手紙

書影

著 者:東野圭吾
出版社:角川書店
出版日:2006年10月10日 第1刷 2011年2月15日 第32刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 2006年に映画化され、それに合わせて刊行された文庫は1か月で100万部を超えた。これは出版元の文藝春秋社では最速のミリオンセラーだそうだ。帯には「日本中が涙した記録的大ベストセラー」の文字が躍る。

 主人公は武島直貴。「事件」が起きた時には高校3年生だった。「事件」というのは、直貴の兄の剛志が物盗りに入った家で鉢合わせした老女を殺害するという、強盗殺人事件だ。その日から直貴は「強盗殺人犯の弟」としての人生を送ることになった。

 無論「強盗殺人犯の弟」には罪はない。そんなことは誰だって頭では分かっている。少数の人々は、頭で分かっているだけでなく、行動でそれを示して直貴と付き合い援助してくれる。その意味では周囲の人には恵まれた方かもしれない。

 ただ、そんな少数の人々の善意は、その他大勢が感じる「不安」と、それが元になった「排除の圧力」の前では無力だ。直貴が人生の節々で掴みかけたものは、すべて成就する直前で手からこぼれ落ちてしまう。

 哀しい。ひたすらに哀しい物語だった。直貴と直貴に近しい人々が、理不尽でつらい目に会う。強盗殺人を犯した剛志を含めて「悪人」は一人も登場しない。そのことが却ってこの物語を空恐ろしいものにしている。私も含めて「守るべきもの」がある人間は残酷なのだと知った。

 タイトルの「手紙」は、第一には服役中の兄から直貴に届く手紙のことを指している。この手紙が時々直貴を苦しめる。ただ、他にも何通かの手紙が登場する。これが物語の重要な役割を演じる。

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ぼくの・稲荷山戦記

書影

著 者:たつみや章
出版社:講談社
出版日:1992年7月23日 第1刷発行 2000年5月12日 第11刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 これまでに読んだ「月神の統べる森で」から始まる4部作+外伝は「月神」シリーズと呼ばれ、児童文学ながら日本の古代を描き切った迫力のある物語だった。本書はそれに先立って刊行された「神さま三部作」と呼ばれるシリーズの第1弾。

 主人公は中学1年生のマモル。祖母と二人で暮らしている。マモルの家は先祖代々裏山の稲荷神社の巫女を務める。マモルの母はマモルが小学校の2年生の時に亡くなり、父はマグロ船の船長で年に1度ぐらいしか帰ってこない。

 そのマモルの家に、腰まで届く長髪に着流しという姿の若い下宿人が来た。守山という名のその青年は、実はお稲荷さんの使いギツネ。裏山にある古墳がレジャーランド開発によって破壊されようとしているのを阻止するために、人の姿となってやってきたのだ。

 児童文学だから、子どもたちにも分かるように平易な文章で書かれている。だからと言って、大人が読んで物足りないということはない。「自然は大事だから守りましょう」と、「正しいこと」を一生懸命訴えれば願いが聞き届けられる、なんて薄っぺらい話にはなっていない。

 物語全体を通して受け取るものとは別に、「あぁそうだよな」と心に残るものがあった。一つはそれは「否念」という負の力。疑いや否定の感情や言葉は、氷のナイフのように何かを少し、でも決定的に傷つける。

 もう一つは登場人物の人類を表したこんなセリフ「力をもったはいいが、正しい使い方もしらないのにいい気になって使ってしまって、あと始末ができなくておろおろしてる

 さらにもう一つ。「人間が滅びたとして-たとえばそれが、核戦争みたいな自然も道づれにするようなものても、この草のように、自然はよみがえるんじゃないかな。(中略)しかし、自然が滅びたら、人間はいっしょに滅びるしかない」。「地球を守ろう!」に異論はない。しかし「守ってあげる」なんて思っているとしたら、それは実はとても不遜な考えなのだと気付いた。

 20年前に書かれたこのシリーズを、私たちはもう一度読み返した方がいいのではないか?そんな気がした。実は「神さま三部作」の第2弾「夜の神話」のテーマは「原発事故」なのだ。

