2.小説

天国の本屋

書影

著 者:松久淳+田中渉
出版社:かまくら春秋社
出版日:2000年12月31日 第1刷 2002年10月10日 第8刷
評 価:☆☆☆(説明)

 本書は、本好きのためのSNS「本カフェ」の読書会の8月の指定図書。もう少し早くに読んでいたのだけれど、今日(29日)が読書会の書き込み開始の日なので、それに合わせました。ちなみに、今回は私がこの本を指定図書に選びました。

 物語の主な舞台は「天国」。本書では、人間の天寿は100歳に設定されている。もちろん誰もが100歳まで生きられるわけではなく、多くはそれまでに亡くなってしまう。そして、その後100歳までの残された年月を過ごす場所が「天国」。20歳で亡くなった人は80年間、80歳でなくなった人は20年間を「天国」で過ごし、また現世に生まれ出てくる、そういうことらしい。

 主人公のさとしは、ヤル気のない大学4年生。ヤル気のなさを見透かされたのか就職先が決まらない。ある日アロハシャツにバミューダパンツといういでたちの老人ヤマキに、本屋に連れてこられる。そこが、なんと「天国の本屋」、その名も「ヘブンズ・ブックサービス」
 さとしは、死んだわけではなく、短期バイトとして連れてこられた。バイトが終われば現世に帰ることになっている。ヤマキがさとしを連れてきたのには理由がある。さとしが天国で果たすべき役割もある。110ページあまりの短い物語。シンプルすぎる、意外性がない、という声も聞こえる。しかし、であるが故に力強いメッセージが感じられる。「自らの「生」を生きなさい」と。

 もうひとつ特筆したいことがある。「ヘブンズ・ブックサービス」では、朗読のサービスをやっている。店の本でも自分の本でも、依頼されれば朗読する。私はこのサービスに深く感じ入ってしまった。自分が書店をやっていれば、すぐにでもこの朗読サービスを始めたいと思った。
 これは、映画「天国の本屋~恋火」の中のセリフなのだけれど「言葉を字じゃなく音で聞きたい」ということが確かにあると思う。もっと言えば「声で聞きたい」。声は波動となって相手に届き、そこに絆が生まれる。字が読めるようになっても、本を読んで欲しいと子どもがせがむのはそういうことだと思う。大人になると、本を読んでもらえる機会は激減するが、大人だって読んでもらいたい時があるはずだ。

(追記)
 「天国の本屋」はシリーズ化されていて、「天国の本屋―うつしいろのゆめ 」「天国の本屋 恋火 」「あの夏を泳ぐ―天国の本屋 」と、本書を合わせて現在4作が出ています。それから、竹内結子さん主演の映画「天国の本屋 ~恋火 」は、本書「天国の本屋」と第3作「天国の本屋 恋火」の2つを合わせて原作としています。本も映画も良かったです。

 本好きのためのSNS「本カフェ」参加希望はこちらへ

 人気ブログランキング「本・読書」ページへ
 にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
 (たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)

マークスの山(上)(下)

書影
書影

著 者:高村薫
出版社:講談社
出版日:2003年1月24日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 2ヶ月半前に読んだ同書の再読。いや、以前に読んだのは単行本で今回読んだのは文庫本なので、正確には再読とは言わないのかもしれない。普段こういう読み方はしないのだけれど、以前のレビューに「文庫版の方が面白かった」という声をいくつか頂いたので読んでみた次第。また、著者は改版や文庫化の際に大幅に改稿するそうで、それも確かめたかった。

 そして...「文庫版の方が面白かった」。何人かの皆さんがおっしゃる通りに。改稿もハンパな量ではなかった。昭和51年の雪山と57年の病院での殺人事件、平成元年の強盗傷害事件、そして平成4年の連続殺人と、単行本と同じ事件が起きる。しかし、それを軸にして語られる数々のエピソードは、ある物は変更され、ある物は姿を消し、全く新しく加えられた物もある。大きな流れを変えるような改変もされている。

