2.小説

むかしのはなし

書影

著 者:三浦しをん
出版社:幻冬舎
出版日:2005年225月25日 初版発行
評 価:☆☆☆(説明)

 7編の短編を収録した短編集。それぞれの短編が「浦島太郎」や「桃太郎」といった昔話をモチーフとした物語にそれぞれなっていて、短編の扉裏のページにその昔話が短く紹介されている。短編集のには、既出の複数の作品を1つにまとめたものであることがあるが、本書は書下ろし。

 一つ目の作品は「かぐや姫」をモチーフとした「ラブレス」。主人公は男性が早死にする家系の男。彼の父も祖父も27歳で死んだ。「明日、隕石が地球に激突します」と言われたような感情を持って、彼は27歳を迎えた。逃げようがない怖い気持ちと、何が起きるんだろうという期待。物語は主人公の一人語りの形で語られる。

 二つ目の作品は「花咲か爺」をモチーフとした「ロケットの思い出」。主人公は、子どもの頃にロケットという名前の犬を飼っていた男。今は空き巣を生業にしている。どうやらそれで捕まったらしいことが、冒頭で明らかになっている。物語は、子どものころから捕まるまでの半生を、警察の取り調べに答えている体で語られる。

 こんな感じで、主人公が自分に起きた出来事を語る。三つ目の「天女の羽衣」をモチーフとした「ディスタンス」まで読み進めても、収録されている作品につながりはない(ちなみに「ディスタンス」はけっこうショッキングな作品だ)。ところが、四つ目の「浦島太郎」をモチーフとした「入江は緑」で、「どっかでこの話聞いたような」と思い、五つ目の「鉢かつぎ」をモチーフとした「たどりつくまで」で、その思いは確信と変わる。

 そして最後の「桃太郎」をモチーフとした「懐かしき川べりの町の物語せよ」で、著者の意図が見えてくる。この短編は98ページと、他と比べて圧倒的にボリュームがあるので、これがメインの物語なのだろう。

 それぞれの短編も独立して個性的で味のある作品が多い。上に書いたように、一冊の短編集を通しての繋がりもある。書下ろしならではの仕掛けだと思う。

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ローカル線で行こう!

書影

著 者:真保裕一
出版社:講談社
出版日:2013年2月12日 第1刷 発行 
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「デパートへ行こう!」に続く「行こう!」シリーズの第2弾。シリーズと言っても物語につながりはなく、著者のインタビューなどによると「再生物語」であることだけが共通している。「デパートへ行こう!」では「家族の再生」、本書で描くのは「地域の再生」だ。

 舞台は宮城県にある赤字ローカル線、森中町と原坂市を走る「もりはら鉄道(もり鉄)」。JRから移行した第三セクターで、年に2億円の赤字を出し「あとはいつ決断するか」と思われている。主人公は二人。ひとりは、鉄道の会長でもある森中町長に、社長としてスカウトされた篠宮亜佐美、31歳。もうひとりは、亜佐美と同年代で、「もり鉄」に副社長として、宮城県庁から送り込まれた職員の鵜沢哲夫。

 亜佐美は、新幹線の車内販売で一人で一日50万円を売り上げる「カリスマアテンダント」だった。とはいえ会社経営の経験はなく、赤字鉄道会社への若くて未経験の女性の社長の大抜擢。話題性が抜群であるというプラス面はあるけれど、監査役の銀行からは「とんでもない人事」と言われ、確かに前途多難さを感じさせた。

 物語は、電車の運行のように、快調に走り出したかと思うと、スピードダウン・停止、を繰り返す。亜佐美の手腕は、少なくとも企画力と人心掌握に関してはホンモノだった。「話題性」という武器をフル活用した、亜佐美の企画は次々と当たる。しかし、何かがうまく行くたびに、事件が起きる。最初は小さな出来事だったけれど、次第にエスカレートする。

 面白かった。「うまく行きすぎ」なんだけれど、そんなことを言わずに楽しんで読めばいいと思う。国内に赤字ローカル線はたくさんあり、その共通の問題点はたぶん「乗る人が少ない→何かを削減→不便になる→乗る人が減る」の負のスパイラル。赤字解消にためには、この回転を逆に回す必要があるのだから、亜佐美ぐらいの馬力が必要だ。

