たまちゃんのおつかい便

書影

著 者:森沢明夫
出版社:実業之日本社
出版日:2016年6月15日 初版第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 海辺の町の磯の香りや、そこで暮らす人々の温かさを感じた本。

 著者の作品は「虹の岬の喫茶店」「キッチン風見鶏」を読んだ。どちらもとても良かった。

 主人公は葉山珠美、親しい人からは「たまちゃん」と呼ばれている。20歳。青羽町という海辺の町の出身。翡翠色の清流の青羽川が作った扇状地で、紺碧の海に面している。美しい所だけれど、頭に「ど」がつく田舎で、地元の人たちのつながりが濃密。実家は父の正太郎が営む「居酒屋たなぼた」。

 物語は病院から始まる。正太郎が腫瘍の切除手術を受けているからだ。手術の終わりを待つたまちゃんには、正太郎に言わないといけないことがあった。青羽町に戻ってきて起業しようと思っていること。そのために、通っていた都会の大学をもう辞めてしまったこと。起業して始めるのは、町のお年寄りに食品や生活用品を届ける「移動販売」だ。

 この後物語は、無事に父の了解と後押しを受けて、たまちゃんが移動販売の「たまちゃんのおつかい便」を始めて軌道に乗せていく様を描く。

 たまちゃんの周辺の人々がいい。父の正太郎、継母のシャーリーン、祖母の静子、その友人の千代子、たまちゃんの同級生の壮介、おなじく同級生の真紀、真紀の姉の理沙、移動販売の師匠の正三、お客さまの初音...。みんないろいろある。例えば、真紀は引きこもりだし、正三は元やくざだし、シャーリーンはフィリピン人だ。(フィリピン人だからなんだ?外国人差別か?と思われるかもしれないけれど、この設定は本書に欠かせないものになっている。)

 たまちゃんのすごいところは、たまちゃんが「たまちゃんのお使い便」を始めたことで、上にあげた全員の暮らしが、よい方向に変わったことだ。それは著者のすごいところでもあって、たまちゃんを描くことで、たくさんの人の心情や暮らしまで描いている。秀作だと思う。

 正直に言って、冒頭でたまちゃんの起業の話が出た時には「そんな思いつきで始めてもうまく行きっこない」と感じたけれど、後でたまちゃんはけっこう周到だったことが分かる。なんだろう?この細かなリアリティは?と思っていたら、「あとがき」でモデルがいることが分かった。なるほど。

 心に残った言葉。わたしを夢見心地にさせたその声を、わたしは記憶のいちばん浅いところにタトゥーのようにしっかりと刻み付けておいた。

 「記憶の深いところに..」「心の奥の方に..」はよく見かけるけれど、「浅いところに..」は初めて(だと思う)。こういうことを意識的にできるといいなと思った、うれしかったこと、よかったことを、記憶の浅いところに刻んでおけば、すぐに思い出せる。

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