2.小説

りかさん

書影

著 者:梨木香歩
出版社:偕成社
出版日:1999年12月 初版第1刷
評 価:☆☆☆(説明)

 以前に読んだ「からくりからくさ」の蓉子が、小学生の「ようこ」だったころの物語。本書はジャンルとしては児童文学だけれど、「からくりからくさ」を読んだ時に、それと対になる作品だと知って読みたいと思っていた。さらに、薦めてくださる方も多かったのに、あれから3年余り経ってしまったけれど、ようやく読むことができた。

 タイトルの「りかさん」は、ようこがお雛祭りのお祝いに、おばあちゃんからもらった市松人形の名前。りかさんは実は人間と話すことができる。いや正確に言えば、ようこやおばあちゃんのような「人形と話せる人間」と話すことができる。

 ようこは、りかさんと話したことがきっかけで、他の人形たちの声も聞こえるようになった。また、りかさんは人形たちの記憶を、映し出してようこに見せることができる。そうして、ようこは自分の家のお雛様や、友だちの登美子ちゃんの家の人形たちの想いを知ることになる。

 「もし人形に心があったら」という前提が、すんなりと受け入れられる。ようこの家のお雛様たちがもめている、男雛がもの思いに沈んでいるのはどうしてか?は、ちょっと面白い。登美子ちゃんの家の人形たちからは、小学生のようこには手に余る想いが伝わってくる。
 人形の記憶というのは、持ち主などのその人形に関わる人間の記憶でもある。例えその人が亡くなっても、その想いは人形の中で留められて残る。児童文学とは言っても、籠められた想いはずっしりと重く深い。

 「うわ、りかちゃん、しゃべれたのかあ。」と言った時のようこが、とても微笑ましい。成長して「からくりからくさ」の蓉子になった時には、染色の道に進んでいるのだけれど、そのきっかけも描かれている。別々の出版社から同じ年に出版されたこの2冊の本は、確かに一組の物語になっている。読んで良かった。

 私の家にもお雛様があるのだけれど、毎年飾るように心がけている。箱から出して段に置いた時に、人形の表情が明るくなるように感じるのは、気のせいばかりではないと思う。

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サヴァイヴ

書影

著 者:近藤史恵
出版社:新潮社
出版日:2011年6月30日 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 著者が自転車のロードレースの世界を描くシリーズ3作目。1作目の「サクリファイス」では、新人選手の白石誓を主人公として、「エースとアシスト」という自転車ロードレース特有の世界を描き出した。2作目の「エデン」はそれから3年後、ヨーロッパに雄飛した誓が見た、より深い人間ドラマを見せてくれた。本書は、この前2作の前後を描く6つの短編からなる。

 実は6つ短編のうち、3つは既読だった。「Story Seller」「Story Seller2」「Story Seller3」という、月刊文芸誌「小説新潮」の別冊にそれぞれ収録されていたもので、順に「プロトンの中の孤独」「レミング」「ゴールよりももっと遠く」の3編。

 この度は再読になったこの3編が、私は好きだ。それは、誓が日本にいた時のチーム「チーム・オッジ」のエースの石尾と、その同期でアシストの赤城の物語。「サクリファイス」の前の時を描いたものだ。これで、著者が描き出した世界が、ぐんと厚みを増した感じがする。

 石尾が「プロトン~」では新人、その2年後の「レミング」ではエースになった直後、さらに5年後の「ゴール~」では王者としてチームに君臨している。石尾自身はあまり変わりがないのだけれど、7年の間にその立場は大きく変わっている。
 赤城は、同期とは言え3つ年上。石尾と出会う前にスペインでの3年半のキャリアもある。言うなれば石尾の先輩なのだけれど、選手生活の大半を名実ともに「石尾のアシスト」に徹してきた。2人の関係の変化と、赤城の心情が見どころだ。(今気が付いたけれど、このシリーズの半分は、赤城の物語だとも言えるぐらいだ)

 残りの3編のうちの1編は、誓の同期の伊庭が主人公。他の2編は誓が主人公。自らは勝利することのない「アシスト」。常に若い世代が背後から迫る「エース」。忍び寄る薬物の誘惑。ビジネスとしての暗部をはらんだロードレース。色々なドラマを含んだ6編はそれぞれに楽しめるけれど、やはり前2作を読んでからがいいと思う。

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まほろ駅前番外地

書影

著 者:三浦しをん
出版社:文藝春秋
出版日:2009年10月15日第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 「まほろ駅前多田便利軒」の続編。前作は、2006年上半期の直木賞を受賞し、昨年4月には、瑛太さん、松田龍平さんの主演で映画化されている。そして本書も、テレビ東京でドラマ化され、来年放送される予定。しかも、キャストは映画と同じ2人が務めるそうだ。これは楽しみ。

