1.ファンタジー

風の海 迷宮の岸

書影

著 者:小野不由美
出版社:講談社
出版日:2000年4月15日 第1刷発行 2002年4月11日 第3刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 「月の影 影の海」から始まる「十二国記」シリーズの第2作。世界観はそのままに、主人公も舞台も時代も変わる。

 主人公は泰麒、十二国の内の1つ「戴」の国の麒麟。舞台は生まれ落ちた麒麟が育つ「蓬山」。時代は、「月の影 影の海」を少し遡ったころ。麒麟とは、12の国にそれぞれ1体だけいる神獣で、天意に従って王を選び、その王を補佐して国を治める役割を担う。

 本来、麒麟は蓬山の奥にある木の実から孵って、王を選ぶその日まで蓬山で暮らす。しかし泰麒が宿る実は、「蝕」と呼ばれる天変地異で、蓬莱の国に流れて行ってしまった。蓬莱の国とは、つまり私たちが暮らす「こちら側」の世界。泰麒は、私たちの世界で10歳まで育った後に、蓬山に帰還する。

 この物語を通して感じるのは、泰麒が抱く「欠落感」。10歳まで育った私たちの世界では、泰麒は「お友達とうまくやっていくこと」ができなかった。両親や祖母を喜ばせることもできなかった。そして蓬山でも、別世界で10年の年月を暮らした泰麒は、他の麒麟たちができることが何一つできない...

 ただしこの少々重たい感覚は、物語を底流してはいるものの、常に表面に出ているわけではない。表面には10歳の少年の、全く異質な世界に放り込まれながらもそれに順応する「しなやかさ」と「成長」が描かれていて、清々しくさえある。

 前作「月の影 影の海」が、何度もアップダウンを繰り返す波乱の展開であったのに対して、本書は後半の盛り上がりに向けてなだらかに登っていく感じだった。それはそれで悪くはないのだけれど、私としては前作の方が面白かった。

 前作と重なる登場人物もあり、シリーズとしての繋がりは保たれている。また、前作では分からなかった「十二国記」の世界の成り立ちやシステムについても書かれていて、本書は良いガイダンスにもなっている。

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月の影 影の海(上)(下)

書影
書影

著 者:小野不由美
出版社:講談社
出版日:2001年1月15日 第1刷発行 2003年3月7日 第10刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「キアズマ」の記事のコメントで、あまねママさんにおススメいただいた、「十二国記」シリーズの第1作。おススメいただいた時に、ちょうど図書館で予約したところだったという、不思議な巡りあわせもあり、さっそく読んでみた。

 「十二国」とは、その名の通り12の国からなる世界。中心にある神々が住まう地を、国々が幾何学的に取り囲んでいる。私たちが住む「こちら側」とは「虚海」という海でつながっている。ただし、人間は「こちら側」から「あちら側(十二国)」への一方通行しかできない。

 シリーズ第1作の本書の主人公は中嶋陽子、女子高の1年生。職員室でケイキと名乗る膝に届く金髪の男の訪問を受け、そこからは怒涛の展開。窓ガラスが突然全部砕け散り、でかい怪鳥の襲撃を受け、その怪鳥相手に大立ち回りを演じ..。

 それらが落ち着くと、陽子は十二国の1つ「巧」という名の国の海岸に打ち上げられていた。その国では「こちら側」から来た者は「お尋ね者」で、陽子は追手に追われ、妖魔と呼ばれる魔物たちの襲撃を受ける。落ち着いたのは一時だけで、その後も緩急を付けた波乱の展開が物語の終盤まで続く。

 陽子は、ちょっと醒めたところはあるが「普通の女子高生」だ。その陽子が逃避行を重ねて野宿を繰り返し、身一つで妖魔と戦う。そのことに最初は、陽子本人はもちろん、読者も違和感を感じてしまう。しかし、いつの間にかその違和感は消えている。陽子の中の何かが目覚めて、それだけ陽子が「変わった」からだ。

 面白かった。まぁ以前からどんな物語かは何となく聞いていて、ハマりそうな予感がしてはいた。ハマってしまうのが怖くて、読むのを敢えて後回しにしてきた面もある。しかし、読んでしまったものは仕方ない。案の定この世界に首まで浸かってしまいそうだ。下巻の裏表紙の紹介に書いてある通り「十二国の大抒情詩」は始まったばかりだ。

