政治家の覚悟

著 者:菅義偉
出版社:文藝春秋
出版日:2020年10月20日 第1刷 発行
評 価:☆☆(説明)

「ひどいことが書いてあるから読んでみて」と変な薦められ方をして読んだ本。

菅義偉首相が2012年に刊行した同名の書籍の第一章、第二章を再収録し、官房長官時代の文藝春秋のインタビューを加えた新書。元の書籍にあった「政府があらゆる記録を克明に残すのは当然で、議事録は最も基本的な資料です。その作成を怠ったことは国民への背信行為」などと民主党を批判した第三章、第四章を収録しなかったことで話題になった。

「あったものがなくなる」のは理由があるからで、その理由を詮索したい気持ちは分かる。というか私にもある。でもここでは、この本の中に「ないもの」ではなくて「あるもの」について書く。

菅首相について巷間言われる「人事を使った強権的な姿勢」「グランドデザインがない」ということを、改めて感じる内容だった。

例えば、第一部第六章のタイトルは「「伝家の宝刀」人事権」だ。総務大臣時代に「大臣はそういうことをおっしゃっていますが、自民党内にはいろんな考え方の人もいますし、そう簡単ではない」と会議で発言した課長を更迭している。「質問されてもいないのに一課長が勝手に発言するのは許せない」と押し切ったそうだ。

更迭した官僚がいる一方で、「この人はよく頑張っているな」と思ったノンキャリア官僚を、何階級も飛ばして局長に抜擢したりもした。その他にも日本郵政の総裁人事、NHK会長と経営委員、内閣法制局長官などの人事に介入したことが書かれている。「伝家の宝刀」なのに抜きすぎだ。思い通りにコトを進めるのに人事を使うことが常態化している。

「グランドデザインのなさ」について。本書全体が「自慢話」の集積で、それはまぁいいのだけれど、その多くがなんだか小じんまりしている。知事の退職金が高すぎる、地方の公務員の給与が高い、テレビ局の社員の給与も高い、携帯電話会社の利益率が高い。本来は政府が関与することではないけれど、「国民の当たり前」を実現する、と言って下げさせようとしたり、本当に下げさせてしまったりする。

確かに「あいつら儲けすぎてんじゃないのか?」という不満を持つ国民は多そうで、そういう人の溜飲をさげることにはなるだろう。でも、儲かっている人の収入を削っても、その他の人の暮らしが良くなるわけではない。暮らしをよくするための政策が書かれているわけでもない。

最後に。寒気がした一節を。

官僚は、大臣が先頭に立って事案の処理に向かう姿勢を見せると、「自分たちのトップは自分たちで守る」組織防衛本能を発揮させて、フル稼働してくれます。

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少年と犬

著 者:馳星周
出版社:文藝春秋
出版日:2020年5月15日 第1刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 世の中には哀しいことがあちこちにあるけれど、少しでもよいことがあれば「よかったね」と思えるのだなと思った本。

 2020年上半期の直木賞受賞作。

 表題作「少年と犬」を含む6編を収録した連作短編集。残り5編のタイトルは「男と犬」「泥棒と犬」「夫婦と犬」「娼婦と犬」「老人と犬」。それぞれに入れ替わりで人間の主人公がいるけれど、タイトルでも明らかなように、真の主人公は犬。一言のセリフもない、ほとんど吠えることもないけれど、その存在感は圧倒的だった。

 物語の始まりは「男と犬」で、人間の主人公の中垣和正がコンビニの駐車場の隅にいる犬を見つけたこと。場所は仙台。飼い主はいないらしい。首輪についたタグには「多聞」と書いてある。この犬は多聞という名らしい。

 東日本大震災から半年。いまだ避難所生活を強いられている人も多く、避難所にはペットを連れて行けない。多聞もそうして飼い主と別れ別れになった犬なのだろう。和正も働いていた水産加工会社が倒産し職を失い、やっと仕事を見つけたばかり、それでも多聞に「乗れよ」声をかけた。

 こんな感じの出会いを繰り返して、多聞と色々な人の物語が紡がれる。中には奇跡のような出会いもある。ただ多聞が出会う人たちは、決まって何か問題を抱えている。和正は少しでもお金が必要で危ない仕事を受ける。他には、窃盗団の一員の外国人、壊れかけの夫婦、体を売って男に貢ぐ女、癌を患い死期を悟った老漁師、そして震災のショックで心を閉ざした少年。

