29.小川洋子

口笛の上手な白雪姫

書影

著 者:小川洋子
出版社:幻冬舎
出版日:2018年1月25日 第1刷 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 こういう物語が私は好きなんだとはっきりわかった本。

 「何かが少しだけおかしい」日常を切り取った8編の短編を収録。「何かが少しだけおかしい」が「小川洋子さんらしい」と私は思っている。

 8編のタイトルは「先回りローバ」「亡き王女のための刺繍」「かわいそうなこと」「一つの歌を分け合う」「乳歯」「仮名の作家」「盲腸線の秘密」、そして表題作の「口笛の上手な白雪姫」。2015年から2017年にファッション誌や文芸誌に掲載された作品。

 2つだけ紹介。「一つの歌を分け合う」は、「レ・ミゼラブル」の観劇に来た男性の話。彼は11年前の高校生の頃にも、叔母さんと観に来たことがある。叔母さんの一人息子が亡くなってしばらくしたころのことで、突然「あの子がミュージカルに出ているの」と混乱した様子もなく言ってきた。

 表題作「口笛の上手な白雪姫」。主人公は公衆浴場にいる小母さん。営業中は脱衣用ロッカーが並ぶ壁面の角にいつもいる。公衆浴場の一部分のように。小母さんは、赤ん坊の面倒を見てくれる。母親がゆっくり一人で入浴できるように。その子に合わせて湿疹の薬も塗ったり、果汁や白湯を飲ませたりもする。

 「どうしてもっと早く、この便利な仕組みに気づかなかったのか」というようないいサービスなのだけれど、やっぱり「少しだけおかしい」。そもそも、小母さんがどうしてここにいるのか、誰もちゃんと説明できない。物語が進むにしたがって「おかしなこと」も増えていく。

 小川洋子さんらしい(と私が勝手に思っている)世界を堪能した。次はどんなおかしなことがあるのかな?と、楽しみにしながら読み始め、おかしなことに浸って読み終わる。すっきりしない宙ぶらりんな気持ちで終わってしまうのだけれど、それがいい。

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最果てアーケード

書影

著 者:小川洋子
出版社:講談社
出版日:2012年6月20日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 著者の作品を時々読みたくなる。本書は2012年の発行。その前の2011年に「BE・LOVE」というコミック誌の連載マンガの原作として書き下ろされた。表紙の装画は酒井駒子さん。

 舞台は世界で一番小さなアーケード。路面電車が走る大通りからひっそりした入り口を入って、十数メートルで行き止まってしまう。使い古しのレース、使用済みの絵葉書、持ち主が手放した勲章やメダル、様々な動物(のはく製)や人形用の義眼、ドアノブ..「一体こんなもの、誰が買うの?」という品を扱う店が集まっている。入口にあるドーナツ屋は例外。

 主人公は、このアーケードの大家の娘。彼女が16歳の時、町の半分が焼ける大火事があって、その時に父親(つまりこのアーケードの大家)は亡くなってしまった。物語は、時間軸を移動して大火事の前後を行ったり来たりする、全部で10編の物語で構成されている。

 私が好きな物語は「紙店シスター」。レターセットやカード類などを扱うお店の話。そこの店主が「たくさん買ってくれるのは、善いお客さんだ」と言う。儲けのことを言っているのではなく、たくさんの便りを書く人は、それだけ大勢の友人や知人、親族を持っている、という意味だ。

 それからこの店は、使用済の絵葉書を置いている。誰かが誰かのために出した絵葉書。ここにあるからには用済みになったものだけれど、店主はその一枚一枚にも、本当に求める人がいるはずだと思っている。そしてその絵葉書からの主人公の回想に、私は心打たれた。その内容は敢えて書かない。

 「あぁそうだった。小川洋子さんはこういう物語を描く人だった」と思った。「ミーナの行進」のレビューにも同じようなことを書いて「静かな音楽を聴いているような心地よさ」と表現したけれど、それとは違う。読み進めるほどに「何かが少しだけおかしい」という思いが募るのだ。小川さんの作品を時々読みたくなるのは、こういう物語が私は好きなんだろう。

 最後に。「何かが少しだけおかしい」という感覚は、読み終えても残る。気になった私はコミックを読んでみた。こちらにはこの「おかしい」にはっきりした輪郭が与えられていた。

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ミーナの行進

書影

著 者:小川洋子
出版社:中央公論新社
出版日:2006年4月25日 初版発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「不時着する流星たち」を読んで、もう少し著者の作品を読んでみようと思って、手に取ってみた。2003年の「博士の愛した数式」の3年後、2006年の谷崎潤一郎賞受賞作品。