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嫌われる勇気

書影

著 者:岸見一郎 古賀史健
出版社:ダイヤモンド社
出版日:2013年12月12日 第1刷発行 第10刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 新聞で紹介されていたので手に取ってみた。新聞の記事によると、すごく売れているらしい。この記事を書いている今現在(6月5日0時)、Amazonのベストセラーランキング第5位、「ビジネス・経済」カテゴリでは第1位だ。

 本書は、フロイト、ユングと並び「心理学の三大巨頭」と称される、アルフレッド・アドラーの思想「アドラー心理学」を紹介したもの。分かりやすさのためと、恐らくは「プラトンの対話篇」に習ったのだろう、青年と老人の対話形式で綴られている。

 青年は厳格な両親に育てられ、常に優秀な兄と比較された。そんな両親に反発を覚えながら、両親の意に沿うことができない自分を「価値がない」と感じる。さらにはそんな自分が嫌いだ。つまり相当に厄介な感情を抱えている。

 そんな青年に対して、老人は「人は変われるし、誰もが幸福になれる」と言う。その後に話されることも、青年には到底受け入れられないことばかり。ちょっと皮肉を込めて言うと、それでも青年は驚異的な我慢強さと礼儀正しさを発揮して、老人の言葉に耳を傾ける。

 一つだけアドラー心理学の特徴的な考え方を紹介する。それは「目的論」。例えば「ひきこもり」は、何か外の世界で起きたことが原因となって、外へ出ることに不安で家や自室にひきこもる、と考えられている。こうした考え方を「原因論」という。

 それに対して「目的論」は、まず「外に出たくない」という目的があって、それを実現するために不安という感情を作り出している、と考える。まぁこれだけでは「はぁ?」という感じで、素直に受け入れる人は少ないだろう。もちろん、本書ではもう少し丁寧な説明がある。

 本書は私には合わなかった。その理由は、私が今はこういう話を必要としていなかったからだと思う。このブログでこれまでにも何度か書いたけれど、自己啓発本はそれを必要としている人にしか届かないと思う。

 実は理由はまだある。こんなのは「心理学」という学問じゃないんじゃないか?という思いが邪魔をして素直に読めない。学問にしては物事の解釈が恣意的すぎる。それに本当に「心理学の三大巨頭」と称されているのだろうか?フロイトとユングを「心理学の巨頭」というのかさえ疑問なのだけれど。

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文・堺雅人

書影

著 者:堺雅人
出版社:文藝春秋
出版日:2013年7月10日 第1刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「やられたらやり返す、倍返しだ!!」の半沢直樹を演じた堺雅人さんの初エッセイ。もっとも初出は2005年から2009年にかけて月刊誌に掲載されたもの。ありがたいことに巻末に出演作品リストが付いていて、それによると時期的には、大まかに言えば「新選組!」の後から「篤姫」の後まで。

 「まえがき」と「あとがき」を含めて54編のエッセイ。1編は4~5ページ。著者によると原稿用紙4枚だそうだ。書かれている内容は、テレビドラマや映画、舞台で「演じる」ときに著者が考えたこと。

 例えば「篤姫」で将軍家定を演じているときのこと。「いきいきと、でも、品はよく」と言われて「品とはなにか」を考えていたそうだ。3編連続でその話題だから、たぶん3か月は考え続けていたのだろう。

 とても魅力的な文章を書く人だ。「天璋院篤姫」の作者の宮尾登美子さんが「役者なんかやめて、作家になりなさいい」と言ったそうだけれど、その気持ちが分かる。

 とても僭越なんだけれどその理由を考えてみた。その1はボキャブラリーが豊富なことだと思う。読書家としても知られているから、引出しに入っている言葉が多いのは間違いない。

 ただ「あとがき」を読んで、それだけではなかったんだな、と思った。著者は、1編を書くのに2週間、長ければ3週間近くかかるそうだ。上の「品」のエピソードでも分かるように、真面目な方だから、「最適な一語」を見つけるのに時間をかけていたのだろうと思う。

 その2。54編全部が「自分のこと」を書いていること。月に1回の連載を長く続ければネタにも困るはず。職業柄おもしろい人との出会いやエピソードには事欠かない。「こんなことがありました」とやる方が容易だろう。

