ビタートラップ

著 者:月村了衛
出版社:実業之日本社
出版日:2021年11月5日 初版第1刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 命が懸かっているのにどこか軽やかな「よかったね。いやよかったのかな?」と読後に思った本。

 以前に読んだ「土漠の花」という作品で著者の名前を憶えていて、新刊が出たということで読んでみた。

 主人公は並木承平、33歳、バツイチ、農林水産省の係長補佐。物語は冒頭から助走なしで始まる。泣きじゃくっていた恋人による唐突な告白「わたしは中国のハニートラップなんです」「祖国の命令であなたに接近しました」。恋人は行きつけの中華料理屋に新しく入ったバイトで、確かに中国人の留学生だった。名前は黄慧琳。

 物語は、並木と慧琳が、中国の国家安全部から慧琳の身を守るため偽装の恋人関係を続ける様を描く。

 その間、並木にはずっと疑問がある。慧琳を信じていいのか?告白の理由を問えば「並木さんのこと、本気で好きになった」という。そんなこと本当なのか?でも嘘をついているとは思えない。でも相手はスパイだ。嘘をつくのがスパイの本領だ。でもなんでわざわざ告白したのか?でも気が付けば慧琳の告白をきっかけに同棲することになっていた。これはスパイの目論見どおりなのでは?

 いくつもの「でも」でつながって堂々巡りする考えを、整理することができない並木の煩悶の生活が続く。周辺の状況はめまぐるしく変わり、剣呑さを増していく。そうするうちに日本の公安警察も絡んできて、並木自身の身の安全も危うくなる。

 面白かった。並木は「平凡ないい人」で、慧琳もスパイとはいえ素人同然(という設定)。そんな二人が身を守るために国家を相手にする。そのためにお互いを必要として寄り添ったり反目したりと忙しいが、それが普通の恋人っぽかったりもする。基本的にサスペンスなのだけれど、とても特殊な状況の恋愛物語でもあった。

 最後に。並木と慧琳の反目は、日本と中国との習慣や価値観の違いによるものも多い。そしてその違いは、両国の国民が互いに相手に感じる偏見でもある。並木の同僚たちの会話でその偏見が顕在化するのだけれど、それがいかにも屈託なく、いかにもありそうな会話。そしてそう思うことに私自身が苦い気持がした。

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海をあげる

著 者:上間陽子
出版社:筑摩書房
出版日:2020年10月31日 初版第1刷 2021年6月5日 第5刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 気が付いていて見て見ぬふりをしていることを突き付けられた、そういう本。

 2021年の本屋大賞の「ノンフィクション本大賞」受賞作品。

 著者は教育学・社会学の研究者。沖縄県生まれで、今は普天間基地の近くに住み、保育園に通う娘がいる。東京と沖縄で未成年の少女たちの支援・調査に携わり、現在は若年出産をした女性の調査をしている。本書は「webちくま」というサイトに掲載したエッセイを中心に12編を収録したエッセイ集。

 著者自身のこと、家族のこと、支援している少女たちのこと、そして沖縄のこと。テーマは様々だけれど、一貫しているのは自分の目で見て耳で聞いたことを書いていることだ。フィールドワークをする研究者らしく、視線が観察的で装飾が少ない抑え目な文章。そこに著者の感情がするりと差しはさまる。それは、娘に対する愛情であったり、沖縄の現状に対する怒りと哀しみであったりする。

 一編だけ紹介する。2019年に行われた辺野古の埋立ての賛否を問う県民投票のこと。宜野湾市や沖縄市などの5つの市の市長が県民投票を拒否し、その撤回を求めて20代の若者が宜野湾市庁舎前で、ハンガーストライキをした。その若者は元山仁士郎さん。著者と元山さんは1年半に出会っていて、その出会いは、著者に大きな後悔をさせるものだったらしい。

 この一遍では、ハンガーストライキに至る経緯と、その現場の様子、とりわけそこを訪れる沖縄の人々の思いが記されている。雨が降り始めて寒い2月の明け方に誰かが届けたテントで眠る様子。おにぎりの入ったビニール袋を渡しながら「こんなことまでさせて、おじさんは、もうつらくてつらくて」と言って泣く男性..。

 「基地反対運動をしているのは実は沖縄の人ではない」的な言説が流布しているけれど、本書のような現場で実際に見聞きしたレポートを読めば、それが事実でない、少なくとも一部分の切り取りでしかないことが分かる。そしてタイトルの「海をあげる」の意味が分かった時、読者は衝撃を受け自省することになる。

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ソーシャルメディアと経済戦争

著 者:深田萌絵
出版社:扶桑社
出版日:2021年5月1日 初版第1刷 発行
評 価:☆☆(説明)