 哀しい気持ちがする物語だった。「それでもまぁよかったね」という気持ちがする物語だった。そもそも出会いだけを繰り返すわけにはいかない。出会いの前には必ず別れがある。それも穏やかと言えない別れ。それでもその別れの前に多聞と出会えてよかった、そういう物語。

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楽園の烏

著 者:阿部智里
出版社:文藝春秋
出版日:2020年9月5日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「誰の本心も分からない、謎だらけだなこれは」と思った本。

 著者のデビュー作「烏に単は似合わない」から続く「八咫烏」シリーズが累計150万部と大きな反響を呼びながら、第6巻「弥栄の烏」で、第一部が完結。本書は、それから3年を経て第二部の幕開け。

 主人公は安原はじめ。30代。資産家の養子。養父から山を相続した。これから100年は固定資産税を払えるだけの維持費とともに。ただし「どうしてこの山を売ってはならないのか分からない限り、売ってはいけない。」という奇妙な条件が付いていた。

 このシリーズは、人の形に転身することができる八咫烏たちが暮らす「山内」と呼ばれる世界が舞台。そして「山内」は、ある山の神様を祀る「神域」を通して、現代の日本とつながっている。ということが、5巻と6巻で明らかになっている。はじめが相続した山は、その神域がある山だ。でも当然そのことは、はじめは知らない。

 相続後にまもなく「怖気をふるうような美女」が、はじめの元に訪れる。「あの山の秘密を教える」と言う彼女に連れられてその山に、さらには木箱に身を隠して神域に侵入し...とテンポよく進んで、舞台は現代日本から山内の世界に移り、第一部と接続される。

 そこではじめの前に現れたのは「雪斎」と名乗る男。第一部で、皇太子である若宮の側近の武官だった雪哉だ。どうやら第一部の終わりからは20年経っていて、山内の世界はこの雪斎が取り仕切っているらしい。庶民から貴族まで、口々に雪斎とその善政を褒めたたえる。

 安原はじめが、養父から受けた生前贈与の金で暮らす、もう怠惰でどうしようもないヤツとして登場するのだけど、これが中々の切れ者。山内の世界を見て回る方々で、彼が問いかける「あんたらにとって、ここは楽園か?」という質問が、見えない覆いを切り裂こうとする刃物のようだ。

 その覆いの向こうに、山内の複雑な闘争の存在が垣間見える。波乱の前兆。

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魔法使いは完全犯罪の夢を見るか?

著 者:東川篤哉
出版社:文藝春秋
出版日:2012年9月30日 第1刷 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 起きるのは凶悪事件なのに、ニヤニヤしながら軽~く読めてしまう本。

 謎と魔法のユーモア・ミステリー。「魔法使いマリィシリーズ」として4冊が既刊。

 主人公は八王子市警察の若手刑事、小山田聡介。上司の楠木綾乃警部に尊敬以上の気持ちを抱いている。事件現場に来て「よーく見てごらんなさい。なにか気づくことはない?」と聞かれて、「髪でも切りました?」と答える。彼女の逆鱗に触れた同僚が、ローキックの餌食になるのを見て「いっそ自分も」と倒錯した願望を抱く。

 実は楠木綾乃警部もなかなかクセのある(刑事の資質としてどうなのかと思う)性格。そしてもう一人重要な登場人物がいる。マリィという名の魔法使いの少女。お金持ちのお家に家政婦として雇われて働いている。

 マリィは正真正銘の魔法使いで、聡介が「じゃぁなにか」と「箒を使って飛べるのか」と聞けば「飛べるわよ」とあっさり。それで例えば「嘘をついた人はくしゃみをする魔法」をかけて、何人かいる容疑者に「あなたが殺したの?」という質問をする。くしゃみをした人が犯人で決定、というわけ。

 こんな感じでマリィの魔法で犯人はすぐわかる。実は本書は「倒叙ミステリー」で、読者には早々に犯人が明かされている。その上で、マリィに助けられて主人公の聡介にも分かる。あとはそれをどうやって証明するのか?が一つの見どころになるわけだ。

