モダン

著 者:原田マハ
出版社:文藝春秋
出版日:2015年4月15日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 いつかまたニューヨークに行くことなんてあるのかなぁ、と思った本。

 ニューヨーク近代美術館(MoMA)を舞台とした短編5編を収録。

 冒頭の短編は「中断された展覧会の記憶」。主人公はMoMAで企画展示ディレクターを務める杏子。物語の最初に示された時間は「2011年3月11日金曜日 午前6時55分」。時刻はともかくこの日付は、日本人にあの記憶を呼び起こす。物語ではこの時、MoMAからふくしま近代美術館に、アンドリュー・ワイエスの「クリスティーナの世界」を貸し出していた。

 最後から2番目の短編は「新しい出口」。ここに登場する日付は「2001年9月11日」。この日付もまた私たちの記憶に残っている。ニューヨーク近代美術館は、当たり前だけれどニューヨークにある。MoMA自体には被害はなかったけれど、物語では職員が一人亡くなっている。描かれているのはそれから1年後の話。

 この紹介だけでは「惨事」をテーマとして短編集のように感じてしまうかもしれない。しかし、他の作品は19999年、1981年と1934年と1943年、2000年のMoMAを描いていて、ちょっとした事件はあるけれど、惨事は起こらない。ただ、上に紹介した2編を含めて、共通の人物などによって縦横に結びついている。その結びつきがなんとも心地いい。

 私には、その結びつきから一つのことが浮かび上がって見えた。それはMoMAが世界中の才能を集めて、常に世界のアートシーンを切り開いてきた、魅力的な美術館だということ。

 例えば、3番目の短編「私の好きなマシン」は、ある工業デザイナーが1934年、8歳の時に来た「マシン・アート」の展覧会を振り返る。この作品はフィクションだけれど、その展覧会は実在の出来事。美術館がベアリングやコイルをアートとして展示した。それはとても画期的な出来事だったにちがいない。

 本書の感想として、たくさんの人がそう言っているけれど、私もその一人になる。MoMAに行きたくなった

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武蔵(一)

著 者:花村萬月
出版社:徳間書店
出版日:2011年9月
評 価:☆☆(説明)

 これは..思ってたのと違うな、と思った本。

 「時代小説を読みたいな」と思っていたら視界に入ってきて、読んでみた。紹介するまでもないけれど、主人公は宮本武蔵。ただし本書は6巻シリーズの第1巻で、武蔵はまだ11歳で名を弁之助といっていた。十手術の創始者で道場を構える養父と暮らしている。

 弁之助は日々鍛錬を怠らないだけでなく、膂力も人並みはずれてあった。「大きく、なりたい」と思っていた。背丈はもちろん、自分でもよくわからないけれど「対峙する相手を圧倒」する大きなものがほしいと思っていた。そして養父の脳天を断ち割ることを夢想していた...

 いや、もう困った子どもだ。冒頭のエピソードでは、野良犬の脳天を断ち割ってしまっている。養父でないだけまし、という話ではない。困った子どもだ。

 この後、弁之助は5つ年上の美禰という神官の娘や、養父の門弟で豪族の跡取り然茂ノ介らと出会い、行動を共にするようになる。そして「武者修行」と称して出奔を企てて、3人で山に分け入ったりもする。

 10代の子ども3人が、親の束縛を逃れて道なき道を行く。ジュブナイル小説の様相で、まぁそういう読み方もできるのだけれど、やっぱり困ったことがある。美禰を筆頭にして、あっちにもこっちにも色っぽいお姉さんが居て、弁之助とセックスをしてしまう。

 というわけで、「ポリコレ」とか言わないけれど、居心地の悪い思いをしながら読み終わった。奥付の前を見ると、本書は「問題小説」という月刊誌に掲載された作品だそうで、雑誌のキャッチコピーが「男のためのセンセーショナル小説集」。「男のための..」が安っぽすぎると思うけれど、まぁそういう狙いなのか、と腑に落ちた。

 武蔵の人生は始まったばかりで、これから先に波乱万丈の物語がある。武蔵が大人になれば、居心地の悪さも薄れて楽しめるだろう。でもなぁ。

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人新世の「資本論」

著 者:斎藤幸平
出版社:集英社
出版日:2020年9月12日 第1刷 11月10日 第3刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 冒頭の一言が「SDGsは「大衆のアヘン」である!」という挑発的な言葉で、その挑発に乗って読んでしまった本。

