2.小説

つむじ風食堂の夜

書影

著 者:吉田篤弘
出版社:筑摩書房
出版日:2005年11月10日 第1刷 2015年4月5日 第23刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 Village Vanguardで見かけて買った。別の面白そうな本に付いていた店員さんのPOPがきっかけ。そこには「吉田篤弘とか好きな方はきっと好きなんじゃないかと思います」と書いてあった。それで、その本のそばに置いてあった本書を購入。

 主人公は「雨降りの先生」。人が「任意に雨を降らせたい」と願う思いを、文献を辿りながらまとめる、という研究をしている。普段は、雑誌などに(雨降りとはおよそ関係のない)記事を書いて糊口を凌いでいる。

 先生が都会の喧騒を逃れて来たのが、この物語の舞台の月舟町。ささやかな商店街があり、そのはずれの十字路に食堂がある。十字路にはあちこちから風が吹いてつむじ風を作る。だから通称「つむじ風食堂」

 物語は、夜な夜な「つむじ風食堂」に集う人々を中心に描く。雨降り先生、帽子屋、果物屋、古道具屋、舞台女優の奈々津さん。奈々津さんは先生と同じアパートに住んでいる。

 時間の流れが少しだけゆっくり感じられる。商店街だから商売をしている人が多いのだけれど、儲かっているようには思えない。それで焦るでも困るでもなく暮らしている。

 街の人々の、お互いにそっと触れ合うような微妙な親密さが心地いい。食堂へ出かける先生が通りがかれば「こんばんは先生。これから御飯ですか?」と声がかかる。少しだけ話をする。そんな感じ。

 私は、果物屋の主人が好きだ。オレンジに反射する淡い明かりで本を読む彼。「果物屋一軒でもやっていれば、少しは明るくて安心でしょう」といって、夜遅くまで店を開けている彼。

 けっこう洒落た文章が散りばめられている。一つだけ紹介する。「夜とは、すなわち宇宙のことなのである」。

 この本、結構好きな部類なので、あのPOPが付いていた本も読んでみようと思う。

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土漠の花

書影

著 者:月村了衛
出版社:幻冬舎
出版日:2014年9月20日 第1刷 2015年1月15日 第9刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 今年の本屋大賞第5位の作品。

 舞台はソマリアとエチオピアとジプチ共和国の国境地帯。ソマリアは長く無政府状態が続き、氏族間の抗争が絶えず、国土も人心も荒廃していた。物語の主人公たちは、日本の陸上自衛隊第1空挺団の自衛官たち、精鋭中の精鋭だ。

 自衛官がアフリカの地に居るのは、有志連合による「海賊対処行動」に従事するため。スエズ運河-紅海の出口にあたるアデン湾等の「航海の安全の確保」のためだ。ただ今回は、墜落したヘリの捜索救助要請を受けての出動だった。

 今回の任務はあくまでも捜索と生存者の救助。人道支援を目的としたものだった。しかし、そこにソマリアの小氏族の氏族長の娘が救助を求めて駈け込んで来た。隊長が娘の保護を決定したその時、激しい銃撃を受ける...。

 その後はもう怒涛の展開だ。ソマリアにはアフガニスタン等から大量の武器が流れ込んでいて、小氏族の民兵と言えども、その装備は自衛隊の部隊と遜色ない。自衛官たちはたちまち窮地に陥り、応戦しつつ活動拠点への退避を続ける。

 この物語はもちろんフィクションだ。しかしソマリア沖の海賊の対処のために自衛隊が派遣されているのは事実。専門家に言わせれば大小様々な「あり得ない」があるのだろうけれど、私には「あり得る」ことに思えた。だから本当に怖かった。

 日本が安保政策の大転換を行おうとしているこの時期に、こんな物語が世に出たのは、何かの啓示なんじゃないかとさえ思った。帯には「感動と興奮」「号泣小説」「良質なエンターテイメント」なんて言葉が躍っているけれど、そんなんじゃないと思った。本当に怖かった。

