5.ノンフィクション

中国人の99.99%は日本が嫌い

書影

著 者:若宮清
出版社:ブックマン社
出版日:2010年10月25日 新装版初版第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 「本が好き!」プロジェクトで献本いただきました。感謝。

 本書の場合、本の紹介の前に著者の紹介をした方がいいだろう。中国・台湾・他のアジア諸国について、著者の専断とも言える論評の数々が披露されているのだけれど、こういう場合、それがどういう人の口から出たものなのかが非常に重要だからだ。

 その点、著者は「この人の言うことが本当なのかもしれない」と思わせる経歴の持ち主だ。1970年に戒厳令下の台湾の東海大学に留学、4年間の4人部屋の寮生活を送る。その後、フィリピンや中東、エチオピア、スーダンと紛争地帯などで活動する。
 ここまででも、タダ者じゃないことは分かるのだが、この後がさらにスゴイ。1983年にフィリピンのマニラ国際空港でベニグノ・アキノ氏暗殺事件が起きるが、著者はその時アキノ氏に同行していた。また北朝鮮との人脈を作り、拉致被害者家族の帰国を得た、2004年の小泉総理訪朝につながる裏面工作に関わる。著者の活動についての是非は様々に言われているが、国際政治の現場にいたことは揺るぎない事実だ。

 そして本書について。本書は実は2006年に出版した書籍のプロローグを新しくした新装版だ。だから、ざっと5年ほど前の中国の状況を基に書かれているのだが、不思議なぐらい現在とマッチしている。いや現在は、著者が捉えた「中国像」がより明確に姿を現していて、その見立ての確かさが伺えるとも言える。
 その主張を切り詰めて言うと「「民度」では、日本人は中国人より優れているかもしれないが、「錬度」では遥かにおよばない。だからナメていたら大変なことになる」ということになる。「錬度」とは、したたかさ、戦略性などを表す「鍛えられた駆け引きの力」のことだ。

 タイトルに沿う形で「中国人がいかに日本を嫌っているか」の数々が書かれているが、逆説的だけれど、「中国人は日本が嫌い」かどうかは、この際あまり関係ない。彼らの関心は「好き嫌い」よりも「勝ち負け」なのだ。これは言葉の綾だけれど、「勝つ」ために必要なら「好き」にぐらい平気でなるかもしれない。
 中国の強気の外交を「中国国内向けのポーズ」、反日デモを「中国政府への不満のはけ口」と、日本の「識者」は分かったような分析を披露する。必ずしも間違いではないが、そんなに単純ではない。理解したつもりになって「大人の対応」をしているとやられてしまう。

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新世界 国々の興亡

書影

著 者:船橋洋一
出版社:朝日新聞出版
出版日:2010年9月30日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 朝日新聞のオピニオン欄に本書と同名のシリーズ記事として、今年3月から6月まで掲載された11本のインタビュー記事を収めたもの。米国国家情報評議会顧問、米国の戦略シンクタンク所長、世界銀行総裁、紛争に立ち向かう国際NGOの理事長、北京大学国際関係学院院長..現在の世界政治・経済に大きな影響力を持つ人々が、世界の「3歩先」を語る。

 「3歩先」とは本書の帯にある言葉で、本文から推察すると大体20年後あたりを指しているらしい。ところが皮肉なことに本書は、著者が書いた前書きの「冷戦が終わった時、20年後、こんな「新世界」が生まれると、誰が予測しただろうか。」という一文で始まっている。20年前に現在を予測できなかったのに、今20年後を語ることにどんな意味があるのだろうか?
 でも私は、こんなことを書いて本書を揶揄して嗤おうとしているのではない。予言者でなければ、誰も未来を言い当てることはできない。著者もインタビューを受ける側も、そんなことは承知で20年後を語っているのだと思う。それは、20年後を仮定することで、それが「今すべきこと」を考える拠り所となるからだ。そう、大切なのは「今何をすべきか?」なのだ。