 その見どころが、ミステリーファンを満足させる出来なのかどうか、正直に言って分からない。でも本書は「謎と魔法のユーモア・ミステリー」だ。「ユーモア」の部分が、私がすごく好きな感じで、とても楽しめた。

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トーキョー・プリズン

著 者:柳広司
出版社:角川書店
出版日:2006年3月31日 初版発行
評 価:☆☆☆(説明)

 少し前に「占領下の日本」を調べたことがあるのだけれど、やっぱり「得体のしれない空気感を感じる時代」だなぁと思った本。

 帝国陸軍のスパイ組織「D機関」を描いた「ジョーカー・ゲーム」から始まる4部作がとても面白くて、続編を期待しているのだけれど出ない。装丁の雰囲気が似ている本書も読んでみた。(刊行は本書の方が先)

 舞台は1946年の東京と巣鴨にあった東京拘置所「スガモプリズン」。戦後すぐの米国占領下で、いわゆる東京裁判の被告となる戦争犯罪容疑者が多数収容されていた。主人公はエドワード・フェアフィールド。28歳。ニュージーランドの元海軍少尉。スガモプリズンには行方不明の知人の消息の調査のために来た。

 同盟国の元兵士とは言え、管理する米軍としては、調査に協力する義理はなく、厄介な交換条件を付けて許可をした。キジマという日本人の囚人の担当官として話し相手になれ、というのだ。キジマは戦争中の捕虜虐待の容疑で収監されている。ところが本人はその戦争中の記憶を失っていた。

 記憶喪失だけがキジマに担当官を付ける理由ではない。キジマには常人にはない能力がある。とてつもない推理力があって、薬物で自殺したナチスの高官の写真を見ただけで、その薬物の入手方法を言い当ててしまう。実は、スガモプリズン内でも青酸系毒物での中毒死事件が起き、米軍はその真相をキジマに解明させようとしていた。フェアフィールド氏は、その補佐にあたることになる。

 読み始めてすぐ「これは面白そうだ」と思った。私が好きな「ジョーカー・ゲーム」のD機関のスパイたちも、常人離れした記憶力、判断力を持っていて、キジマの人物設定はそれを思い出させる。「特別独房」に入ったままで的確に推理を巡らせる姿は、アームチェア・ディテクティブの変型だ。

 スガモプリズン内の中毒死事件だけでなく、キジマの捕虜虐待と記憶喪失に至る真相、フェアフィールド氏とキジマの関係性の変化、彼の本来の目的である知人の調査が、占領下の日本の状況を背景にして、起伏のあるストーリーを重ねて描かれる。「誰か映画にしてほしい」と思うミステリー・エンターテインメント作品だった。

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デジタルで読む脳 X 紙の本で読む脳

著 者:メアリアン・ウルフ 訳:大田直子
出版社:インターシフト
出版日:2020年2月20日 第1刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 本は9割は紙で読む私としては、「これでよかったのだ」と思えた本。

 本書は、紙の本を読むこととデジタル媒体を読むことを比較して論じる。曰く「紙の本では「深い読み」ができるけれど、デジタル媒体では「キーワード読み」になってしまう」。これは実感としてある。少なくとも私にはある。

 それと同時に、この話はこれまでも度々話題になっていて、別に目新しいことではない、とも思う。人によっては「新しいものを否定しているだけで、しばらくすればそんなことを言う人はいなくなるんじゃない?」と言いそうだ。

 しかし本書はそう言って切り捨ててしまうには惜しい。紙の本の「深い読み」のプロセスを深く掘り下げてあるし、デジタル媒体の「キーワード読み」は、批判の対象としてではなく中立な立場で考察してある。そして「文字を読む」ことに関して様々に話題を広げた後で、未来を担う子どもたちの「読字」の教育への提言に至る。

 つまり、深さと広さと時間軸の長さにおいて、類を見ない構成になっている。新しい知見も多いし、新しいものを否定しているだけでもない。「切り捨ててしまうには惜しい」と言ったのは、そうした理由からだ。

