てその版図を広げてきた。その意味では、ずっと以前から軍事大国ではあった。しかし、リーダー達のキャリアとして、ミリタリーとシビリアンの経験がクロスするシステムによって、高度にコントロールされた軍事大国だった。それが、内乱を制したセヴェルス帝の軍事優遇策によって微妙なバランスが崩れてしまう。
 著者の情報収集力やその分析、それによる独創的な歴史観は、感想を述べる必要もないくらい素晴らしい。
 ローマ帝国の発展の素は、征服した敗者をも赦し同化するする「寛容」さにある。その滅亡の始まりは軍事帝国化による、とする著者の意見は現代にも通じると思う。「歴史は繰り返す」と言いながら、歴史に学ぶことができない人類。
 まもなく、アメリカ軍によるイラク攻撃が始まる。

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