木曜日にはココアを

書影

 

著 者:青山美智子
出版社:宝島社
出版日:2019年8月20日 第1刷 2024年3月21日 第30刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 読むほどに何がが満たされてい行く感じがする本。

 物語の起点は「マーブル・カフェ」という川沿いの桜並木が終わるあたりに、大木に隠れるように立っているカフェ。そのカフェには木曜日になると来る女性のお客さんがいる。まだ年若い店員の「僕」は、そのお客さんのことを「ココアさん」と呼んでいる。僕はココアさんのことが好きだ。

 ココアさんはだいたい、長い英文のエアメールを読んだり書いたりして3時間ぐらいをこのカフェで過ごす。でもある日、ココアさんの頬を涙が伝うのを、僕は見てしまった。でも、所詮はカフェの店員と常連客、駆け寄りたくてもできない。僕にできることといったら...

 このような「僕」と「ココアさん」のエピソードを第1章で描いた後、第2章はカフェの他のお客さん、第3章はそのお客さんの子どもが通う幼稚園の先生、第4章は...と、主人公が数珠つなぎで変わっていく。物語は「マーブル・カフェ」からだんだん離れてしまい、気が付くとオーストラリアを舞台にしていろいろな人生を描いている。

 「ココアさんはどこに行ってしまったの?」と、私はココアさんのことが気になるので、そう感じてちょっと不満に思った。でも心配ない。本書を書いたのは「赤と青とエスキース」の著者だ(出版は本書の方が先。「赤と青とエスキース」は私の中では別格なので、較べるつもりはないのだけれど)。読み終わると、本書は「僕とココアさんのための物語」だったことが分かる。

 とても面白かった。登場人物たちは、誰もが真面目に生きていて、でも少し不器用で、心のどこかが欠けしまったような人だち。そんな人たちが少し満たされて元気になる、ホットココアのように甘くて暖かな物語だった。

 最後に心に残った言葉。それは「チチンプイプイ」。
 登場人物が「とっても強力なおなじまい」と説明する。私は、強力かつ「優しい」おまじないだと思う。そんな言葉が、誰でも使うことができるのだから日本人は素晴らしい、といってもいいんじゃないか?と思った。

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世界は経営でできている

書影

著 者:岩尾俊兵
出版社:講談社
出版日:2024年1月20日 第1刷 3月18日第6刷 発行
評 価:☆☆(説明)

 帯の「人新世の「資本論」]の斎藤幸平氏の推薦を読んで「面白そう!」と思って読んだ本

 世界は経営でできている。「貧乏」も「家庭」も「恋愛」も「勉強」も「虚栄」も「心労」も「就活」も「仕事」も「憤怒」も「健康」も「孤独」も「老後」も「芸術」も「科学」も「歴史」も、そして「人生」も経営でできている。というのが本書での著者の主張。

 もちろんここでいう「経営」とは、企業経営やお金儲けを指していない。「経営」と聞いて多くの人が思い浮かべる「固定観念」と相いれない(著者はこのことも問題だとおっしゃる)。著者が言う「本来の経営」とは何なのか?ありがたいことに「はじめに」に明記してある。それは、

 価値創造(=他者と自分を同時に幸せにすること)という究極の目的に向かい、
 中間目標と手段の本質・意義・有効性を問い直し、
 究極の目的の実現を妨げる対立を解消して、
 豊かな共同体を創り上げること

 「経営って、そんな大層なことだったっけ?」と私は思ったけれど、このくらい大層な定義を持ってすれば、「世界」だって経営でできていると言えそうなのは確かだ。

 冒頭に書いた「貧乏」「家庭」以下の各項目は、本書の章立てに沿っている。第1章は「貧乏は経営でできている」第2章は「家庭は経営でできている」(以下同様)。そして各章には、それぞれ失敗例が次々と書かれていて、例えば家事の分担を巡って衝突する夫婦関係を描写する。
 そのあとにこれは「経営の欠如が原因」と締めくくる。恋愛で理想の相手と結ばれないのも、頑張って勉強しても成果が出ないのも、部下の仕事ぶりが心配で手助けして却って迷惑がられるのにも「経営の欠如」が見られる…

