9.その他

恋の六法全書 ガールズトークは”罪”ですか?

書影

著 者:長嶺超輝
出版社:阪急コミュニケーションズ
出版日:2011年10月5日 初版発行
評 価:☆☆(説明)

 著者の長嶺超輝さまから献本いただきました。感謝。

 突然だけれど皆さんに質問。「居酒屋でお酒を飲んだので、自分の車は駐車場に置いて、自転車に乗って家に帰った」、これは何かの法律違反になるか?(お酒を飲んだのは48歳の私)
 答えは「法律違反になる」。道路交通法の第65条「何人も、酒気を帯びて車両等を運転してはならない 」の「車両等」には、軽車両として自転車が含まれることが、第2条で定義されている。だから、お酒を飲んで自転車を運転すれば、道路交通法違反になる。

 実際には自転車の飲酒運転は、事故を起こしたり悪質なものだったりでなければ、今のところはほとんど取り締まられることはないので、知らなくても大きな問題にならない。でも「話のネタ」にはなる。本書は、そんな「話のネタ」になる「法律雑学」の本だ。
 「自転車の飲酒運転」は本書からの引用ではない。タイトルで分かる通り、本書は恋愛絡みの「法律雑学」の本。「同棲していた恋人と別れる時、彼の家から持ち出しても法律的に大丈夫なものは?」とか、「彼のケータイのメールをこっそりのぞき見るのは犯罪か?」といった、恋人の間でのかなり実践的(笑)な事例が載っている。

 ただの事例の列挙では味気ないので、喫茶店での女性3人の「ガールズトーク」に事例を乗せる、という読みやすさの配慮もされているので、スラスラと読める。事例も意外性のあるものが選ばれていた。だから悪くはない。
 ただし、この本を誰に勧めればいいのか?と考えて困ってしまった。恋愛でありがちな事例なので、上では「実践的」と書いたのだけれど、「実用的」ではないのだ。メールをのぞかれたことを知った彼氏は、法律違反だから怒るのではないし、法律違反ではないなら怒らないというものでもない。だから、これを知ったところで使えない。

 「話のネタ」としては使えそうで、著者も「それで十分」とおっしゃっている。ただ、これも難しい。女性が「彼の家から何なら持ち出しても大丈夫だと思う?」なんて言い出したら、聞いている方が引いてしまうし、男性から「彼のメールを見るということは法律的には..」なんて話をされて楽しい人も稀だと思う。おススメできる相手が分からなかったので、申し訳ないけれど☆2つ。

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自分たちの力でできる「まちおこし」

書影

著 者:木村俊昭
出版社:実務教育出版
出版日:2011年9月30日 初版第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 「本が好き!」プロジェクトで献本いただきました。感謝。

 タイトルにある通り、本書は「まちおこし」をテーマとした本だ。例として冒頭に「人口5万人の地方都市・A市」のことが紹介されている。A市ではまず、「商店街活性化委員会」を、市長、市議会、会議所や近隣の大学などをメンバーにして立ち上げて、検討した政策を実行することで、中心部の商店街に人が戻るようになった。次いで、「企業誘致推進委員会」によって企業誘致にも成功、「温泉地域活性化委員会」では観光客の増加を果たした。

 一見して見事な成功例だ。しかし著者はこれを「失敗例」として挙げている。著者は、元市役所職員で、今は「地域活性化伝道師」として地方を飛び回っているらしく、さすがに地方の「実情」を一段深いところまで心得ていらっしゃる。実はA市のやり方はたくさんの地方都市で(私が住む街でも)行われているのだ。それでいて地方が(私が住む街も)一向に元気にならない。つまり著者の言うとおり、このやり方は「失敗」なのだ。

 著者の意見では、このやり方は「部分最適化」の方法で、街全体が活性化する「全体最適化」ではない、というところが問題なのだ。確かに中心部の商店街に人が集まっても、その商店街の人以外の大多数の住民には、特に良いことはない。商店街以外の場所で店を営む人にとっては、「害」しかない。市の貴重な財源をつぎ込むのなら、全体を見て「害より利の多い」施策が必要だ。

 本書には、こうした著者の考えを踏まえた「成功例」が18事例紹介されている。皮肉な話だけれど、読み終えて感じるのは「まちおこし」の難しさだ。著者が「成功例」として挙げた事例でさえ、「全体最適化」を自治体単位で実現している例はいくつもない。
 これは本書の問題点だと思うが、同時に大事なことを表していると思う。それは「「まちおこし」は小さな単位でやるべし」ということだ。本書の事例の中でも「全体最適化」と言えるのは、人口320人の集落や、多くても5千人弱の村や町だ。