 それぞれの人が語った20年後は本書を読んでもらうとして、1点だけ多くの人が言及したことを紹介する。それは「中国がメインプレーヤーの一角になる」ということだ。現状の「平和的台頭」を守るのか、領土問題で垣間見られる強圧的な振る舞いに切り替わるのか、それは分からない。どちらにしても中国抜きでは、世界も日本も語れなくなる。
 著者が最後に提唱する「日本に必要な五つのパワー」は、正直に言ってどれも「何処かで聞いた」感がある、しかも実現が困難なものばかりだ。しかし、ここ10年以上も「日本@世界」というコラムを朝日新聞に書き続け、「世界の中の日本」という視点でモノを見てきた著者が、政治・経済のエキスパート11人のインタビューを終えて提唱したものだ。今一度じっくりと検討すべきだろう。大切なのは「今何をすべきか?」だ。

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小惑星探査機 はやぶさの大冒険

書影

著 者:山根一眞
出版社:マガジンハウス
出版日:2010年7月29日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 職場の同僚が「是非読んでほしい」と言って貸してくれました。感謝。

 小惑星「イトカワ」への往復60億キロ7年間の旅を終えて、今年6月13日に地球に帰還し、「イトカワ」で採取した試料が入っている可能性がある「カプセル」を残して大気圏で燃え尽きた、小惑星探査機「はやぶさ」。本書はその打ち上げ前から帰還後までを、ノンフィクション作家の著者が多くの関係者の取材を基に記録したものだ。

 「素晴らしい」の一言に尽きる。何がかと言うと「はやぶさ」のプロジェクトに関わった、川口淳一郎プロジェクトマネージャ他の技術者・スタッフの皆さんが、だ。何という技術力、何という創意工夫、そして何という粘り強さだろう。望んでも手に入るものではないと思う。
 そして、この記録を7年前から取材を続けて、本書を著した著者にもありがとうと言いたい。私など、7年間何も知らないでいたのに、最後になってチャッカリと感動だけを分けていただいて申し訳ないぐらいだ。チャッカリしているのは私だけでなく、世間一般がそうだったようだ。朝日新聞の記事を「はやぶさ and 小惑星」で検索すると、打ち上げの2003年5月の記事数はわずか7、イトカワ到着の2005年11月は23、帰還したこの6月以降は173件。成功のニュースを聞いて初めて注目した、ということだ。

 実は「HAYABUSA BACK TO THE EARTH」というブルーレイの映像を前に見たことがあり、そこでは「はやぶさ」のことを「彼」と擬人化して呼んでいた。私は、それに少なからず違和感を抱いていた。感傷的にすぎる、と。しかし、本書を読んで「はやぶさ」を「彼」と呼ぶ気持ちがよく分かった。
 度重なる不調はもちろん、連絡が全く途絶えたことさえある。その度に何億キロも離れた「はやぶさ」に地球から呼びかける。それ応えて途切れ途切れに信号が返ってくる様子は、正に「意思をもった「はやぶさ」が答えている」としか思えない。
 そして、イオンエンジンが、リアクションホイールが、1つずつ故障し、復路ではメモリやDHUという頭脳にあたる部分までが、崩れるように機能を低下させる。満身創痍で地球を目指した「はやぶさ」を知ってなお特別な感情を持たない人は少ないだろう。

 ※カプセルの中にイトカワ由来の物質が入っていたかどうかが、今後の注目点になるだろう。しかし「はやぶさ」は「小惑星に行って帰って来る」ということ以外にも、数多くの「世界で誰も成し得なかった」数々のことをすでに実現している。本書はそうしたことも伝えてくれる。

 参考:JAXA:「小惑星探査機「はやぶさ」ついに地球へ帰還!」

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テレビの大罪

書影

著 者:和田秀樹
出版社:新潮社
出版日:2010年8月20日 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 著者は精神科医を本業とし、評論家、受験アドバイザーとしても活躍されている。時事問題や受験関係の著書も多数。本書によると、テレビにも時々出演されていたそうで、裏表紙の写真を拝見すると、なるほど見覚えがある。ただ名前は知らなかった。