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柘榴姫社交倶楽部

書影

著 者:水城せとな/文 樋上公実子/画 
出版社:講談社
出版日:2015年4月24日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 マンガ家の水城せとなさんの文章と、「おとぎ話の忘れ物」の画家・イラストレーターの樋上公実子さんの画の、コラボレーション作品。水城さんの作品「脳内ポイズンベリー」は、映画化されこの5月9日に公開予定。

 帯に「お菓子と姫君たちが織りなす大人のためのおとぎ話」と書いてある。「大人のための...」と書いてあるだけで、いい大人なのにドキドキしてしまう。表紙の絵を見て「私が読んでいいのか?」と思ってしまう。

 主人公は「眠り姫」。そう、魔女の呪いによっていばらの森に守られたお城で100年の眠りについたお姫様。助けに来た勇敢な王子のキスで目覚めることになる、はず...

 ところが本書の「眠り姫」は、一人で目覚めてしまう。ほろ苦いエスプレッソと、とろりと甘いジャンドゥーヤの香りによって。そして一言「聞いてた話と違う・・・・」

 こうして物語の幕が開く。シンデレラや人魚姫、白雪姫、オデットとオディールらのいる「女王様のサロン」に、眠り姫は招待される。そこで交わされる姫君たちの会話が刺激的。

 ジャンドウーヤ、ギモーヴ、ドラジェ、タルトタタン、クレームブリュレ...全部で12話あるお話のタイトルは、お菓子の名前になっている。それもあって物語が全体的に甘い雰囲気に包まれている。

 ただし「甘い」には、「危険な誘惑」が隠されている。魅力的、魅惑的、蠱惑的な樋上さんの画が、その雰囲気を増幅させている。まさにコラボレーション。

 映画「脳内ポイズンベリー」公式サイト

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火花

書影

著 者:又吉直樹
出版社:文藝春秋
出版日:2015年3月15日 第1刷 3月20日 第2刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 お笑い芸人の又吉直樹さんの小説としてのデビュー作。初版15万部という異例の扱いの前評判の高さに違わず、発売から1月足らずで4刷、35万部のベストセラーになっている。

 ここまでなら、有名人のデビュー作で、マスコミの露出の多さもあって、一種のお祭り状態かもしれない。しかし、4月22日には三島由紀夫賞の候補作になった。これはホンモノか?これもお祭りか?

 主人公は徳永。物語の始まりの時は20歳。職業は、売れない漫才師。熱海の花火大会の営業で先輩芸人の神谷と出会い、そこで神谷の「弟子」になった。本書は、徳永と神谷の約10年間の物語。

 「師匠と弟子」とは言っても、神谷も「売れない芸人」だ。ただ、笑いに関して独特のポリシーがあるらしい(ホントはそんなものないのかもしれない)。「(漫才は)本物の阿呆と自分は真っ当であると信じている阿呆によってのみ実現できる」とか言ったりする(やっぱりポリシーなんてないのかもしれない)。

 三島由紀夫賞に値するのか?ということは私には分からない。でも、偉そうな物言いを許してもらえば、この作品には才能を感じた。特に大きな事件が起きるわけでもなく、仕掛けがあるわけでもない。それに主要な登場人物が「売れない芸人」なので、会話もギャグも「しょーもない」。それでも最後まで集中が途切れることはなかったのだから、筆の運び方が上手いんだと思う。

 筆の運び方と言えば特徴的な言い回しが目立った。「渋谷駅前は幾つかの巨大スクリーンから流れる音が激突しては混合し、(中略)一人一人が引き連れている音もまた巨大なため、街全体が叫んでいるように..」とか、「人々は年末と同じ肉体のまま新年の表情で歩いていて..」とか。

 こうした過剰に思える修飾は、読書家でも知られる著者が「純文学」をイメージした「遊び」なんだろうと思う。こうした言い回しが煩わしいようで、Amazonレビューをはじめとして、ネットには酷評が散見されるけれど、私はこの作品で充分に楽しめた。

