漂流しはじめた日本の教育

著 者:宮川典子
出版社:ポプラ社
出版日:2013年12月5日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 私は、地方自治体の公営施設で地域情報化に関する仕事をしている。「教育現場のデジタル化」もその一部で、これには少し検証の必要性を感じていたので、本書の「教育現場のデジタル化は誰のため?」というサブタイトルが目を引いた。

 著者の経歴は、大学卒業→中学・高校の英語教師→松下政経塾→衆議院議員だ。現在は政権党の議員で、教育再生実行本部のメンバー、ということだから、このテーマについて、ご自分の意見を表明されて然るべき方だろう。

 第1章の出だしはとても良かった。デジタル教科書を中心として、教育現場が「ビジネス市場」になりつつある、それでいいのか?という指摘がその理由。調べてみたところ、日本の小中学生は1000万人を超えるから、何であっても教育現場への導入が決まれば大変な数になる。これは確実で有望な市場だ。

 ここで「~誰のため?」という問いが生きる。あるべき答えは「子どもたちのため」であることは明白。ところが「デジタル教科書」が、どのように子どもたちのためになるか?という研究も検証も大変に希薄なまま、「1人1台」のタブレット端末、という計画が作られる。これでは「経済のため」もっと下世話に言えば「教材会社・機器メーカーのため」でしかない。

 出だしがヒットなだけに、その後の展開が煮詰まらないのが残念。私は検証の必要性は感じるけれど、「教育現場のデジタル化」は教育を良くする推進力になると思っている。ところが、著者には情報機器への嫌悪感と不信感が全編で感じられる。それが、有意義な考察を妨げているようだ。

 例えば、デジタル教科書の導入で、「教師も子どもたちも画面を見て、視線が交わされなくなる」。それで「教師も子供たちも喜びを感じるのか」とおっしゃる。でも、その場にいる教師と子供たちが、目と目を合わせる機会はなくならないだろう。敢えて没人間性的に描いて感情に訴えようとしたのかもしれない。そういう感情論は時として目を曇らせてしまう。

 私とは合わないことも多かったが、コロコロと試験的に教育制度をいじる「試しにやってみよう」式はダメだという主張など、もっともだと思う部分もあった。「2020年の東京オリンピック・パラリンピックを見据え」なんて近視眼的な考えで小学校3年生にも英語、ということが、文科省の「英語教育改革実施計画」に載っているのを知って、激しい幻滅を感じたばかりでもあったので。

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