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チャーメインと魔法の家 -ハウルの動く城3-

書影

著 者:ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 訳:市田泉
出版社:徳間書店
出版日:2013年5月31日 初版発行
評 価:☆☆☆(説明)

 副題は「ハウルの動く城3」。スタジオジブリの映画「ハウルの動く城」の原作となった「魔法使いハウルと火の悪魔」の続編。ちなみに「2」は「アブダラと空飛ぶ絨毯」。

 8年前に書いた「アブダラと空飛ぶ絨毯」のレビューを読み返すと、「続編」とは書かずに「姉妹編」と書いていた。たぶん、同じ時代の同じ世界の物語ではあるが、主人公はハウルでもソフィーでもカルシファーでもないし、彼らはほとんど登場しないからだろう。それに比べると本書は、ハウルたちの登場場面が多く、重要な役割もある。

 主人公はチャーメイン、本好きの14歳の少女。大おばさんの大おじさんに当たる魔法使いノーランドの家の留守番をすることになった。気乗りしない話だったけれど、家から出られたらやりたいことがあったので、それを実行することにした。それは王宮図書室で働きたい、と国王陛下に願い出ることだった。

 チャーメインは、お母さんが「上品に」育てようと(誤った認識なんだけれど)、家事を何もさせなかったので、家事全般が何もできない。おまけにノーランドの家は、ドアを出て右に行くか左に行くかで違う場所に出るという、ややこしい「魔法の家」だし、好奇心旺盛なチャーメインは色々試してみるしで、初日から大騒ぎになる。

 その後、王宮図書室での仕事に採用され、蔵書整理のために王宮に通うようになる。そこで王宮の中の何かを探っているソフィーたちと出会う。チャーメインは、知らないうちに王族のなかの陰謀に巻き込まれてしまう。

 この物語の見どころは2つ。1つ目はチャーメインの成長。「何もできない(しない)少女」が、「床に何かを落としたら、自分で拾うまでそこにころがってる」という、当たり前のことに気付く。そこから「何事も、自分で何とかしなくちゃいけない」と心に決めたのが成長の証だ。

 2つ目は、後半の悪い奴らをやっつける勧善懲悪の展開。ハウルやカルシファーたちの活躍が楽しめるので、ハウルのファンにはおススメ。ジョーンズ作品のファンにはお馴染みの「登場人物たちの意外な素顔」もある。ただ、同じくお馴染みのアクの強さや捻りに捻った展開は控えめ。素直なストーリーなので、より多くの人が楽しめる。

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星の牧場

書影

著 者:庄野英二
出版社:角川書店
出版日:1976年11月20日 初版発行 1986年9月20日 5版発行
評 価:☆☆☆(説明)

 本好きのためのSNS「本カフェ」の読書会の3月の指定図書。

 最初の刊行は1963年に理論社から。翌年の産経児童出版文化賞、野間児童文芸賞、日本児童文学者協会賞を受賞。戦後児童文学の屈指の名作と言われる長編ファンタジー。1980年代にはテレビドラマや映画化もされている。

 時代は終戦後しばらくしたころ。舞台は山の牧場。主人公はモミイチという名の青年。モミイチは南方の戦線で従軍した後、復員して山の牧場に帰ってきた。ただ、マラリアの高熱と戦争の悲惨な経験のためか、従軍中の記憶をほとんど失っていた。自分が世話をしたツキスミという名の馬のこと以外は。

 物語は、モミイチが彼だけに聞こえる馬の蹄の音に、導かれるようにして山の奥に踏み入れ、そこで出会ったジプシー(山を愛して自由にさまよいながら暮らす人々)たちとの交流を描く。ジプシーたちは大勢いて、自然の恵みを得て生計を立て、音楽を愛し楽器を奏でて暮らしている。

 どうも不思議なことが重なって、このジプシーたちとのエピソードは本当のことなのか?という疑問が浮かぶ。しかし、そういうことには囚われないで、そのまま素直に受け止めた方がいい。何しろ本書は「ファンタジー」なのだ。

 モミイチが最初にジプシーと出会ったのは、山の奥に分け入って林を抜け、崖を上ったところにある一面の花畑。ここは恐らく「異界」だ。モミイチは「私たちの世界」と「異界」を行き来して、失ったものを少しづつ取り戻す。

