5.ノンフィクション

沈黙の春

書影

著 者:レイチェル・カーソン
出版社:新潮社
出版日:1974年2月20日 発行 2014年6月5日 76刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 半世紀前の本が、現在の世界にも強く警鐘を鳴らしていることに瞠目した本。

 名著とされているので書名ぐらいは知っている人も多いと思う。私もその一人だった。「知っている」だけじゃなくてちゃんと読んでみようと思ったのは、世界各地で起きている「ハチの大量死」のことを聞いた今から数年前のこと。本書はその時に買ったのだけれど、ながく放置した期間もあって読み終わるまで数年かかってしまった。

 本書は、生物学者でもある著者が、主に害虫を駆除する目的で使用される殺虫剤や農薬の、自然や人に与える深刻な被害を、豊富な実証的データとともに明らかにしたもの。原著「Silent Spring」は、1962年に米国で出版され、日本語訳の出版はその2年後だそうだ。

 第一章に描かれた寓話で、春が来ても鳥の鳴き声もミツバチの羽音もしない、自然が沈黙した町が描かれている。書名はこの様子を端的に表した言葉で、実に印象的だ。今のような農薬の使い方を放置すれば、生命の芽吹きのない春を迎えることになる。それでもいいのですか?という警告の言葉でもある。

 殺虫剤や農薬による深刻な被害は数多く報告されているけれど、その中で印象的かつ示唆的なことをひとつだけ紹介する。1950年代、カリフォルニア州のクリア湖。おびただしい数のカイツブリという鳥が死んだ。そのカイツブリの脂肪組織を分析すると、1600ppmという異常な濃度のDDDという薬品が検出された。

 DDDはブユの駆除のために0.2ppm以下に薄められて散布された。それがプランクトン、魚、鳥と食物連鎖を経て生物濃縮という作用によって、8000倍に濃縮されたのだ。最終的にはカイツブリの雛鳥は見られなくなってしまった。ここのブユは蚊によく似ているけれど血を吸わない(ブユと訳してあるけれど、調べるとどうも「フサカ」という別の科の昆虫らしい)。その無害な昆虫を駆除しようとした。それもただ数が多すぎるという理由で。

 この事例が印象的かつ示唆的な理由は、他の事例は割と殺虫剤を無頓着に使っているのに対し、この事例では「中でも害の少ない薬品を」「水量を計算して(安全なように)薄めて」使っていることだ。安全に配慮していても、思いもよらない結果を招くことがある。特に「(安全なように)薄めて」は示唆的だ。今でも「基準値を下回っていれば安全」とされる。たしか原発事故の処理水の海洋放出も..。

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進化のからくり

書影

著 者:千葉聡
出版社:講談社
出版日:2020年2月20日 第1刷 7月7日 第3刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 書いてあるのは「研究」なのだけれど、力強い「物語」を読んだような気持になった本。

 著者は進化学者で巻貝研究の第一人者。本書はその著者が、進化に関する研究のいくつかを紹介する。具体的には「巻貝の巻き方(右巻きか左巻きか)の変異」「カワニナの種分化」「仙台近郊のホソウミニナの棲息環境と形態」「小笠原のカタマイマイの研究」等々。一見して地味な生き物だ。小さな巻貝とかカタツムリとか..地味すぎる。

 そんな地味な生き物の研究だけれど、まったく退屈しない。著者が紹介するのは、研究そのものだけでなく、研究を巡る謎解きのストーリーとその成果だからだ。それから、ダーウィンに始まる世界中の研究者も話題にはなるけれど、多くは著者自身が体験したり関わった研究についてなので、臨場感のある読み物になっている。

 その語り口もなかなかに楽しい。例えば本書の最初の話題は、巻貝の右巻きと左巻きの話なのだけれど、なぜか漫画の「北斗の拳」から始まる。ストーリーをご存じでカンの良い方は、ピンときたかと思うけれど、「北斗の拳」には内臓が左右逆になっている登場人物がいるからだ。(追記すると、ショウジョウバエの内臓逆位に関する遺伝子は「サウザー」と命名されているそうだ)

 また、進化学者の研究が想像以上にタフなものだとも感じた。進化学は今や分子レベルでの研究が「研究室の中」でも進んでいるけれど、標本採取はフィールドワークが基本なのだ。著者がカタツムリの調査のために、小笠原の母島の、左右が50~80メートルの絶壁の上の尾根を越える場面は圧巻だった。本書を書いているのだから、無事に帰ってきたことは分かってはいるにも関わらすだ。

 最後に印象的だった言葉を。

 目の前のたくさんの謎は、進化学者にとって何よりのご馳走である。

 「進化学者」を他のあらゆる「○○学者」に変えることができるだろう。著者によると、私たちの好奇心も「進化の結果」であるそうだ。

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「居場所」のない男、「時間」がない女

書影

著 者:水無田気流
出版社:筑摩書房
出版日:2020年5月10日 第1刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 わが身を省みて、将来に備えて「関係を構築」しなければ、と思った本。

 タイトルから「話を聞かない男、地図が読めない女」のような、「男女の振る舞い」の違いをもっともらしく書いた、軽い読み物を想像して手に取った。しかし本書は、それとは違って「男女の境遇」の違いを統計や調査研究を引きながら重いテーマをしっかり論じたものだった。ここには何年も前から認識されながら、一向に改善しないこの国の問題が、明瞭な輪郭をもって切り取られている。