 最後に。私が関西の生まれで、「しょーもない」会話を浴びて育ったので、「しょーもない」のがキライではないことも、この作品の評価に関係しているかもしれない。

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僕は、そして僕たちはどう生きるか

書影

著 者:梨木香歩
出版社:理論社
出版日:2011年4月 初版第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「家守綺譚」「西の魔女が死んだ」など、私が大好きな作品の著者である梨木香歩さんの近著。

 主人公は14歳の少年のコペル。両親とは離れて一人で暮らしている。コペルというのはもちろんあだ名で、叔父のノボちゃん(これももちろんあだ名)が命名した。ノボちゃんは染色家、草木染作家をしている。

 物語は5月の連休の初日の1日を描く。その日コペルは市内を少しはずれたところにある雑木林に出かける。土壌採取して棲んでいる虫の種類を調査するためだ。そしてそこで、熱心にイタドリを刈り取るノボちゃんに会う。

 ノボちゃんがイタドリを刈り取っているのは、染色の材料に使うためだ。ではコペルの「調査」は?中学生の休日の過ごし方としては変わっていると思う。まぁ理由は後で明かされるし、彼の周囲の人々が明らかになるにつれ、その中では「そんなに変わっていない」ことも分かる。

 この後、コペルとノボちゃんは、コペルの友達のユージン(これもあだ名)の家に行く。ユージンの家は代々裕福な農家で、広い敷地はちょっとした森のようになっている。

 梨木さんの作品は植物の描写が丁寧なものが多いけれど、本書もそのひとつ。ユージンの家の森の木々や草花がひとつひとつ丁寧に紹介される。それはそれは瑞々しく描かれる。

 こんな感じで、中学生が自然の中で過ごす爽やかな休日、と思っていたら、思いのほかズッシリと重いものを受け取る。そこで読者は「僕は、そして僕たちはどう生きるか」というタイトルを思い出すことになる。

 この国が「右傾化している」と言われる今、本書が投げかけるテーマは重大な意味があると思う。少し長くなるけれど、2カ所引用する。

 「大勢が声を揃えて一つのことを言っているようなとき、少しでも違和感があったら、自分は何に引っ掛かっているのか、意識のライトを当てて明らかにする。自分が足がかりにすべきはそこだ。自分基準で「自分」をつくっていくんだ。他人の「普通」は、そこには関係ない。

 「国が本気でこうしたいと思ったら、もう、あれよあれよという間の出来事なんだ。

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残月 みをつくし料理帖

書影

著 者:高田郁
出版社:角川春樹事務所
出版日:2012年3月18日 第1刷発行 2014年5月18日 第12刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「みをつくし料理帖」シリーズの第8作。「かのひとの面影膳」「慰め海苔巻」「麗し鼈甲珠」「寒中の麦」の4編を収録した連作短編。

 主人公の澪は、江戸の元飯田町にある「つる家」という料理屋の板前。彼女には、かつて修業した「天満一兆庵」の再興と、今は吉原にいる幼馴染の野江と昔のように共に暮らす、といった2つの望みがある。

 今回は、この2つの望みに関連して大きな出来事が起きる。「天満一兆庵」の再興には、お店の若旦那である佐兵衛を探し出す必要がある。幼馴染の野江のことについては、当然ながら野江との面会が先に立つ。バラしてしまうとこの2つの「再会」は叶う。しかしどちらも澪が望んだような形にはならなかった。

 その他にも今回は動きが多かった。支えてくれる人にが恵まれていたが、前回、前々回あたりから、澪の周りから人が離れていく。関係が断たれた人、亡くなった人、引っ越して行く人。そして新たな試練の予感。

 ところでこのシリーズのタイトルには、気候や空に関する言葉が使われている。それが物語のどこか肝心のところで登場する。今回の「残月」は十五夜の翌朝の空に残った満月。その月を見た幼い子どもの呟きが切ない。