 主人公は、多田啓介と行天春彦。多田は、まほろ市という架空の街(一説によると町田市がモデルらしい)の駅前で「多田便利軒」という便利屋を営む。行天は、多田の高校時代の同級生。特に多田と仲が良かったわけでもないのだけれど、「多田便利軒」の助手として居候している。

 助手としての役にほぼ立っていない行天を筆頭にして、この物語の登場人物たちは、端役に至るまで個性が豊かだ。ヤクザまがいの青年、ちょっとボケ気味なおばあちゃん、妙に大人びた食えない小学生の少年、バスの間引き運転の証拠をつかむことに執念を燃やす老人...。

 実は彼らは、前作にも登場している。本書は7つの短編からなる短編集なのだけれど、その内の4編は、前作で登場した彼らの物語なのだ。個性豊かな登場人物たちだし、それぞれにファンもいるようだ。1回登場させただけではもったいない。
 つまりこの4編は、前作の読者へのボーナストラックのようなものだ。「続編」と書いたが、タイトル中の「番外地」が醸し出すように「番外編」でもあるのだ。

 他3編を含めた7編の中で、「食えない小学生」の田村由良くんの話「由良公は運が悪い」が、私は一番楽しめた。家族で公園に行く予定の休日に、両親の都合が急に悪くなった。一人で出かけて友だちを呼び出そうと取り出した携帯電話が電池切れ...。「運が悪い」ことが続いたが、極めつけは「行天と出会ったこと」。でも由良くん、けっこう楽しかったよね。

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神様のカルテ2

書影

著 者:夏川草介
出版社:小学館
出版日:2010年10月3日 初版第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 著者のデビュー作にしてベストセラーの「神様のカルテ」の続編。前作は、昨年の8月に映画化されている。本の方は、映画公開の時点で「150万部突破」と言っているから、すごい売れ方だ。本書も2010年の発売後4か月で70万部というから、恐らく100万部オーバーなのだろう。

 主人公は、栗原一止(いちと)。松本市にある民間病院の内科のお医者さん。主な登場人物は、一止の妻のハルと、病院の医師や看護師らで、前作とほぼ同じ面々が顔を揃える中、病院に新しく医師の進藤辰也が赴任してきた。辰也は、なんと一止の医学部時代の(数少ない)友人の一人だった。

 一止が務める病院は、「24時間、365日対応」という理念を掲げる。だから昼夜なくものすごく忙しい。患者のために..という理想はあっても、医師も医師である前に人間。妻や子どもと、患者や理想との間で綱渡りを余儀なくされるし、何より自分自身の健康を損ねかねない。

 物語は、こうした医療の現場のテーマを、辰也を登場させて「(医師である前に)僕たちは人間なんだぞ」と言わせることで、改めて浮き上がらせてみせる。さらに、人の生死については、厳然とした限界があり、医師の「負け戦」もある。その「負け戦」の中で読者は、違った意味の「医師である前に人間」という声を再び聞くことになる。

 泣き所が随所にあるので、涙腺が弱い方は注意。そして、爆笑を誘うコメントやシーンも、全く前触れなしに潜んでいるので、人前で読むときにはそれも注意。

 最後に。前作のレビューにも書いたのだけれど、私は「死」を「感動」につなげることには否定的な意見を持っている。しかし、この物語については否定的なことを言うまいと思う。理由は上手く言えないけれど、医師でもある著者の「死」への想いが伝わって来るからかもしれない。

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謎手本忠臣蔵(上)(下)

書影
書影

著 者:加藤廣
出版社:新潮社
出版日:2008年10月30日
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「信長の棺」でデビューした著者の4作目。「信長の棺」では、「こうだったかも知れない」という信長の死の真相を描いてみせてくれた。本書でも「忠臣蔵」として知られる、赤穂浪士討ち入り事件の(こうだったかも知れない)真相を、史料の検証と仮説を基に描き出している。

 「忠臣蔵」と言えば、かつてはテレビドラマの鉄板と言われていて、年末にはどこかの局で必ずやっていた。それぞれの番組オリジナルの趣向はあるのだけれど、大筋は同じ。松の廊下の刃傷事件から、討ち入り・本懐に至るストーリーは、すでに頭に入ってる。正直言って「今さら感」はある。著者の作品でなかったら手に取ったかどうか分からない。

 物語は、将軍綱吉の御側用人筆頭の柳沢保明(後の吉保)と、浅野家国家老の大石内蔵助の2人を主人公として、事件を2つの方向から描く。敢えて言えば、内蔵助を主人公にした章の「正統派の物語」を、保明を主人公にした章が「新たな光」で照らす、と言った趣向になっている。