 5万人や10万人、20万人といった地方都市では「全体最適化」はとても難しい。その場合はもっと小さな自治会などの単位で考えないとダメだろう。そのためには、そこに住んでいる人自身が中心になる必要がある。ここにタイトルの「自分たちの力でできる」という言葉が生きてくる。
 これは「自分たちの力でしかできない」ということでもあり、さらに換言すれば「自分たちがやらなければ誰もやってくれない」ということだ。紹介された成功事例よりも、このことの方が私には重要に思えた。

 この後は、書評ではなく、本書を読んで思い付いたことを書いています。取りとめもありませんがお付き合いいただける方はどうぞ

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(さらに…)

島国日本の脳をきたえる 島からの思索

書影

著 者:茂木健一郎
出版社:東京書籍
出版日:2011年8月22日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 「本が好き!」プロジェクトで献本いただきました。感謝。

 著者のことはテレビで時々見かけていた。脳科学者で、人間の行動を脳の働きと関連付けて、ちょっと興味深げな話をする。そんなイメージの人だと思っていた。

 まず、「世界から孤立し、国内の絆もくずれ始めた島国日本。絶対絶命のマウンドに立った脳科学者が投じた渾身の勝負球とは?」という書籍紹介に大変興味を魅かれた。あの茂木健一郎さんは、今の世の中に対してどんなことを言っているのだろう?と。

 結論を先に言うと「~渾身の勝負球とは?」という書籍紹介は、本を売るためのコピーだから仕方ないが、意気込みすぎだったようだ。その「渾身の勝負球」として書かれているのは、「コミュニティを取り戻すこと」と「クリティカル・シンキング(論理的に分析する能力)を獲得すること」の2つ。
 「国内の絆もくずれ始めた」という問題に対して、「コミュニティを取り戻すこと」というボールを投げ返しても、あまり意味がないだろう。震災以後、幾分情緒に流され気味なので、バランス上「クリティカル・シンキング」を言うことは必要かもしれない。ただ、期待したような「渾身の勝負球」という言葉に相応しい熱は感じられなかった。(「どんなことを期待していたのか?」と問われても、私自身答えがないのだけれど)

 このように「渾身の勝負球」を前提にすると、期待外れの感があるけれど、つまらないというわけではない。本書は三部構成で、第1部は、「3.11以後、僕が考えたこと」、第2部は、講演のために出かけた島での体験をもとにした「神津島で、僕が考えたこと」、第3部は、神津島での質問に答える「脳をきたえる方法」だ。
 短い散文の積み重ねなので、前後で辻褄の合わないものもある。しかしそのそれぞれは、私が本書を読む前に感じていたとおりの「人間の行動を脳の働きと関連付けた、ちょっと興味深げな話」だった。

 気になった点が1つ。著者は「安全基地(セキュア・ベース)」という心理学の概念を基に、様々な意見を展開している。言うまでもなく、著者は脳科学者であって心理学者ではない。しかし、心理学と脳科学が混然となって語られていて、専門外の「安全基地」についても、専門家の意見であるかのような錯覚が起きてしまう。

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「ニート」って言うな!

書影

著 者:本田由紀、内藤朝雄、後藤和智
出版社:光文社
出版日:2006年1月20日 初版第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 皆さんは「ニート」という言葉にどんな印象を持っているだろう。働かないで遊んでいる。他人とのコミュニケーションが苦手。引きこもりがち。親に依存して自立していない。甘えている。ネガティブな表現を並べてしまったが、こうしたイメージを抱く人は多いだろう。私もそうだったし、私の家族に聞いてもそうだった。

 このイメージとそれへの支援策が歪んでしまっている、というのが本書の主張だ。こういうイメージ通りの若者は確かにいるが、それはごく少数で増えてもいない、ということだ。本書によると、職に就かず求職活動もしていない若年層は85万人(内閣府:2002年)いるが、求職活動をしない理由は様々で、上に挙げたネガティブなイメージのような、本人に起因するものは非常に少ない。

