書剣恩仇録 一~四

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著 者:金庸 (訳:岡崎由美)
出版社:徳間書店
出版日:(一)1996年10月31日初版
     (二)1996年11月30日初版
     (三)1996年12月31日初版
     (四)1997年1月31日初版
評 価:☆☆☆☆(説明)

 中国の武侠小説と言われる分野の小説。
 武侠小説とは、武芸に秀でた英雄豪傑の活躍する歴史小説のことらしい。そう言えば、水滸伝や三国志演義などの古典にも、人並みはずれた能力の持ち主が、大勢登場して入り乱れて活躍する。これらの古典が源流なのだろう。

 それで本書だが、これが大変に面白い。紅花会という高潔の士の大結社の面々が主人公。対するは清の朝廷。舞台はモンゴルから北京、江南と広い。次々に危機に見舞われ、目まぐるしく場面が転換する。
 非難するわけではないが、この読みやすさ、面白さの理由は、マンガ的、アニメ的であるところだろう。意味は、多少現実味を無視しても、面白ければ良いとうこと。
 例えば、結社の親分が絶体絶命の危機に瀕していると、なぜか大勢の人が駆けつけて来て、一緒に戦い出す。広い砂漠の中で、偶然通りかかったなんてのもお構いなし。飛び降りた人を、後から追いかけて降りて追い付くなんてのもOK。
 大衆受けする要素もテンコ盛りだ。出生の秘密、恋愛と三角関係(登場する主な4人の女性は、全員美貌の持ち主で、誰かと恋に落ちる)、そして復讐、何だか韓流ドラマみたいだ。正義と悪。朝廷に対抗する義を重んじる人々。計算されつくしたストーリーなのだろう。

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統計でウソをつく法

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著 者:ダレル・ハフ (訳:高木秀玄)
出版社:講談社
出版日:1968年7月24日第1刷 1981年3月27日第26刷
評 価:☆☆☆(説明)

 著者は、社会心理学、統計学、心理テストなどの研究者。本書では「統計」を使ってウソというか、目的とする結論をうまく導き出す方法がいくつも紹介されている。もちろん、そういうことをするための手引書ではない。統計情報やグラフを見るときにはよく注意することを促すための本である。
 内容は、サンプリングの偏り、平均の取り方といった、調査集計の際のウソ、グラフの書き方などの表現の際のウソ、こじつけや過大評価といった分析の仕方のウソ、などである。
 実際に、統計や記事を前にして気付くことができるかどうかは別にして、まぁ、多くは真っ当な批判精神がある人ならば、統計というものに対して、何となく信用ならないと感じていると思う。(調査資料を振りかざして、唯一絶対の真理のように主張する人もいるけど)それぞれの事例は、なるほどとは思うけれど、目新しいものではなかった。

 1つだけ、注目したのは、「相関関係」と「因果関係」の混同について指摘した部分。AとBが同時に、または前後して起きる場合、「AとBは相関関係が強い」とは言えるが、「AはBの原因になっている」と言ってしまうのは、短絡的だという。
 ABに共通の原因があれば、相関関係は強くなる。だからと言って、Aを抑制してもBは減らない。もっと言えば、偶然同じ傾向を示すことだってある。
 何年か前に、「自然体験、生活体験が豊富な子どもは、正義感、道徳観が強い」という、文科省の調査を見て、なるほどそういうものか、と思った経験がある。しかし、これを持って、正義感のある子どもに育てるために、せっせと自然体験を子どもにさせる、というのは短絡的なのだ。
 「テレビを長時間見る子はキレやすい」と言って、「子どもにはテレビを見せるな」というのも短絡的。「日に5時間以上テレビを見る子にキレやすい傾向が強い」という調査も見た。これなんか、そもそも学校に行ってて、家に居る時間が限られている(午後4時に帰って10時に寝れば6時間だ)子どもが、5時間以上もテレビを見ている家庭環境ってどうよ、と言いたい。家庭環境という共通の原因が生み出した相関関係ということだと思うが、どうだろう。

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クリティカルチェーン なぜ、プロジェクトは予定どおりに進まないのか?

