1.ファンタジー

蛇を踏む

書影

著 者:川上弘美
出版社:文藝春秋
出版日:1999年8月10日 第1刷 2003年7月25日 第11刷
評 価:☆☆☆(説明)

 友達に紹介してもらったので読んでみた。表題作「蛇を踏む」を含む3編を収録した短編集。「蛇を踏む」は1996年上半期の芥川賞受賞作。

 「蛇を踏む」の主人公はヒワ子。数珠屋で店番として働いている。ある日、藪で蛇を踏んでしまう。蛇は「踏まれたらおしまいですね」と言ってどろりと溶け、次いで煙のような靄のようなものになり、最後に人間の形になった。50歳ぐらいの女性になった。

 その日から蛇はヒワ子の家で、ヒワ子の母だと名乗って暮らしだす。ヒワ子はそれが自分の母ではないことは分かっているのだけれど、食事の支度などをしてくれるものだから、ズルズルと2人の暮らしを続ける。

 物語は、ヒワ子と蛇の暮らしと、ヒワ子と数珠屋の夫婦の会話を、特に怪異譚としておどろおどろしくするでもなく、むしろ淡々と何事もないように語られる。しかし、蛇の化身との暮らしが、何事もないはずがなく...。

 2編目の「消える」は、両親と3人兄妹の5人家族の物語。ある日、上の兄が消えてしまう。消えてしまったけれど、どうもそこらにいるらしい。3編目の「惜夜記(あたらよき)」は、主人公と少女の幻想的な物語の偶数章と、様々な夢幻のようなできごとの奇数章が、交互に重ねられる。

 正直に言って「蛇を踏む」を読んだ直後は「???」という感じだった。蛇が人間に化身する話は古今あるので、それ自体は構わない。全体につかみどころがなく、エンディングが突然でいきなり放り出されてしまうのだ。

 読み進めながら、いろいろな作家さんのいろいろな作品を思い出した。最初は梨木香歩さんの「沼地のある森を抜けて」「f植物園の巣穴」そして「裏庭」、次には三崎亜記さんの「海に沈んだ町」「バスジャック」。そして「惜夜記」を読み進める内にジョージ・マクドナルドさんの「リリス」。

 「リリス」まできて思い至った。この3編は「幻想文学」なのだ。著者が「あとがき」で「うそばなし」と呼んでいるものも「幻想」と言える。「幻想文学」という枠を得ると「蛇を踏む」の輪郭がくっきりとした。芥川賞もナットク。

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ファーガス・クレインと空飛ぶ鉄の馬

書影

著 者:ポールスチュワート 訳:唐沢則幸
出版社:ポプラ社
出版日:2005年11月 第1刷
評 価:☆☆☆(説明)

 久しぶりの海外ファンタジー。本書は、大河ファンタジー「崖の国物語」シリーズの著者の作品。「崖の国」よりは、少し低年齢の子どもでも楽しめるワクワク感のある物語。

 主人公はファーガス・クレイン。9歳の男の子。パン屋さんに勤めるお母さんと二人で暮らしている。お父さんはファーガスが生まれる前に航海に出たきり帰って来ていない。

 そのファーガスのもとに、機械仕掛けの空飛ぶ箱が3晩続けて飛んでくる。最初の夜には箱の中にはファーガスの名前を尋ねる手紙、次の夜にはお母さんとお父さんの名前などを尋ねる手紙。そして3晩目には「君に危険がせまっている!」という警告!