 「本人に起因するものは非常に少ない」。この事実を捉えそこなった、あるいは意図的に無視したことが、歪みの原因であるようだ。何が理由なのかというと、「その他」を除けば、1番は「病気やけがのため」で2番は「探したが見つからなかった」で、2002年までの10年間で、前者は1.6倍、後者は3.3倍に増加している。
 「病気やけがのため」は、「仕事経験あり」の人が「なし」の2倍もいる。過酷な労働環境が原因になっている場合が含まれるのだろう。「探したが見つからなかった」は、同じ時期の失業者が129万人(2002年)、フリーターが213万人(2004年)、ともに10年で2倍以上になっていることを考えると、経済・雇用の悪化が原因だろう。つまりニート問題は「労働環境」や「経済・雇用」という、企業や経済の問題なのに、本人の資質・性格の問題としたことが間違いなのだ。そして、そこから導き出した支援策も間違えている。

 少し想像力を働かせてみよう。ニート支援策と言えば「若者自立支援塾」などの、生活訓練などによって勤労観や働く自信や意欲を培うものが筆頭に挙げられる。これを、前の仕事や求職活動がうまく行かずに身心が疲れた人に、「職に就けないのはあなたのせい」とばかりに適用しようとする愚は、容易に想像できる。
 かつて自民党の武部幹事長がニート、フリーターに触れて言った「1度自衛隊にでも入ってサマワみたいなところに行って..」という発言がひんしゅくを買ったことがあるが、問題を本人の資質に帰した点では、根はこれと同じなのだ。しかし、ネガティブなイメージを内包してしまっている「ニート」という用語を使っていると、これに気づくのはなかなか難しい。だからもう使わない方がいい。「「ニート」って言うな!」というタイトルはそういうわけだ。

 本書が出版されたのは2006年1月。5年も前だ。当時、それなりに評判になったと記憶しているが、本書の指摘が活かされた形跡は、残念ながら感じられない。確かに「ニート」という言葉自体は、一時ほど聞かれなくなった。朝日新聞の記事数を調べてみたところ、2006年の553件をピークに年々減り続け、2010年には117件になっている。しかし、これはこの問題の解決を意味してはいない。「流行」が去っただけなのだ。実はこのことも本書の「あとがき」で、そう予想されている。

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ニッポンの書評

書影

著 者:豊﨑由美
出版社:光文社
出版日:2011年4月20日 初版第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 著者はプロの書評家(プロフィールには「ライター、ブックレビュアー」とある)で、「GINZA」「本の雑誌」「TV Bros」といった雑誌などで、書評を多数連載している。本書は、現在は休刊になっている光文社のPR誌「本が好き!」の、2008年~2009年の連載記事に加筆修正したもの。

 「面白い書評はあっても、正しい書評なんてない」というのが、著者の基本スタンス。本書では、「粗筋紹介」「援用」「ネタばらし」の是非、「日本と海外」「プロの書評と感想文(ブログ書評)」という比較、といった様々な観点を設けて、具体的な「書評」を一つ一つ俎上に挙げて評していく。そうすることで「面白い書評」の姿を浮かび上がらせようというわけだ。

 だから「面白い書評とは○○○である」式の「正解」を期待すると裏切られる。本書の内容を突き詰めると「私(著者)が面白いと感じる書評が「面白い書評」」ということだからだ。「粗筋と引用だけでも、立派な書評として成立する」と書いた直後に「逆もまた真」とあるし、「援用」は「両刃の剣」で、「援用の傑作」もあれば「牽強付会な援用」もある。つまり、大事なのはその「ちょうど良い加減」なのだ。

 「ちょうど良い加減」を言葉で他人に示すのは難しい。だからこそ、著者は具体的な「書評」を例として出して、「これは良い」「これは悪い」と評するという手法を取ったのだろう。「粗筋は全体の何%まで」なんて書けば、それらしいものになるけれど、それではウソになる。著者はそんなウソはつけなさそうだ。主張が行ったり来たりして定まらないのも、著者の正直さを表しているのだろう。

 その正直さは「あとがき」のこんな言葉にも表れている。「(前略)それはあくまでもトヨザキ個人の評価です。「絶対」ではありません。(中略)この本で展開している書評観や書評論自体、後年、わたしは自分自身で更新するかもしれません。」 著者が絶賛する書評を、私が少しも良く思わないとしても、それはそれでいいのだ。

 特に、ある日の新聞各紙の書評を特A~Dで評価するという荒業が痛快。(5月22日の朝日新聞に、本書「ニッポンの書評」の書評が載っていたが、あれを著者が評価するとどうなるのだろう?)「正解」ではなく、人気の書評家が考える「面白い書評」「ダメな書評」を知りたい方にはオススメ。