 タイトルから想像する通りの、テレビのアレコレを断罪する本。「ウェスト58cm」が象徴する「やせ礼賛」の罪、「悪人」とレッテルを貼られた人に対するバッシング、医療崩壊の原因となった「医療報道」などなど。時に、精神科医としての知見からも的確な指摘をしている。

 中には、賛同できないこともあった。例えば「画面の中に「地方」は存在しない」という章。テレビ番組が「東京目線」で制作されているという指摘自体に異論はない。その中で飲酒運転に対する報道に触れ、「地方で飲酒運転死亡事故が減った件数と(経営が成り立たなくなった)飲食店経営者の自殺とを比べたら..」というくだりはどうだろう。
 確かに、地方では車が生活の足、通勤の足なので、飲酒運転厳罰化の飲食店に対する影響は、都市部よりはるかに大きいだろう。しかし、この飲酒運転死亡事故と飲食店経営者の自殺を秤にかけた部分は、データがないこともあって、非常に無責任な放言に聞こえた。

 最後に、著者自身が「丸ごと1冊、テレビについて攻撃しつづけるという本を書いてしまいました。」と、「おわりに」の冒頭に書いて本書を締めている。読んでいてテレビに対する敵意すら感じる執拗な内容なのだが、冒頭の一文に続く「この本を書いた真意」に至る文章が、そうした執拗さを救う。本書の内容もそれに対する批判もひっくるめて、すべてを客観的に見るその視点が、著者の「賢さ」を物語っている。

 この後は書評ではなく、この本を読んで思ったことを書いています。お付き合いいただける方はどうぞ

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個人情報「過」保護が日本を破壊する

書影

著 者:青柳武彦
出版社:ソフトバンク クリエイティブ
出版日:2006年10月30日 初版第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 高校生の娘が小論文模試の参考図書として買って来た本。最近は小論文にも模試があるらしい。まぁ受験対策が丁寧になっていると言えばありがたいことだけれど、模試にだってそれなりの準備が必要でそれには時間もかかる。高校生もなかなか大変だ。

 2003年に成立、猶予期間を経て2005年4月に前面施行された「個人情報保護法」と、その後に巻き起こった「過剰反応」を踏まえ、「このままでは日本の未来が暗澹たるものになる」という警告と、そうならないための対策を記した本。
 「個人情報保護法施行以来、仕事も私生活もどこか息苦しくギスギスしている。何かが狂っている。-そう感じているあなたの感性は正しい」と裏表紙の紹介文に書かれている。まぁ、ここまで明確な気持ちではなくても、私の経験では仕事や私生活でこの法律に触れる時には、必ずネガティブな意味合いで使われる。
 例えば、私が事務局をやっているCGのコンテストの応募作品と制作者名をウェブに載せたら「個人情報保護法違反です。すぐに削除しないと訴えます」と言われたり、子どものスポーツクラブの名簿を作ったら「全員の承諾を事前に得ていないとダメですよ」と指導されたり、地元のケーブルテレビが学校の音楽会を取材・撮影しようとしたら「個人情報保護法の関係で」と言って断られたり...。
 
 著者の主張をちょっと強引に1つにまとめると、現行法が「「プライバシー情報」以外の「個人情報」まで規制していることが問題」ということだ。「プライバシー情報」とは、健康状態などの医療情報や収入などの資産情報、性的私生活や思想信条など、人に知られたくない情報のこと。
 現行法は「プライバシー情報」とそれ以外の「個人情報」の区別がないから、名前と電話番号だけの連絡網さえ作れない事態を引き起こしている。もちろん「電話番号も知られたくない」という人もいるが、電話帳に載っている場合には、公知の事実として「プライバシー情報」にはならない。
 著者は法律の運用の問題も指摘している。個人情報保護法では、情報の「第三者への提供」を規制しているのに、現場の運用はもちろん、省庁が出すガイドラインでさえ行き過ぎがある。上に挙げた連絡網の作成について言えば、クラスとかサークルとかクラブとかのグループ内の情報共有なのだから、そもそも「第三者への提供」ではないはずなのだ。