 最後の警告の手紙には「音信不通だったテオおじさん」という署名があった。さて「テオおじさん」とは何者なのか?ファーガスに迫る危険とは何なのか?そもそも危険が迫っているというのは本当なのか?...と滑り出しは上々。

 そのあともワクワク感満載。タイトル通りに「空飛ぶ鉄の馬」はもちろん、楽しいメカがいくつも登場する。冒険あり、海賊あり、宝探しあり、友情もあり。屈託なくページをめくってワクワクしよう。

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ちんぷんかん

書影

著 者:畠中恵
出版社:新潮社
出版日:2007年5月30日 発行 6月20日 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「しゃばけ」シリーズの第6作。表題作「ちんぷんかん」を含む5つの短編を収録した短編集。

 今回はいつもと少し趣向が違う作品が何編かあった。
 このシリーズの主人公は、江戸の大店の跡取り息子の一太郎なのだけれど、表題作「ちんぷんかん」は上野にあるお寺の修行僧、その次の「男ぶり」は一太郎の母のおたえの物語で、この2編は主人公がいつもと違うのだ。

 私は以前からおたえのことが気になっていた。一太郎の祖母のおぎんが実は人ならぬ妖で、その娘のおたえを通して一太郎にはその妖の血が受け継がれている。だから一太郎には様々な妖たちが見える、というのがこのシリーズの仕掛け。

 当然おたえにも妖たちが見える。いろいろなエピソードがありそうなものだ。それなのに、これまでは物語にさっぱり絡んでこない、セリフさえほとんどなかった。だから気になっていたのだ。この度おたえの口からその過去が明かされたのは「待ってました」という感じだった。

 趣向が違うという意味では「鬼と小鬼」もそうだ。舞台が何と賽の河原だ。一太郎は病弱で、何度も病で死にかかっている。しかし今回は、いよいよあの世へ向かって旅立ってしまったわけだ。

 もうひとつ。「はるがいくよ」は、これまでになく抒情的な作品。これからの桜の季節に読むと、感涙を誘うかも。

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丕緒の鳥

書影

著 者:小野不由美
出版社:新潮社
出版日:2013年7月1日 発行 7月20日 第4刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「十二国記」シリーズの第8作。4編を収めた短編集。文庫として出版されたものとしては、現在のところ本書が最新刊。

 シリーズの中では異色作だと思う。これまでは十二国のどこかの国の国王か王宮を描く作品ばかりだったけれど、本書収録の4編には共通して、国王も王宮もほとんど登場しない。代わりに描かれているのは庶民や下級官吏の暮らしだ。

 また、国が傾き荒廃する時期が舞台となっていることも共通している。十二国の世界では、国王の治世の末期には国が勢いを無くし、国王が不在となると災害が頻発するなどして国土が荒廃をし、庶民の暮らしは凄惨を極める。そんな中でも日々の暮らしを営む(営まなければいけない)人々を描く。

 表題作「丕緒の鳥」は、儀式で使う陶製の鳥である「陶鵲」を司る官吏が主人公。儀式で撃ち落とされてしまう「陶鵲」を、庶民の姿と重ね合わせて悩む。

 「落照の獄」は、死刑についての答えの出ない問いを真正面から取り上げたもの。「青条の蘭」は、植物の奇病に端を発する環境破壊が題材。どちらも今日的な問題を、壮大なファンタジー世界の中に落とし込んだものだ。

 最後の「風信」は、自国の軍隊に蹂躙されて故郷を追われた少女が主人公。たどり着いた場所には、自然観察に没頭する「浮世離れした」暮らしをしている人たちがいた。「悲惨な外の世界の暮らしをどう思っているのか」と、少女は腹立たしく思う。

 「落照の獄」を除いて、他の3編にはもう一つ共通点がある。それは「再生」の物語だということだ。失いかけた何かを再び手にする、そんな予感がしみじみとうれしい作品だった。

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華胥の幽夢

書影

著 者:小野不由美
出版社:講談社
出版日:2001年9月5日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 「十二国記」シリーズの第7作。シリーズで初めての短編集で、5編の短編を収録。

 時代としては、「月の影 影の海」で陽子が十二国の世界に来た前後らしい。舞台となった国や登場人物は様々。これまでに語られた物語の「その後」もあれば、ほとんど触れられなかった国の物語もある。

 「冬栄」は、「風の海 迷宮の岸」の戴国の泰麒の「その後」で、「黄昏の岸 暁の天」の前日譚。幼い泰麒が訪問する、という形でこれまであまり触れられなかった漣国が描かれる。