 この改稿によって、どう面白くなったのか?言葉にするのは難しいのだけれど「物語が研ぎ澄まされた」と言えば伝わるだろうか?刃物を研ぐことで鋭さを増すように、数多くのエピソードを見直すことで、物語の輪郭が太く鮮明に浮かび上がってきた。
 改稿の一例を挙げると、前半に連続殺人犯の視点のエピソードが増えた。これによって、連続殺人事件自体の謎解きの要素は小さくなった。しかしそれと引き換えに、昭和51年の雪山の事件の真相に焦点が絞られ、それに迫る現場の捜査官の緊迫がぐっと力強く伝わるようになった。

 先日の記事で、本書がWOWOWでドラマ化されることをお伝えしたが、昨日(25日)その制作会見が開かれ、連続殺人犯の水沢裕之役として高良健吾さんが発表された。キャストをWEB上で1日に1人ずつ発表し、最後に水沢役を会見を開いて発表、という手の込んだ演出をしている。飛びぬけて個性的な登場人物でもある、水沢の描き方が楽しみなドラマとなりそうだ。

 にほんブログ村「高村薫さんと、その作品について。 」ブログコミュニティへ
 (高村薫さんについてのブログ記事が集まっています。)

 人気ブログランキング「本・読書」ページへ
 にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
 (たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)

天地明察

書影

著 者:冲方丁
出版社:角川書店
出版日:2009年11月30日 初版 2010年4月25日 7版発行
評 価:☆☆☆☆☆(説明)

 本屋大賞と私は相性がいいらしい。私が好きな伊坂幸太郎さんも、森見登美彦さんも、有川浩さんも、万城目学さんも(まだいらっしゃるけれど、このあたりでやめときます)、読んだ最初のきっかけは本屋大賞だった。そして、本書は2010年の本屋大賞の大賞受賞作。

 実に楽しい読書だった。期待に違うことなく、とはこのことだ。物語の舞台は江戸時代の日本、17世紀後半、戦国の世が治まって徳川の時代となって半世紀、4代将軍家綱のころだ。主人公は渋川春海。将軍様の前で碁を打つ「碁打ち衆」の四家のうちの1つ安井家の後継者で、物語の始まりの時には22歳の青年だった。
 この物語は、1685年(貞享元年)に行われた改歴(それまでの暦の計算方法を改めて新しい方法で行うこと)に至る一部始終を描く。改歴はもちろん史実であるし、渋川春海はその推進者として実在の人物。そして、数学者の関孝和や、将軍家綱、大老酒井忠清、そして壮年期の水戸光圀ら、同時代の実在の人物を周辺に配して、春海の「改歴」に賭けた生涯を描く、大きくうねる奔流のような物語が進む。

 本書の魅力は2つあると思う。1つ目は知的好奇心への刺激だ。現在は日蝕月蝕といった天文現象を正確に予測することができる。では、いつごろからそんなことができたのだろう?実は、蝕の予測は驚くほど古くから行われ、1000年は遡ることができる。しかし、わずかな誤差も数百年を経れば無視できない誤謬となり、江戸初期にはそれまで使っていた暦法は不都合が生じていた。
 本書では、800年間使われていた暦法の誤りを、多くの協力を得て多くの困難を乗り越えて、春海が正す。その極めて専門的な内容が、難しすぎず簡単すぎない、適度な難易度で語られる。それも、新しい知識の発見を目の当たりにするように、臨場感たっぷりに。

 もう1つは、主人公の春海に対する「羨望」と「共感」だ。主人公の春海は、算術、天文術、神道、そして暦法にも通暁する俊才。また、当時囲碁は武家の教養とされていて「碁打ち衆」は、幕閣や藩主らに囲碁の指導も行っていた。だからこそ酒井忠清や水戸光圀らとの関係も築くことができた。つまり、才能と立場に恵まれた主人公だということだ。
 しかし、春海には今の自分でない「何者か」にならんとする渇望がある。そして「何者か」になれない挫折もある。関孝和への算術の問答勝負に失敗してその場にへたり込み、次いで亡霊のように精気をなくしてフラフラと歩く。感情の起伏が激しい質なのだ。「渇望」と「挫折」は程度の差はあっても誰にでもある。私は春海の生き方に「羨望」の他に「共感」を感じた。春海が登城の折りに、「明暦の大火」で失った江戸城の天守閣があった場所に広がる青空を見上げる時、私にも青い空が見えた。