 「〇〇と似ている」という言い方は、双方に失礼なことを承知で言うと「有川浩さんの作品に似ている」。懸命に何かに取り組む人がいて、反発しながらも支える人がいて、ラブストーリーが織り込まれていて、ちょっとカッコいいオッサンがいる。そんな物語だった。私はこういうのが大好きです。

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トオリヌケ キンシ

書影

著 者:加納朋子
出版社:文藝春秋
出版日:2014年10月15日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 2014年の発行だけれど、現在のところ著者の最新刊らしい。表題作の「トオリヌケ キンシ」の他、「平穏で平凡で、幸福な人生」「空蝉」「フー・アー・ユー」「座敷童と兎と亀と」「この出口の無い、閉ざされた部屋で」の計6編を収録した短編集。

 「トオリヌケ キンシ」は、小学生3年生の男の子の話。「トオリヌケ キンシ」と書かれた札がある、50センチぐらいの隙間。そこに入って行くと、古ぼけた木造の家があった。

 「平穏で~」は、ウォーリーとか四つ葉のクローバーとかを、すぐに見つけることができる「超能力」を持った女の子の話。「空蝉」は、優しかったお母さんが突然、乱暴に怒鳴り散らす「バケモノになってしまった男の子の話。

 「フー・アー・ユー」は、「相貌失認」という病気で、人の顔が識別できない高校生の男の子の話。「座敷童と~」は、近所の家に突然やって来て「家の中に、座敷童がいる」と言ったおじいちゃんの話。「この出口の無い~」は、寝ている時に見る夢を自在にコントロールしようとしている浪人生の話。

 全体的に現実と空想の境界のような曖昧さが漂う。50センチの隙間は異世界への通路のようだし、「超能力」や「バケモノ」や「座敷童」が出て来る。話しかけてくる人が誰だか分からないというのも、世界を曖昧にする。最後の話は、そもそも「夢」が主題になっているし。

 ところが、読み進めていくと、どこかで話がストンと現実に着地する。ライトがついて急に明るく照らされたように。こういう「驚き」の仕込みはミステリ作家ならではの手際だ。

 最後に。どの作品も「フー・アー・ユー」の「相貌失認」のように「病気」と深く結びついている。これは、著者自身が大きな病を患ったことと関連があるのだろう。著者は、2010年に急性白血病で緊急入院し抗癌治療を受けられている。本書の短編は、表題作を除いてすべて、復帰後に「文藝春秋」に掲載した作品だ。

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アンマーとぼくら

書影

著 者:有川浩
出版社:講談社
出版日:2016年7月19日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 有川浩さんの最新刊。帯には著者自身の言葉として「これは、現時点での最高傑作です」と書いてある。ロックバンドの「かりゆし58」の曲「アンマー」に着想を得たもので、「アンマー」とは沖縄の言葉で「おかあさん」という意味。

 主人公の名前はリョウ。東京で暮らす32歳の男性。久しぶりに母が住む沖縄に帰ってきた。里帰りの目的は「おかあさんのお休みに3日間付き合う」こと。普段は忙しさにかまけて、年に1回日帰りするだけで、実家なのに泊りで帰って来るのは久しぶりだ。

 実は、リョウの実の母親はリョウが子どもの頃に亡くなっている。だからリョウには「二人の母親」がいる。沖縄にいる「おかあさん」と、亡くなった「お母さん」。この物語には主要登場人物がもうひとり。リョウの父で、こちらも何年か前に亡くなっている。

 物語は、リョウと「おかあさん」の3日間に、リョウと父親との思い出が交錯しながら進む。父親のとの思い出とは即ち、リョウと「おかあさん」を結ぶ紐帯でもある。父親の再婚が二人を結びつけたのだし、リョウが東京の大学に進学したために、二人の共通の記憶は、ほとんどが父親がいた時のものだからだ。

 読んでいる途中に「あぁ今回はこの路線か」と思った。著者としては簡単に「近い」などと言って欲しくないかもしれないけれど「旅猫レポート」に近い。「旅猫~」では「思い出の人」を巡ったけれど、本書では、観光地を巡るという形で「思い出」を巡る。巡り終わったその先は...。これ以上は言えない。