 この後は「ブログ書評」について書いています。ちょっと長いですが、興味がある方はどうぞ

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アーカイブズが社会を変える

書影

著 者:松岡資明
出版社:平凡社
出版日:2011年4月15日
評 価:☆☆☆(説明)

 本書は、日本経済新聞社の編集委員を務める著者が、「公文書管理法」という法律がこの4月施行されたことを受けて書いたもの。著者は、およそ8年半前に公文書問題の重要性を知り、その後に数多くの機関、個人を取材している。「公文書管理法」は、震災後の世の中がざわつく中で、その施行はあまり注目されなかった。しかし本書を読めば、それが国の有り方にも関わる重要な法律であることが分かる。

 「公文書管理法」とは、国や独立行政法人等が作成した、公文書等の管理の仕方を定めたもの。その肝は、歴史資料として重要な公文書は、保存期間満了後に国立公文書館等に移管する、としたことだ。これによって、将来の検証に応え説明責任を果たすことができる。

 著者が冒頭に触れている「消えた年金記録」の問題を引き合いに出せば分かりやすいが、これまでは非常に杜撰な記録管理がされてきた。しかし杜撰なことだけが問題なのではない。公文書は3年、5年、10年などと保存期間が定められていて、その期間が満了すると廃棄されることになっている。つまり、キチンと管理していても、いや管理されていればいるほど、期間満了後には参照することができない。例えば、米国の記録を端緒に明らかになった、40年前の沖縄返還時の「密約」は、(文書が廃棄されていれば)日本側からは検証ができないのだ。

 それでは「公文書管理法」の施行によって、状況は一気に良くなるのかと言えば、そう楽観できるわけではないらしい。本書で著者は、法律の成立過程を追い、各所の公文書館等の事例を紹介し、その実情を明らかにすることで、「公文書管理法」後に残る課題を浮き彫りにしている。
 ひとつだけ物足りなさを感じたのは、「これからどうなるのか」という展望を、あまり読めなかったことだ。「アーカイブズが社会を変える」というタイトルに、「どう変わるのだろう?」を知りたいと思った。「公文書管理法で何が変わるか」「課題と展望」という章もあるのだけれど、私には、「これからどうなるのか」は、うまく読み取れなかった。

 この後は、ちょっと気になった点と、それに派生して思ったことを書いています。お付き合いいただける方はどうぞ

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単純な脳、複雑な「私」

書影

著 者:池谷裕二
出版社:朝日出版社
出版日:2009年5月15日 初版第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 著者は東京大学の准教授、現在40歳、脳科学の中堅の研究者だ。本書は、その著者が母校である藤枝東高校で全校生徒に対して行った講演と、興味を示した生徒9名に対して行った、約半年後の3日間の講義を再現したもの。
 全校生徒を相手にした講演(第一章)では、「長時間接しているほど好きになる」とか「吊り橋の上での告白は成功率が高い」など、高校生が興味を持ちそうな楽しい話。少人数の講義(第二~四章)では、ユーモアはそのままながら、脳内の反応や仕組みの話や「私たちは自由なのか?」「生物とは?」といった突っ込んだテーマが話されている。相手によって内容を工夫するあたり、なかなかの気配りの人と見た。

 脳というものは、実に実に不思議だ。スーパーコンピュータも追い付かない高速処理を行う、緻密なマシーンのようでありながら、実にいい加減なことを平気でやる。上に書いた「吊り橋の告白」は、高所にいる緊張から来るドキドキを、トキメキと混同してしまうからだそうだ。
 これだけならば、ハハハと笑って済ませてしまいそうだけれど、右脳と左脳をつなぐ脳梁を切断された被験者による実験は、ちょっと驚きだ。左の視野に「笑え」と見せると、右脳に伝わって被験者は笑う。しかし「どうして笑っているの?」と理由を尋ねると、「だって、あなたがおもしろいこと言うから」と答えたそうだ。

 種明かしはこうだ。言語野と呼ばれる言語を司る部分は、一般的には左脳にある。無意識のレベルでは、右脳で「笑え」という言葉の意味は把握できるらしく、それに従って笑うのだけれど、言語野で処理しないので、意識には上ってこない。
 そこで「どうして笑っているの?」と尋ねられても、理由が分からないのだけれど、自分が笑っている事実は動かないから、それに合うような理由をでっち上げてしまうのだ。

