少年犯罪<減少>のパラドクス

著 者:土井隆義
出版社:岩波書店
出版日:2012年3月29日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 新聞の書評欄に載っていて、興味があったので読んでみた。

 本書の話の前に「少年の犯罪」について。このことについて、私たちはここ十数年の間に様々な気持ちを味わった。その端緒は1997年の「神戸連続児童殺傷事件」で、犯人が14歳の中学生であったことに衝撃を受けた。続いて、2000年には17歳の少年の凶悪事件が相次いで、何か良くないことが起きていると感じた。

 マスコミは「キレる17歳」と言って煽り、「少年凶悪犯の推移」という急激な右肩上がりのグラフを掲載した。私たちは「少年たちが凶悪化し、その犯罪が激増している」と思い込んだ。その後、実はそのグラフの左側には急激な左肩上がりの数値があって、90年代後半の増加は「コブ」ぐらいの膨らみだったと知って..しかし何かが分かったわけでも、何かが解決したわけでもない。

 こんな話をしたのは、本書はこの文脈の後に位置づけられるからだ。本書が明らかにしたところによると、例の「コブ」以降「少年凶悪犯」は減少を続けている。暮らしの中での感触だけでなく、貧困率や失業率などの統計上の数字も若者たちを取り巻く環境は厳しさを増しているにも関わらず。本書はこの「パラドクス」の解明を試みる。少年の犯罪が減少しているのは何故なのか?それは若者にとってどういう意味を持つのか?

 著者は様々統計や調査を駆使し、目標と達成手段とのギャップに注目した「アノミー論」を大きな枠組みとして使って、若者の犯罪を「抑止する」要因をあげていく。統計の扱い方が、上に挙げたマスコミの乱暴さとは対照的に、くどいほど慎重なことが印象的だ。例えば犯罪の検挙数は、取り締まる側の事情でも変わってしまう。そういった「攪乱要因」を丁寧に排除しながら考察を進めている。

 そうやって著者が挙げた要因は多岐に亘る。それぞれが、いちいちもっともだと思う。「劣悪な立場に置かれていたとしても、それに見合った程度の希望しか配分されていなければ、そこにフラストレーションは生じえない」などと聞けば悲しくなるけれど、私自身が見聞きする若者の言動とも合う。

 ただし本書には危うさも感じた。本書が統計を使った推論に過ぎないことだ。述べられているのは統計の数字の著者の解釈であって、いかに慎重に扱ったとしても、思い込みからは免れない。読んでいて「ムリヤリ感」を感じたことも少なくなかった。まったく別の解釈だって可能かもしれない。

 さらに、統計は全体の傾向を表す代わりに、個々の実態は捨象されてしまう。著者自身も「個人的な動機と社会的な原因は別ものだ」と述べている。しかし「別もの」であっても、考察の裏付けのためには必要な材料だと思う。たとえ少しでもいいから、直に若者の話を聞いてくれれば良かったと思う。

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