25.梨木香歩

冬虫夏草

著 者:梨木香歩
出版社:新潮社
出版日:2013年10月30日 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 名著「家守綺譚」の続編。著者の作品では「西の魔女が死んだ」が映画化もされ、読書感想文の課題図書として取り上げられることも多くて有名。しかし、私にとっては人に薦められて読んだ「家守綺譚」が、著者の作品との最初の出会いで最高の一冊。その続編が読めるのが嬉しかった。

 時は明治の中ごろ、場所は京都。主人公の綿貫征四郎は、亡き友の家を守って文筆業で生計を立てている。綿貫がそいうったものを引き寄せるのか、河童やら狸やらの人外の者と多く出会う。いや、ほんの100年前の日本は、そういったものの近くに人々の暮らしがあったのかもしれない。

 綿貫の家に居ついている犬のゴローが、ふた月も姿を見せない。ゴローは犬であるがその「人望」は厚く、人間・動物・その他の生き物の様々な事柄に関わっていて、留守にすることは珍しくない。しかし、今回はそれが気になって仕方ない。というわけで、綿貫はゴロー探索の旅に出る。

 わずかな手がかりからゴローの消息を知り。琵琶湖のほとりから鈴鹿の山中へと向かう。本書は主にその道中を39編の短編を重ねて描く。人と(もちろん人外の者とも)出会い、その人を置いて道を先へ進む。ロードムービーの趣だ。その内の何人かは後に再び出会い、何人かは真の姿が明らかになり、綿貫の道中に重要な意味を持つ。こうした仕掛けが本当に上手い。

 「紫草」「椿」「河原撫子」「蒟蒻」「サカキ」...すべての短編に植物の名前が付いている。そうした植物や風景の観察が細やかで、心が穏やかになる。一節を紹介する「...見れば、カエデの二寸程のものは、私の小指の爪先程の大きさ程しかあらぬ葉であるのに、すでに紅葉を始めている。変化はまことに斯くの如く、小さきものから始まるのだ、と感嘆する」...小さなカエデの葉に目を留める感性に瑞々しさを感じる。

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りかさん

著 者:梨木香歩
出版社:偕成社
出版日:1999年12月 初版第1刷
評 価:☆☆☆(説明)

 以前に読んだ「からくりからくさ」の蓉子が、小学生の「ようこ」だったころの物語。本書はジャンルとしては児童文学だけれど、「からくりからくさ」を読んだ時に、それと対になる作品だと知って読みたいと思っていた。さらに、薦めてくださる方も多かったのに、あれから3年余り経ってしまったけれど、ようやく読むことができた。

 タイトルの「りかさん」は、ようこがお雛祭りのお祝いに、おばあちゃんからもらった市松人形の名前。りかさんは実は人間と話すことができる。いや正確に言えば、ようこやおばあちゃんのような「人形と話せる人間」と話すことができる。

 ようこは、りかさんと話したことがきっかけで、他の人形たちの声も聞こえるようになった。また、りかさんは人形たちの記憶を、映し出してようこに見せることができる。そうして、ようこは自分の家のお雛様や、友だちの登美子ちゃんの家の人形たちの想いを知ることになる。

 「もし人形に心があったら」という前提が、すんなりと受け入れられる。ようこの家のお雛様たちがもめている、男雛がもの思いに沈んでいるのはどうしてか?は、ちょっと面白い。登美子ちゃんの家の人形たちからは、小学生のようこには手に余る想いが伝わってくる。
 人形の記憶というのは、持ち主などのその人形に関わる人間の記憶でもある。例えその人が亡くなっても、その想いは人形の中で留められて残る。児童文学とは言っても、籠められた想いはずっしりと重く深い。

 「うわ、りかちゃん、しゃべれたのかあ。」と言った時のようこが、とても微笑ましい。成長して「からくりからくさ」の蓉子になった時には、染色の道に進んでいるのだけれど、そのきっかけも描かれている。別々の出版社から同じ年に出版されたこの2冊の本は、確かに一組の物語になっている。読んで良かった。

 私の家にもお雛様があるのだけれど、毎年飾るように心がけている。箱から出して段に置いた時に、人形の表情が明るくなるように感じるのは、気のせいばかりではないと思う。

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ピスタチオ

著 者:梨木香歩
出版社:筑摩書房
出版日:2010年10月10日 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 著者の最新刊。著者の作品に多くに共通するのは、「異界」の存在を感じさせること。「家守綺譚」や「f植物園の巣穴」のこの世ならぬ者たち、「裏庭」の鏡の向こうの世界、「村田エフェンディ滞土録」の神々、「沼地のある森を抜けて」の故郷の島。そして、今回はアフリカの呪術医と精霊だ。