 「その後」の物語はあと2つ。「乗月」は、「風の万里 黎明の空」の祥瓊が、公主(王の娘)の身分をはく奪された後の芳国の物語。「書簡」は、「月の影 影の海」からしばらくした、陽子と楽俊の往復書簡。

 これまでほとんど触れられなかった国の物語は2つ。「帰山」は、傾いていく柳国での物語。ただし登場するのは「図南の翼」に登場した利広と「東の海神 西の滄海」の風漢。二人ともそれぞれある国の王族なのだけれど、それを知っていてお互いに知らんぷりをしている。風漢が突然語りだす囲碁のエピソードは意味深長だ。

 「華胥」は、同じく傾いていく才国の物語。若くして傑物と言われ悪政を敷いた先王を討ち、自ら天命を受けて登極した、清廉潔白な王と有能な部下。しかし何故か国は荒んでいく...。正直言って、回りくどくて冗長で途中で飽きてしまった。ただ、ハッとする言葉にも出会った。

 「責難は成事にあらず」(人を責め非難する事は、何かを成す事ではない)

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黄昏の岸 暁の天

書影
書影

著 者:小野不由美
出版社:講談社
出版日:2001年5月15日 第1刷発行 5月29日 第2刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「十二国記」シリーズの第6作。第1作の「月の影 影の海」で陽子が「慶」の国王に就いてから約2年。今回は登場人物が多い。陽子はもちろん、「東の海神 西の滄海」の主人公の尚孝と六太、「風の海 迷宮の岸」の主人公の泰麒と女武将の李斎、「風の万里 黎明の空」の祥瓊と鈴...。いわゆるオールスターキャスト。これまで線としてつながっていた物語が、面としての世界に広がった。

 オールスターキャストの中で主人公を一人挙げるなら李斎だろう。「風の海 迷宮の岸」で「戴」の国王の知遇を得た李斎は、そのまま戴国の首都州の将軍に就いた。しかしわずか半年後の政変で、国王とそれを補佐する泰麒が共に行方が分からなくなってしまった。それから数年間、王と泰麒が不在の戴国は荒廃を極めていた。

 この戴国の政変とその後の泰麒の物語と、泰麒救出を目指す慶国を中心とした物語の、数年間の時間差がある2つの物語が並行して進む。その間を繋ぐのが李斎だ。李斎は、逆賊として追われ妖魔に襲われ満身創痍で、慶国の王の陽子の助力を乞うために慶国の王宮に駈け込んで来たのだ。

 登場人物だけでなく、物語が扱うテーマも豊富だった。国の政(まつりごと)を行う難しさ、人としてどう振る舞うべきか、天の理(ことわり)と人の道のありよう、行き違いが生む悲劇、それぞれの故国への思い。ハッピーエンドとは言い難い結末が粛然とした余韻を残す。

 陽子が物語に戻ってきてうれしい。「風の万里 黎明の空」で反乱を鎮めたものの、国の復興は道半ばといったところながら、着実に進歩はしているようだ。「よそ者、バカ者、若者が改革を担う」と言われるが、異世界から来て、この世界の仕組みに不案内な、高校生だった陽子は、まさに「十二国」の改革者になりそうだ。

 本書は、このシリーズに先立って発表された「魔性の子
」と対になる作品らしい。実はそれと知ってこれまで読むのを取っておいた。ようやくここまでシリーズを読み進めたので、近々に「魔性の子」に取り掛かろうと思う。

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図南の翼

書影

著 者:小野不由美
出版社:講談社
出版日:1996年2月5日 第1刷発行 1999年10月8日 第11刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「十二国記」シリーズの第5作。前作「風の万里 黎明の空」のレビュー記事で「陽子の物語で今後も押して欲しい」と書いたのだけれど、本書は別の人物を主人公に据えた、陽子が十二国にやってくる「月の影 影の海」の約90年前の物語だった。

 主人公の名は珠晶。「恭」の国の裕福な商家の娘で12歳。物語の冒頭で彼女が登場した場所は、何と首都にある家から遠く遠く離れた辺境の地の宿屋。しかも、ほとんど身ひとつで連れもいない。およそ12歳の(しかも裕福な家の)少女に対して世間が抱くありようではなかった。