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著 者:エリヤフ・ゴールドラット (訳:三木本亮)
出版社:ダイヤモンド社
出版日:2003年10月30日第1刷 2003年11月13日第2刷
評 価:☆☆☆☆☆(説明)

 TOC理論の提唱者の第4弾。今のところこれが最新刊。
 今回はTOC理論をプロジェクト管理に応用する。著者は前々からTOC理論は生産現場のスループットの向上だけではなく、もっと広範囲な応用分野を持つと言っている。しかしながら、第2弾の「思考プロセス」が、正直なところ理論は分かるが実用となるとどうも、という感じがして、応用はムリなのではないかと思っていた。
 今回のプロジェクト管理への適用は、この思いを覆すもので、大変に有用なのもの、言い換えれば「使えそう」な感じがする。やはり、TOCは、ボトルネックやドラム・バッファー・ロープや、バッファーマネジメントを中心とした展開が、実用的でわかりやすい。

 プロジェクト管理への応用では、プロジェクトの長さを決定する、PERTチャート上の最も長いパスを制約条件として、その他の合流するパスをこれに合わせる。この最も長いパスをクリティカルパスという。そして、バッファーはクリティカルパスとの合流点と、プロジェクトの最後だけに置く。これがミソだ。
 つまり、従来のように個々の作業の期限をそれぞれに決めると、それぞれに余裕をみてしまい、全体としては過大なムダをはらむことになる。しかも「学生症候群」(余裕があると思うとすぐには着手しないこと。言い得て妙だ)で、空いた時間はつぶされてしまうのだ。
 それから、複数のプロジェクトで共有するステップはボトルネックだ。これを中心に考えれて、複数のプロジェクトにわたるクリティカルパスをクリティカルチェーンと言う。

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ナルニア国物語7 さいごの戦い

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著 者:C・S・ルイス (訳:瀬田貞二)
出版社:岩波書店
出版日:1966年12月1日第1刷 1984年9月10日第19刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 ナルニア国物語の最終巻。ナルニアの世界は、前巻で誕生した時の逆をたどって、ただの暗黒に戻ってしまう。世界には寿命があり、それは誰にも逆らうことができないのか。アスランも今回は危機に瀕するナルニアを救おうとはしない。時の巨人に命じて全てを暗黒に戻し、その最後に良き者だけを救い出しただけだ。これは、とても宗教的だ。ノアの大洪水や終末思想を思い浮かべさせる。

 今回の第一の悪者はサルだ。ライオンの毛皮をロバに着せて、アスランだと皆をだます。まさにサル知恵なのだが、これに大方の人間や動物たちはだまされてしまう。小人なんぞは、本当のことが分かった後も、今度は何も信じることができなくなって、自分たちだけのナルニアを手に入れようとする。ルイスは大衆の愚かさを感じていたのではないか?

 滅び行くナルニアからドアを通って逃げのびた所は、やはりナルニアだった。そこからさらに高く遠く行った所もナルニア。真のナルニアとその影のナルニア。そして、その先にはアスランの国、天国だった。死んでしまった良き者がそこでは生きているし、ピーターたちは、自分たちの世界では事故で死んでしまっている。

 「正しい神に対する邪な信心もないし、悪い神に対する邪な信心もない」と、アスランは言う。何を信じるにしても正しい信心かどうかが問題、ということか?それから、「内側は外側より大きいものですよ。」という言葉も印象的だ。外から見えるものより、内面の方が豊かで大きいということだろうか?

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アブダラと空飛ぶ絨毯 -ハウルの動く城2-

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著 者:ダイアナ・ウィン・ジョーンズ (訳:西村醇子)
出版社:徳間書店
出版日:1997年8月31日初版 2004年11月10日32刷
評 価:☆☆☆☆☆(説明)

 映画「ハウルの動く城」の原作「魔法使いハウルと火の悪魔」の姉妹編。題名に「ハウルの動く城2」と書いてあるのだが、ハウルその人は、残り15ページというところになってやっと出てくる。実は、もっと前にも登場するのだが、読者には分からない。主人公もアブダラという青年だし。ハウルの動く城の続編だと思った人は裏切られることになる。このタイトルはいかがなものか。

 タイトルには不誠実さを感じるが(おそらく著者のせいではない。日本の出版社が付けたのだろう。それも最近になって付けたのかも)、物語は「ハウルの動く城」より完成度も高いし面白い、それに分かりやすい。ジブリはこっちも映画化すればどうだろう。
 今回は、主人公アブダラには、結婚を約束した恋人「夜咲花」を助けるという目的がある。旅の道連れもいる。敵役もいる(これが、完全な悪人ではないところがニクい)。そして最後にタネ明かし。何となくアラビア風の雰囲気もあって、面白くなる要素がギッチリ。

 「魔法使いハウルと火の悪魔」を読まずに、これだけ読んでも楽しめるが、最後のタネ明かしは面白くないだろう。つまり半分しか楽しめない。「ハウルの動く城2」としたのは、1を読んでから読め、というサインなのかも。