あんな風に、どこも欠けていない幸せがあればいいのに」 それは手を伸ばしても届かない。

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五郎治殿御始末

書影

著 者:浅田次郎
出版社:新潮社
出版日:2009年5月1日 発行 2014年10月5日 4刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 著者の本を読むのは「地下鉄(メトロ)に乗って」「世の中それほど不公平じゃない」に続いて3作品目。まだそれだけ。友達から借りて読んだ。

 江戸から明治になって数年という時代を舞台にした、短編が6編収められた短編集。読んでいて「そう言えばこの時代はあまり物語になってないな」と思った。

 6編を簡単に。「椿寺まで」日本橋のお店の主の伴として八王子へ向かう奉公人の少年。途中で浪人の追いはぎに遭う。「函館証文」かつて戦場で書いた「命を助けてもらう代わりに千両払う」という証文の巡る物語。「西を向く侍」かつての幕府天文方の俊才だった男が、太陰暦から太陽暦への強引な切り替えに物申す。

 「遠い砲音」西洋定時法(1日が24アウワーズ、その60分の1がミニウト..)に慣れない陸軍中尉の物語。「柘榴坂の仇討」井伊直弼の近習だった男が、桜田門外の変で討たれた主君の仇討を悲願とする。「五郎治殿御始末」明治維新後に藩の整理に携わった桑名藩士。藩の整理を終え、孫を連れて家族と自身の整理のために旅に出る。

 とても新鮮な気持ちで読んだ。それは前述のように「この時代はあまり物語になってないな」と思ったからだ。しかし、考えてみれば「明治維新」を描く物語は少なくない。ではどうしてそう思ったか?明治の元勲を描いたものは少なくないけれど、一般の人々の暮らしを描く目線の低い物語はあまりない(と思った)からだ。

 武士がその身分と共に職業もなくなり、太陽暦の採用を初めとする西洋の文化が流入し、その激変ぶりは太平洋戦争の終戦に勝るとも劣らない。例えば、旗本(殿様)が商いを始める、武家の娘が酌婦として務めなければならない、「今年は12月2日で終わり」なんてこともあった。

 その激変にうまく順応できた人も、置いて行かれた人もいる。どちらの場合にもそこにはドラマがあったはず。それを丁寧にすくい取り、時にユーモラスに時に物悲しく描く。この短編集は秀作だと思う。

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サラバ!(上)(下)

書影
書影

著 者:西加奈子
出版社:小学館
出版日:2014年11月3日 初版第1刷 2015年1月28日 第3刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 本屋大賞ノミネート作品。さらに2014年下半期の直木賞受賞作。

 主人公は、圷歩(あくつ あゆむ)。歩の母親は、その人生の多くの決定を直感で成した人で、妊娠が分かった瞬間に、名前は歩だと決めていた。本書は、歩がこの世に生を受けた瞬間から37歳までの、半生を綴ったものだ。

 歩の人生はその始まりから非凡だった。父親の赴任先であるテヘランの病院で左足から(つまり逆子の状態で)この世界に登場した。新しい世界の空気との距離を測りながらおずおずと。その後の人生を暗示するように。

 実は非凡なのは歩ではなくて、歩の家族であり周囲の人々だ。親の憲太郎は、風貌も性格も僧侶のように穏やかな人だった。母の奈緒子は、良く言えば自分に正直、悪く言えばわがままな人だった、度外れて。姉の貴子は、この世のすべての事に怒りを感じているかのような、激しさを持った子どもだった、常軌を逸して。

 物語は、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、社会人のそれぞれの時代の歩と、その時の家族らを描く。事実を積み重ねる描写は淡々としている。そこに描かれる出来事、特に貴子が巻き起こす事件の騒々しさとは好対照だ。歩は、自然と貴子から距離をとるようになる。家族にもその他の事にも、積極的には関わらない生き方を選ぶ。