 最後に。これは50年も前の作品。その作品で既に「あくせくはたらきすぎてくるしみがふえるようなこと」への警鐘が鳴っている。その警鐘は50年間全く生かされなかったようだ。私たちはジプシーたちの暮らしから、「幸せに暮らすために、多くのものは必要ない」ということを学ぶべきだと思う。

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星空から来た犬

書影

著 者:ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 訳:原島文世
出版社:早川書房
出版日:2004年9月5日 初版発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 背表紙に「ファンタジィの女王ジョーンズの若き日の傑作」と書いてある。前に紹介した「ウィルキンズの歯と呪いの魔法」が、著者の子供向けの作品の第1作で、出版されたのは1973年。本書の英国での出版は1975年だから、最初期の作品と言える。まぁ著者は1934年生まれだから、そのころは40代。「若き日」と言うのかどうか、意見の別れるところだけれど。

 物語は主人公の「天狼星シリウス」が被告として出廷する裁判のシーンから始まる。この「シリウス」とは、今の季節に南の低い夜空に輝く星の、あのシリウスのこと。この物語では、夜空の星々がそれぞれに人格を持っている。シリウスは高い階級の「光官」であったが、罪に問われて有罪となり、その罪を償うために地球へ送り出された。犬の姿となって。

 シリウスは記憶も失って、生まれたばかりの子犬となって人生?をやり直す。自分一匹だけで生きていけるはずもなく、いきなり生命の危機を迎えるが、そこを人間の少女キャスリーンに救われる。その後、太陽やら地球やら(もちろん彼ら?にも人格がある)に助けを得て記憶を取り戻し...という物語。

 辛口のユーモアや皮肉が著者の作品の持ち味の一つ。キャスリーンは父親が刑務所に入っている間、親戚の家に預けられている。その親戚がまぁイヤなヤツで、「こんな人子供の本に登場させていいのかな?」という感じなんだけれど、実は「ダメな大人」は著者の作品の定番。それは最初期作品からそうだったわけだ。

 ちなみに、シリウスは英語では「Dog Star」だからシリウスが犬になるのは、言葉遊びというか自然な成り行きでもある。(そういえば、ハリーポッターでもシリウス・ブラックが犬に変身していた)。それから原題の「Dogsbody」は「犬のからだ」だけれど、英語では物語に関連する別の意味もあるそうだ。
 この本の訳者は、以前にコメントをいただいたことのある原島文世さん。上の「ちなみに」以下は、原島さんによる「あとがき」の受け売りだ。ご本人は「読まなくもていい」なんて書かれているけれど、本書を読んだあとに是非「あとがき」を読んで欲しい。本書が一段深く理解できるようになるから。

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王狼たちの戦旗 氷と炎の歌2(上)(下)

書影
書影

著 者:ジョージ・R・R・マーティン 訳:岡部宏之
出版社:早川書房
出版日:2004年11月15日 初版発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「七王国の玉座」の続編で、「氷と炎の歌」シリーズの第2弾。このシリーズは中世の英国を思わせる、架空の王国での覇権争いを描いたファンタジー。前作と同じく、本書も約450ページの二段組みの上下巻。シリーズ全体では7部作になるという、長大な物語だ。(ちなみに現在、英語の原書は第5部まで、邦訳は第4部まで刊行されている)

 物語は前作から続いているので、舞台も登場人物もほぼ同じ。王国の最北の地域の領主であるスターク家の王妃ケイトリンとその4人の子どもたち、敵対するラニスター家のティリオン、以前の王家であるターガリエン家のデーナリスらの視点からの物語が順次語られる。

 前作で、王国を統治するロバート王が暗殺され、王の補佐役であったスターク家の当主、エダートも謀反の罪を被せられて処刑される。すぐにロバートの息子が王位を継承したが、ロバートの弟2人と、エダートの息子がそれぞれ王を名乗る。4人の王が並び立ち、王国の勢力図は一気に流動的になる、という状態で本書は始まる。

 この前提だけで十分にややこしいのだけれど、領主たちは婚姻や主従関係によって、複雑な同盟関係にあり、しかも陰謀や裏切りが日常茶飯事で、兄弟姉妹や幼馴染であっても油断はできない。また、ケイトリンの子どもたちはバラバラになり、それぞれの立場で窮地に陥っている。あぁ、こんな入り組んだストーリーを紹介するのは、とてもムリだ。