 ひとつ怖い話もあった。現行法は「プライバシー情報」とそれ以外の「個人情報」の区別がない。別の見方をすると、「プライバシー情報」も「電話帳に載っている電話番号」と同程度の保護しかしていないとも言える。実は日本には現在「プライバシー権」を守るための明確な根拠法がない。仮に「個人情報保護法」を根拠法にでもしようものなら、私たちのプライバシーはダダ漏れになってしまう。

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地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか?

書影

著 者:久繁哲之介
出版社:筑摩書房
出版日:2010年7月10日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 著者の久繁哲之介さまから献本いただきました。感謝。

 これまでの「地域再生」「地域活性化」の在り方に「No」を突き付け、新たな方策を提言した良書。著者は民間都市開発推進機構(MINTO機構)の研究員で、肩書きは「地域再生プランナー」。
 MINTO機構が国土交通省所管の財団法人で、20年余りも都市開発事業を支援してきたことを考えると、著者が突き付けた「No」は跳弾となって自らに返って来るべきものだ。しかし、ここは著者自身の責任を詮議することより、その立場によって得られた「地域再生」の豊富な情報から導かれた考察に、耳を傾けた方が得策だと思う。

 著者が一貫して主張しているのは、「街づくり計画に市民の生活を合わせる」のではなく、「市民の生活(希望)に合わせた街づくりを行う」ということだ。「何を当たり前のことを」なのだが、これまでの「地域再生」の多くは「当たり前」のことができてなかったわけだ。
 このことを、著者は多くの紙面を割いて実例を挙げて解き明かしていく。大型商業施設を誘致したが、客の心を読み誤っての撤退を繰り返す宇都宮市。コンパクトシティを目指して駅前に超高層ビルを建設した裏で、市民の足であった路面電車を廃止した岐阜市。この他にも多くの街の実情が紹介されている。
 まぁ「失敗例」から学ぶことはあるが、著者がこれらの事例を並べたのには別の理由もある。それは、これらの事例が、官公庁などが発信する「成功例」として紹介されているからだ。著者の言う「土建工学者」や「地域再生関係者」としては、(建物や道路の工事が完成して)プランが実施されれば「成功」なのだ。これらの人々に対する著者の怒りは激しく鋭い。「失敗」を「成功」と持てはやす彼らは、地域再生のガンでもあるからだ。

 ではどうしたらいいのか?著者は「7つビジョン」と「3つの提言」を掲げている。「ビジョン」は「私益より公益」「経済利益より人との交流」「立身出世より対等で心地よい交流」など、コンセプチュアルなものが並ぶが、本書を読めばもう少しはっきりした輪郭が見える。そして「提言」はかなり具体的なもので、すぐにでも実施できそうな気がする。
 しかし、そうは甘くない。地域再生に成功するためには、継続や忍耐、信頼と協力、意識の転換など、私たちが苦手とする多くのことが必要なのだ。本書を地域再生の「ハウツー本」として読むと、これまでの「成功例」を模倣して失敗した地域と同じ結果を招くだろう。本書は「最初の一歩」としてこそ読むべき価値がある。

 ここからは書評ではなく、この本を読んで思ったことを書いています。長いですが興味がある方はどうぞ

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卑弥呼の正体 虚構の楼閣に立つ「邪馬台」国

書影

著 者:山形明郷
出版社:三五館
出版日:2010年6月2日 初版発行 6月8日2刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 出版社の三五館さまから献本いただきました。感謝。