 ところが著者は、「今こういうことをやっています(考えています)」と書き始める。ちらちらとちょっと頑なで繊細な内面が垣間見える。俳優が書いたエッセイなのだから、著者のことを知りたい、と思ってこの本を手に取る人が多いだろうから、これは魅力的だ。

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タルト・タタンの夢

書影

著 者:近藤史恵
出版社:東京創元社
出版日:2014年4月30日 初版 5月23日 3版
評 価:☆☆☆☆(説明)

 著者の作品との出会いは「サクリファイス」だった。その後「エデン」「サヴァイヴ」「キアズマ」と読み進めてきた。だから、著者のことを「サクリファイス」から始まる、自転車ロードレースの世界を描く作家さん、だと認識していた。それが、とんでもない間違いだと分かった。

 本書の舞台は、下町の商店街にあるフレンチレストラン「ビストロ・パ・マル」。シェフの三舟忍、料理人の志村洋二、ソムリエの金子ゆき、ギャルソンの高築智行の4人で切り盛りするこじんまりした店。主人公兼語りは高築くんが務める。

 物語は、店を訪れる客たちの事件、まぁ事件とも言えないちょっと不可解な出来事を、三舟シェフが鮮やかに解き明かす、とても軽い連作短編ミステリーだ。例えば、婚約したばかりの常連客が体調を崩したとか、極度の偏食があるお客の不倫の行方とか、奥さんが何も言わずに出て行ってしまった理由とか...

 心温まるホッとする物語だった。登場人物は、ほぼ店の4人とその回のお客だけ。「ビストロ・パ・マル」のように、こじんまりとまとまりのいい話。そして、お店で供される料理の数々のように、時にはスパイスが効いた、時にはやさしい甘さの、そして暖かい話。読んでいて心地いい、そしてヴァン・ショー(スパイス入りホットワイン)が飲みたくなる。

 お店の面々のキャラもいい。三舟は無精髭に長い髪を後ろで束ねた素浪人風で無口。志村は背が高く清潔感のある人当りのいい二枚目。紅一点の金子さんは、ショートカットの20代後半の女性。趣味は俳句。強いて言えば高築くんだけが、どんな男の子なのかまだ分からない。

 最初に「とんでもない間違い」と書いた。どうして今までそうしなかったのか分からないけれど、ちょっと調べると、著者の作品の多さや、シリーズものがいくつもあることが分かった。「サクリファイス」はワン・オブ・ゼムでしかないことは一目瞭然。でも、私にとっての著者の作品世界への入り口としては悪くなかったと思う。

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蛇を踏む

書影

著 者:川上弘美
出版社:文藝春秋
出版日:1999年8月10日 第1刷 2003年7月25日 第11刷
評 価:☆☆☆(説明)

 友達に紹介してもらったので読んでみた。表題作「蛇を踏む」を含む3編を収録した短編集。「蛇を踏む」は1996年上半期の芥川賞受賞作。

 「蛇を踏む」の主人公はヒワ子。数珠屋で店番として働いている。ある日、藪で蛇を踏んでしまう。蛇は「踏まれたらおしまいですね」と言ってどろりと溶け、次いで煙のような靄のようなものになり、最後に人間の形になった。50歳ぐらいの女性になった。

 その日から蛇はヒワ子の家で、ヒワ子の母だと名乗って暮らしだす。ヒワ子はそれが自分の母ではないことは分かっているのだけれど、食事の支度などをしてくれるものだから、ズルズルと2人の暮らしを続ける。

 物語は、ヒワ子と蛇の暮らしと、ヒワ子と数珠屋の夫婦の会話を、特に怪異譚としておどろおどろしくするでもなく、むしろ淡々と何事もないように語られる。しかし、蛇の化身との暮らしが、何事もないはずがなく...。

 2編目の「消える」は、両親と3人兄妹の5人家族の物語。ある日、上の兄が消えてしまう。消えてしまったけれど、どうもそこらにいるらしい。3編目の「惜夜記(あたらよき)」は、主人公と少女の幻想的な物語の偶数章と、様々な夢幻のようなできごとの奇数章が、交互に重ねられる。