 ごく粗くまとめた内容を2つ。ます「深い読み」のプロセスについて。物語を丁寧に読むことで、登場人物が「感じる」ことと「する」ことの両方に対応する脳の領域が活性化する。他人の感情や感覚をシミュレーションとして体験するわけだ。一方で「深い読み」には、自身の体験と照らし合わせる背景知識が必要で、シミュレーションとしての体験はその背景知識となり、「深い読み」にさらに磨きがかかる。

 次は「子どもたちの教育への提言」。紙とデジタル媒体のそれぞれに適した読み方を習得しする。必要に応じて切り替える、というもの。複数の言語を切り替えて使える「バイリンガル」のように、「バイリテラシー」の脳を育てる(その一部は著者によって既に実行済みだ)。

 最後に。文中に「読字脳」という言葉が頻繁に登場する。日本語で「読字」という単語は、私が知る限りほとんどの場合「障害」と一緒に使われる。「読字障害」。ディスレクシアという疾患の症状。ディスレクシアは著者の研究領域でもあり、お子さんが抱える疾患でもある。

 脳の研究は、ある機能が失われた脳を調べることで進んできた。何かがなくなることで、初めてその機能の仕組みが明らかになるわけだ。「「読む」ができない」から「「読む」とはどういうことか」を考察する著者の研究は、正鵠を射たものかもしれない。

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人は話し方が9割

著 者:永松茂久
出版社:すばる舎
出版日:2019年9月14日 第1刷 2020年4月19日 第15刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 会話とは双方向のものなのだ、と当たり前のことを再確認した本。

 薦めてくれる友人がいて読んでみた。実は以前に同じタイトルの本を間違えて読んだことがある。

 「話し方」それもプレゼンや面接のような特別な舞台ではなくて、職場や家族、友人、配偶者といった身近な人たちとの日常的な場面での「話し方」に焦点を当てた指南書。「話し方を変えるだけで人生の9割が変わります」と、著者は断言する。

 4つの章に分けて合計37のポイントを「話し方のコツ」として紹介。4つの章は「人生は「話し方」で9割決まる」「「また会いたい」と思われる人の話し方」「人に嫌われない話し方」「人を動かす人の話し方」。

 ポイントは例えば「「否定のない空間」に身を置いて、自己肯定感を高める」。著者によれば「話す力は「スキル」より「メンタル」」なのだそうだ。自信がないと、だれでもうまく話せない。自信があれば話しやすい。自分に自信がある「自己肯定感」を高めるには「否定されない」ことが有効、そういう空間を作るためには「自分も他人を否定しない」ことが大事。

 こんな感じで本書には「会話に対する姿勢や考え方」のポイントが多く、「言い回しの工夫」といったテクニックは少ない。それは著者も「はじめに」で言っている。「言葉だけのテクニックが欲しい方は、この本はお勧めしません」と。「他の本をお探しください」とまで。

 とは言え、本書にはテクニック的なことも書かれている。もっと言えばそれを身につけるための、日々の暮らしの工夫にまで落とし込んである。例えば「拡張話法」のキーワードをトイレとか天井に貼って、1日1回は見るようにする、とか。

 「人と話すのが苦手」でも別に構わないのでは?と私は思う。でも上手になりたいと思う人は一読をおススメ。あぁそうだ。「自分は話すのが得意、いくらでも話していられる」という人にもぜひ読んで欲しい。

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コロナ後の世界

編 者:大野和基
出版社:文藝春秋
出版日:2020年7月20日 第1刷 8月5日 第2刷 発行
評 価:☆☆(説明)

 「後世の歴史家は、コロナ以前/コロナ以後で年表に一線を画すかも」と、本書には書いてあるけれど、たぶんそんなことはないと思った本。

 本書は、新型コロナウイルスが国境を越えて蔓延する中で、世界と日本の行く末「コロナ後」について、偉い学者の先生6人に聞いてみたもの。「これから我々はどんな未来に立ち向かうのか、世界史的、文明史的観点から大胆に予測する」と、紹介文にある。