 著者は、古代北東アジア史を専門とする比較文献史家。詳しい経歴は分からないのだが、大学や研究施設には属さず、在野で研究を続けたようだ。その研究が半端ではない。中国の史記、漢書、後漢書などの「正史」24史を含む総数289冊3668巻の文献を原書、原典に当たって調査したそうだ。生涯をこれに賭けたと言っても過言ではないだろう。
 本書のサブタイトルにある「虚構の楼閣」とは、「倭・倭国」=「日本」、「魏志倭人伝」=「古代日本伝」という定説のことを指している。著者の主張はこうだ。この定説を疑い検証したところ虚構であることが明らかになった。「魏志倭人伝」は「古代日本伝」ではない。故に「魏志倭人伝」に根拠を置く、九州説と畿内説で揺れる「邪馬台国」論争などナンセンスだ、というのだ。

 「魏志倭人伝」は、今は小学校6年生か中学校1年生の社会科で習う。だから中学生以上1の日本人ならほぼ全員がその名前を知っている。しかしそれが、中国の正史の1つである「三国志」の「魏書」の末尾にある、わずか2千字ほどの記録であることを知る人は少ないだろう。さらにそれを原文にしろ日本語訳にしろ読んだ人はもっと少数のはずだ。
 まぁそれで何の不都合もない。しかし研究者はそれでは困る。私は、本書の主張とは別に「自ら確かめろ」という著者のメッセージを感じた。研究者は定説を鵜呑みにせず、自分の目で見て自分の頭で考えるべきだ、と。研究というものは「先人が積んだブロックの上に、新しいブロックを少し積み上げる」という作業に似ている。しかし、そのブロックが土台のところでいい加減な積み方をしていたら?という感覚は必要なのだ。そしてその「自ら確かめろ」を著者自身が実践した結果が289冊3668巻の読破となったのだろう。
 そして本書で披露された考察は、読む者を圧倒する。著者はまず「魏志倭人伝」と同じ巻にある「馬韓と弁韓の南は倭と接する」あるいは「界を接する」という記述に注目。続いて古代朝鮮の位置を特定し、さらにその南に接する朝鮮半島内に倭国を位置付けて結論としている。その緻密な論理の運びには隙がない。おそらくこれが真実であろうと思わせるに十分な考察だった。

 ただ、「魏志倭人伝」として本書で引用、解説しているのは「倭人在帯方東南大海之中」で始まる冒頭の60文字余りだけだ。「自ら確かめろ」というメッセージを(勝手に)受け取った私は、俄か研究者となって続きを読んだところ、その後に続く言葉は「始度一海千餘里至對馬國」。「始(初)めて海を渡って千余里行くと對馬國に至る」、「對馬」は「対馬」と読んで差し支えないだろう。しかしそれでは、そこからさらに海を渡ったところにある「邪馬台国」を朝鮮半島内に位置付けるのは無理がある。
 著者が「對馬國」のくだりの直前で引用を止めたのは意図的だろうか?対馬が出てきては都合が悪かったのだろうか?可能であれば、著者に疑問を投げかけてみたい。万一、今現在ここの部分が未解決だったとしても、著者にあと10年の時間があれば、反論の余地のない回答を得たかもしれない。しかし、そのどちらも叶わぬ夢となってしまった。著者は2009年4月20日に亡くなっている。合掌。

 この後は本書とは関係なく、「自ら確かめろ」について書いています。お付き合いいただける方はどうぞ

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フォーリン・アフェアーズ リポート 2010年5月号

書影

編  集:フォーリン・アフェアーズ・ジャパン
発  行:フォーリン・アフェアーズ・ジャパン
出版日:2010年5月10日 発売 
評 価:☆☆☆(説明)

 R+(レビュープラス)様にて献本いただきました。感謝。

 本誌は、米外交問題評議会(CFR:The Council on Foreign Relations)が発行する国際政治経済ジャーナルの日本語版。CFRは非営利の外交問題のシンクタンクで、米国内でどのような位置付けにある組織・雑誌であるのか私は分からないのだが、日本語の公式サイトを見ると、米国の政治経済のリーダーたちがボードメンバーになっている。表紙ウラに本誌について書かれている「最も影響力がある(#1 IN INFLUENCE)」という言葉も誇張ではないのだろう。