 長い物語だった。貴子の言動を除いては取り立てて「事件」もなく、途中で何度か不安になった。この物語はどこに向かっているのか?と。

 その不安は、下巻の半分ぐらいまで来たところで解消された。たくさんあったエピソードのいくつかが、はっきりした輪郭と共に急に浮かび上がってくる。「あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけない」というメッセージも伝わってくる。(読むのに苦労したということは全くないけれど)読み通して良かったと思う。

 先に「長い」とは書いたけれど、一人の人間の半生を、上下巻の計700ページあまりに凝縮させるのは大変な作業だと思う。本書は著者の作家生活十周年記念作品だそうだけれど、それにふさわしい力作だと思う。

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ツナグ

書影

著 者:辻村深月
出版社:新潮社
出版日:2010年10月30日 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 2011年の吉川英治文学新人賞受賞作。2012年10月に松坂桃李さん主演で映画化。2014年2月現在で69万部のベストセラー。この前に読んだ「ハケンアニメ」が面白かったので読んでみようと思った。

 「この世」の私たちを死者と引きあわせることができる者、それが「使者(ツナグ)」。本書はこの「使者」を巡る様々な人間を描いた連作短編。

 使者に「誰々に会いたい」と依頼すると、使者はそれに応じるかどうかを死者に聞いて、諾となれば面会が叶う。死者に会えるのは人生で一度きり。死者の方もそれは同様で、一度誰かに会うともう他の誰かには会うことができない。さらには死者の方から会う人を指名することもできない。

 物語では、自分を介抱してくれたアイドルに会いたい女性、亡くなった母親に会いたい男性、親友だった同級生に会いたい女子高校生、自分の元から急に姿を消した恋人に会いたい男性、などが登場する。

 「人生で一度きり」というルールが要になって、物語を締めている。「愛するあの人にもう一度会いたい」という理由だけでは「一度きり」のチャンスは使えない。秘密とか心残りとか、もっと別の理由があって、彼らは使者にコンタクトしてくる。時にその理由は業の深いものだったりする。また「使者」自身にも抱えた事情がある。

 面白かった。死者の方も「一度きり」。それを受けたのだからか、死者の方は一様に余裕がある。楽しそうでさえある。常に「死」を意識しなくてはならない物語なのに、暗い感じがしないのは、面会に来た死者が持つ明るさのせいだと思う。

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億男

書影

著 者:川村元気
出版社:マガジンハウス
出版日:2014年10月15日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 本屋大賞ノミネート作品。著者は「電車男」「告白」「悪人」などのヒット作を手掛けた映画プロデューサー。「映画プロデューサー」がどんな仕事なのかよく知らないのだけれど、才能のある人なのだろう。

 主人公は一男。30代後半。昼間は図書館司書として働き、夜はパン工場で生地を丸めている。働きづめなのは、失踪した弟が残した3000万円の借金の返済のためだ。妻と娘とは別居中。そんな一男が宝くじで3億円を当てる。タイトルの「億男」は、億円のお金を持っている男のこと。一男は「億男」になったのだ。

 「その3億円を元手に事業を起こして、失敗をしながらもお金の使い方を覚えて成長していく」という物語ではない。帯に「お金のエンタテイメント」なんて書いてあるので、そういった話かと思ったけれど、そうではない。

 一男は、今はベンチャー企業で成功しているかつての親友を、15年ぶりに訪ねる。3億円との付き合い方を相談するためだ。行った先には昔と変わらぬ親友がいた。が、その親友が3億円と共に消えてしまう。

 「お金と幸せの答え」が本書のテーマ。これを求めて一男は何人かの人物を訪ねることになる。かつて大金を手にした人たちだ。彼らの話から「お金と幸せ」について一男は考える。もちろん読者も一緒に考える。

 フワフワして地に足が付かなくて浅い感じがする物語だった。「宝くじで3億円当たったらどうする?」という話題が、大抵は現実感を持って語られないのと同じで、フィクションの大金持ちの話なんてフワフワしたものなのかもしれないけれど。

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