 珠晶は「恭」の国王を選ぶ「昇山」に加わるためにここまで旅してきたのだ。「恭」の国は先王が崩御して27年。十二国の世界では、王がいないと国が乱れる。災厄が頻発し妖魔が人を襲うようになる。「27年も王が決まらないのは、自分がその王だからかもしれない。であればそれを確かめなくては。」というのが珠晶がここまで来た理由だ。

 これを、子どもじみたよく言えば可愛らしい、悪く言えば愚かな考えだと思うのが「大人の考え」だろう。しかも「昇山」のためには、妖魔が跋扈する荒地を何十日も旅しなければいけない。こんなことを聞いたら優しく諭してやめさせるのが、まっとうな人間の行いだと、私も思う。。

 こんな具合で物語は、珠晶が家を飛び出してから、辛苦を耐えて旅を続け、「昇山」に至るまでを描く。その途上で、大人を相手に「子どもじみた正論」を吐きまくり、そのたびに周囲の大人は苦笑いで応える。しかし、「正論」というのは正しいから「正論」という。珠晶が口にする「正論」のうちの幾つかには、ハッとするような真理が垣間見えるのだ。

 元気な少女が活躍する物語は、ファンタジーの世界では定番と言える。そうであっても(そうだからかもしれないけれど)私は、本書はとても面白かった。大人がいなくては子どもは生きてゆけないのだけれど、大人は子どもから学ぶこともある。そう思った。

 実は、珠晶は前作「風の万里 黎明の空」にも登場している。それに気が付くと、ある程度は結末が予想できてしまうのだけれど、それで興が削がれることはない。「あの珠晶はこういう子どもだったのか、なるほどね」と、分かった気になれる。

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はるひのの、はる

書影

著 者:加納朋子
出版社:幻冬舎
出版日:2013年6月25日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「ささらさや」「てるてるあした」の続編。表題作「はるひのの、はる」を含む6編の短編を収録。

 主人公はユウスケ。物語の初めでは小学校に上がる前の春だった。彼は「ささらさや」「てるてるあした」のサヤの息子。その時はまだ赤ん坊だったユウ坊だ。本書は、ユウスケの成長を追って短編を重ねて、物語の終わりでは彼は高校生になる。

 「てるてるあした」の冒頭で、ユウスケのことが「不思議な赤ん坊」と書かれている。確かにユウスケの周りでは不思議なことが起きる。その訳が本書冒頭で分かる。彼には「見える」のだ。亡くなったけれどまだこの世に留まっている人たちの姿が。

 舞台は、佐々良の町を流れる佐々良川のほとりの原っぱの「はるひ野」(そう、表題作は「はるひ野の、春」という意味)。そこでユウスケは、川でうつぶせになって倒れている少女を見つける。その時、「見ちゃダメ」と言ってユウスケの手を引いた少女がいた。彼女の名は「はるひ」

 はるひはユウスケに「手伝って欲しいことがある」と言う。それはとても奇妙なお願いだったけれど、ユウスケは言うとおりにしてあげた。それ以降、はるひは数年に一度ぐらい割合で、ユウスケの前に現れては奇妙なお願いを繰り返し、すぐに姿を消す。その度に誰かが助けられる。

 各短編は、そんな感じで「いい話」で終わるのだけれど、モヤモヤしたものが残る。はるひは何のためにそんなことをしているのか?そもそも何者なのか?そういった謎が最後になって明らかになる。

 前2作は、亡くなった「見えない」人の存在を感じる不思議な物語だった。ユウスケにはそれが「見える」ので、亡くなった人の存在がリアルに感じられ、ファンタジーの要素を含んだ物語になった。「あとがき」に「シリーズ最後の作品」とされているが、それは惜しい。この言葉は反故にして構わないから、続編を希望する。