 掲載されている記事は、例えば「アジアの大学は世界のトップを目指す」とか「ソ連崩壊20年、冷戦を再検証する」「暫定合意でパレスチナ国家の樹立を」といった論文や、「欧米経済ブロックの形成を」とか「温暖化対策の切り札としての地球工学オプション」といった座談やインタビュー記事。執筆人は、大学の学長や教授、元大使や国家安全保障会議の元メンバーなど、錚々たるエスタブリッシュメントばかりだ。
 そしてその内容は、とにかく「硬い話」ばかりだ。巻末のクイズとかクロスワードとかいった、読者に媚を売るようなものはない、広告さえない。つまり本誌が対象とする読者は、本誌に対してそんな息抜きは求めていないということだ、100%ビジネスモード。政治やグローバルビジネスに直接関わるような人々に向けられた雑誌だ。

 個々の記事の内容については、高度に専門的で私が論評できるようなものではなく「とても勉強になった」としか言えないので、通して読み終えた感想を述べさせてもらう。それは、アメリカという国は、自らにどんなに大きな使命または期待を持たせようとしているのか?ということ。
 本誌が外交の専門誌だから、グローバルに話題が広がっているのは当然なのだが、そのにしても世界の隅々まで目を光らせ、紛争は起きていないか、人権は侵害されていないかと関心を持つ姿はやはり特別だ。例えば「世界は人権侵害であふれている」という論文では、「オバマ大統領は、独裁化を強めるルワンダやエチオピアに、統治を改めるように一貫して働きかけていない」と批判している。日本の首相にそのような批判を投げかける人もいなければ、首相の側にも受ける準備もないだろう。

興味がある方は、日本語のサイトで記事の立ち読みができるのでご覧になるといいだろう。
「FOREIGN AFFAIRS JAPAN」 http://www.foreignaffairsj.co.jp/

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ウェブはバカと暇人のもの 現場からのネット敗北宣言

書影

著 者:中川淳一郎
出版社:光文社
出版日:2009年4月20日 初版1刷発行 2009年8月5日 6刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 著者は博報堂で企業のPR業務に携わり、退社後しばらくして雑誌編集長などを経て、2006年からインターネット上のニュースサイトの編集者をしている。本書でそのニュースサイトでの出来事が多く語られているので支障があると考えたのか、著者紹介ではどこのサイトかは明示していない。まぁ、ちょっと探せばスグに分かるのだけれど、著者の意向に沿ってここでも紹介しないことにする。

 本人もおっしゃっているが、著者は職業柄ネット漬けの毎日を送っている。その著者が「ネットの世界は気持ち悪すぎる」と思い、その想いが本書執筆のきっかけになったようだ。私もコンピュータ関連の仕事をしていてブログも書いているので、ネット接触時間は長い方だと思う。そして私は「気持ち悪い」とはあまり思わないが、うんざりすることは度々ある。
 しかし著者の「気持ち悪い」と私の「うんざり」は、どうもネットの同じ部分についての感想らしい。つまり、人を貶める書き込みが多いこと、まじめな議論をするとちゃかされること、真偽不明の情報が氾濫していることなど。そして、異なる意見を絶対に受け入れないばかりか、徹底的に叩くようなことが日々繰り返されていることも。

 そして、本書の大半はこうした「うんざり」な事例の紹介に割かれているのだが、教訓も引き出している。ネットで叩かれやすい10項目として「上からものを言う、主張が見える」「頑張っている人をおちょくる、特定個人をバカにする」「誰かが好きなものを批判・酷評する」「反日的な発言をする」などが挙げられている。字面を見ると「そりゃ当然だろう」と思われるものもあるが、著者が具体的にあげている事例は、確かに著者に同情したくもなるようなことが多い。
 また、ネットでウケるものもいくつか挙げている。「話題にしたい部分があるもの、突っ込みどころがあるもの」「身近であるもの(含む、B級感があるもの)」「テレビで人気があるもの」「芸能人関係のもの」「エロ」「美人」などだ。