 こんな紹介では、複雑なことだけが伝わったかもしれない。しかし、複雑な長い物語であるにも関わらず、順番に時間をかけて読めば、作品世界がスッ頭の中に入ってくる。驚きを禁じ得ない。(情報によると次作「剣嵐の大地」は、上中下巻だそうだ。このシリーズとの付き合いは長くなりそうだ)

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デイルマーク王国史4 時の彼方の王冠

書影

著 者:ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 訳:三辺律子
出版社:東京創元社
出版日:2005年3月25日 初版
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「詩人たちの旅」「聖なる島々へ」「呪文の織り手」に続く、デイルマーク王国史4部作の第4作、つまり本書にてシリーズは完結。

 第1作2作は、王が不在となって領主たちが南北に分かれて争う同じ時代の物語で、第3作はずっと時代を遡ってデイルマーク王国が誕生する前、言わば神話の時代の物語だった。そして本書は再び第1作2作の時代へと戻る。

 主人公はメイウェン。13歳の女の子。何と200年後の「現代」から、物語の時代へ送り込まれる。そこで「唯一の者」の娘で、王国を再統一すると言われている少女、ノレスの身代わりとして、正統を示す王冠を求める旅をすることになる。
 その旅に同行するのが、メイウェンを過去に送った張本人のウェンドと、第1作に登場する詩人のヘステファンとモリル、第2作に登場するネイヴィスとミット、の5人。さらに、第3作に登場したタナクィらが姿と名前を変えて現れる。

 メイウェンを除く登場人物にはそれぞれ、これまでの物語に加えて、その後の経緯によって背負うことになった背景と思惑がある。その思惑の違いが旅の雰囲気に微妙な緊張感を生む。さらに、第3作の登場人物たちの「不死なる者」としての意思が絡んでくる。
 また、メイウェンが知る歴史では、この後はアミルという大王が登場して国を興すことになっている。その王はどこで登場するのか?そしてノレスという名は歴史に残っていないけれど、彼女は(つまりメイウェンは)どうなってしまったのか?目が離せない。

 読み終わって、これまでの3作は本書のためにあったと分かる。逆に、本書によってこれまでの3作が生きる。「現代」「物語の時代」「神話の時代」、これまでに描いてきた物語の、悠久の時間の流れを1か所に注ぎ込んだ、正に掉尾を飾る作品だった。

 シリーズ名の「デイルマーク王国史」の英語の原題は、Dalemark Quartet(デイルマーク四重奏)。つまり、この4作品は互いに響きあう関係になっている。前3作と本書には、実に細かい繋がりがいくつもある。それなしでも充分に面白いのだけれど、もしその繋がりを楽しみたければ、間をおかずに4作を読んだ方がいいと思う。

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うそうそ

書影

著 者:畠中恵
出版社:新潮社
出版日:2006年5月30日 発行 6月15日 3刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「しゃばけ」シリーズの第5作。2、3、4作目は短編集なので、本書は第1作「しゃばけ」に続く2作目の長編作品になる。短編集も、しみじみとして良い作品があり良かったが、やはり長編は読み応えがあって格別だった。

 病弱で寝込んでばかりいる主人公の一太郎が、今回は湯治のためとは言え、箱根まで旅に出ることになった。今なら小田急ロマンスカーで新宿から1時間半だけれど、江戸時代には厳しい旅だったはずで、病弱な一太郎は大丈夫なのか?

 まぁ一太郎は大店の跡取り息子で、両親は一太郎には砂糖菓子のように甘い人たちなので、息子が疲れないように金に糸目を付けない旅程が組まれた。予定通り行けば、一太郎はほとんど歩かずに宿に着いて、湯につかることができる。..そしてもちろん、予定通りには行かない。

 人さらいに遭ったり、天狗の集団の襲撃を受けたり。病弱で、ちょっと外の冷たい空気に当たっただけで、具合が悪くなって寝込んでしまう一太郎には、なかなかに過酷な経験が待っていた。しかし、これも一太郎の成長には役立った。