 正直に言うと、読み進めるのがつらい時もあった。どうしようもない失敗例ばかり読まされて辟易してしまった。時々解決策らしきものが挟まるのだけれど、冗談なのか本気なのかわからないような(たぶん冗談)もので、悪ふざけに感じる。
 著者は本書のことを「令和冷笑体エッセイ」と評していて「令和の文化人を思い浮かべると、なぜかみんな冷笑系だ」ということが理由らしい。私は「冷笑系の著名人」がキライだ。だから「令和冷笑体エッセイ」ともそりが合わないのだろう。

 そんなわけで、あまりおススメはしないけれど、もし読まれるなら「はじめに」の次に「おわりに」を読んでから本文を読むといいと思う。「おわりに」を時々読み返してもいい。そうすれば「悪ふざけ」に紛れた著者の真面目な部分が見える。

 「おわりに」は、私もすごく共感した。

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国民の違和感は9割正しい

書影

著 者:堤未果
出版社:PHP研究所
出版日:2024年4月8日 第1刷 5月29日第3刷 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 前から変に思っていたことが「やっぱりそういうことなのか」と思った本。

 国民の違和感(いや私の違和感)。それは例えば「新NISA」。どうして政府はこんなに勧めるのか?老後の資金が不安だという高齢者にどうしてリスクテイクを勧めるのか?それも日経平均株価の最高値を更新という、株式を買うには最悪のタイミングに。私の「常識」では「株は安い時に買って高い時に売ると儲かる」最高値の時に買うことを勧めるなんてどうかしている。

 それは例えば「水道民営化」。どうしてライフラインに関わる事業を企業(それも外資というケースも)に売るのか?政府は法律を改正してまでどうしてそれを後押しするのか?それも人口減などの影響で自治体の採算性の悪化を理由に。私の「常識」では「採算性が悪い事業は民間では請けられない。それでも必要な事業は公が担う」採算性が悪いから民間に任せるなんて正反対だと思う。

 著者は、こうした違和感を掬い取って「その違和感は正しい。それは実はこういうカラクリなのだ」と解説してくれる。まぁ、明確な答えが有るような無いようなことも多いのだけれど、少し違った角度からの視点を示してくれるので、自分で考える端緒になる

 また、あるいは私たちがあまり気が付いていない(であろう)問題も取り上げて説明してくれる。上に書いた「新NISA」「水道民営化」以外には「能登半島地震」「原発」「農業基本法」「ウクライナ紛争」「ガザ侵攻」「ツイッター」等々。

 正直に言って、知らない方がよかったかも?知ってしまったら知らなかった頃に戻れない、というような感想も持った。どうにかしなくちゃと思っても、私たちは無力ではないにしてもあまりにも微力だ。それでもなお「できることがある」と、著者がいくつかの事例やアドバイスを述べてくれているのが救いでもある。

 最後に、気付きのあったこと。
 それは「ニュースに接したときに先入観を外す」こと。そのために「個人を取り除いてみる」こと。「誰がやったか(言ったか)」で判断しない。そうすることで、出来事をありのままに見ることができる。これはけっこう労力が要る。「誰が~」で決めれば判断の省力化ができるから..

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スピノザの診察室

書影

著 者:夏川草介
出版社:水鈴社
出版日:2023年10月25日 第1刷 2024年2月1日 第3刷 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 

 「医療」とは、こんなにも広範な意味合いを包含する言葉なんだと思った本

 主人公は雄町哲郎。38歳。京都の町中の病院で働く内科医。以前は大学病院で難しい内視鏡治療をやっていた熟練の医師だという。物語は、マチ先生(同僚の医師や看護師たちは雄町のことをそう呼ぶ)の病院での診察や手術、往診先での患者やその家族とのやり取りを中心に描き、そうすることでマチ先生の医療や人に向き合う哲学を浮かび上がらせる。

 マチ先生が勤務する「原田病院」は、マチ先生の他に3人の常勤医で現場を回している。病院長の鍋島治は外科医で堂々たる体軀と豪快な性格の持ち主。同じく外科医の中将亜矢は遠慮のない物言いが特徴。急患で運び込まれた患者を引き継ぐときに「多分ほっといたら死んじゃうパターン」などと言ってしまう。総合内科の秋鹿淳之介は精神科から内科に専門を移した異色の経歴。豊かなアフロヘアと黒縁の丸眼鏡が目を引く。