※(2011.6.14追記)
「天地明察」が、岡田准一さん、宮崎あおいさんの出演で映画化が決定したそうです。2012年秋公開予定です。
映画「天地明察」オフィシャルサイトへ

 この本は、本よみうり堂「書店員のオススメ読書日記」でも紹介されています。

 人気ブログランキング「本・読書」ページへ
 にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
 (たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)

戸村飯店青春100連発

書影

著 者:瀬尾まいこ
出版社:理論社
出版日:2008年3月 初版 2008年5月 第2刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 著者のことは、アンソロジー作品の「Re-born はじまりの一歩」を読んで知った。これに収録されていた「ゴーストライター」という作品が本書の第1章となっている。

 この本は、ホントに面白かったし楽しめた。おまけに少し泣ける。「ゴーストライター」を読んだときには、「Re-born」は再生や再出発の意味だと考えて、高校生の主人公コウスケの淡い失恋と、兄との関係の再認識を描いたものだと思っていた。しかし著者は、続く5章を書き下ろして、もっと味わい深くしかも笑わせてくれる物語に仕上げてくれた。
 コウスケが主人公だと思っていたら、なんと第2章の主人公は兄のヘイスケだった。無責任で要領ばかり良くて、大阪の下町の中華料理店「戸村飯店」を営む家を飛び出して、東京へ行ってしまった兄だ。コウスケを引きたてる脇役じゃなかったのか?あんなヤツにどんな物語があるというのか?...ありました。こんないい物語が。

 舞台となる街は特定されていないけれど、通天閣をシンボルとした大阪の下町らしい。私は神戸の生まれで、同じ関西でもだいぶ雰囲気は違う。でも、ベースは同じなのだ。吉本新喜劇を見て育ち、子どもはそれをまねて大人を喜ばせる。近所のおばちゃんに高校生になっても「ちゃん付け」で呼ばれる。タイガースファンであることが普通で、話には必ずオチがある。この本に描かれた世界は、私が育った街と同じだった。
 それから、兄と弟という世界も。うちも2人兄弟で私は弟。兄はまじめで責任感がある人で、私の方がきままに好きなことをしてきたので、これまた一見すると戸村兄弟とは違う。でも「あぁ、兄弟ってこうなんだよなぁ」と思った。弟が勝手に一人で反発しているだけなのだ。それなのにココという時には頼ってしまう。大人になって振り返るまで、そんなことには気が付かないんだけれど。

 こういう出会いがあるのが、アンソロジーの良いところだ。

 人気ブログランキング「本・読書」ページへ
 にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
 (たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)

いのちのパレード

書影

著 者:恩田陸
出版社:実業之日本社
出版日:2007年12月25日 初版第1刷
評 価:☆☆☆(説明)

 この著者の本は、読んでみるまでどんなテイストの本なのか分からない。ミステリー、ホラー、コメディ、ハートフル?ジャンルさえ多岐にわたっていて予想がつかない。そして本書は、どのジャンルとも言い難い物語が15編収録された短編集。
 読み終わって、少し背筋が冷えたり、何とも言えないモヤモヤが残ったりする、奇妙な物語ばかりだった。あとがきを読むと、それが著者の目論見どおりたっだことが分かる。本書は、早川書房が復刊した「異色作家短篇集」を読んで、「あのような無国籍で不思議な短編集を作りたい」と思って、月刊誌に「奇想短編シリーズ」と銘打って連載した作品をまとめたものなのだそうだ。

 どんな話なのかと言うと、例えば、地面から石の手がはえてくる話、橋のたもとのバリケードに座り込むホステスたちの話、「やぶからぼう」とか「つんつるてん」を出してしまう兄弟の話、「かたつむり注意報」が出る街の話、鉄路の上を疾走し続ける王国の話などなど。
 まぁ、この説明を読んでもどんな話なのか分からないと思う。どれも難しい言葉はないけれど、組み合わせがおかしい。「石の手」と「はえる」、「バリケード」と「ホステス」、「やぶからぼう」と「出す」、「かたつむり」と「注意報」、そして「王国」と「疾走」。これが、著者が目論んだ「奇想」ということなのだろう。