 「観光地を巡る」という意味では「県庁おもてなし課」にも近い。リョウたちが立ち寄る、沖縄のあちらやこちらが、とても生き生きと描かれている。読めば、特に残波岬には行きたいと思うだろう。本書中の「雨の日は、よそ行きじゃない土地の顔が見られますよ」は名言だ。沖縄観光の幅がぐっと拡がったに違いない。

 有川さんが大好きな「カッコいいおっさん」は出てこない。「子供みたいなおっさん」なら出てくる。

 コンプリート継続中!(アンソロジー以外の書籍化された作品)
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対岸の彼女

書影

著 者:角田光代
出版社:文藝春秋
出版日:2007年10月10日 第1刷 2016年7月5日 第20刷
評 価:☆☆☆(説明)

 2004年下半期の直木賞受賞作。著者の代表作のひとつ。

 主人公は2人の女性で、それぞれの物語が交互に進む。一人は横浜から群馬県の田舎町に引っ越して来た高校生の葵。もう一人は結婚して仕事を辞めて専業主婦をしている小夜子。読み始めてすぐに分かるのだけれど、二つの物語は時代が違っていて、葵はずっと後になって小夜子と出会うことになる。

 葵の物語は、同級生のナナコとの交流を描く。クラスの中で「なんとなくできたグループ」から弾き出されないように懸命になっている葵と、どこのグループにも属さずにいるナナコ。共通点はあまりなかったけれど、なぜか放課後には良く二人で過ごした。

 小夜子の物語は、葵が立ち上げた会社での小夜子の働きぶりと気持ちを描く。小夜子はふとしたことがきっかけで、働こうと決意した。そして得たのは、葵の会社の新規事業である「ハウスクリーニング」の仕事だった。

 そんなわけで、本書には4人の女性が登場する。高校生の葵とナナコ、30歳半ばの小夜子と葵。もちろん葵は一人の人物なので、正確には「3人の女性」なのだけれど「高校生の葵」と「大人の葵」が、十数年の時間が間にあるとはいえ、読んでいてもどうにも繋がらない。別の人間のように思えるのだ。

 面白かった。並行して描かれる全く違う2つの物語が楽しめた。一方は、鬱屈を抱えながらも、女子高校生らしい「友情」を育む物語。それが一転して...。もう一方は、仕事に努力や工夫をしても周囲に認められない、なかなか気の晴れないつらい物語。天井の低い廊下をずっと歩いているような気持ち。

 それぞれの物語が「読ませる」完成度の高いものだった。でも、本書の醍醐味は、2つの物語をより合わせることで浮かび上がった、ほとんど描かれていない「葵の十数年」にあるように思う。「八日目の蝉」は「事件の後」を描いた秀作だった。本書の「大人の葵」も「事件の後」を描いている。同じ着眼点だと思う。

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陸王

書影

著 者:池井戸潤
出版社:小学館
出版日:2016年7月10日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 「下町ロケット」「下町ロケット2」「ルーズヴェルト・ゲーム」など、中小中堅企業の製造業の底力を描いた「経済小説」に定評のある(もちろん「半沢直樹」でも有名な)著者の最新刊。

 今回の舞台も製造業。ただし今回は、ロケットやエレクトロニクスといった「硬い」素材ではなくて、柔らかい素材を使う企業。付け加えれば「柔らかくて強い」素材を使う。今回の舞台は「足袋」の製造メーカーの「こはぜ屋」。

 「こはぜ屋」は1913年創業、100年を超える老舗だ。洋装が主流になって久しいが、綿々と足袋を作り続けてきた。幸いなことにここまではやって来られたが、売上の減少が止まらない以上、いずれは限界が訪れるのは明らかだ。

 そんな「こはぜ屋」の社長の宮沢紘一が、新規事業として考えたのが「ランニングシューズ」業界への進出だ。健康のために走るアマチュアランナーからトップアスリートまで、競技人口は多い。足袋とシューズだから、全く関係がないわけではない。現に「こはぜ屋」にはかつて「マラソン足袋」という商品があった。

 物語は「こはぜ屋」がランニングシューズ業界に挑む一進一退が描かれる。「全く関係がないわけではない」ぐらいの関係で、何とかなるほど、ビジネスは甘くない。陸上競技はすでに巨大資本が研究開発にしのぎを削る状態だからなおさらだ。