 主人公は山本翠。40歳手前。「棚」というペンネームでライターの仕事をしている。仕事関係の人からだけでなく、恋人からも近所の喫茶店の女主人からも「棚」と呼ばれている。彼女は、かつて勤めていた出版社を辞め、衝動的にケニアに渡り数か月を過ごしたことがある。

 棚は、亡父が建てた武蔵野の公園の前のマンションの2階に犬のマースと暮らしている。公園の木々や池にいる水鳥たちの描写が詳しい。「カモ」と一言で片づけてしまわずに、「オナガガモ」「キンクロハジロ」「ホシハジロ」「ハシビロガモ」「カルガモ」と名前を挙げていく。
 それは棚がそうしたことに興味があるということを表している。また棚は、気圧の変化が自分の体調で正確に分かる。前線が通過するとひどく頭痛がする一方で、異様に意識が覚醒する。だから、棚にとって気象情報は何にもまして関心のあるニュースなのだ。

 物語の前半は、公園でのマースを連れた散歩の様子などの描写が瑞々しい。しかし棚の暮らしはマースの病気に振り回されることになる。そして後半になって、著者の作品に共通する「異界」の存在を強く感じる物語に展開していく。

 正直に言って、読んでいて今ひとつ乗れないままになってしまった。前半と後半のつながりが、無いようで有る。細い糸でつながっている感じ。

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村田エフェンディ滞土録

著 者:梨木香歩
出版社:角川書店
出版日:2004年4月30日 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 タイトルの意味を後ろから追うと、「滞土録」の「土」は「土耳古(トルコ)」の頭文字、エフェンディ」はトルコで昔使われていた、学者に対する尊称、「村田」は主人公の名前。つまり「村田エフェンディ滞土録」は、「村田先生のトルコ滞在記」の意味。

 時は1899年、舞台はイスタンブール。主人公の村田は、トルコ皇帝からの招聘を受けて、かの国の歴史文化の研究のために来ている。1890年に起きたトルコの軍艦「エルトゥールル号」の和歌山沖での遭難事件での、地元民の献身的な救難活動への返礼としての留学なのだ。しかし彼はまだ青年で、大学の史学科の講師。「エフェンディ」と呼ばれるのは、自分でもしっくりこないらしい。
 そして、村田が下宿する屋敷には、ドイツ人の考古学者、ギリシア人の発掘家、下働きのトルコ人、屋敷の主人兼家政婦のイギリス人と、村田を入れて5人が住んでいる。物語は、この5人の会話を中心に、現地で出会った人々との交流を描く。

 いろいろと不思議なことが起きる。下宿の壁がユラユラと揺らぐように光る。天井から大きなものが走り回っているような音がする。敷石に人の影が浮き上がる...。と言ってもホラー感はない。100年以上前だからなのか、遠く中東の国だからなのか、イギリス人の主人が言うように「そういうこともあるでしょう」という感じなのだ。
 いや、年代のせいでも国のせいでもない。著者の描く世界が、そんな不思議を許容するゆったりした空間だからなのだ。そう、私が初めて読んだ著者の作品である「家守綺譚」のように。実は本書は「家守綺譚」と同じ時代の物語で、かの物語の主人公の綿貫と高堂は、村田の友人なのだ。共にに2004年に出版されたこの2つの作品は対になっている。だから、両方読んでみることをおススメする。

 最後に。村田の下宿にはまだ住人がいる。下働きのトルコ人が拾ってきたオウムだ。主人が作る料理のにおいがしてくると必ず「失敗だ」と言い、食べ物を取りに行ったトルコ人に「友よ!」と呼びかけ、夜明け前に鶏の鳴きまねをし、「何時だと思っているのだ」とドイツ人に叱られると、「楽しむことを学べ」とラテン語で返す。実にいい味を出している。

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裏庭

著 者:梨木香歩
出版社:新潮社
出版日:2001年1月1日 発行 2010年9月30日 第28刷
評 価:☆☆☆(説明)