 これは「私の考えとは全く合わないな」と感じたけど「たまにはそんな本を読もう」と思って読んだ本。

 著者紹介によると、著者はITビジネスアナリストでITベンチャーの経営者でもある。ビジネスで米中を往来してきた著者が、新型コロナウイルス、SDGs、地球温暖化、DXと5G、米中の衝突といった、グローバルなトレンドを読み解く。

 著者の主張のベースは、これらのトレンドはすべて「ビジネスプロパガンダ」だというもの。つまり何者かが作り出して世論と政治を誘導している。それによって誰が得をするのか?を考えれば、その「何者か」が分かる、というわけだ。

 例えば新型コロナウイルスのパンデミックは、何者かが仕掛けた経済戦争だという。「ソーシャルディスタンス」というプロパガンダを前面に押し出すことで、リモートワークやリモート授業が進む。その通信負荷の増大を解消するために、ファーウェイ製の5G基地局の受入が進む。つまり「何者」とは「中国」らしい。

 さらに表面的には緊張関係にある台湾と中国が、裏では手を結んでいて、台湾が中国のフロントとして機能している、という指摘もある。日本も米国も、中国への技術移転には神経を尖らせるが、相手が台湾なら警戒が緩む。中国が購入できない最先端兵器を調達して、その技術を中国へ移転するという重要な役割を、台湾が担っている(と著者は主張する)。

 本書を手に取って「はじめに」を読んで「トンデモ本」だと思った。それは読み終わっても大きく変わらない。でも、例えば、中国・台湾に広がる人物相関図(蒋介石や周恩来の名もある)が載っていて、こうした著者があげる「事実」が本当なら辻褄は合っている。でも真偽の確かめようがない。参考文献も出典一覧もない。

 ということで、本書はもしかしたら「トンデモ本」かもしれない。でも大事な示唆を含んでいる。世の中の話題は「誰かが意図的に作り出したプロパガンダかもしれない」と疑うことは大切だし、IT機器から情報が洩れている危険性は現実のものだ。「そんなバカな!」では済ませられることではない。

 そうそう。最後に述べられている「中小企業の労働生産性」の考察は、私もその通りだと思う。私の考えと全く合わないわけではなかった。

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超リテラシー大全

編 者:サンクチュアリ出版
出版社:サンクチュアリ出版
出版日:2021年7月17日 初版 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 ネットでなんでも調べられるけれど「信用できる情報」を見分けるのは難しいから、こういうのがあってもいいかなと思った本。

 ニュースやSNSを見ていて、情報が多すぎるのはしんどい。本当のことだけ教えて欲しい。そういう人に「その道のプロ」が正しいと考える情報をだけを厳選して一冊にまとめたもの。「お金(投資・貯蓄・保険)」「仕事(転職・独立)」「IT(情報収集・デバイス)」「住まい(家・土地選び)」「法律(トラブル対処)」「セキュリティ(被害予防)」「医療(病気・治療)」「介護(親と自分の老後)」「防災(災害対策)」の9つの分野を網羅する88項目が収められている。

 例えば「お金(投資・貯蓄・保険)」の最初の項目は、「老後2000万円を信じてはいけない」。金融庁の「年金だけでは老後には2000万円足りない」という試算のことだけれど、あれには前提があってその通りにはならない、という話。じゃぁどうなるの?と言えば「2000万円ではまったく足りない可能性もある」「年金をあてにしない場合はだいたい1億円」。

 「おいおい。ずいぶん煽ってくれるじゃないか」と思ったけれど、このあとで「数字だけ漠然と追いかけていてはお金のリテラシーは高まりません」となって、「今のお金の使い方を見直す」「必要なお金を見直し、一発逆転を狙わない」「投資の正しい情報を身につける」と続く。つまりは「自分のケースで試算しろ」ということで、最初の「煽り」から一転したいい着地点だった。「信用できるかも」と思った。

 9つの分野の全部に興味があったわけではないけれど、全部読んでみた。そうしたら、さほど興味がなかった「医療(病気・治療)」「介護(親と自分の老後)」が、読んでよかったと思うことが多かった。考えてみれば「興味がないこと」は知識もないわけで、いろいろと知ることができてよかった、ということなのだろう。

 ひとつ気になったことも。「住宅ローンの繰り上げ返済はしない」とあって、それは返済に充てるお金を「利回り3%で運用したら、支払いの金利分を上回る」という理由。言っていることに間違いはないけれど、「3%で運用」は簡単じゃないだろう。いやむしろかなりハードルが高い。

 もちろん別のところに「投資の正しい知識を身につける」ことも書かれているけれど、多くの人はそういう「前提」を飛ばして「結果」の「繰り上げ返済はしない」だけが頭に残ってしまう。危険だ。

 私はITの分野なら(プロだなんて言わないけれど)誰かに教える立場にある。「ITを活用しましょう」という話の中で、似たような「危険」が潜んでいないか心配になった。

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