 この言葉を補足する。国連や各国政府が掲げる「SDGs(持続可能な開発目標)」に沿って行動しても気候変動は止められない。温暖化対策として人々がやっているレジ袋削減やマイボトルの持参などの「善意」は、それだけでは無意味に終わる。「やっている」と思い込むことで現実の危機から目を背けることになる。つらい現実の苦悩を和らげる麻薬のように、という含意。ちなみに「大衆のアヘン」はマルクスの言葉の引用だ。

 じゃぁどうすればいいの?ということになる。本書を乱暴にまとめると「気候危機を回避して地球が人が住み続けられるようにするためには「「脱成長コミュニズム」しか解がない」という主張をしている。コミュニズムとは共産主義のこと。対語として資本主義がよく使われる。日本は資本主義の社会で、資本主義=善、共産主義=悪、と捉える向きかある。「善と悪」が言い過ぎなら「明と暗」でもいい。

 もう少し世事に長けた人なら、こういう印象だけでなく「ソ連や東欧の共産圏の失敗を見れば、共産主義なんてうまく行かないのは明らかじゃないか」と言いそうだ(私もそう思った)。しかも著者は「マルクスを呼び起こそう」なんて言っている。私が経済学部の学生であった35年前でも、マルクスの思想を実用に供しようという考えは稀有だった。

 という反応は著者も十分に承知している。それでもなお「それしか解がない」と分かってもらうために、著者は新書にしては厚い約360ページの本を書いたのだ。(ちなみに、本書を読み終えるには、それなりの忍耐とオープンマインドな姿勢が必要だと思う。マルクスを持ち出したのがよかったのかどうか?今でも疑問だし。)

 読む前は「うまく行かないのは明らか」と私も思っていた。読んだ後は「著者の言うことはとても説得力がある。困難ではあっても、うまく行くかもしれない」と思った。世界にはその芽がすでに芽生えている。著者が紹介するそれらの芽に、よく似た事例は私の身近でも起きている。

 最後に。著者の主張は「脱成長コミュニズム」。「脱成長」の部分がとても大事。私が「うまく行くかもしれない」と思ったのも、「脱成長」に共感したから、という要素が大きい。ここでいう「成長」は「経済成長」のことで、多くの国の重要政策になっているけれど、「経済成長」が「豊かさ」をもたらさず、むしろ「欠乏」を招いている。そのカラクリは本書にも書いてある。それならば「成長」なんていらないではないか。私はそう思う。

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天上の葦(上)(下)

著 者:太田愛
出版社:KADOKAWA
出版日:2017年2月18日 初版発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

ある方からおススメいただいて読んだ。薦めてくださった理由が、読み終わったらよく分かった本。

主人公は、興信所の所長の鑓水七雄と、所員の繁藤修司、鑓水の友人で刑事の相馬亮介の3人。物語の発端はとても奇妙な事件だった。渋谷駅前のスクランブル交差点で歩行者用の信号が赤に変わって、無人であるべきその真ん中で、ひとりの老人が絶命した。死の直前、老人は何もない青空を指さしていた。それは正午ちょうどの出来事で、ニュースの冒頭の街のライブ映像として全国に放映された。

老人の名前は正光秀雄と分かった。四日後「正光秀雄が、最期に何を指さしたか突き止めて下さい」と、鑓水の興信所にこれまた奇妙な依頼が来る。期限は二週間、報酬は一千万円。依頼者は明示されなかったけれど、鑓水たちと因縁のある元与党の重鎮の政治家らしい。

鑓水はこの依頼を受ける。物語はこの後、公安部からの依頼で失踪した警察官の捜索をしていた相馬と鑓水たちが合流して、大波が繰り返して奔流のように進む。そして、事件の背後にはとても大きな権力が動いていることが、徐々に明らかになる。

とても面白かった。上下巻で800ページぐらいあるけれど、飽くことなく読めた。実は読んでいる最中は、叙述が少し詳しすぎる気がした部分があるのだけれど、あの詳しさにも意味があったのだと思える。途中で舞台が東京から瀬戸内の島に飛んで、脳裏に浮かぶ風景がガラッと変わるのも、飽きない要因として生きた。そして何よりも、本書のテーマは私が長く興味を抱えていたものだった。薦めてくださったのもそれが理由だろう。

ネタバレになるので詳しくは書かないけれど、この本に書かれているのは「権力と報道」、もう少し広げると「権力と民主主義」のことだ。私が抱えている興味というのもそれだ。薦めていただいた当時にも「新聞記者・桐生悠々忖度ニッポンを「嗤う」」という本の感想を書いていた。本書はフィクションだけれど、これがノンフィクションでも驚かない社会に、私たちは生きていると思う。

いくつも刺さるセリフがあったけれど一番を..