 マチ先生も含めて全員がとてもユニーク。中将に「死んじゃうパターン」と言われた救急患者が、処置をされながらこう言う。「ここ、なんや変わった病院やな...」。それを聞いた看護士がこう返す「そうですね。よく言われます」

 読書を楽しめた。「神様のカルテ」の著者であるので、「神様のカルテのような物語」と紹介すれば、大まかなには間違っていないのだろう。言語化すれば「過酷な医療現場にあって、医療への真摯さを忘れない医師たちの優しい物語」とか。

 しかし、それだけだは足りない。マチ先生はこれまでの著者の作品の医師たちの中で飛びぬけてカッコいい。同僚の医師たちはそれぞれにドラマがあって魅力的で、他にもマチ先生を最大限に信頼する先輩医師医師とか、マチ先生を慕う後輩医師たち、ハッとするようなことを言う患者たちとか..。魅力キャラをこんなにたくさん盛ったら、話が絡まったり拡散したりしてしまいそうなのに、ちゃんとマチ先生のところに集約して行き、とても読みやすくて心地いい。

 甘いお菓子、食べたい

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ほめことば練習帳

書影

著 者:山下景子
出版社:幻冬舎
出版日:2008年3月30日 第1刷 2024年2月20日 第2刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 多くの人に「たくさんのほめ言葉を口にしてほしい」という著者の願いに共感した本

 5つの章に分けて130項目のほめ言葉を紹介。最初のいくつかの項目を挙げると「凄い」「素晴らしい」「兜を脱ぐ」「目覚ましい」「見事」「立派」「目の肥やし」「流石」...といった具合。それぞれの項目に類語や関連語も紹介されているので、巻末の索引によると360あまりのほめ言葉が、180ページほどにぎっしりと詰まっている。

 項目ごとに、その言葉の語源や用例の紹介があることもあれば、ちょっとしたエピソードなどが挟まれることもあって、辞書のようなコラムのような体裁。文章の量も項目ごとに一定ではなくて、知り合いの話を聞いているような感じで読める。

 ただ、私は通読したけれど、読む人によっては通読するのは少しつらいかもしれない。それが興味深い話だとしても、知り合いが話す130個もの「言葉トーク」を聞き続けるのはやっぱりつらいのと同じように。 気が向いたときに読む、気になった言葉について読む、というのに向いているかもしれない。

 改めて「はじめに」の冒頭を要約して紹介する。

 「ほめる」は「秀(ほ)」を活用した「ほむ」が語源で、古くは「祝ったり祝福したりする」という意味で使われていたそうだ。現代の「よい評価を与える」という意味より「素晴らしいことを共に喜び合う」という方が、本来の「ほめる」に近いかもしれない、と著者は言う。

 そして今、この「本来の意味でのほめ言葉」が大切になってきているのではないか?。さらに、健やかな時は自然と気持ちのいい言葉が、少し病んでいるときには羨みや卑下の言葉が出てくる。幸せな人ほどよくほめる。ならば逆手をとって、ほめることによって幸せになることもできるのではないか?と。

 このことに私は共感を強く感じた。著者がこう考える背景には、人を中傷したり蔑んだりする言葉が、ネットを中心として世の中にあふれる、著者の思いとは真逆な現状への、哀しみや危機感があると思う(本書は2008年の発行なので今よりはマシだったと思うけれど)。多くの人がほめ言葉がもっとを上手にたくさん使うようになれば、世の中は少し生きやすくなるだろう。

 最後に。著者の文章にはある特長がある。項目の最後に「うまいことを言う」のだ。例えば「流石」という項目の文章を「流石」という言葉で締めるとか。いわゆる「オチ」がある。もしかして関西の人?と思って確かめると..神戸市生まれ神戸市在住。郷土の先輩でした。

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リラの花咲くけものみち

書影

著 者:藤岡陽子
出版社:光文社
出版日:2023年7月30日 初版第1刷 12月25日 6刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 2024年の吉川英治文学新人賞受賞作品