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チェンジ・ザ・ルール

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著 者:エリヤフ・ゴールドラット (訳:三木本亮)
出版社:ダイヤモンド社
出版日:2002年10月10日第1刷 2002年10月25日第3刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「ザ・ゴール」の著者でTOC理論の提唱者の第3弾。
 第1弾の「ザ・ゴール」は、「ドラム・バッファー・ロープ」と「バッファー・マネジメント」からなるTOC理論の核心部分、第2弾の「ザ・ゴール2」は、「思考プロセス」という問題解決技法をそれぞれ紹介した。なかなかインパクトのある本だった。

 この第3弾には、そうした新しいコンセプトや理論はない。TOC理論を応用した企業改革のケーススタディといったところ。しかし、ストーリー全体を流れる考え方は有用だ。「コンピュータシステムを導入してどのように利益をあげるのか」ということだ。
 私も企業の情報システムに携わったことがあるので、登場するERPメーカーのとまどいや驚きが良くわかる。決算書が早くできる、全社のデータが翌日にはわかる、5人で処理していた伝票を1人でできるようになる。コンピュータシステムにはそうしたメリットがある。そう、確かにメリットはあるのだが、「いくら利益に貢献するのか」はわからない。大金を投じる以上、それを上回る利益が見込めなくてはならないのだが、それはわからないのだ。

 利益をあげるためのコンピュータシステムの導入はこうすると、著者は言っている。
(1)コンピュータシステムは、何らかの限界を取り除くために導入する。
(2)その限界が存在することを前提に作られたルールのままでは効果は出ない。ルールも変更する必要がある。
(3)新しいルールに合わせ、コンピュータシステムにはどのような変化が必要か、さらに考える。

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心理テストはウソでした 受けたみんなが馬鹿を見た

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著 者:村上宣寛
出版社:日経BP社
出版日:2005年4月4日初版 2005年5月11日3刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 血液型による性格判断からロールシャッハテスト、矢田部ギルフォード、クレペリン検査と、様々な心理テストの「いい加減さ」をバッサバッサと切りまくる。著者は富山大学の教授で、認知心理学の先生で、学生にこういった性格診断についても教えているそうだ。もちろん、こんなものはウソッパチだと言いながら。

 血液型による性格判断は、前からウソくさいと思っていた。統計をとればそういった傾向が見られるという説明はよく聞くが(A型は神経質、B型は自己中心的といったたぐいのもの)、その因果関係は統計では証明できない、と。
 ところが、コトはもっと悪質で、統計でそういった傾向がでることさえないのだそうだ。つまり、全くのデタラメ。1933年に日本法医学会総会で正式に否定されている。
 こう聞いても別にハラも立たない。「やっぱりそうか」ぐらいにしか思わない。しかし、問題なのは、教育関係者や警察など、血液型による性格診断を信じて「利用している」ことだ。そう言えば、テレビでもよくやっている。こういうのはエセ科学として、有害な情報の流布にはならないのだろうか。

 ロールシャッハのブラインドテストの結果が見ものだ。被験者を伏せて、結果を診断させるのだが、これが全くのハズレ。その被験者の本当の姿とは全く合致しない、トンでもない診断が出てきてしまうのだから、お笑いだ。この一件以来、専門家の間では、同種のテストは行われなくなったそうだ。
 昔、フロイトの「夢判断」を読んだが、長いものは何でも「男性のシンボル」で、丸いものは女性のそれ、という具合に、夢で見たものが何でも性的イメージとされてしまう。ここから一歩も進歩していないのではないか。

 最後のクレペリン検査は、今でも自治体や教員の採用試験に使われるそうだ。この検査は、診断の仕方を知っていれば、簡単に正常値を出せるし、逆に、実験を繰り返していくと、正常者が1割ぐらいにまで減ってしまうそうだ。こんな検査をまじめにやっていて良いのか?