闘えるのは火が小さなうちだけです

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終電の神様 始発のアフターファイブ

著 者:阿川大樹
出版社:実業之日本社
出版日:2018年10月15日 初版第1刷 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 「始発で帰る」ということが、かつては私にもあったなぁ、と思った本。

 「終電の神様」の第2巻。5つの短編を収録した短編集。

 サブタイトルの「始発のアフターファイブ」は、冒頭の短編のタイトルでもある。主人公は清水荘二郎、60歳。歌舞伎町のラブホテルのルームメイクの仕事をしている。遅出の勤務は深夜1時から3時半まで。終電で出勤して、終業後はカフェで時間をつぶして始発で帰る。始発は5時台。「アフターファイブ」が「仕事帰り」を意味するなら、荘二郎にとって始発は二重の意味でまさに「アフターファイブ」。

 残り4編のタイトルと主人公を短く紹介。「スタンド・バイ・ミー」の岩谷ロコは、歌手になるべくストリートデビューするために、昨日岩手県から出てきた。「初心者歓迎、経験一切不問」の志村加奈は、通っている食堂で茜と知り合うが、その茜の顔をしばらく見ていない。

 「夜の家族」の沢木健太は、派遣型風俗、通称デリバリーヘルスの運転手をしている。「終電の女王」は舞台が中央線(いや「中央本線」)。主人公はシステムエンジニアの会田和也で、数年前に分かれた彼女から深夜1時過ぎに電話があった。どうやら電車を乗り過ごしたらしい。

 残りの4編も「始発のアフターファイブ」と同じで、深夜から明け方の時間帯の物語。「終電の女王」以外の3編は舞台も同じで歌舞伎町近辺だ。知っている人はよく分かると思うし、知らない人でも想像できると思うけれど、歌舞伎町にはこの時間帯にも人がたくさんいる。働いている人となれば、いろんな事情を抱えていて、人の数だけドラマがありそう。本書は、そんなドラマを拾い上げて、少し心温まる物語として丁寧に描く。

 どの物語もよかった。一番は「スタンド・バイ・ミー」。

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書店ガール3 託された一冊

著 者:碧野圭
出版社:PHP研究所
出版日:2014年5月22日 第1版第1刷
評 価:☆☆☆☆☆(説明)

 この記事を書くために部分部分を読み直していて、繰り返し涙が出た本。

 「書店ガール」の第3巻。主人公はこれまでと同じ、西岡理子と小幡亜紀の2人。舞台は前作の新興堂書店吉祥寺店に、仙台の櫂文堂書店が加わった。理子が、新興堂書店チェーンの東日本エリアのエリア・マネージャーに昇格、櫂文堂書店は新たにチェーン傘下に入って理子が担当になった、創業90年の老舗書店だ。

 理子も亜紀も試練の時を迎えていた。理子は、新しく担当になった櫂文堂書店のスタッフとの関係に悩んでいた。店長代理の沢村稔と打ち解けようとしても「亀の甲羅のように固い警戒心を身に纏って」そっけない態度しか返ってこない。

 亜紀は、育児休暇を終えて復帰して半年。好きだった文芸担当からビジネス書や経済書の担当に変わった。不案内で客からは不満を言われる。息子の保育園の迎えなどは母が協力してくれているが、それでも熱を出した時などは綱渡りだ。

 まぁこんな感じで始まって、これまでの2巻がそうであったように、それぞれが抱える問題は一進一退しながら解決に向かっていく。しかし今回は物語の芯はそこにはない。

 今回の物語の背景には東日本大震災がある(設定は2年半後になっている)。敢えて詳しくは紹介しないけれど、東北の被災者のことを考えると共に、「あの時自分は」と「あれから自分は」を、考えさせる物語になっている。涙なしには読めない。

 最後に心に残った言葉を。

 東京はこれだけ人が多いんですから、それに反応してくれる心優しい人の数も少なくないはず。それを売ってうちの儲けになって、おまけに人助けまでできるなら、最高じゃないですか。それが東京の本屋の在り方でしょう

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跳べ、暁

著 者:藤岡陽子
出版社:ポプラ社
出版日:2020年7月15日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 著者は、中学生がこんなに瑞々しく躍動する物語も描くんだと、うれしく思った本。