 著者は、「家守綺譚」「からくりからくさ」などの作品で、ゆっくりと不思議な時間が流れる物語で私を捕らえた。「西の魔女が死んだ」では、美しい自然の中の暮らしとともに、女性の凛とした生き方を描いた。本作は、1995年に「児童文学ファンタジー大賞」の第1回の大賞受賞作。

 物語を簡単に紹介する。主人公の13歳の少女、照美はレストランの経営で忙しい両親からの愛を、あまり感じられないでいた。ある日、かつて英国人の別荘で今は荒れ放題の洋館の裏庭に、照美は入り込む。「裏庭」とは、その洋館の持ち主だったバーンズ家の秘密、この世とは別の世界のことだった。そこでは、照美はある役割を担っていて、それを成し遂げないことには元の世界に帰ってこられない..。

 想像していたものより、ズシリと重い手応えの物語だった。私自身が書いた上の紹介や「児童文学ファンタジー」という語感からは、「少女の溌剌とした冒険ストーリー」を思い浮かべるかもしれない。しかし本書は、照美の内面を深く深く潜行し、彼女は、少女が向き合うにはあまりに辛いものに向き合う経験をする。いや、いい歳をした私でもあんなことに向き合う勇気はない。

 「ファンタジー」という分類について。ジョージ・マクドナルドの「リリス」のレビューにも書いたが、英語の「Fantasy」に「幻想文学」という言葉を充てることがある。私の感じ方では「ファンタジー」と「幻想文学」では語感がかなり違う。そして本書は「幻想文学」の方だ。
 見返してみると著者の作品「f植物園の巣穴」のレビューで、私は同じようなことを書いている。心の奥へ奥へと進むことも、本書と同じだ。著者は心の内奥を描く「幻想文学」の書き手だったのだ。

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本からはじまる物語

著 者:恩田陸、有栖有栖、梨木香歩、石田衣良、三崎亜記 他
出版社:メディアパル
出版日:2007年12月10日 初版第1刷発行 
評 価:☆☆☆(説明)

 るるる☆さんのブログ「rururu☆cafe」で紹介されていた本。

 アンソロジー作品を読むたびに思っていて、「Story Seller2」のレビューにはそう書いてあるのだけれど、本書も「贅沢だぁ」と言いたい。それは著者の面々のことだ。恩田陸さん、有栖有栖さん、梨木香歩さん、石田衣良さんといった、当代切って人気作家。阿刀田高さん、今江祥智さんらのベテラン。本多孝好さん、いしいしんじさん、三崎亜記さんら、近頃評判の作家さん。とても全員は書ききれない。本書は、総勢18人の作家さんによる、「本」をテーマにした「競演」作なのだ。

 たくさんの作家さんによる「競演」のメリットは、同じテーマから生まれた、全く違う物語をたくさん楽しめることだ。異世界を感じる不思議な物語、本が生き物のように羽ばたくファンタジー。それに人が行き交う場所でもある書店は、ミステリーでもホラーでも恋愛モノやハートウォーミングな物語でも、その格好の舞台になるのだ。

 18編それぞれに心に残るものがあるのだけれど、1つだけ紹介する。三崎亜記さんの「The Book Day」。4月22日の夜、人びとは公園に集まり、家族で「本」を囲んで思い思いに過ごす。翌23日が「本の日」、本に感謝する日だからだ。やがて零時になると、本たちが羽ばたき始める..その日は、その本への想いに区切りを付けて前に進むための日でもあるのだ。

 私は、三崎さんの作品は「失われた町」しか読んでいない。けれども、2つの作品の間には強く通じるものがあると思った。それは「喪失と回復」。「失われた町」でもこの短編でも、多くの人が大切なものを失い、その喪失を乗り越える。その凛とした姿に勇気付けられた。
 また、時に「本」には、出来事や人と結びついて、特別な想いが宿ることがある。乱読の私はこれから先の人生で、そんな本に出会うのだろうか?