 偶然だけれども、先日読んだ「gift(ギフト)」に続いて、「想像力の翼」の羽ばたきが本書でも感じられた。ただし、あちらは自由な風まかせの飛び方だったけれど、本書の翼は力強く、またコントロールされてもいる。著者が練りに練って絞り出した「奇想」だけに、「奇妙さ」がより際立っている。
 表紙の哀愁ただよう「船と男性の背中の写真」からは、本書の内容を想像するのは無理だろう。

 にほんブログ村「恩田陸」ブログコミュニティへ
 (恩田陸さんについてのブログ記事が集まっています。)

 人気ブログランキング「本・読書」ページへ
 にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
 (たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)

gift(ギフト)

書影

著 者:古川日出男
出版社:集英社
出版日:2004年10月30日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 もう1年以上楽しく過ごさせていただいている本好きのためのSNS「本カフェ」で読書会が催され、その指定図書になっている本。著者の作品を読むのは本書が初めて。と言うか、お恥ずかしいことに名前にも心当たりがなく、もちろん日本SF大賞や三島由紀夫賞などを受賞されたことも知らなかった。

 短編が19編収録された短編集。ほとんどが10ページほどの短編だけれど、中には2ページしかない超々短編もある。そして全編がどこかおかしい、多くの作品はすごくおかしい。「面白い」という意味の「おかしい」ではなく、「何か間違ってる」という意味の「おかしい」だ。
 例えば、車のトランクに人が何人も入っていったり、叔母さんが猫を生んだり、猫が縮んでトンボのようになって飛んでったり。私は数編を読んだところで「想像力の翼」という言葉が頭に浮かんだ。「こうあるべきもの」という一切の制限を取り払い、想像力に任せて書き、それに任せて終わる。だから2ページで終わることもある。読書会では(眠っている間に見る)夢に例えた人がいたが、的確な例えだ。

 普通は、読者の反応とか、物語としての体裁とか、本を書く上で気にすることがあるだろう。「こうあるべきもの」とはそういったことを言っているのだが、本書にはそれが感じられない。「面白くしよう」とかさえも。だから「ヤマなしオチなし」も多い。
 何編かは捉えどころがなく、何編かは不気味、何編かはさわやか。そして「面白くしよう」という意図が感じられないのにも関わらず、何編かはすごく面白い。アルパカの生産・輸入を考えていた男の話「アルパカ計画」には笑えた。すごく上手い手だけれど、この手は1回しか使えないだろう。

 人気ブログランキング「本・読書」ページへ
 にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
 (たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)

東京島

書影

著 者:桐野夏生
出版社:新潮社
出版日:2010年5月1日 発行 6月5日 2刷
評 価:☆☆☆(説明)

 書店に行って目当ての本を持ってレジに向かう途中、目の端に本棚からこちらを見つめる目が見えたので、見返してみると浅く日焼けした木村多江さんだった。そう、本書は木村多江さん主演で映画化され、今年の8月28日公開予定だ。著者は様々な賞を受賞されていて、本書も2008年に谷崎潤一郎賞を受賞。実力派の作家さんだが、私は木村多江さんが取り持つ縁で初めて読んだ。

 主人公は46歳の主婦の清子。夫と二人でクルーザーで世界一周の旅に出るが嵐に遭い、無人島に漂着する。最初は二人だけのサバイバル生活であったが、その後も漂着する者が続く。そして、物語はこうした出来事の後、清子と夫の漂着から5年が過ぎたある日から始まる。
 最初の1文は「夫を決める籤引きは、コウキョで行われることになっていた」だ。冒頭から常識を揺さぶられる展開。この時「トウキョウ」と名付けられたこの無人島の人口は32人。清子を除く全員が男だ。外界から遮断された閉じ込められた空間に男31人と女1人。良識ある大人はなるべく考えないようにするもののどうしても考えてしまう、アッチ方面の出来事がすでに起きている(すみません。回りくどくて)。