 「新たな光」がどんなものなのかは、本書の肝になるので読んでもらうしかない。本書には他にも魅力がある。それは、多彩な登場人物と物語の細やかな描写だ。主人公2人の他に、将軍綱吉、赤穂の浪士たち、保明が放つ忍び、等々の個性がくっきりと描かれている(「天使明察」の主人公の渋川春海も登場する)

 また「大筋は同じ」なら細部で違いが出る。浪士たちは浪々の身で討ち入りの装束をどうやって調達したのか?討ち入りの後、浪士たちは本所の吉良邸から泉岳寺まで江戸の街を横断しているけれど、犯罪者の身でどうしてそんなことができたのか?こんな細部に目が行き届いている。

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機関車先生

書影

著 者:伊集院静
出版社:講談社
出版日:1994年6月28日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 本好きのためのSNS「本カフェ」の読書会の4月の指定図書。

 物語の時代は「敗戦後十数年」とあるから昭和30年代半ばだろう、舞台は瀬戸内海の西端にある「葉名島」という小島。主人公は吉岡誠吾、30歳。誠吾は、葉名島に1つしかない全生徒7人の小学校に、代用教員として赴任してきた。生徒たちが付けたあだ名が、本のタイトルの「機関車先生」

 誠吾は、子どものころの病気が原因で話すことができない。「口をきかん」の「キカン」と、大きな身体で力持ちなところからの連想で「機関車先生」。話すことができないで、どうやって子どもたちに勉強を教えるのか?という疑問は、すぐに払しょくされる。一部の大人は少し頑なだったが、子どもたちは誠吾をすぐに受け入れた。いや、実のところ誠吾は素晴らしい先生だった。

 物語は、誠吾と子どもたちや島の人々との触れ合いを中心にして進む。誠吾にも背負った葛藤がある。子どもたち一人ひとりにも、島の大人たちにも様々な事情があり、それらをひとつずつ丁寧に描く。未だ戦争の傷が癒えていない島の暮らし。男たちのほとんどは漁師で、海と対峙した厳しい暮らしをしている。海は生活の糧を与えてくれるが、すべてを奪ってしまうこともある。

 主人公のセリフが極端に少ない。誠吾が話すことができないから、話言葉としてのセリフは1つもない。「○○と思った」というようなト書きもほとんどない。大きくうなずいた、目を丸くした、首を横に振った。書かれたしぐさで気持ちがセリフ以上に伝わる。これはすごい。

 厳しくも心温まる物語だった。春から夏にかけての物語だったこともあり、瀬戸内の明るい陽射しが感じられた。

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おまえさん(上)(下)

書影
書影

著 者:宮部みゆき
出版社:講談社
出版日:2011年9月22日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 人は良いけれど、剣術も推理も並み以下で、昼間っから馴染みのお菜屋に入り浸っている、「ぼんくら」同心、井筒平四郎シリーズの第3弾。第3弾だとは読み始めるまで知らなかった。ずい分前に図書館に予約していてようやく順番が回ってきた。

 時代は江戸時代。江戸の街の庶民の慎ましくも安定した暮らしが伺えるから、時代が下ってきたころなのだろう。舞台は平四郎の担当地域の本所深川あたり。平四郎は「臨時見廻り同心」という役職で、まぁ見廻るのがお役目。見廻っているのかただブラブラしているのか分からない、というのが「ぼんくら」同心たる所以。

 物語の中心は連続殺人事件。被害者には、刀で袈裟懸けにバッサリと切られた、という共通点がある。平四郎は、若い同僚の同心の間島信之輔、岡っ引きの政五郎らと真相究明にあたる。..あたると言っても、平四郎は一見するとほとんど活躍しない。

 本書の魅力の1つは、その登場人物たちの多彩さにある。しかもそれぞれの人物が揃って魅力的だ。平四郎の甥で美形の少年の弓乃助、政五郎の子で抜群の記憶力を持つ三太郎、面倒見の良いお菜屋の女主人のお徳、信之輔の大叔父で枯れた老人の元右衛門....
 挙げていけばればキリがない。上下巻合わせて千ページを超える長編で、多くの人物が物語に絡んできて上に、政五郎の手下や町医者の先生や長屋の野菜売りのおじさん、といった端役に至るまで個性的だ。しかも揃って友達になりたいほどの「気持いい」人たちなのだ。

 上下巻の「上」は連続殺人事件の謎解きミステリー、「下」は犯人の探索行と人情話。千ページは長いが楽しみも多い。

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小太郎の左腕

書影

著 者:和田竜
出版社:小学館
出版日:2009年11月2日 初版第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 「のぼうの城」「忍びの国」に続く、著者のデビュー3作目。「のぼうの城」は、ベストセラーになって映画化され、東日本大震災による曲折を経て今秋に公開予定、と評判が高い。第2作の「忍びの国」は、それよりもさらに楽しめたので、第3作の本書は期待が大きかった。