 最後に。著者が白血病と闘っておられたことは、闘病記を出版されているので知っていた。復帰第1作の本書が出版されて、私は本当に嬉しい。

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風の万里 黎明の空(上)(下)

書影
書影

著 者:小野不由美
出版社:講談社
出版日:1994年8月5日 第1刷発行 1996年8月12日 第8刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「十二国記」シリーズの第4作。主人公は第1作の「月の影 影の海」の陽子と、「芳」の国の公主(王の娘)の祥瓊(しょうけい)、蓬莱の国(日本)からやってきた鈴、の3人。同じ年頃の少女たちの旅路とその先の邂逅を描く。

 時代は、「月の影 影の海」から1年。「慶」の国王に就いた陽子は苦悩していた。蓬莱から来て国の仕組みもしきたりもわからないため、王としての判断ができない。官僚たちのいいようにされ、また彼らから軽んじられていた。

 祥瓊は、父王がその悪政のために臣下の領主によって誅殺され、自身も公主の位をはく奪されて野に下り、辛酸をなめるような日々を送る。鈴は、言葉が分からず周囲に馴染めなかった。ようやく言葉が通じる飛仙に拾われたが、そこでも執拗ないじめを受ける。2人は生命の危機を乗り越え脱出に成功するが、そこでも安寧は得られなかった。

 祥瓊も鈴も、陽子が「慶」の国王に就いたことを聞き、陽子を訪ねる決心をする。一人は救ってもらえると思い、一人は自分にないものを手に入れた陽子に恨みを持って。その想いは、陽子に近づくにつれて変化していく。やがて、思わぬ形で3人の運命は交錯し始める。

 これは傑作だと思う。700ページに及ぶ長編ながら一気に読んでしまう。ドラマチックでありながら、ところどころに思慮深い諫言がちりばめられている。少女の口からこんな言葉が出る「自分がいちばん可哀想だって思うのは、自分がいちばん幸せだって思うことと同じぐらい気持ちいいことなのかもしれない」

 陽子の物語は、第1作以来3作ぶり。私としては陽子の物語で今後も押して欲しい。

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東の海神 西の滄海

書影

著 者:小野不由美
出版社:講談社
出版日:2000年7月15日 第1刷発行 2004年3月19日 第12刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「月の影 影の海」「風の海 迷宮の岸」に続く、「十二国記」シリーズの第3作。主人公は前2作にも登場した、「雁」の国の延王・尚隆とその補佐を務める麒麟・延麒の2人。ただし時代は前2作から遡ること約500年、尚隆が「雁」の国の治世を始めて20年の時。

 物語の発端はさらに18年前の偶然の邂逅。延麒は妖魔と呼ばれる魔物に乗って空を飛ぶ、人間の少年の更夜と出会う。妖魔はその本性として人間に馴れることがない。ましてやその背に人間を乗せて飛ぶことなどありえない。しかし、更夜とその妖魔は強い絆で結ばれていた。

 そして物語の現在。先王の末期に荒廃を極めた「雁」の国は、尚隆の治世の20年で目に見えて復興を遂げていた。尚隆が有能な為政者である以上に、側近の官吏たちが更に有能だった。なぜなら、尚隆は良く言えば豪放、悪く言えば出鱈目な男だったからだ。お忍びで街に出かけて民と交わることは好きだけれど、朝議と呼ばれる御前会議はすっぽかして出席しない。

 そんな風だから、全体としては国の復興が成っていても、国の隅々を見れば大事な事業が滞っている。それを恨みに思う地方もある。都から離れた「元州」では反乱の気配。こんな状況で、延麒は18年ぶりに更夜の訪問を受ける...後から振り返れば、これが新たな騒乱の幕開けだった。

 王宮には王宮の、反乱を起こそうとする元州には元州の理(ことわり)がある。民に近いところにいる元州の領主が説く理の方が、真に人々のためになるように思えるのだが、ことはそう単純ではなかった。

 読み進めるほどに、人間の内面が深々と掘り下げされる。善政の影に隠れた後ろ暗い闇。思いのほか重く鋭い刃を突きつけられた感じだった。

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