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ナルニア国物語6 魔術師のおい

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著 者:C.S.ルイス (訳:瀬田貞二)
出版社:岩波書店
出版日:1966年9月1日第1刷 1984年6月15日第20刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 ナルニア国創世の物語。今までの疑問とまでは言わないまでも、明らかにされていなかったことや、物語の基になる世界観などがわかる。これが、7巻の内の6巻にしてあるところが、なかなかの演出だ。

 今回は、ポリーとディゴリーという2人が主人公。ディゴリーのおじのアンドルーが、不十分な形でも、異世界へ行く方法を発見したことから物語りは始まる。「魔術師のおい」とはディゴリーのことだ。
 物語の後半に来て、2人はナルニアの創世に立ち会う。最初は暗黒の何もない所だったのが、どこからともなく歌声が聞こえ、大地ができ草木が生え、動物たちが歌声に合わせて生まれてくる。なんと厳かな雰囲気だろう。そう言えば、トールキンの書いた創世も歌によるものだった。

 さらに、この物語で、私たちの住むこちら側の世界と、あちら側のナルニアの2つの世界しかないのではなく、もっと多くのパラレルワールドが存在することが明らかになっている。移動するための中間の場所があることも。そう、クレストマンシーシリーズと同じだ。
 ジョーンズはトールキンに師事したこともあり、そのオックスフォードにはルイスもいたことを考えれば、ジョーンズがルイスの影響も受けたことは間違いないだろう。この発想が英国では非常にポピュラーなものでない限り。
 ディゴリーの住む長屋は、屋根裏に通路があり、それ伝いに他の家にも入ることができる。これもこのパラレルワールドのあり方の暗喩になっている。

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魔法がいっぱい 大魔法使いクレストマンシー外伝

著 者:ダイアナ・ウィン・ジョーンズ (訳:田中薫子・野口絵美)
出版社:徳間書店
出版日:2003年3月31日初版
評 価:☆☆☆☆(説明)

 クレストマンシーシリーズの外伝。短編が4つ収められている。

 「キャットとトニーノの魂泥棒」が一番面白い。トニーノがクレストマンシー城に来てからの話なので、「トニーノの歌う魔法」の直後の話だ。タイトルどおり、「魔女と暮らせば」のキャットとトニーノが主人公。「クリストファー魔法の旅」の時のクレストマンシー、ゲイブリエル・ド・ウィットや、その他の登場人物、もちろんクリストファー・チャントも登場する。著者は、シリーズのまとめとして、このオールスターキャストの物語を書いたのかも。

 次が、「キャロル・ホールの百番目の夢」。夢を巻き取り機で取り出してビンに詰めたり、枕にして売るという設定がすばらしい。キャロルは自分の夢をそうやって売って有名になった少女。夢の中の登場人物が、待遇の改善を訴えるという、奇想天外な展開がさらにすばらしい。

 「見えないドラゴンに聞け」は、ハラハラドキドキ感としては4編中最高。歴史のパラドクスなどを巧みに取り入れていてすごく面白い。クレストマンシーは少し超人的すぎるかも。今回は天界へ登って、神々を諌めるのだから。
 クレストマンシーシリーズのパラレルワールドの中には、神々が治める世界もあったというわけだ。

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トニーノの歌う魔法 大魔法使いクレストマンシー

著 者:ダイアナ・ウィン・ジョーンズ (訳:野口絵美)
出版社:徳間書店
出版日:2002年3月31日初版
評 価:☆☆☆☆(説明)

 クレストマンシーシリーズの第2作目。シリーズの中を時系列で並べれば、「クリストファー魔法の旅」から25年、「魔女と暮らせば」の半年後、になる。
 舞台はイタリア、カプローナという、フィレンツェ、ピサなどに囲まれた小国。モンターネ家とペトロッキ家という2つの呪文作りの名家があり、互いに反目しあっている。その反目がカプローナ全体の徳の力をの低下を招き、呪文の効力がなくなっている。どうらや悪の第魔法使いの仕業らしい、というストーリー。
 今回は、クレストマンシーは重要な役柄ではあるけれども、出番は少ない。メインは反目しあう両家の若い世代が、頭の固い大人たちより先に協力して、難題と危機を乗り越えていく様子だ。イタリアだし、反目しあう2つの名家だし、ロミオとジュリエットみたい。

 クレストマンシーのいる世界は「魔法が私たちにとっての音楽と同じぐらいありふれている」と、シリーズの本の冒頭に書いてあるが、カプローナでの呪文とは、まさに音楽。歌うことで木が芽吹き、花が咲き、もっと不思議なことも起こる。歌詞にも曲にも強い力が宿っている。とっても面白い着想だと思う。
 世界中、「歌」が存在しない地域や文化はないのじゃないか、と思う。歌には本当に何らかの力が秘められているのかも。

 シリーズの子どもの主人公たちは、皆、魔法についての劣等感を持っている。キャットもクリストファーも、そしてこの本のトニーノも。自分は魔法は得意ではないと思っている。しかし、実は特別な能力を持っている。そういったところが読者を勇気付ける。シリーズ長編4作の中でも、「クリストファー魔法の旅」と並んで秀作だと思う。 

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