教師が街に出てゆく時

著 者:浅田修一
出版社:筑摩書房
出版日:1984年5月25日 初版第1刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 本書の出版は1984年。著者は1938年生まれで、このころは現役の高校の国語教師だった。文学の研究や著述、映画の評論などもしていて、本書は、様々な媒体に書いた随筆をまとめたもの。

 最初に、私が本書を読んだ理由を。私は、著者が勤めていた高校に通っていた。卒業したのは1982年だから、本書の「現代高校生気質」という章をはじめとして、随所に出てくる「高校生」や「生徒」は、「私たち」のことなのだ。SNSで同級生たちの間で話題となったので読んでみた。そんなわけで、いつもは「著者」と書くところを「先生」と書く。

 先生は4歳の時にトロッコに轢かれて、右足をほとんど付け根から失った。本書のサブタイトルの「松葉杖の歌」は、先生の姿と暮らし、もしかしたらそれまでの人生をも表しているのかもしれない。松葉杖を2本ついて出勤してこられるのを、私も登校時によくお見掛けした。

 本書は、夕方の湊川公園のベンチでおっちゃんに手を握られる、という何とも退廃的な場面を描いた詩で始まる。それは、映画が好きで新開地に通い詰めていた、という先生の一面ではあると思う。しかし、この後に続く文章の数々には、また違う一面が表れている。

 それは、「怒り」や「諦め」を感じながらも、その相手に対して働きかけをやめない「不屈の闘志」のようなものを持った一面だ。安直の誹りは免れないけれど、60年安保の闘士でもあったので、「闘うこと」が自然だったのかもしれない。「部落差別」「在日朝鮮人への差別」などのあらゆる差別に対して。「君達は本当に生きとんのか!」と言いたくなる生徒たちに対して。先生は怒り、それでも正面からの対話を試みる。

 その感情がとりわけ複雑なのは、やはり先生の失くした右足のこと。ここで要約しては大事なことが抜け落ちてしまうので、私が感じたことだけを書く。片足がないことで辛いのは、自分の可能性を他人に決められてしまうことだったんだ、ということ。運動場で演技をする仲間を見て「あの程度のことはできる」と思っても、決してさせてもらえなかったそうだ。その孤独はいかばかりか。

 最後に。奥様のことや恋愛のことが時々話題になるのだけれど、自分の想いとは別に、それを相手がどう感じるかを先回りして考え、それに自分で答えて...と、まるで一人相撲だ。「先生も意外と青いね」と思ったら、この時の先生は、今の私より10歳以上も若かった。

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