 言葉にするとありきたりだけれど、人が成長するということと、命は尊いということを感じる本

 主人公は岸本聡里。物語の始まりでは大学の新入生だった。北海道にある北農大学獣医学類。物語は獣医師を目指す聡里の学生生活の6年間を描く。

 女子寮に入寮した日、同室の子から「ファーストネームで呼んで」と言われて、聡里も「私も聡里って呼んでね」と本当は言いたいのに声にならない。聡里はそんな少女だった。

 冒頭で聡里の生い立ちが簡潔に描かれる。小学生の時に母を亡くし、父の再婚によって家の中での自分の居場所もなくし、中学卒業の少し前から祖母と暮らした。中学にはほとんど行っていないこともあって、大学進学は考えていなかったが、周囲の勧めに押し出されるような感じで大学生になった。

 心を揺さぶられる作品だった。

 基本的には聡里の成長物語で、事件もあり片想いもありの王道の青春小説だ。しかし獣医師を目指す聡里の学生生活は少し特別だ。授業には多くの実習があるのだけれど、そこでは動物の誕生に立ち会うこともあれば、避けられない死を経験することもある。
 その生々しい描写は、読んでいる私はギリギリ顔を背けずにいられたけれど(著者の描写の塩梅が絶妙に私に合っているのだと思う)、それに直面する聡里の気持ちは如何ばかりかと思う。

 青春小説王道の「成長」の部分も、とてもよかった。前には辛くて逃げ出してしまったことが、今度は真正面から受けとめられるようになった。それにはそれなりの時間がかかったけれど、少女から大人になる時期の成長は意外と早いこともある。

 祖母には「大事なことを伝えるには、大きな声ではっきり」と、そう言われていたが、冒頭の「ファーストネーム呼び」のエピソードのように、それがなかなかできなかった。でも友達に大事なことをちゃんと伝えられたエピソードは比較的早く訪れる。その友達とは親友になった。よかったねぇ、ちゃんと言うことができて..。

 娘より年下の女性の物語は、保護者目線で見てしまって涙腺が緩くて困る

 最後に、心に残った言葉を2つ

 絶対にしなくてはいけないことなんて、この世の中には一つもない

 いま言わなくては一生後悔することがある (中略) 人と人はその時限り、もう二度と会えないことの方が多い

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存在のすべてを

書影

著 者:塩田武士
出版社:朝日新聞出版
出版日:2023年9月30日 第1刷 12月30日 第2刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 読み始めたころの印象が途中で大きく変わって引き込まれるように読んだ本

 物語の発端は、平成3年に起きた前代未聞の「二児同時誘拐事件」。神奈川県厚木市で小学校6年生の男児が誘拐され、その翌日に横浜市で4歳の男児が誘拐された。神奈川県警は、誘拐という時間的に制約が厳しい現在進行形の犯罪に、同時に2つ取り組まなければいけなくなった。

 この2つの事件は、50ページほどの少し長めの「序章」に記されている。ややネタバレ気味だけれど、まだ「序章」なのでご容赦いたきたいが、2つの事件とも誘拐された男児は戻ってきた。厚木の小学生は翌日に保護された、横浜の4歳は...3年後に祖父母の家の玄関に一人で現れた...犯人も動機も事件の真相が不明のまま。

 本編は、横浜の男児が戻ってきてからさらに27年後の令和3年に始まる。主人公は2人。一人目は新聞記者の門田次郎。記者になって2年目にあの誘拐事件があり、担当刑事を取材した。今でも記者として事件の真相を追っている。二人目は土屋里穂。父親が経営する画廊で働いている。横浜の被害児童とは高校の同級生だった。

 これは面白かった。門田と里穂のそれぞれが、それぞれの思いを抱えて、30年前の事件の真相に近づいて行く。門田は新聞記者だけれど、あの事件で(見方によっては)捜査に失敗した刑事たちと思いを共有している。その点、とてもよくできた犯罪捜査の警察ドラマのようだ。里穂の方は、かつて恋心を抱いた同級生との空白期間を埋めるような、切ない物語。この2つが絶妙により合わさっていく。