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f植物園の巣穴

著 者:梨木香歩
出版社:朝日新聞社
出版日:2009年5月30日 第1刷発行 6月10日 第2刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 私が初めて読んだ著者の作品「家守綺譚」に似た雰囲気の作品、という話を耳にして手に取ってみた。「似た雰囲気」の意味が10ページも読んだあたりで分かった。本書の世界は、この世ならぬ者たちがごく自然にそこに存在する世界なのだ。「家守綺譚」で河童や鬼、狐狸妖怪の類がいたように。
 とはいえ、本書はホラーでもオカルトでもない。登場するこの世ならぬ者たちは、焦ると犬になってしまう歯科医の家内、雌鶏頭になる大家、ナマズ顔の神主らで、他人を脅かしたり、ましてや害をなす者ではない。普通にそこに存在する。ここは、そういう異界なのだ。

 主人公は佐田豊彦、植物園に勤務する技官で1年近く前にf植物園に転任してきた。1年以上放置していた歯痛が、いよいよガマンならなくなって歯科医に駆け込んだあたりから異界に踏み込んだらしい。窓口で薬袋を差し出した手が犬のそれだった。
 上に書いたように、その手は歯科医の家内の手だったのだが、そのことを歯科医に訴えたところ、帰ってきた返事が「ああ、また犬になっていましたか。」だ。ここから物語は夢の中のようにフワフワした非現実の世界に漂いだす。妻が犬になっていても動じない世界では、何も確実なのものとして信じられない。

 本書を読んでいて思い出したのは、ジョージ・マクドナルドの「リリス」。トールキンらに影響を与えたと言われる、ファンタジーのルーツのような作品で、浅い夢を見ているような、まさに「幻想文学」だ。夢の中のような異界をさまようということと、そこから醸し出される雰囲気が本書と似ている。
 「リリス」は宗教的な含みを持った生と死を扱った物語だが、本書は主人公の心を映す物語だ。途中で水の中を下に下にもぐっていくのは、心の奥へ奥へと進むことを表しているように思う。そこで出会ったものは、主人公の心にひっそりとあった、しかし決して消えることのなかった何かだった。

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沼地のある森を抜けて

著 者:梨木香歩
出版社:新潮社
出版日:2005年8月30日発行 2005年11月5日4刷
評 価:☆☆☆(説明)

 今まで読んだ著者の作品は、時間の流れがゆったりしているというか、私たちとは違う時間と空間というか、とにかく穏やかな感じのする物語だった。現実感が少し薄れた感じと言っても良い。それらに比べると、本書はなぜか心が休まらない居心地の悪さを感じた。
 それは本書が現代の都会を主な舞台としている現実感のせいではない。物語の不思議さ加減で言えば、飛びぬけて不思議な物語なのだ。(「家守綺譚」は妖怪の類が次々に登場する不思議な物語だけれど、100年以上前の日本には居たのではないかと思わせる)何てったって「ぬか床」がうめくのだ。そこから人が出てくるのだ。

 主人公の久美は化学メーカーの研究室で働く独身女性。両親を交通事故で亡くし、兄弟はいない。ある時、二人いる叔母の一人が亡くなり「ぬか床」を受け継いだ。もう一人の叔母の話によると、曾祖父母が故郷の島を出るときにただ一つ持って出てきたもの。その後、代々の女たちが世話をしてきたらしい。
 これがうめくし、人まで出てくる「ぬか床」だ。叔母からは「あなたが引き継ぐしかない」と、家の宿命だと言われたけれど迷惑千万だ。案の定、このぬか床に生活を翻弄されることになる。しかし、これも叔母の言だが久美には「素質がある」らしく、研究者としての知識も助けになって、この不思議をよく理解しようとし始める。

 私が、心が休まらないと感じたのは、ぬか床から人が現れる異様さもあるが、それよりも久美が背負った厄介ごとが憂鬱なものだったせいだ。しかし、久美はしっかりと考えて行動を開始した。物語後半は、久美のルーツに関わるちょっとスケールの大きなドラマに展開する。ちゃんと人の体温が感じられる物語にもなっているところはさすがだ。
 それから、久美の物語に挟み込まれるように、「島」の中で分裂を繰り返す「僕」の物語が綴られる。現実とは思えない暗喩に満ちた物語。まるで村上春樹さんの短編のようだ。この部分は、意欲的な実験作品なのかもしれない。

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からくりからくさ

著 者:梨木香歩
出版社:新潮社
出版日:1999年5月20日発行
評 価:☆☆☆(説明)

 私の昨年読んだ本の6番に選んだ「家守綺譚 」の著者の作品。「西の魔女が死んだ」の著者と言った方が、あるいは通りが良いかもしれない。本書はずっと前にかりん。さんに紹介していただいたのを、それっきりにしていたのだけれど、先日、図書館の棚で見つけて手に取りました。いや、見つけたのではなく本に呼ばれたような感じです。探していたわけではなかったので。

