地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか?

著 者:久繁哲之介
出版社:筑摩書房
出版日:2010年7月10日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 著者の久繁哲之介さまから献本いただきました。感謝。

 これまでの「地域再生」「地域活性化」の在り方に「No」を突き付け、新たな方策を提言した良書。著者は民間都市開発推進機構(MINTO機構)の研究員で、肩書きは「地域再生プランナー」。
 MINTO機構が国土交通省所管の財団法人で、20年余りも都市開発事業を支援してきたことを考えると、著者が突き付けた「No」は跳弾となって自らに返って来るべきものだ。しかし、ここは著者自身の責任を詮議することより、その立場によって得られた「地域再生」の豊富な情報から導かれた考察に、耳を傾けた方が得策だと思う。

 著者が一貫して主張しているのは、「街づくり計画に市民の生活を合わせる」のではなく、「市民の生活(希望)に合わせた街づくりを行う」ということだ。「何を当たり前のことを」なのだが、これまでの「地域再生」の多くは「当たり前」のことができてなかったわけだ。
 このことを、著者は多くの紙面を割いて実例を挙げて解き明かしていく。大型商業施設を誘致したが、客の心を読み誤っての撤退を繰り返す宇都宮市。コンパクトシティを目指して駅前に超高層ビルを建設した裏で、市民の足であった路面電車を廃止した岐阜市。この他にも多くの街の実情が紹介されている。
 まぁ「失敗例」から学ぶことはあるが、著者がこれらの事例を並べたのには別の理由もある。それは、これらの事例が、官公庁などが発信する「成功例」として紹介されているからだ。著者の言う「土建工学者」や「地域再生関係者」としては、(建物や道路の工事が完成して)プランが実施されれば「成功」なのだ。これらの人々に対する著者の怒りは激しく鋭い。「失敗」を「成功」と持てはやす彼らは、地域再生のガンでもあるからだ。

 ではどうしたらいいのか?著者は「7つビジョン」と「3つの提言」を掲げている。「ビジョン」は「私益より公益」「経済利益より人との交流」「立身出世より対等で心地よい交流」など、コンセプチュアルなものが並ぶが、本書を読めばもう少しはっきりした輪郭が見える。そして「提言」はかなり具体的なもので、すぐにでも実施できそうな気がする。
 しかし、そうは甘くない。地域再生に成功するためには、継続や忍耐、信頼と協力、意識の転換など、私たちが苦手とする多くのことが必要なのだ。本書を地域再生の「ハウツー本」として読むと、これまでの「成功例」を模倣して失敗した地域と同じ結果を招くだろう。本書は「最初の一歩」としてこそ読むべき価値がある。

 ここからは書評ではなく、この本を読んで思ったことを書いています。長いですが興味がある方はどうぞ

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 実は私は、わが街の「地域活性化」(死んだわけではないので「再生」はおかしいだろうと思っています)に関わっています。自治体関連の施設で働いていますし、わが街のTMO(中心市街地活性化)構想策定の委員もしていました。ですから、著者の一言一言に深く共感したり、わが身を恥じたりして読みました。また、宇都宮市や岐阜市の関係者にも言い分があるだろうなぁと、そちらに同情したりもしました。

 ご多分にもれず、わが街の中心商店街も賑わっているとは言い難い状況です。しかし、空き店舗があるにはありますが、「シャッター通り」にはなっていません。駅からの立地の良さ、観光資源や学校があることなどに救われてはいます。しかし、商店街の皆さんが、ヤル気を持ってことに当たっていることが大きいと思います。
 そして、「地域づくり」を考える人もたくさんいます。私が関わりがあるだけでも10以上も「地域づくり団体」があります。「本業は大丈夫なのか?」と心配になるほど熱心に活動される方も何人もいます。それでも「目に見える成果」なんて出てきません。流れに逆らって必死に櫂をこいで、その場に留まっているようなものです。

 ところで、「提供者側やオヤジ目線ではダメ」という話が本書の中にでてきます。これは「地域再生」のプランを策定する人々が中高年男性に偏っていることを指摘しているのですが、そのことに関しての私の経験を書きます。
 私が出席したTMO構想の委員会には、20人ほどの委員がいました。会議所、役所、大学の先生、コンサルタント、商店街の店主らでほとんどが男性、確か女性は1人だけでした。ある時、座長が私に意見を求めました。「最近の若者は休日はどうやって過ごしてるの?」。当時私は38歳でした。委員の中で最年少だったようです。

 何と答えたか覚えていませんが、実のある答えができたはずもありません。テーマとして若者が集まる仕組みづくり、みたいなものが挙げられていたはずですが、肝心の若者の意見も気持ちも誰もわからないのです。

 もう一つ同じ会議でのこと。商店街の人に「普段の買い物はどこでしてるんですか?」「洋服を買うのはどこで?」という質問がありました。答えは「○○○(ちょっと離れた場所にあるスーパーの名前)」「□□□(国道沿いの量販店の名前)」。つまり、商店街の人さえ商店街で買い物をしていないのです。笑えないジョークのようですね。

 こんな具合の委員会で策定された構想ですから、(自身が参加していながら申し訳ないのですが)「みんなそれぞれがんばりましょう」みたいな役割分担が決められただけで、お金がないこともあって、街をいじたっり箱モノを造ったりは計画されませんでした。本書を読んだ後は、それが幸いだったかと思いますから皮肉なものです。

 これでは希望の見えない話になってしまいますが、私は希望を持っています。それは、この街がまだ子どもの声が聞こえる街だからです。統計を見ると年少人口(15歳未満)は漸減していますが、割合としては全国平均よりもまだかなり高い。
 実は今日は市民祭りの日なのですが、私の住んでいる自治会からは小学生だけで100人以上の子どもたちが参加して踊りました。子どもがいるということは、その子を大事に思う若い親もいて、担い手はたくさんいるということです。

 小中学生より少し上の世代も頼もしいです。学生さんたちが熱心に地域活動をしてくれています。先ほどの例えで言うと櫂をこぐ手が増えているように思います。また、これは地域特性なのか、地域づくり団体はたくさんあっても、以前は誰かが良いことをすると、「あんなことやったって..」という悪口が別のところからすぐ聞こえてきたのですが、最近はそういうことは減ったように思います。課題は山積していても、力を合わせてたくさんの手でこげば、流れの中でも前に進むことができるはずだと思うのです。

2つのコメントが “地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか?”にありました

  1. みことみ

    はじめまして。
    いろんなブログサイトを見てみようと思ってランキングサイトからたどりつきました。
    とても興味深い内容で、また訪問させていただきます。

  2. YO-SHI

    みことみさん、コメントありがとうございました。

    みことみさんのブログも拝見しました。
    少しずつでも着実に更新されていました。

    またのご訪問をお待ちしています。もし同じ本を読んだ
    ことがあれば、感想などいただけるとうれしいです。
     

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