戦争は女の顔をしていない

著 者:スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ 訳:三浦みどり
出版社:岩波書店
出版日:2016年2月16日 第1刷 2022年4月15日 第14刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

リアル版の「同志少女よ、敵を撃て」。簡単には読めないけれど、簡単には断念もできない本。

本書は、ベラルーシのジャーナリストである著者が、第二次世界大戦でドイツとの戦争(独ソ戦)に従軍したソ連の女性兵士たち500人以上を取材し、その肉声をまとめたもの。今年の本屋大賞を受賞した「同志少女よ、敵を撃て」の著者の逢坂冬馬さんが、インタビューで「同書の執筆を決意させた」本、とおっしゃっている。

第二次世界大戦でソ連では100万人を超える女性が従軍している。他国のように看護婦や軍医としてだけではなく、狙撃兵や高射砲兵、機関銃兵といった実際に人を殺す兵員としても参加している。またパルチザンなどの抵抗運動に参加していた女性たちも多くいる。年齢は15歳ぐらいからで、まさに「少女」も従軍していた。

「女が語る戦争」は「男が語る戦争」とは違う。男が語る戦争は、どこどこの戦線にいて、進撃したとか退却したとかいう事実、あるいは「記録」。こういうことは本書の前にも多く語られている。女が語る戦争は、どこどこに行ってこんなことをした、その時こういう気持ちだった、という体験や気持ち、あるいは「記憶」。これらは口を閉ざされて長く表に出ることはなかった。

なぜ口を閉ざしていたか?独ソ戦はソ連にとっては、祖国を守った勝利の戦争。戦争から戻った兵士は英雄だ。たとえ足を片方失くしても英雄だし結婚もできた。しかしそれは男の兵士のことで、女の兵士を迎えた社会は冷たかった。「戦地で何をしていたか知ってるわ。若さで誘惑して、あたしたちの亭主と懇ろになってたんだろ。戦地のあばずれ、雌犬」と侮辱を受けた話が載っている。だから、女たちは口を閉ざして戦争のことを言わない。戦後までを含めて女と男の戦争は違う。

簡単にまとめるとこんな感じのことが、本書には書かれている。しかしもっと遥かに複雑な物事が記されている。(ざっと数えてみたら)170人あまりの「肉声」は、当たり前ながら多様で要約にはなじまないし、「かわいそう」といった安易で一面的な見方も慎まなければならない。

例えば、生々しい戦闘の話と一緒に、恋愛のことを語る人もいる。彼女らにとっては「青春」の日でもあった。私が一番意外だったのは、進んで志願してこの戦争に加わった人が多数いたことだ。また、私にとっては「同志少女よ、敵を撃て」の影響は大きく、「狙撃兵」と書いてあればセラフィマと重ね合わせ、「オリガ」という名前を見ると複雑な気持ちになった。

随所に挟まれる著者による取材や出版の経緯などで、戦後のソ連、ロシアのことが分かる。本書は脱稿した後もしばらくは無視され、ゴルバチョフがソ連の書記長になる1985年まで出版されなかった。さらに、著者の祖国のベラルーシでは、大統領が著者を非難し長く著者の本は出版されていない。その大統領は今も現職で、ロシアのウクライナ侵攻を支援している。

著者は、2015年にノーベル文学賞を受賞した。

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