 と、ここまでで十分に「秀作」なのだけれど、実はこれは、冒頭に書いた印象が大きく変わる前のこと。この後に続く物語には、本当に心を打たれた。

 最後にタイトルの「存在のすべてを」について。
 登場人物が「存在」のことを話すシーンは確かにある。でもそれだけではなくて、「その存在のすべてが愛おしい」とか「この存在のすべてを賭ける」といった心のあり様を、私はこの後半の物語に感じた。

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街とその不確かな壁

書影

著 者:村上春樹
出版社:新潮社
出版日:2023年4月10日 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 数多くの村上春樹作品を読んだけれど、最初期を除くと一番に読みやすいと思った本。

 村上春樹さんの最新刊。「騎士団長殺し」以来6年ぶりの長編。

 主人公は「ぼく」と「私」。「ぼく」は、17歳の高校生で「高校生エッセイ・コンクール」の表彰式で出会った16歳の少女と交際している。会えばできるだけ人目につかないところで、唇をそっと重ねる。

 彼女は、高い壁に囲まれた街の話をした。そして「ほんもののわたし」はそこで暮らしていて、図書館で働いている、と言う。自分はその影法師のようなものだと。そしてある日、「ぼく」の前から姿を消してしまう。

 「私」は、高い壁に囲まれた街に住んで、図書館で「夢読み」として働いている。その図書館には「夢読み」の仕事を補助する少女もいる。「私」はその少女に会うためにこの街にやってきた。そう。「ぼく」と「私」は同一人物。「ぼく」が交際していた少女が話した「高い壁に囲まれた街」に来て「ほんもののわたし」に会った、ということのようだ。

 物語は「ぼく」と「私」のストーリーを交互に語って並行して進む。「私」の方は、その街での暮らしをかなり詳細に語り、「ぼく」の方は、その人生を駆け足で語る。そして45歳の時に2つの物語がつながる...

 までが第一部。そして、その後日譚が第二部、第三部、と続く。

 あまり良くなかった。期待どおりとはいかなかった。冒頭に書いた「読みやすい」は100%の誉め言葉ではない。65%ぐらいの「がっかり」を込めた(まぁ村上春樹作品に「読みやすさ」を求める人は、少なくともファンにはいないと思う)。読んでいて何にもつっかえず、心を乱すこともなく最後まで読めてしまった。第二部、第三部と進むにつれてその傾向は強くなった。

 村上春樹作品には暗喩が埋め込まれていて、文章をだた辿っても物語を理解したことにはならない。私が気が付かないことがたくさんあるのだろうと思う。そのことは付言しておきたい。

 また「親しい女性の喪失」「穴」「壁抜け」など、村上春樹作品に共通するテーマが描かれていて、長年の愛読者としては親しみを感じる。それでいて、今まで当たり前にあった、いささか唐突な性的なシーンがないなど、変化もあった。期待が大きすぎたのかも?欲しがり過ぎなければよかったのかもしれない。

 追伸:
 本書は1980年に「文學界」に掲載された中編「街と、その不確かな壁」を書き直したものです。国立国会図書館からその中編を取り寄せて読みました。本書の第一部が書き直した部分で、第二部、第三部は新たに加えられた部分です。

 ちなみに「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」は、この中編を基に書いた長編です。本書の設定が「世界の終わりと~」と酷似しているのは、どちらも同じ物語を基にしたものだからです。

 「文學界」と「世界の終わりと~」と本書を読み比べて、あれこれと考えるのは楽しい。しかし、それは別の機会にします。

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目の見えない白鳥さんとアートを見にいく

書影

著 者:川内有緒
出版社:集英社インターナショナル
出版日:2021年9月8日 第1刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「この言葉、覚えておきたいな」と思って、たくさん付箋をつけた本。

 2022年の本屋大賞「ノンフィクション本大賞」受賞作

 本書は、著者が白鳥健二さんという全盲の方と、国内の様々な美術館を訪ねてアートを見る(鑑賞する)様子を描いたもの。

 どんなアートかと言うと、最初は三菱一号館美術館の「フィリップスコレクション展」。ゴッホにピカソにセザンヌ..印象派などの名画が中心。次は国立新美術館の「クリスチャン・ボルタンスキー展」。現代美術界の世界的な巨匠。次が水戸芸術館の「大竹伸郎 ビル景1978-2019」。日本を代表する現代美術家。その次は、奈良の興福寺の国宝館。有名な阿修羅像や千手観音立像をはじめとした館の名前どおりに国宝級の仏像が多数。その次は...。