 それでも「一退」してもそこから「一進」する。著者のこれまでの作品と同じく、事業にかける「熱量」と「技術」が重要な要素となって、「こはぜ屋」は前に進む。もうひとう忘れてはならないのは「誠実さ」か。

 著者のこのジャンルの作品の面白さには安定感がある。「マンネリ」ではなく「安定」だ。

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海の見える理髪店

書影

著 者:荻原浩
出版社:集英社
出版日:2016年3月30日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 先月に発表された2016年上半期の直木賞受賞作品。

 表題作の他、「いつか来た道」「遠くから来た手紙」「空は今日もスカイ」「時のない時計」「成人式」の計6編を収めた短編集。6編に共通しているのは、「家族」を描いていること。それも「欠落」を抱えた家族を描いていること。

 表題作「海の見える理髪店」は、海辺の小さな町にある理髪店が舞台。そこの大きな鏡には背後の海が、鏡一杯に広がって映る。大物俳優や政財界の名士が通いつめたという店。そこにきた若者に、店主が自分の来し方を語る。

 「いつか来た道」は、母娘の話。反発して家を飛び出した娘が16年ぶりに母を訪ねる。弟に「いま会わないと後悔する」と言われて..。「遠くから来た手紙」は、夫婦の話。夫への不満を募らせた主人公が実家に帰って来て暮らす。「空は今日もスカイ」は、小学生の家出。神社で出会った風変わりな少年と海を目指す。

 「時のない時計」は、時計店の主人と、そこに父の形見の時計を修理に持って行った男性との会話。時計屋の主人は家族の思い出と暮らしていた。「成人式」は、娘を亡くした夫婦の話。二人の元に娘の成人式の案内が届く。

 冒頭に書いたように全て家族の物語。そこに大小の欠落がある。二十年以上も前に別れた妻子、理解し合えなかった母娘、引き裂かれた夫婦、愛が必要な子ども、子どもを亡くした親。その欠落は他のものでは埋められない。しかし「こんな風に少しは楽になることもある」。そんな物語だった。

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オールド・テロリスト

書影

著 者:村上龍
出版社:文藝春秋
出版日:2015年6月30日第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 村上龍さんの昨年出版された最新長編。文芸誌の文藝春秋の2011年6月号から2014年9月号まで掲載された同名の作品に、単行本化にあたって加筆したもの。

 主人公はフリーの記者のセキグチ、54歳。「希望の国のエクソダス」に登場した記者の関口と同一人物で、本書の物語は「希望の国の~」から十数年後の出来事とされている。「中学生が集団不登校を起こした事件」として、本書の中で何回か回想される。

 仕事を失い、家族に出て行かれ、荒れた生活をしていたセキグチの元に、元上司から突然に仕事の依頼があった。NHKでのテロの予告があったから、行ってルポを書いて欲しい、という。「そんなバカな話があるか」と思いながらも、セキグチは取材費を欲しさにNHKに出向く。そして予告通りにテロが起きる..。

 「希望の国の~」が中学生による革命の物語であるのに対して、本書が描くのは老人による革命だ。この国の現状を憂い、危機感の醸成のために「日本全体を焼け野原にする」と言う、「怒れる老人たち」による革命。その主体は満州国の生き残りたちらしい。

 読んでいて「面白い」と「もうイヤだ」のせめぎ合いだった。テロの現場やアングラなグループなど、様々な場面の描き方が生々しい。私の心の許容度のギリギリか、時に少し超えてしまう。そこで「もうイヤだ」と感じる。それを苦いもののように飲込んでしまうと「面白い」

 「怒れる老人たち」の着想はとてもいいと思うのだけれど、この描き方では、私はセキグチのようには、老人たちに共感を感じられない。「希望の国の~」は「希望だけがない」というフレーズで有名になったけれど、実は希望を残して終わっている。それに対して本書は、物語の終わりに何か残ったの?と疑問に思ってしまう。

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星やどりの声

書影

著 者:朝井リョウ
出版社:角川書店
出版日:2011年10月31日 初版発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 著者は2009年に「桐島、部活やめるってよ」で、小説すばる新人賞を受賞して翌年にデビュー。2013年に「何者」で直木賞受賞。駆け足でステップアップしている感じだ。本書は、この2つの受賞作の間に出した何作かのうちの1つ。