 著者の他の作品に違わずこの本も不思議な空気の流れる物語だった。時代はいつぐらいだろうか?車で行き来する場面が結構あるので、現代に近いとは思うのだが、時間がゆっくりと流れる感じは、もう少し昔を思わせる。
 主人公は、蓉子。歳は二十歳ぐらいか。染織の工房で働いている。蓉子の祖母が他界し、その家を女子学生の下宿として間貸しするので、そこの管理人もしている。管理人とはいっても、間借りしているのは同年代の女性3人(与希子、紀久、マーガレット)だから、何となく、長い合宿生活のような感じだ。

 与希子、紀久は美大の学生、蓉子の父は画廊の経営者、与希子の父は画家、と蓉子や他の登場人物も含めて芸術肌の人々が揃う。そしてそれぞれが、自分の考える「あるべき美の形」を追い求める。それは時には頑ななまでで、そうした心のあり方が物語を大きく展開させる。
 また、蓉子が少女のころから心を寄せる「りかさん」という名の人形や、高名な能面師が軸となって、同居する4人の物語が撚り合わされていく。どこか牧歌的な下宿の共同生活からは想像できないドラマチックな展開に後半は目が離せない。
 中盤あたりから、様々な事実が明らかになり、時代も場所も縦横無尽に駆ける。目まぐるしくて、一体著者はどこに連れて行こうとしているのか?、と思ったこともあった。しかし、終わってみると物事は収まるところに収まり、著者が示そうとしたことも何となく分かる。おみごと、という他ない。

この後は、書評ではなく「織物」について、思ったことを書いています。興味がある方はどうぞ

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(さらに…)

西の魔女が死んだ

著 者:梨木香歩
出版社:新潮社
出版日:2001年8月1日発行 2008年2月25日第51刷
評 価:☆☆☆(説明)

 「家守綺譚 」の著者による100万部超の大ベストセラー、「渡りの一日」という後日談の短編を収録した文庫版で読んだ。2008年6月には映画が公開されている。

 本書の背景に流れる時間も、「家守綺譚」と同じく現在とは違う。いや「時代」としての「現在」ではなくて、便利なものに囲まれて暮らしている「生活」としての「現在」とは違う、という意味だ。
 飼っている鶏の卵を採って朝食に食べ、大物の洗濯はタライを使って足で踏む。そんな生活は、日本ではいつごろまで普通に見られたのだろう。私には小さい頃に田舎に行って、そんな光景を見たかすかな記憶しかない。それが、そこでは普通のことだったのかどうかも分からない。

 物語は、学校へ行けなくなった中学生の少女 まい が、母方の祖母との素朴で平和な暮らしのなかで、心の健康を取り戻していく過程を描いたもの。祖母は英国人、祖父は日本人でまいが小さいころに亡くなっている。
 「西の魔女」とは、この英国人の祖母のことだ。自分の家系は魔女の家系で、自分の祖母(つまり、まいの高祖母)は、予知能力があったという話をまいに聞かせている。そして、自分も魔女になれるかというまいに、魔女修行を勧める。
 しかし、祖母が言う魔女とは、魔法使いのことではなく、自然から得た知恵を活かして、身体を癒したり、困難をかわしたり、耐え抜く力を持った者のこと。そして、ここがこの本の主題だと思うが「外からの刺激にいたずらに反応しないこと」、つまり、自分で考え判断することができる者が上等の魔女だと言う。

 長く読まれている話だけあって、良いお話だ。色々なメッセージも伝わってくる。子どもには子どもの、大人には大人の読み方があって、世代を越えて読める。「大人の読み方」ということになるだろうか、私には、まいの父と隣家のゲンジが、何かを象徴しているようで気にかかった。
 良い人であるが、ものの表層だけで本質を見ない父。品性を学ばないで年をとってしまい、悪い人ではないのだが、まいにとっては汚れた大人にしか見えないゲンジ。祖母が言う上等の魔女とは対極にある人物像だ。自戒をこめて言うが、こういう大人が実は多い。

 本書の本筋からはズレてしまうが、感じたことを1つ。まいが学校へ行けなくなった理由はいじめだ。女子のグループ作りがなんとなくあさましく感じて、そういうことをしなかっただけのために、クラスの女子全員を敵に回してしまったのだ。
 こういったことは人の性として直しようがないのかと、暗くなってしまった。本書が単行本で出版されたのは1994年だ。それから十数年経ったが、何かが良くなったという話は聞かない。

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