 藤岡陽子さんの近刊。私は「トライアウト」「テミスの休息」「満天のゴール」と読んできて、本書は4作品目。これまでの3作品は、様々な立場のシングルマザーを中心に据えた心に沁みる大人の物語だった。ところが本書の主人公は女子中学生。どんな話なのか興味津々で読んだ。

 主人公の名前は春野暁。中学2年生。5月という中途半端な時期に転校してきた。物語は新しい学校のクラスで「みなさん、はじめまして。私は春野暁といいます」と暁が自己紹介する場面から始まる。教室内を見渡すと、値踏みするような鋭い視線が集まってくる..。

 暁は、小学生の時にミニバスケットのチームにいた。「暁からバスケットをとったらなにも残らないだろ」と父親から言われるぐらい、一筋に励んでいた。ところが、新しい学校には「男バス」はあるけど「女バス」はない。父は「男バスのマネージャーを..」と言い、それを「いい考えだと思う」と言うが、暁は「そんなの、ちっともいい考えだとは思わない」

 心を惹き付けられる物語だった。この後は「ないなら創ればいい」と女バスを創部して、部員が一人また一人と集まって、練習で素人集団も力をつけて...。こんな要約を読むと「どこかで聞いたことあるような」と思うかもしれない(私もチアリーダーのドラマを思い出した)。そうであっても、この物語は無二のものだ。ケーキを同じ型を使って焼いても同じ味にはならない。

 部員のひとりひとりに事情がある。中学生だから親がらみで、もちろんその親にも事情がある。ついでに言うと先生にも。そうした事情に翻弄されながらも、中学生たちが困難を乗り越える姿に心打たれた。もちろん大人の力を借りないと解決できないこともあるのだけど、中学生たち自身が働きかけないと、大人は察して手を貸してくれたりしない。(暁と父親のように、親子はかなりズレている)

 青春小説でおススメのものない?と聞かれたら本書を薦めようと思う。

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神々と戦士たち4 聖なるワニの棺

著 者:ミシェル・ペイヴァー 訳:中谷友紀子
出版社:あすなろ書房
出版日:2017年5月30日 初版発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 いやこれは大冒険だな。テレビシリーズとかにすると面白そうだ、と思った本。

神々と戦士たち1 青銅の短剣」からはじまる全5巻シリーズの4巻目。物語の時代は青銅器時代。前卷までは古代ギリシアが舞台だったけれど、今回の舞台はエジプト。登場人物の会話の中に、王の「ペラオ(たぶんファラオ)」とか、ジャッカルの頭を持つ「アヌプ(アヌビス)神」とか、古代エジプトっぽい名前が出てくる。

 主人公の少年のヒュラスたちを追うコロノス一族、その運命を握る短剣というのがある。前卷で、ヒュラスの友達で大巫女の娘のピラ、その世話係のエジプト人が、短剣を持ってエジプトに逃げ込んだ。その短剣を追って、ヒュラスもピラもコロノス一族も、遠く船に乗ってエジプトに来た、というわけ。

 そんなわけで、今回の物語は、ヒュラス+ピラのチームと、コロノス一族のチームの短剣争奪戦だ。コロノス一族の方は「ペラオ」に貸しがあるらしく、衣食住に船、密偵までつけてもらっている。ヒュラスたちは乗ってきた船から放り出されて、焼け付く太陽の下で1日分の水袋しかない状態からのスタート。圧倒的に不利で勝ち目がないように見える。

 面白かった。ワニやカバに襲われたり、アフリカの少年に助けられたり。舞台を移すことで、異国らしい展開が得られた。サソリに刺されたヒュラスの手当てをした村人たち、ピラの世話係の出身地で祭祀を行う職人たち、ペラオの命を受けた一帯の支配者、様々な人々が関わってくる。一帯の支配者はコロノス一族の側、職人たちはヒュラスの側、かと思うと、それぞれの思惑で騙したり見捨てたりしたかと思うと助けたり。そう単純ではない。

 ヒュラスのことを「少年」と書いたけれど、14歳だから「少年」でいいのだけれど、表紙に描かれたヒュラスはたくましい青年だ。ピラも14歳で「ふつうなら結婚する年頃」だそうだ。ヒュラスのことを「なにをためらっているんだろう?」なんて考えている。

 あと1巻。さてどうなるのか?