 「私は何かの役に立っているのだろうか?」という、常に一太郎を悩ませる想いを吹っ切れるきかっけを、少しはつかんだようだ。タイトルの「うそうそ」は「嘘々」ではなく、江戸言葉で「きょろきょろ、うろうろとたずねまわるさま」だそうだ。一太郎は自分が居る意味を、未だきょろきょろと探している。

 舞台を江戸から箱根に移したことで、神様やら天狗やらの新しい「人ならぬ者」や、人間の新しいキャラクターたちも登場してにぎやかな感じだった。

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ウィルキンズの歯と呪いの魔法

書影

著 者:ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 訳:原島文世
出版社:早川書房
出版日:2006年3月31日 初版発行
評 価:☆☆☆(説明)

 著者は1970年に大人向けの小説を1作出版しているが、子ども向けの作品としては1973年出版の本書が記念すべき第1作。「訳者あとがき」で、訳者の原島文世さんも触れておられるけれど、その後に50作以上も続く「DWJの世界」の出発点であり原型とも言える。

 主人公はジェスとフランクの姉弟。恐らく2人とも小学生。2人は、椅子を壊した罰として4か月間おこづかいなしにされてしまった。それで、こづかい稼ぎに思いついたのが「仕返し有限会社」。誰かの代わりに仕返しすることを請け負って、料金をもらおうという会社だ。

 そんなことを依頼する客がいるのか?と思うが、これがけっこういたのだ。ただし、お客は全員子どもだ。ジェスたちと同じように金欠で料金が払えない客ばかりで、ちっとも稼ぎにはならない。しかも、最初の仕事で手に入れたウィルキンズ君の歯のために、大変なトラブルに巻き込まれてしまう。

 そのトラブルとは..。近所に風体も言動もちょっとおかしな、ビティという女が住んでいる。彼女は魔女だという噂があるのだけれど、どうもその噂は本当らしく、友だちが次々とその呪いにかかってしまったのだ。物語はこの後、ジェスとフランクらの子ども連合とビティとの対決の構図を深めていく。

 元気な子どもたち、特に女の子の活躍は、著者のその後の作品に受け継がれる特徴で、まさに「原型」と言える。ビティの悪者ぶりにも、ジェスらの報復も容赦ない感じで、著者らしい。ただ、持ち味の捻りの効いた展開と辛口のユーモアは、まだ少々といったところ。

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薄紅天女

書影

著 者:荻原規子
出版社:徳間書店
出版日:1996年8月31日 初版発行 1998年1月10日 9刷発行 
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「空色勾玉」「白鳥異伝」に続く「勾玉」シリーズ3部作の3作目。正確な年代は定かではないが、「空色勾玉」から「白鳥異伝」までに数百年。本書「薄紅天女」は、そこからさらに数百年下り、奈良時代の末の物語。伝説の勾玉の1つで「白鳥異伝」で失われた「明玉(あかるたま)」が、キーアイテムになる。

 本書は二部構成で、第一部の主人公は、武蔵の国に17歳の少年の藤太(とうた)と阿高(あたか)。2人は叔父と甥という関係ながら同じ歳でもあり、双子のように育った。

 実は、阿高の出生には秘密があり、その秘密に引き寄せられるように、出生の地である蝦夷へ向かう。藤太と友人2人は、都から来た少将の坂上田村麻呂と共に阿高を追う。そして彼らは蝦夷の地で、阿高が秘める力と重すぎる運命を知ることになる。

 第二部の主人公は、時の帝の娘、つまり内親王の苑上(そのえ)15歳。その頃、都には頻繁に怨霊が出没し人々を害していた。皇族であってもその被害を免れず、兄の皇太子にまで危害が及んでいること知り、苑上は怨霊に立ち向かうために宮を出て、その途上で阿高に出会う。

 面白かった。前作「白鳥異伝」のレビューの最後に「魅力的な登場人物が配置され、キャラ読みしても面白いかもしれない」と書いたが、本書はそれに輪をかけて登場人物が魅力的だ。以前の自民党の総裁の言葉を借りれば「キャラが立っている」

 例を挙げると、優しい藤太とつれない阿高は、二人とも若い娘にモテモテのイケメン。お転婆な内親王の苑上。大男の豪傑ながら面倒見の良い田村麻呂。その他にも、武芸に長けた男装の麗人、若くして一門を開いた型破りの僧....その人を主人公にスピンアウト作品ができそうな登場人物がゴロゴロいる。

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