 こうして並べて明らかなように、作品を触って鑑賞することはできない。では全盲の白鳥さんが「アートを見る」というのはどういうことなのか?それは絵を前にして白鳥さんが著者にかけた言葉が端的に表している

 「じゃあ、なにが見えるか教えてください」

 そう。同行した人の説明を聞いて白鳥さんはアートを見る(鑑賞する)。

 いやいや、これ、説明する人がめちゃくちゃ大変そう。そもそも白鳥さんはそんなんで楽しいの?と、多くの人は思うだろう。私もそう思った。著者も最初は「白鳥さんは楽しんでくれているんだろうか」と思っていた。

 その疑問は、本書を読み進めればすぐに雲散霧消する。白鳥さんはこの鑑賞方法を楽しんでいる。なんといっても白鳥さんはこの方法で年に何十回も美術館に通うのだ。
 そしてこれが大事なところなのだけれど、白鳥さんとアートを鑑賞した(つまり説明した)人も、例外なく「ほんとに楽しいよ」と言っている。そのような、視覚障害のある方と鑑賞するワークショップも開催されているそうなので、私も参加してみたいと思った。

 そしてさらに大事なところ。本書は全盲の人と一緒に見た「アート鑑賞記」なのだけれど、読者に届くのはそれにとどまらない。「アートを見る」とは私たちにとってどういうことなのか?障害や差別についての複雑な思考。時には私の中の内なる差別意識に気づかされることもあった。読む前には思いもしなかった奥深い空間が、本書の中には広がっていた。

 一言だけ引用(実は他の書籍からの引用された文中にあったのだけれど)

 「ギリギリアウトを狙う」

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空をこえて七星のかなた

書影

著 者:加納朋子
出版社:集英社
出版日:2022年5月30日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 読み終わって「やっぱりそう来なくちゃ」に加えて「そう来たか!」と思った本。

 帯に「<日常の謎>の名手が贈る、驚きと爽快な余韻に満ちた全七話」とある。後半の「驚きと爽快な余韻」は感じ方次第だけれど、前半の「日常の謎の名手」は妥当な表現だと思う。本書に収録された7編の短編も、ちょっとした謎を含んだちょっといい話だ。

 7編のタイトルは「南の十字に会いに行く」「星は、すばる」「箱庭に降る星は」「木星荘のヴィーナス」「孤舟よ星の海を征け」「星の子」「リフトオフ」。なんとなく「星」が関係した物語が想像できる。ちなみに、最後の「リフトオフ」は、ロケットの打ち上げのこと。秒読みで「3、2、1、liftoff」と言ったりする。

 ただし「星つながり」以外には各短編に共通点は感じられない。「南の十字に会いに行く」は、小学生の女の子がお父さんと石垣島に旅行に行く話。行く先々で、黒服、黒サングラスのいかにも怪しい男が現れる。「星はすばる」は、事故で視力をほとんど失った少女の話。事故の前に参加した「こども天文教室」で光り輝くような王子様のような少年と出会う。

 「箱庭に降る星は」は、地方の高校の「天文部」と「文芸部」と「オカルト研究会」の廃部の危機。「木星荘のヴィーナス」は、東京の木造二階建てのアパートが舞台。「星の子」は、中学生の女子の友情を描く。こんな風に舞台となる場所も登場人物もバラバラ。「孤舟よ星の海を征け」に至っては、宇宙船の事故を描いたSFで、ジャンルさえ違う。

 ひとつひとつの短編は、それぞれに「そういうことか!」と思ったり、温かい気持ちになったり、その先が楽しみなったり、最初に書いたように「ちょっといい話」で心地いい。天文学者のおばあちゃん(動植物や文化の研究者でもあり合気道の先生でもある)や、洗濯物を入れたネットを振り回して人力脱水する美女(何してるんですか?で聞かれたら「自転」って答えた)や、登場人物には個性的かつ魅力的な人が多い。私が好きなタイプの物語だ。

 それでも欲深いことに、少しもの足りない。...と思っていたら...

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