 脳梁の切断は、実験を分かりやすくはしているが、この現象の要因ではない。つまり、誰にでも起きる。そう、私にもあなたにも。これを「作話」と言うそうで、なんと私たちの日常生活は「作話」に満ちているらしい。もちろん、本人はそれに気づいていない。
 そう言えば、後から取って付けたような言い訳を、堂々とする人を時折見かけるが、あれはこうした脳の働きだったのか(ちょっと違うかもしれない)。

 「こんなんで大丈夫なのか?脳」と言いたくなるが、実はこのいい加減さが、とても重要な役割を担っている。本書にはこんな不思議がいっぱい詰まっている。

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デザイン学 思索のコンステレーション

書影

著 者:向井周太郎
出版社:武蔵野美術大学出版局
出版日:2009年9月25日 初版第1刷 10月25日 初版第2刷
評 価:☆☆☆(説明)

 「本が好き!」プロジェクトで献本いただきました。感謝。

 本書は、武蔵野美術大学の教授であった著者が、所属の基礎デザイン学科で行った講義「デザイン学のアルファベット-思索のコンステレーション」を基にしたもの。「アルファベット」は「入門編」を意味するのではなく、aからzまでの26文字を頭韻とするデザイン関係の語彙の中から、著者が選んだ言葉について語る、という形式を示唆している。本書も、abduction、Bauhaus、cosmology、とアルファベット順に話が展開している。

 abduction、Bauhaus、cosmologyに、違和感を感じられた方がいるだろうか?Bauhausは、20世紀始めのドイツにあったデザインのための総合造形学校だから、まぁ順当なのだけれど、abductionは、「仮説形成」や「仮説的推論」などと訳される論理学の用語で、cosmologyは、「宇宙論」で天文学または哲学の一部門、一般的にはデザインに関する語彙ではないと思う。
 まぁ「デザイン」と一口に言っても、ポスターやチラシなどの印刷物のデザイン、商品の形状のデザイン、製品戦略のデザインなど様々だ。都市計画や政策のデザイン、と幅広い捉え方もある。しかし、本書での「デザイン」は、さらに広範なものを指していて、それは論理学とも哲学とも融合するのだ。私の言葉では、それをうまく説明できないので、本文から引用させてもらう。

デザインという創造的行為は、まさに全体としての「生」の基盤の充実、「生命」の生成や存在の意義と深くつながっているのです。ですから、デザインとは、その本質において、一般的な理解のされ方のような単に産業や経済や市場のための行為ではないのです。(357ページ)

 感銘を受けた。著者の博識と大きな世界観に、生命や自然・文化に対する慈愛に満ちた眼差しに。自然も文化も地域も心さえも、産業と経済の名の下に押し流すようにして破壊していく今の日本を、著者は憂えている。決して読みやすい本ではないが、本書の「デザイン」の概念が普及すれば、それを止められるかも知れない。

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これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学

書影

著 者:マイケル・サンデル 訳:鬼澤忍
出版社:早川書房
出版日:2010年5月25日 初版発行 2010年6月10日 5版発行
評 価:☆☆☆(説明)

 NHK教育で先日最終回が放送された「ハーバード白熱教室」という番組の内容をベースにした政治哲学の本。番組の方は、1000人を超える履修者がいるハーバード大学での人気の講義を収録したもので、「面白い!」という良い評判を方々で聞く。日曜日の午後6時という多くの家庭では「くつろぎの時間」と思われる時間帯の教育テレビで、政治哲学という固いテーマの番組がウケる、という珍しい現象であるとは言える。
 著者は、この番組で(というよりハーバード大学で)政治哲学の講義を受け持つ教授自身。コミュニタリアニズム(共同体主義)の論客であるらしい。そして本書の構成は番組(講義)に沿ったものになっている。だから、今回は番組の話を引きながら本書の紹介をしたい。その方がより本書の特徴が明確になると思う。

 議論の種として提示される命題や事例も、番組と本書でほぼ同じだ。例えば「暴走する路面電車のジレンマ」。ブレーキがきかなくなった路面電車、そのまま行けば5人の作業員が命を落とす。待避線に入れば死ぬのは1人だけ。さて、どうする?5人の命を救うために1人を犠牲にするのは正しい行為なのか?といったもの。
 テレビの番組のウケがいいのは、こうして教授が立てた命題が具体的で、誰にとっても判断に悩むものであって、それを優秀なハーバードの学生が真剣に議論しているからだ。若者たちは何と言うだろうか?その意見に対する反論は的を射ているだろうか?などなど、オブザーバーの立場で見ればこんなに知的刺激を受けることはそうそうない。