 主人公は十二歳の少女の朋子。時は1972年。岡山で母子ふたりで暮らしていたが、事情で芦屋の伯母さんの家で暮らすことになった。伯母さんのご主人、つまり伯父さんは「フレッシー」という飲料水の会社の社長。その家は、高台に建てられた二本の塔があるスパニッシュ様式の洋館。朋子は「これが、家ですか?」と声を上げた。

 岡山のふたり暮らしの家とは、何もかもが違う。芦屋の家に住むのは、伯母さん、伯父さん、ドイツ人のおばあさん、お手伝いさん。そして、ひとつ年下の従妹のミーナ。その他にはスイスに留学中の従兄と、通いの庭師さんが、この家の人々として関わってくる。もう一人大事な住人がいた。いや「もう一頭」。それはコビトカバのポチ子。この豪邸には広大な庭があって、そこでカバを飼っているのだ。

 岡山の家とは何もかもが違うとはいえ、朋子の芦屋での暮らしは幸せなものだった。そこに住む人々は皆穏やかでやさしい。伯父さんは人を朗らかにする達人だったし、歳の近いミーナとは分かちがたい仲良しになった。物語は、そうした穏やかな暮らしと、それにさざ波を立てる小さな事件をいくつか描く。

 しみじみと心おだやかに読めた。小川洋子さんは、こういう物語を描く人だったと改めて思った。「博士の愛した数式」「猫を抱いて象と泳ぐ」。どちらも静かな音楽を聴いているような心地よさがあって、しかもまったく退屈しない。朋子は素直でひたむきな少女で、ミーナは本が好きで物語を作る才能がある。どちらも愛おしい。

 実は私は神戸の生まれで、歳はミーナの3つ下。何が言いたいのかと言うと、どちらも「近い」ということ。もちろん私が生まれ育った所と芦屋は、場所柄が全然違う(たぶん朋子の岡山の家の方が近い)。

 でも、芦屋とか西宮とか阪急電車とか阪神電車とか六甲山とか、名前を聞けば思い浮かべることができる。時々差し挟まれる世間の出来事は、私が子どもの頃に起きたことだ。だから、物語をとても身近に感じた。

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不時着する流星たち

書影

著 者:小川洋子
出版社:KADOKAWA
出版日:2017年1月28日 初版発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 著者の小川洋子さんの作品はそれほど多く読んでいない。これまでに読んだのは「博士の愛した数式」「猫を抱いて象と泳ぐ」「人質の朗読会」、そして樋上公実子さんの絵に小川さんが文をつけた「おとぎ話の忘れ物」。どれも情景が思い浮かぶ静かな余韻が残る、しかしそれぞれに特色のある四様の物語だった。

 本書は10編からなる短編集。実在する人物や出来事からの連想によって、著者が紡ぎ出した物語たち。連想の元になった人物には、グレン・グールドやエリザベス・テイラーといったスターもいれば、長大な物語を記しながら誰にも見せることなく生涯を閉じた作家、ヘンリー・ダーガーのように、世界の片隅で異彩を放つ人もいる。

 10編を順に簡単に紹介する。母の再婚によって同居することになった「誘拐されていた」という姉の話。文字に似た形の小石を探して歩く男性の話。飛行場でカタツムリのレースを客に見せている男性の話。「放置手紙調査法」という心理学の実験の補助員の話。あらゆる場所の距離を歩数で測量する盲目の祖父の話...。

 葬儀に呼ばれて参加する「お見送り幼児」の姪を連れた女性の話。外国に一人で暮らす息子のところを訪ねた母親の話。若草物語の四姉妹を友達と繰り返し演じる少女の話。授からなかった子どもの代わりに文鳥を飼って可愛がる夫婦の話。主人公の少女のお願いを「アイアイサー」と言って聞いてくれる叔父さんの話。

 何か少しだけ、でも決定的におかしい。例えると「リアルな夢」。そんな物語をたっぷりと楽しめた。狂気と隣り合わせの不穏な感覚、どこにも行き着かないような不安感、輪郭が不明瞭な視界、常軌を逸した出来事とそれを受け入れている主人公。「不完全」な登場人物たち。「リアルな夢」は時として「怖い夢」に転化する、その予感が漂っている。

 この「予感」を、タイトルにある「不時着」という言葉が象徴している。「墜落」ではないので破滅は免れている。でも、明らかに変則的でまともではない事態で、一歩間違えると..という危うさを内包している。