 全編で著者が叫んでいるように感じる本なのだが、それはウェブについて明るい未来を語る本や論調に対する違和感やあせりからくるものなのだろう。「ウェブ進化論」という本が数年前にベストセラーになったが、それ以降「人々の知識が結集した「集合知」によって、不可能が可能となり未来が開ける」といった論調が一方であったことは事実。著者はそれに対してネットの現場から「そうじゃないんだよ」と言おうとしているわけだ。少し叫ぶくらいの声でないとかき消されてしまう危機感を持って。
 現場からの真実の声を伝えようとした、その意気や良しだ。しかし「もう、過度な幻想を持つのやめよう」と、悲観的な未来を描こうとするのは同意できない。確かに「ネットが実現する明るい未来」に比べると現実は確かにクズのようなものかもしれない。けれども多くの人はそんな未来を信じちゃいないと思う。もっと小さな幸せを喜べる感性をちゃんと持っている。だから、そんな未来と比べて現実を悲観する必要なんかないのだ。それが見えてないとすると、著者もネットに囚われて視野が狭くなってしまっているのかもしれない。

 この後は書評ではなく、私が思ったことを書いています。興味がある方はどうぞ。

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テラ・ルネッサンスII

書影

著 者:田原実 絵:西原大太郎
出版社:インフィニティ
出版日:2009年12月14日第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 株式会社インフィニティ・志経営研究所様から献本いただきました。感謝。もっと前にいただいていたのですが、紹介が今になってしまいました。

 タイトルから分かるように、以前に紹介した「テラ・ルネッサンスI」の第2弾。「「心を育てる」感動コミック」シリーズとしては、「かっこちゃんI」などにつづく6冊目の作品となる。今回もウガンダやコンゴでの元子ども兵支援や、カンボジアでの地雷除去支援などを行っている、NPO法人テラ・ルネッサンスと理事長の鬼丸昌也氏の活動が綴られている。

 ここで語られている真実は、私たちの(少なくとも私の)想像力を越えている。冒頭登場する少女は、ツチ族とフツ俗の民族対立に巻き込まれ家族をなくし、森の中や難民キャンプでの悲惨な境遇の中を一人で生き抜いてきた。他の男性たちは、子ども兵として戦い、足を失ったり視力を失ったりして故郷へ戻るものの、「人殺し」とののしられる。
 しかし今は、テラ・ルネッサンスの現地スタッフとして、かつての自分と同じような境遇の子どもたちを支援したり、技術を身につけて生計を立てたりしている。絶望の淵から這い出してきて、希望を見出して自分と家族の生を歩んでいる。
 「人生は要約できねえんだよ」とは、伊坂幸太郎さんの作品中のセリフだが、彼らの人生をこの本書が要約し、さらにそれを私が要約したこんな文章では、何ひとつ伝わらない。せめて本書を読んで想像力を振り絞れば、彼らの人生を少し理解できるかもしれない。

 テラ・ルネッサンスの活動は「無力感」との戦いでもある。世界には推定7000万個とか1億2000万個と言われる地雷を1つづつ破壊していく地雷除去の活動はもちろん、元子ども兵は30万人いると言われ、救える人数を上回る人数の新たな子ども兵が日々誕生している現状は、ほとんど何もできないに等しく感じる。
 しかし「微力ではあるが、無力ではない」それが鬼丸氏がこの活動を始めた想いで、おそらく今も精神的支柱なのだ。この言葉は、我々にも問いかける。「どうせ何も変わらない」ではなく、自分ができる「微力」を尽くそう。少しの時間とかお金とか能力とか、それを誰かのために使おう。

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