 正直に言って「蛇を踏む」を読んだ直後は「???」という感じだった。蛇が人間に化身する話は古今あるので、それ自体は構わない。全体につかみどころがなく、エンディングが突然でいきなり放り出されてしまうのだ。

 読み進めながら、いろいろな作家さんのいろいろな作品を思い出した。最初は梨木香歩さんの「沼地のある森を抜けて」「f植物園の巣穴」そして「裏庭」、次には三崎亜記さんの「海に沈んだ町」「バスジャック」。そして「惜夜記」を読み進める内にジョージ・マクドナルドさんの「リリス」。

 「リリス」まできて思い至った。この3編は「幻想文学」なのだ。著者が「あとがき」で「うそばなし」と呼んでいるものも「幻想」と言える。「幻想文学」という枠を得ると「蛇を踏む」の輪郭がくっきりとした。芥川賞もナットク。

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デザイン思考が世界を変える

書影

著 者:ティム・ブラウン 訳:千葉敏生
出版社:早川書房
出版日:2014年5月15日 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 訳者あとがきによると、IDEOのトップによる著書としては、「発想する会社!」「イノベーションの達人!」に続く3冊目の邦訳書。IDEOは世界的に有名なデザイン会社。著者はティム・ブラウンは、その現CEO。

 本書のテーマは「デザイン思考」で2部構成になっている。パート1は「デザイン思考とは何か?」。デザイン思考によって成されたプロジェクトの具体例をあげながら、そのWhat?とHow?を解説する。パート2は「これからどこへ向かうのか?」。デザイン思考のさらに広いフィールドでの応用を展望する。

 デザイン思考とは?への答えは、訳者もあげているように、第1章の冒頭の日本の自転車メーカーのシマノの例で考えると分かりやすい。「一般的なデザイン」は、自転車の外観や機能をどうするか?を考えることだろう。

 しかしシマノと共にIDEOが行ったのは「どうすれば楽しく自転車に乗れるだろうか?」という問いからスタートして、自転車の購入から乗り心地、メンテナンスに至る「自転車の体験」をデザインすることだった。このように「モノ」のデザインから飛び出して、製品開発の上流や問題解決にデザイナーの思考を取り入れることを「デザイン思考」と呼んでいる。

 それで本書にはその理念と共に、「ブレーンストーミング」「観察」「プロトタイプ製作」といった、デザイン思考の「方法論」が惜しげもなく記されている。読んで明日から使える、というようなお手軽なものではないけれど、だからこそ身に着けたいと思うスキルだと思う。また、冒頭に本書の内容をまとめたマインドマップがある。本書を読み終わってもう一度見直すと、理解の助けになると思う。

 心に残る言葉も数多くあった。ただそれらではなく、笑ってしまった言葉を一つ紹介する。

「次なるiPodを作ってくれ」と言い放つクライアントは数知れないが、デザイナーたちが「それなら次なるスティーブ・ジョブズを用意してくれ」と(小声で)つぶやくのも同じくらい耳にしている。

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青天の霹靂

書影

著 者:劇団ひとり
出版社:幻冬舎
出版日:2013年8月1日初版 2014年4月25日2版発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 今週末(5月24日)公開の映画「青天の霹靂」の原作。映画は主演は大泉洋さん、ヒロイン役に柴咲コウさん、著者の劇団ひとりさんご本人が監督・出演する。

 著者の作品を読むのは、デビュー作にして100万部を超えるベストセラーになった「陰日向に咲く」以来5年半ぶりで2作品目。前作は連作短編集だったけれど、本書は短めの長編小説。

 主人公は、轟晴夫35歳。雑居ビルの中のマジックバーのマジシャン。この仕事を始めて17年、ここから抜け出せそうにない。母は晴夫が生まれて間もなくして家を出ていった。父とは、高校卒業後に家を飛び出して以来音信不通だ。

 その父が亡くなったと警察から連絡がある。ホームレスになっていたらしい。線路の高架下にある、父が住んでいた場所に行った晴夫は、そこで自分が作ったダンボールの「ふしぎのはこ」を見つけ...