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保健室のアン・ウニョン先生

著 者:チョン・セラン 訳:斎藤真理子
出版社:亜紀書房
出版日:2020年3月26日 第1版第1刷 6月11日 第2刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 もしかしたら新しいジャンルを見つけたんじゃないの?と思った本。

 タイトルどおり、主人公はアン・ウニョン先生。韓国の私立M高校の養護教諭。ウニョン先生には特別な能力、それに伴う使命がある。普通の人には見えないものが見える。それは、家の壁の中で静かに笑うおばさんだったり、生徒たちが振りまくエッチな妄想が形になったものだったり。中には人に悪さを働く危険なものもある。ウニョン先生はそういったものを、プラスチックの剣とBB弾の銃で退治している。本書は、ウニョン先生が活躍する長さが様々な短編10編を収録。

 最初の「大好きだよ、ジェリーフィッシュ」は、ウニョン先生がこの学校で活躍する最初の事件。実はこの学校の校舎は、地下3階まであるのに、地下1回のごく一部を倉庫として使っているだけで、それより下は使っていない。鉄の鎖で封印してある。

 ウニョン先生が守衛に言って地下に入ると、卒業生たちが捨てていった暴力や競争心、不名誉や羞恥が形になった、汚い「ぐにゃぐにゃ」が転がっていた。さらに下の階へ進むと...大混乱の末に最後はグラウンドが丸ごと弾けて学校の外へ飛んでいく爆発。なかなかのスペクタクルが展開される。

 ワクワクしながらおもしろく読んだ。本好きの知人の話で知った作品なのだけれど、新しい扉が開いた感じがした。

 韓国の現代を舞台とした本を読むのは初めてだ。欧米を舞台とした物語は、古代から現代まで数多く読んだけれど、「お隣の国の現代」という、時間的空間的にいわば私と一番近い物語を読むことが、これまで1回もなかったのはどうしてだろう?と考えた。(「近くて遠い」そんな言葉しか浮かばなかったけど)

 近いが故に、日本と比べてしまう。そして、比べても違いをほとんど見いださないことに、改めて驚く。韓国の高校生たちは、日本の高校生と変わりない。保守系の教科書のゴリ押しに先生が抵抗する場面があって、そっくりそのまま日本のがっこうを舞台に移しても行けるんじゃないのか?と思った。

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不平等と再分配の経済学

著 者:トマ・ピケティ 訳:尾上修悟
出版社:明石書店
出版日:2020年2月28日 初版第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 分量を目算して軽い気持ちで手を出したら、読むのがけっこうたいへんだった本。

 著者のトマ・ピケティさんはフランスの経済学者で、数年前に「21世紀の資本」という著書が世界的なベストセラーになって、日本でも知られるようになった。その本は、注釈を含めて700ページを超える大書で、告白すると、私は読み通すことができなかった。本書は200ページあまりで「これならば...」と思って読んでみた。

 本書のテーマは、「不平等」と「再分配」によるその解消。

 本書で扱う「不平等」は大きく2つで、「資本」と「労働」の間の不平等と、「労働所得」の不平等。前者は、機械や設備などの「資本を持つ資本家」と「労働力を提供する労働者」の間の不平等。後者は、高賃金の労働者と低賃金の労働者の間の所得の不平等だ。

そして「再分配」も2つ。「直接的」再分配と「財政的」再分配。前者は、不平等で劣位にある労働者や低賃金の労働者の「賃金を増やす」方法で、後者は、一旦課税によって資本家や高賃金の労働者から徴収して、それを劣位にある労働者に分配する方法。

 本書は、この2つの「不平等」のそれぞれについて、どちらの「再分配」が望ましいのかを、国別のマクロな統計を駆使して検討する。

 ページ数に比して読むのに時間のかかる本だった。元の文章がそうなのか、訳文がそうなのか(「訳者解題」を読むと両方の可能性がある)、複雑な構造の文章で、理解するのに集中を要する。

 「このような~」「これらの~」と、前の段落を受けての深堀りが繰り返されるのはまだしも、「しかし...ところが...」と「逆接の逆接」があったり、けっこう長い論説の最後に、「しかしこのことが...実現されるとは考えられない」と否定してみたり。(関西人なら「考えられへんのか~い!」とツッコむと思う)

 最後に、本書のテーマとは別に感じたことを。統計による国際比較をしているのだけれど、英国や米国(著者は「アングロ・サクソン諸国」と称している)と、フランスではずいぶん様子が違い、ドイツもまた違う(日本にはほとんど触れられない)。日本語に訳される海外の経済書は、おそらく圧倒的に米国(か英国)のものだと思う。国によってこうも違うのであれば、この偏重は問題だと思った。

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