 舞台は連ヶ浜という海辺の街(鎌倉を想起する)の、駅前の商店街から少し離れたところにある喫茶店。お店の名前が「星やどり」。主人公は、このお店を切り盛りする早坂家の6人の子どもたちが順に務める。最初が長男の光彦、続いて三男の真歩、二女の小春、二男の凌馬、三女のるり、最後が長女の琴美。

 琴美は宝石店に勤める26歳、既婚、しっかり者。光彦は大学4年生、就活中、ちょっと頼りない。小春とるりは双子の姉妹、高校3年生。小春はメイクがバッチリのギャル風、るりは真面目な優等生、放課後はお店を手伝う。凌馬はおバカで明るい高校1年生。真歩は少し醒めた小学6年生、カメラを首から下げて登校。性格付けがはっきりしている。

 それぞれの日常の小さな物語を描きながら、その背景で大きな物語が進む。「星やどり」は、亡くなった建築家の父親が、早坂家の母子に遺したお店で、「大きな物語」はその父の想いを辿る。これはこれで「いい話」なのだけれど、私は「小さな物語」の方に魅かれた。

 読み進めていくと、それぞれの性格付けには、意味があることが分かってくる。父親が亡くなった時の年齢が関係していることもあるし、何かの出来事に起因していることもある。それを知ると切なくなってくる。著者は、6人に様々な性格を便宜的に割り振っているのではなくて、その性格にはその役割があってそうしているのだ。

 役割だから演じている部分もあって、表面に見える性格とは別の内面の性格も垣間見える。例えば、おバカキャラに見える小春や凌馬は、その内面に澄んだ感性を持っている。こうした人の内面を描くことについて、主人公を入れ替えて互いの視点で互いを描くという手法が、とても冴えを見せている。

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はかぼんさん 空蝉風土記

書影

著 者:さだまさし
出版社:新潮社
出版日:2015年4月1日 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 本書は、歌手のさだまさしさんが「小説新潮」に6回にわたって連載した作品に、「まえがき」と「あとがき」を付けて単行本化したものの文庫版。主人公が同じ6つの短編を収めた連作短編集。さださんのファンの友人がプレゼントしてくれた。

 主人公は「まっさん」とか「雅やン」と呼ばれているノンフィクション系の作家。皆からは「先生」と呼ばれ、「一流どころの旅館に泊まることを世間に許して貰ってから二十数年」というから、その世界の大御所といったところか。

 その主人公が、京都、能登、信州、津軽、四国、長崎、へと旅をして、その先々で遭遇した不可思議な出来事をつづる奇譚集。作家である主人公がつづった体裁の物語を、その主人公と同じく「まっさん」と呼ばれる、さだまさしさんが描く。二重構造の創作になっていて幻惑される。ところがこれが妙に「事実」っぽい。

 6編のどれもいいのだけれど3つだけ。

 「夜神、または阿神吽神」は、能登の西海岸の小さな漁村が舞台。数百年も続く村の神事で、海から流れ着く漂着物を「神」として畏れ敬う。その神事に、一人の50代の男性の人生が絡む。神様は色々な姿で私たちの前に現れるのだなぁ、としみじみ思った。

 「同行三人」は、四国八十八カ所巡礼が舞台。主人公は行者姿の老人に「そこ、動いたらあかん」と、叱りつけるような声をかけられる。そこは、神様たちが住まう世界との境界がある場所、そういう物語。私は行ったことはないのだけれど、四国の山は懐が深そうだと思っていた。その思いにピタリとはまった。

 信州の「鬼の宿」は、安曇野が舞台。こちらは「神代の昔」に起源があるという、節分の豆まき「追儺式」の夜の出来事。豆まきで追われた鬼が泊まりに来るという家の話。都会の街中では感じない「気配」を、田舎では感じることがある。時には触れられそうに濃厚な気配を。

 「いやはや、お見それしました」。これは大森望さんによる「解説」の冒頭の言葉だけれど、私もそう思った。冒頭に「歌手のさだまさしさん」と書いたけれど、そういう紹介の仕方でいいのかしらん?と思うほど、小説としてよくできた作品だった。いや、そんなエラそうな言い方はいけない。「楽しませていただいました」と言い直しておく。

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