 映画の予告編で、かなり先のストーリーまで明らかにしてしまっている。だから構わないと思うので言ってしまうと、晴夫はタイムスリップして、自分の父母と出会う。そこで、自分を捨てたと母と、なんとも頼りない父の「本当の姿」を見る。感涙。

 前作もよく練られたストーリーで良かったのだけれど、言葉遣いに違和感があって、正直言うと「もうこの人の作品はいいかな?」と思っていた。それが映画化に伴ってちょっとしたわけがあって、本書を手に取ることになった。私としては前作より数段良かった。映画も期待していいんじゃないかと思う。

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今朝の春 みをつくし料理帖

書影

著 者:高田郁
出版社:角川春樹事務所
出版日:2010年9月18日 第1刷発行 2014年2月8日 第17刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「八朔の雪」「花散らしの雨」「想い雲」に続く「みをつくし料理帖」シリーズの第4作。「ははきぎ飯」「里の白雪」「ひょっとこ温寿司」「寒鰆の昆布締め」の4編を収録した連作短編集。

 主人公の澪は、江戸の元飯田町にある「つる家」という料理屋で板前をしている。彼女には、かつて修業した「天満一兆庵」という料理店を再興すること、今は吉原にいる幼馴染の野江と昔のように共に暮らすこと、といった望みがある。

 前作「想い雲」で、これらの望みに少し進展があったかと思うと、今回はピタリと動きを止めてしまった。舞台もほぼ「つる屋」だけで、あとは澪が住む長屋がちょっと。それ以外は本当に僅かで動きがない。今回は物語を大きく動かさず、じっくりと澪の内面を深堀りする。

 ただこれまでにない動きもあった。二十歳の澪には「想い人」がいる。店にふらっと現れる「小松原」と名乗る武士で、薄汚れた格好はしているが、相当の身分の者らしい。その小松原のことがかなり明らかになる。小松原と澪の「身分違い」も明らかに..想いを断ち切ろうとする澪が不憫でならない。

 本書に「料理に身を尽くす」という言葉が出てきた。「みをつくし」は、澪の名前と出身の大坂からの連想だと思っていたけれど、こんな意味も含まれていたらしい。

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センセイの鞄

書影

著 者:川上弘美
出版社:文藝春秋
出版日:2004年9月10日 第1刷
評 価:☆☆☆(説明)

 本好きのためのSNS「本カフェ」の4月の指定図書。2001年の谷崎潤一郎賞受賞作品。

 主人公の大町ツキコ(月子)は物語の初めには37才。ツキコが「センセイ」と呼んで慕うのは、ツキコの高校時代の国語の先生、ツキコとは30と少し歳が離れている。今、うっかりと「慕う」と書いてしまったが、最初は一杯飲み屋で時々席を隣り合わせる、歳が離れて多少不釣り合いな「飲み友達」だった。

 ツキコとセンセイの物語は、15ページ前後の短めのエピソード17編を積み重ねて綴られる。2人は頻繁に会うわけでもない。長く会わないままでいることもある。それでも飲み屋で会うだけでなく、センセイの家に呼ばれたり、八の日に立つ市に連れ立って出かけたり、きのこ狩りに出かけたり..二人の仲は進展していく。

 独身の女と、妻を亡くした男。とは言え、30以上も年が離れた上に、20年前とは言ってもかつての先生と教え子。途中でツキコの同級生の男性も登場して、ツキコとセンセイの仲の行く末は、ようとしてつかめない。しかし、ひとつのエピソードが終わるたびに、カチリと音がして歯車が回った感じがする。

 抑えめの文章で淡々と語られるが、気が付くと妙なところへ紛れ込んでいて「これは現実なのか?」と訝しむことが何度かある。2人してどこか分からない世界に紛れ込んでしまったエピソードもある。梨木香歩さんの作品に似た雰囲気が醸される。

 40前の独身女性と、妻を亡くした70代の男。その行く末は、私がおぼろに思い描いたストーリーとは違っていた。しかし、谷崎潤一郎賞受賞作品だと知れば、確かにこうでなくてはと思った。

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