 時代は戦国期、1556年。桶狭間の戦いの4年前、織田信長がまだ尾張国も統一していない頃で、各地で国人領主らが盟主を立てて、小競り合いを繰り広げていた時代。主人公は、そんな盟主の1つ戸沢家の重臣、林半右衛門。六尺を超す身の丈に丸太のような腕と脚、という大男。戦場では「万夫不当の勇士」と恐れられていた。

 戸沢家と敵対する児玉家にも、花房喜兵衛という豪勇の重臣がいる。半右衛門と喜兵衛は、互いを認め合いながらも、合戦、一騎打ち、籠城戦、謀略と、様々な形で激突する。そこに、小太郎という名の少年や、半右衛門の過去などが絡んでくる。

 正直に言って、物語に乗りきれなかった。功名と名誉を何より重んじ、勇猛と潔さを敬い卑怯を嫌う、命のやり取りさえカラリとやってのける。著者が「この時代の男たちは...」と言って、しつこいぐらいに繰り返す「男の美学」。本書は言わばその美学を、半右衛門と喜兵衛が体現する物語だ。

 私としては、それを貫いてくれれば良かった。その美学を危うくする事態の出来によって、物語に起伏が生まれ、登場人物の描写にも深みが増したのは分かる。こうしたことを高く評価する向きもあるだろう。ただ私はそうして欲しくなかった。

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歪笑小説

書影

著 者:東野圭吾
出版社:集英社
出版日:2012年1月25日 第1刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 本書は、2011年に「小説すばる」に掲載された短編12編を収録した短編集。著者には「〇笑小説」というユーモア短編集のシリーズがあり、本書はその4番目。

 12編すべてが、小説家や編集者ら出版業界の人々の悲喜こもごもを軽妙に描いた作品。登場人物が共通していて、作品間につながりがあるので、連作短編集としても読める。

 「編集者に必要な3G」は「ゴルフ、銀座、ゴマすり」。秘技「スライディング土下座」。冒頭の作品「伝説の男」では、小説家に気に入られ、原稿をもらうためのあの手この手が次々と繰り出される。

 このような登場人物たちのいささか誇張された言動によって、ゴマスリ編集者をチクリと刺し、行き過ぎたファンをやんわりとたしなめ、本が読まれても作家に還元されない現状に異議を申立てる。そして返す刀では「普通の仕事ができないから...」「小学生以下」と、小説家つまり自身をも一刀両断する。

 全部の物語にオチが付いている。どんでん返しあり、苦笑いあり、そして「いい話」あり。出版関係者を面白おかしくこき下ろしてはいるけれど、著者はきっとこの業界が好きなんだろう。随所に小説家の先輩や、編集者たちへのリスペクトを感る。

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シティ・マラソンズ

書影

著 者:三浦しをん、あさのあつこ、近藤史恵
出版社:文藝春秋
出版日:2010年10月30日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 本書は、スポーツ用品メーカーのアシックスの「マラソン三都物語」というプロモーションで、3人の人気女性作家がそれぞれ書き下ろした短編を収録したもの。その3人というのは、三浦しをんさん、あさのあつこさん、近藤史恵さん。これは贅沢だ。

 「三都物語」の「三都」とは、ニューヨーク、東京、パリの3つ。それぞれで毎年3万5~6千人もの市民ランナーが参加する、シティマラソン大会が催されている。三浦さんが「ニューヨークシティマラソン」あさのさんが「東京マラソン」、近藤さんが「パリマラソン」。それぞれのマラソン大会を題材にした物語を書き下ろしている。

 マラソン大会当日を描いたのは、三浦さんだけ。主人公を大会の参加者にしなかったのは、あさのさんだけ。主人公が陸上経験者じゃないのは、近藤さんだけ。三者三様だ。しかし、共通するものも見える。それは「回復」の物語だ。

 3人の主人公たちは、それぞれ挫折を経験している。いや、それは挫折とも言えないかもしれない。人生のどこかに置き忘れてしまったもの。そこの部分には穴が空いているので、本人もそうと気づかないけれど満たされない思いが募っている。そんな感じ。

 その穴がマラソンに関わることで埋められる。きっと「走る」ということは、人間の欲求や感情と深く結びついているのだと思う。小さな子どもたちを広い場所に連れて行くと、意味もなく駆け出すのは、それが気持ちいいからだ。

 そう、元来「走る」ことは気持ちいい。タイムや順位に拘れば辛いことが多くなる。しかし3万5千人もの参加者の多くは、気持ちよさを求めて集うのだろう。ネットには各大会の優勝記録が載っているけれど、記録には残らない何万何十万もの参加者と、その周辺の一人ひとりに物語があることを、本書は教えてくれる。

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