 ただ、番組の魅力を担っていた、真剣な眼差しで語る学生たちは本書には登場しない。教授が提示する命題に答えられるのは、読んでいる自分しかいないのだ。これは正直言ってかなりきつい。自分の意見など考えずに読み進むこともできるが、それではこの本は、よくある哲学の教科書とあまり変わらなくなってしまう。
 ベンサムの「功利主義」から始まって、リバタリアニズム(自由至上主義)、社会契約論、カントとアリストテレスの思想などが順に要領よく紹介さる。それはそれで勉強にはなるのだけれど、それだけでは(少なくとも私は)大して面白くはない。だから、テレビの番組を面白いと思っても、本書もそうかどうかは分からない、読む人の態度次第だ。

 私は、政治哲学の特定の思想の論客が、学生に政治哲学を教えていいのか?という素朴な疑問を抱いたが、「個人は意志や選択によらず、所属する共同体に連帯や責務を負うことがある」という、コミュニタリアンとしての著者の主張は至極抑制的に語られている。
 それより本書から読み取れるもう1つの主張の方が興味深い。どのようにすれば公正な社会が実現するのか?著者の考えは、中立であろうとしたり不一致を避けたりするのではなく、より積極的な関与と公の討議がその基盤だとする。「議論」それが正義の実現への道。おそらく著者は、計24回の講義でこのことを学生たちに実体験として伝えたのだろう。

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ローマで語る

書影

著 者:塩野七生 アントニオ・シモーネ
出版社:集英社インターナショナル
出版日:2009年12月9日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 塩野七生さんの対談集。そして対談相手のアントニオ・シモーネさんは、塩野さんの息子さんだ。実に異色の著作と言うべきだろう。塩野さん自身が、巻頭で何よりも最初に「最初にして最後」と書かれたことからも、「これは特例中の特例」という意識が伝わってくる。
 「特例」が実現した裏には、編集者の勧めあるいは意向があったようだが、とにかく塩野さんはプライベートの露出とも言えるこの企画を受けた。「仕方ないなぁ」というポーズは見てとれるが、息子との対話が「うれしくて仕方ない」感じが、全編にわたってにじみ出している。

 「これは特例」「でもうれしい」そんな母の気持ちを知っているのかいないのか、アントニオさんはマストロヤンニのドキュメンタリー映画での娘へのインタビューを「父親としてのマストロヤンニは、他の多くの父親と何ら変わりない」のだからつまらない、と切って捨ててしまう。母親としての塩野七生はどうなのだ、と返ってくる問いを予見しての発言だとしたら、脱帽モノだ。
 そして、本書が「著名な作家の息子との語らい」でしかないのであれば、私も同じようなことを、例えば「作家としての塩野七生は好きだけれど、母親としては別に興味ない」とでも言っただろう。実は私は、学生の時から25年来の塩野ファンで、著作のほとんどを読んでいるのだが、本書は長い間放置していた。それは、そんな結果になることを危惧していたからだと思う。

 ところが本書は本当に予想に反して、読んでいて実に楽しかった。31章からなる母子の対話は、1つの例外を除いて、古今東西の映画を話題にしている。これは、塩野さんが「書物と映画は同格」と育てられ、同じ教育を息子にも与えて数多くの映画を観ていることと、アントニオさんが末端とは言え映画制作の現場でお仕事をされていたためだ。
 お二人の映画についての知識と想いがハンパではなく、アントニオさんが披露するハリウッドとイタリアの映画界の裏話もアクセントとして効いている。30編の対話で130余りの映画が俎上に上るのだけれど、私は「あぁ映画が観たい」という激しい飢餓感を感じた。ものすごく美味しそうな料理の本を見て、猛烈にお腹が空いてしまったような感じだ。

 最近の作品もあるけれど、60~70年代の映画が数多く紹介される。学生時代に、下宿近くの500円で1日居られる映画館に足を運んでいた頃に観た映画と、観ようと思っていたのに観なかった映画の名前を見て、当時を思い出してしまった。(京都の「京一会館」の名前に覚えがある方はいらっしゃいませんか?)

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