 この本には参った。清子は様々な出来事に遭遇し、その度に選択というか決断を迫られるのだが、それがことごとく剥き出しの本性を感じさせ、私を不安定な気持ちにさせる。「道徳的」という言葉からは最も遠い位置にある行い。しかし、不思議に責める気持ちにはならない。生きるために助かるために、というギリギリの場面では、これが「人間らしい」ということなのかもしれない。そして、その行いの結果が知りたくなって、ページをめくることになる。

 読んでいて、木村多江さんが清子を演じるのはどうかと思った。ご本人が冗談まじりに認める「薄幸」が似合う女優さん。とびっきりの美人ではないが(失礼!)、清楚な雰囲気が好きなファンも多いだろう(私もその1人。帯の小さな写真を見て本を買ってしまうほど)。
 だから似合わないし、やって欲しくないと思ったのだ。ただ、映画の公式サイトには「極限状態の人間のダークな欲望を描いた原作を、生への希望に満ちたサバイバル・エンタテインメント作品に昇華させた」と書いてあった。なるほど、そういうことか。

 この本は、本よみうり堂「書店員のオススメ読書日記」でも紹介されています。

 人気ブログランキング「本・読書」ページへ
 にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
 (たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)

マークスの山

書影

著 者:高村薫
出版社:早川書房
出版日:1993年3月31日 初版発行 1995年5月24日 65版発行
評 価:☆☆☆(説明)

 著者の代表作とも出世作とも言われる作品、1993年上半期の直木賞受賞作。本書は文庫化にあたって大幅に改稿したそうだが、私は単行本の65版(!)で読んだ。さまざまな文学賞や「このミステリーがすごい」などで名前を見るし、読書ブログで取り上げる方も多い。「Mille fleurs ~千の花」のはりゅうみぃさんの記事を見て、いつか読もうと思っていた(半年以上経ってしまったけれど)。

 「警察小説」というジャンルの作品。本書の主人公は合田雄一郎という刑事。警視庁捜査一課七係の警部補で33才。上を見れば何階級もあるし、横を見れば同じ課の中でも、いや係の中でもライバルとしのぎを削る。まぁ大筋では協力する方向で一致しているのだけれど、外に漏れたら捜査の支障になる情報は、警察内部でも公にはできないこともある(らしい)。
 さらに検察という組織は、警察とは利害が一致するとは限らず、これも本書の背景になっている。こうした警察内部や検察との軋轢や駆け引きの中で合田刑事を動かし、さまざまな人との関係を描くことで、人間としての合田雄一郎が浮かび上がる。本書の魅力の1つはここにある。ちなみに彼はこの後の著者の作品の中で度々登場するそうだ。

 ミステリーとしての謎の深さも上々だ。物語は昭和51年の雪山と57年の病院での殺人事件、平成元年の強盗傷害事件、そして合田刑事が追う平成4年の連続殺人事件のつながりを求めて手探りを続ける。4つの事件をつなぐカギは、チラチラと見え隠れするもうひとつの恐るべき事件。よくまぁ、こんな入り組んだ事件を考え付いたものだ。
 終盤の合田と同僚の刑事のコンビと弁護士との対決は読み応えがあった。ただ、その後の事件解決までの成り行きと真実の発見と、明かされた真実の内容には少し不満が残る。北岳山頂からの爽快な眺めが、本書が現した様々な人間のエゴと対照的で一服の清涼剤のようだ。

(2010.8.26 追記)
「マークスの山」文庫版も読みました。レビューはこちらです。

 にほんブログ村「高村薫さんと、その作品について。 」ブログコミュニティへ
 (高村薫さんについてのブログ記事が集まっています。)

 人気ブログランキング「本・読書」ページへ
 にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
 (たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)

片眼の猿 One-eyed monkeys

書影

著 者:道尾秀介
出版社:新潮社
出版日:2007年2月25日 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 本書はブログに時々コメントさせていただいている、元フジテレビアナウンサーの松田朋恵さんから「怖いのが苦手で道尾作品を読むなら」ということで紹介していただきました。たいへん面白く読めました。松田さんに感謝。

 著者の作品は「Story Seller」というアンソロジーに収録されていた「光の箱」という短編を読んだことがある。ミステリアスな雰囲気がありながら、全体に優しさが感じられる作品だった。それで他の作品を読んでみたいと思った次第だ。