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人質の朗読会

書影

著 者:小川洋子
出版社:中央公論新社
出版日:2011年2月25日 初版発行
評 価:☆☆☆(説明)

 本屋大賞ノミネート作品。

 地球の裏側にある村の山岳地帯で、反政府ゲリラに拉致され人質となった、日本人ツアー客と添乗員の8人。百日以上が過ぎた後、人質が拘束されているアジトへ特殊部隊が強行突入。結果、犯人グループは全員射殺、同時に人質8人も全員、犯人の仕掛けたダイナマイトで爆死した。

 本書は、その拘束された生活の中で、人質たちが自ら書いた話を朗読する声を録音(盗聴)したもの、という設定だ。それぞれが「僕」「私」という1人称の物語になっていて、自らの過去の物語、未来がどうであろうと決して損なわれることのない「過去」を語っている、とされている。

 こんな設定ではあるが、まぁ人質8人と+1人分の全部で9つの短編集だ。同じツアーに参加したという以外には共通点がない人々が、自分の過去を語っているのだから、物語にもつながりはない。ただ、「人質」という共通の状況からか、「死」というものが遠くに近くに見える話が多い。

 本屋大賞にノミネートされているし、私の周囲からも良い評価が聞こえくるのだけれど、私はそれほど良く思わなかった。いやいや、それぞれの物語は、情景が思い浮かぶような、静かな余韻を残す著者らしい物語ばかりで、なかなか良かった。

 単純な短編集としてなら良かったのだけれど、本書のキモは「人質がそれぞれの過去を語る」というシチュエーションにあると思う。未来どころか明日をも知れない状況で話す一言一言は、それだけで特別な重みがあるはずだからだ。問題は、そのシチュエーションに、読者がどれだけ感応できるか、というところにある。

 私にはその感応力が無かった、ということなのだ。上に「著者らしい物語ばかりで..」と書いたが、これには皮肉もこもっていて、言い換えればどれも著者が書いた物語に思えてしまった(もちろんそうなのだけれど)。これでは「それぞれの過去を語る」という受け止め方ができなかった。

 「人質がそれぞれの過去を語る」というシチュエーションは、類稀なるセンスだと思う。年齢や職業を付記するというアイデアも良かった。だからこそ、それぞれの人物の個性を感じる物語や語り口が欲しかった。

 この本は、本よみうり堂「書店員のオススメ読書日記」でも紹介されています。

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博士の愛した数式

書影

著 者:小川洋子
出版社:新潮社
出版日:2003年8月30日 発行 9月25日 3刷
評 価:☆☆☆(説明)

 2004年の、つまり第1回の本屋大賞第1位。2006年には映画化され興行収入12億円のヒット作となった。実は映画は前に見ていて「今さら」感を感じるのだけれど、本でも読んでみたくて手に取った。

 事故の後遺症で記憶が80分しかもたない数学者の「博士」。その家に家政婦として派遣された主人公の「私」。彼女は毎朝玄関で「新しい家政婦さん」として、博士に迎えられる。そして、博士は数学の話でしかコミュニケーションを取れない。「私」との初めての会話は「君の靴のサイズはいくつかね」だ。

 「私」の靴のサイズは24なのだけれど、それに何の意味があるのか?(そりゃ「足の大きさを表す」という意味はあるのだけれど)博士にかかれば24は「潔い」数字なのだ。何故なら4の階乗(1×2×3×4)だから。...「潔いかな?まぁそれで?」と思う人もいるだろう。
 しかし「私」の誕生日の2月20日の220と、博士の時計に刻まれたナンバーの284が「友愛数」と呼ばれる、滅多に存在しない組み合わせで「神の計らいを受けた絆で結ばれ合った数字」だ、という場面では、2つの数字にロマンチックなものを感じないではいられないだろう。

 本書とその映画がヒットした理由の一つに、このような数字のウンチクと面白さがあるのは否定しない。しかしそれは本書の魅力の入り口であり表層的なものだ。時に滑稽に見えてしまう博士の所作の裏にある、ひたむきさや子どもへの愛情と、それを感じることができる「私」との出会いと交流こそが本書の核心だと思う。