 偉い先生6人とは次のとおり。ベストセラー「銃・病原菌・鉄」の著者でUCLA地理学教授のジャレド・ダイアモンド氏。ホーキング博士に賞賛された「LIFE3.0」の著者でMIT教授のマックス・テグマーク氏。「人生百年時代」を提唱した「ライフ・シフト」の著者でロンドン・ビジネススクールのリンダ・グラットン教授。
 それから、進化心理学の第一人者でハーバード大学のスティーブン・ピンカー教授、GAFAを「ヨハネの黙示録の四騎士」に例えるニューヨーク大学のスコット・ギャロウェイ教授、最後は、ノーベル経済学賞受賞者で金融緩和やインフレターゲットを主張する「リフレ派」の代表ポール・クルーグマン氏。

 それぞれの方にはそれぞれの得意分野があって傾聴に値する。ダイアモンド氏が「日本にとって人口減少や高齢化より韓国・中国との関係の方が大きな問題」と喝破したのはなるほどと思った。グラットン氏の高齢社会での働くことの考え方は、定年が見えてきた私にはとても参考になった。ピンカー氏の認知バイアスを視点に据えた社会の見方は、パニック気味の世の中を落ち着かせてくれるかもしれない。

 ただ「コロナ後」を言うためには「コロナ下」のことも言わなければならないけれど、現在進行形の事柄に触れるのは気の毒だったかもしれない。ダイヤモンド氏が、新型コロナウイルスの脅威に対して「大きく二極化していたアメリカ人が一丸となって立ち向かおうとした」と語っておられる。一時期はそんな雰囲気の時があったかもしれないけれど、大統領選を前にアメリカの分断は深まるばかりに見える。

 本書を読んでいて違和感を感じた。リンダ・グラットン氏が女性でイギリス人である以外は、全員が男性でアメリカ人(出身はスウェーデンやカナダの人もいる)。そしてグラットン氏も含めて全員が白人の大学教授。半数の3人が経済学者なのも気になる。私は上に敢えて「偉い学者の先生6人」と書いたけれど、本には「現代最高峰の知性六人」と書いてある。「現代最高峰の知性」がこんなに偏りがあるのか(そんなはずない)、というのが違和感の正体だった。

 では誰に聞けばいいの?と聞かれると「宗教者でどなたか」ぐらいで、具体的には誰も思いつかない。それが私と文藝春秋社の限界のようだ。
 

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終電の神様

著 者:阿川大樹
出版社:実業之日本社
出版日:2017年2月15日 初版第1刷 2018年6月30日 初版第27刷 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 終電を逃したあれこれの経験を思い出した本。

 帯の「第1位」という文字が目について手に取ってみた。裏表紙の紹介を読んで面白そうなので読んだ。3巻までシリーズ化されていて「累計50万部突破!」だそうだ。

 7編の短編が収録された短編集。主人公はそれぞれで、行きつけの店に寄って帰りの電車に乗った会社員、ムリ目な納期の開発案件に取り組む小さなIT企業のエンジニア、恋人の競輪選手の部屋に向かう女性、小料理屋で隣り合った客から実家の理髪店を褒められた男性、友人のアーティストのアトリエを訪ねてきたイラストレーターの女性、気分で学校を抜け出して公園で絵を描く女子高校生、駅売店の販売員一筋25年の女性。

 主人公たちにも物語にもあまり共通点はない。あるのはK町という鉄道の駅と、その近辺で起きる電車事故が、ストーリーに関係していること。例えば、電車事故によって乗っている電車が停まってしまう。遅れたことがその後の出来事を変えるとか、終電がなくなって徒歩で帰ることにしたおかげで思わぬ展開になったとか。

 もうひとつ共通点がある。主人公のとても個人的な問題に変化が起きること。世間的には何の影響も与えない、もっと言えば主人公にとっても、劇的に何かが変わるわけでもない。それでも確実な「変化」がそこにある。だから読んでホッとする。「よかったね」と思う。私たちの生活はそんな「よかったね」が積み重ねられれば幸せなのだと思う。

 タイトルから「終電には神様が乗っていて、弱っている人を助けてくれる」という話かと思っていたが違った。いや、直接はそう描いてないだけでやっぱりそうなのかも?

 最後に。帯の「第1位」は「実業之日本社文庫2017年 年間売上」という、いわば「当社比較」の1位だった。「こういうランキングでもウリになるのか」と思った。私はそれで買ったわけだから効果テキメンなのだけれど。

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