 主人公は三梨幸一郎、盗聴専門の私立探偵だ。彼は産業スパイ絡みの案件で、ある楽器メーカーを盗聴していて、偶然に別の事件に遭遇してしまう。目撃者ならぬ"耳"撃者?となったわけだが、私立探偵と警察は相性が悪い。警察に言わないでいる間に、事件は三梨自身を絡め捕るように迫ってくる。
 犬の嗅覚と鼻が大きいことの因果関係は分からないが、三梨が盗聴専門の探偵業をやっているのは、彼の身体的特徴つまり耳と関わりがある。その異様さ故に子どものころに心ないイジメにもあった彼は、その耳で向かいのビルの中の会話を聞くことができるのだ。

 著者の作品の特長は、読者を気持ちよく騙すミスリードにある。見えているものがその通りのものだとは限らない。読んでいて思い浮かべる情景は、後になって次々と覆されることになる。上に書いたこともウソはないが、読み終わる頃には全く違って見えるはずだ。そういった「騙される快感」を楽しんでもらいたい。

松田朋恵さんのブログ「シャンとしよっ!

 人気ブログランキング「本・読書」ページへ
 にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
 (たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)

1Q84 BOOK3

書影

著 者:村上春樹
出版社:新潮社
出版日:2010年4月16日 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 昨年5月の発売以来、BOOK1,2合わせて227万部という大ベストセラー。このBOOK3も発売前から増刷がかかり70万部が用意されているという。それでも近所の書店では「売り切れ」になっていた。まぁお祭り状態になっている。もちろん、bk1で早くから予約していて発売日に手にした私もそれに参加している。

 青豆はどうなったのか?ふかえりと天吾の一夜の意味は?いろいろなことが明らかになり、また新たな問いかけが提示される。自分が読むスピードが遅くてもどかしい、もっと早く先を読みたいと思った。「読む楽しみ」を堪能したことをまずは認めよう。
 形式的には前作までと同じように、章ごとに主人公が入れ替わる。今回の特徴は「牛河」という、前作までどちらかと言えばマイナーな登場人物が、その一角を担っていることだ。彼の章が物語を推し進める牽引役になっている。逆に言うと、それ以外の主人公にはあまり動きがない。
 敢えて、本書には不満がある、と勇気を持って言わせてもらう。起伏もリズムも意外性も乏しい。もちろん色々な出来事が起きるのだけれど、基本的には「こうなったらいいな」と思っていることにゆっくりと近づいていく感じだ。そもそも、こんなにも主人公たちに動きが乏しくては、展開するのも難しいと思う。(大作家を前に小説の技術論を語るのはおこがましいが)

 昨年9月の毎日新聞のインタビュー記事で、著者が「1、2を書き上げた時はこれで完全に終わりと思っていたんです。(中略)でもしばらくして、やっぱり3を書いてみたいという気持ちになってきた」と答えている。「(批評は)全く読んでいません」とも答えているが、「続編があるのでは..」という声はおそらく著者の耳に届いていたと思うし、「3を書いてみたい」という気持ちに、それは少なからず影響したと思う。
 その前提で考えると納得するのだが、BOOK3は前2巻で投げかけた問い(謎)に対する解答編のようだ。翌月号に載った雑誌のパズルの解答のようだ、と言った方が的確かもしれない。つまり、227万部の読者に対するサービスなのではないか。だから主人公を動かさずに、親切に謎解きを語った、と見るがどうだろう。

 批判めいたことを書きましたが、著者の作品の特長である暗喩や深読みができる部分などは数多くあり、それを勝手に夢想するのは楽しかったです。この後は私が思い付いた部分を書きます。(ネタバレを含みます)>>続きを読む

 人気ブログランキング投票「あなたの一番好きな村上春樹の長編小説は? 」
 (結果だけみることも、自分の好きな作品を投票することもできます。)
 にほんブログ村「村上春樹あれこれ」ブログコミュニティへ
 (村上春樹さんについてのブログ記事が集まっています。)

 人気ブログランキング「本・読書」ページへ
 にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
 (たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)

(さらに…)