 ※映画やテレビなどを先に観ると、本を読んでいて、かなり鮮明に映像が浮かび上がってきます。今回は、寺尾聰さんと深津絵里さんがずっと会話していました。

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猫を抱いて象と泳ぐ

書影

著 者:小川洋子
出版社:文藝春秋
出版日:2009年1月10日 第1刷発行 
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「ダ・ヴィンチ」1月号で、2009年の「編集部が選ぶプラチナ本 OF THE YEAR」に選ばれた作品。著者の最高傑作との声もあり、さまざまなところで高い評価を得ているので、取り寄せてちょうど読んでいたところに、「プラチナ本~」の記事に接して、ますます興味が湧いた次第だ。
 昨年出た本で一番か?というと「そうだ」とは言い難いけれど、この悲しくも美しい物語と、静謐な音楽か詩のような文章は、他の本では感じることのない「特別な何か」を持っている。その意味では特筆すべき1冊であることは確かだ。

 主人公は「リトル・アリョーヒン」と呼ばれたチェスプレイヤー。アリョーヒンは実在のチェスのグランドマスター。主人公はそのグランドマスターになぞらえられて「リトル」を付けて呼ばれている。
 唇が癒着して生まれてきた彼に対し、祖母は「神様はきっと他のところに特別手を掛けて下さって、唇を切り離すのが間に合わなかったんじゃないだろうか」と言う。その神様が特別手を掛けて下さった部分が、類まれな記憶力と集中力。
 それを基にしたチェスの腕はまさに天才。何しろ彼はチェス盤の下にいて(つまり盤上を見ないで)、どこに相手が駒を指したかを感知し、刻々と変わる盤上の配置を正確に記憶し、どんな強いプレイヤーとも互角に戦ってしまうのだ。

 物語は彼が少年時代にチェスの手ほどきを受け、成長して「リトル・アリョーヒン」と呼ばれ、チェスを指す場所を変えて生きていく様を、時々の彼を取り巻く人々との関係を交えて悲しくも静かに描写していく。
 本書の芯には「優れたチェスの対戦が残した「棋譜」は、詩や音楽のように美しい」という確信がある。このあたりは、数式を美しいと言った「博士の愛した数式」と相通じるものがあると思う。
 そして、著者はその確信を、駒の動かし方しか知らないチェスの素人の私にも共有させることに、その筆力によって成功させた。私も、チェスの棋譜から美しさを感じてみたい、と心から思った。

この本は、本よみうり堂「書店員のオススメ読書日記」でも紹介されています。

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おとぎ話の忘れ物

書影

著 者:小川洋子/文 樋上公実子/絵 
出版社:ホーム社
出版日:2006年4月30日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「博士の愛した数式」でしみじみとした情感を描いた小川洋子さんの作品。世界各地の街の駅などにある「忘れ物保管室」、そこには傘や帽子などと一緒に、忘れられた「おとぎ話」も保管されていた。本書は、そんな物語を集めた「忘れ物図書室」の話。

 「忘れ物図書室」は、スワンキャンディーというキャンディ屋の奥にある。キャンディーを舐めながら、世界各地から集めたおとぎ話を読む。なかなか粋な趣向で優雅な気分になれそうだ。

 ところが...。全部で4話ある物語を読んでいくと、そわそわし始めてしまう。優雅にキャンディー、という気分ではなく、「私はこの話を読んでいいのだろうか?」と思ってしまう。

 ここに描かれているのは、思いのほか粗い肌触りの物語だった。「赤ずきん」「アリス」「人魚姫」などをモチーフにした「こうなって欲しくない」物語。でも、心の深淵にある「こうなるんじゃないか」という暗い期待が見透かされたようで、目を離せない。何ともやっかいな本に出会ってしまった。

 この本は、イラストレーターの樋上公実子さんという方が描いた絵がまずあり、それに小川洋子さんが物語を付けたもの。20点あまりある絵はどれも凛とした女性が描れている。美しくたおやかな姿ながら何者にも媚びず侵されず、真正面から見る視線にはしなやかな強さを感じる。この絵の中に小川さんはあの物語を見つけたわけだ。

 実は、樋上さんの絵に文を付けた作品はこれが初めてではない「ヴァニラの記憶 」という本がそれで、こちらは松本侑子さんが詩を付けている。こちらも女性の真っ直ぐすぎるぐらいな視線と本音、そして葛藤が感じられる詩で、男の私はただドキドキしてしまってじっくり読めないぐらいだった(「おじさん」と呼ばれても抵抗がない歳なのに)。この詩も絵から生まれた詩なのだ。物語や詩を内包する。絵はそんなこともできるのだ。

Amazonには新刊の在庫がないようです。オンライン書店bk1にはありました。(2009.11.4現在)

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