 ごく簡単に言うと「「居場所」のない男」というのは、男性が会社(仕事)以外の場所での関係が築けていない「関係貧困」のことを言い、「「時間」がない女」というのは、女性が1日のうちでも人生という長い時間軸でも、スケジュールに余裕がない「時間貧困」のことを指す。本書は3部構成で、第1部で男性の「関係貧困」、第2部で女性の「時間貧困」を検証・解説し、第3部でその解決のための考察をしている。

 「男性」に付言すると、関係が築けていないのは「頼れる人がいない」ことを示す。仕事から離れてしまうと「相談できるのは妻だけ(相談できる内容に限るけれど)」という状態に陥る。もちろん結婚しなければ妻はいない。先立たれても妻はいない。その結果と思われるが、日本の男性は女性の2倍以上も孤独死し(2017年 東京都23区の統計)、おなじく2倍以上自殺している(2018年 内閣府統計)。

 「女性」について言うと、本当に余裕がない。男性が思っているより数段忙しい。著者は「結婚してキャリアも積んで34歳までに子どもを2人ぐらい」という「モデルコース」を設計しているが、何歳までに○○という計画に追われて、息が詰まる思いがする。1日のスケジュールを見ても、特に母親になると、家族に対するケア労働(労働とみなされないことが多い)のために、家族が起きている間中スタンバイ状態になる。

 それで男性の「関係貧困」と女性の「時間貧困」は関連している。これもごく簡単に言うと、男性が「関係貧困」でも暮らせるのは、女性から時間を奪っているからで、これが「時間貧困」の原因の一つになっている。だからこの問題は両方同時にしか解決しない。それなのに「女性活躍推進」に代表される政策の数々は、男性の問題を置いたままに、この上さらに女性の時間を資源として使おうとしている。...嘆息。

 何気なく手に取った本だけれど、いい本に出合った。

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やばいデジタル 「現実」が飲み込まれる日

書影

著 者:NHKスペシャル取材班
出版社:講談社
出版日:2020年11月20日 第1刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

「立ち止まれない」ことに怖気がした本。

本書は2020年4月に放送されたNHKスペシャル「デジタルVSリアル」の取材班が、番組の内容を軸に放送では伝えきれなかった取材内容を盛り込んだもの。大きく2つのテーマがあり、前半のテーマは「フェイク」、後半は「プライバシー」。「私たちの社会を自由に豊かにしてくれる」と期待していたデジタル技術の、不自由で非民主主義的な側面をあらわにする。

まず「フェイク」から。フェイク情報によって「子どもの誘拐犯」の濡れ衣を着せられ、集団リンチを受けて2人が死亡した、メキシコで実際にあった事件が紹介されている。リンチを加えたのは怒りにかられた市民。「その人たち大丈夫か?」と思う。しかし同様の事件は世界各地で起きている。「日本では起きない」とは言えない。

さらに深刻なフェイクも。「ディープフェイク」という技術を使えば「ある人があることを話しているビデオ」が作れる。見ただけではフェイクと見破ることはできない。今は、女優やタレントの「フェイクポルノ」が問題になっているけれど、「動かぬ証拠」であった動画映像が簡単に作れるのだから、誰かを陥れることも簡単になった。時代はさらに先へ進み、今はそれがビジネスになっているという…暗澹たる気分だ。

次に「プライバシー」。スマホの利用履歴から持ち主の人物像がどの程度分かるか?そんな実験が報告されている。結論から言うと、住所、氏名、職業、趣味、経済状態、異性関係..プライバシーが丸裸にされてしまった。おまけに「新しい仕事を始める」という未来予知まで的中させてしまう。

「まいったなぁこれは」が感想。技術の進歩がこんな息苦しい社会を招くなどと思いもしなかった。もう立ち止まれないのか?

最後に。とても気になったこと。それは、こんな状況を問題だと思っていない人たちが相当数いそうなこと。「フェイク」をビジネスにしているある人物は「ディープフェイクは単なる道具。テクノロジーは進化していかなかればなりません」と言う。別の人物は「フェイクビジネスという新たな道を切り開いてきたことに誇りを持っています」と言う。

プライバシーを丸裸にされた人物も「あの程度なら全然問題ないかな」と言って去っていった。

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13坪の本屋の奇跡

書影

著 者:木村元彦
出版社:ころから
出版日:2019年11月25日 初版発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

「町の本屋さん」がどんどん減っていくのは、Amazonとかのネット書店に押されてだと思っていたけれど、理由はそれだけじゃないんだと気が付いた本。

本書のいう「13坪の本屋」とは、大阪の谷六にある「隆祥館書店」のこと。ノンフィクションを中心に、1つの本で3ケタを優に超える(300冊とか500冊とか)売り上げがある。地元のサントリーの会長であった佐治敬三関連のノンフィクションで、アマゾンも八重洲ブックセンターも抑えて、売り上げの初速が全国で1位になったこともある。

つまりは「メッチャたくさんの本を売る町の小さな本屋」だ。本にする題材としてとても魅力的なお店だけどしかし、本書の焦点はそこには当てていない。焦点が当たっているのは、先代のころから続く、書籍流通の悪弊の解消のための闘いだ。

知っているだろうか?例えば、取次が配本を決めるので、売りたい本があっても小さな本屋には届かない。例の全国で1番売った佐治敬三関連のノンフィクションが文庫化された際に、隆祥館書店には1冊も配本されなかったそうだ。でもこのこと、つまり、小さな本屋には思うようには配本されないことは、知っている人も多いだろう。

では、取次の意向次第で「売りたくない(売れそうもない)本」が、小さな本屋に時には大量に届くことは?(嫌韓本が書店の棚にあふれる理由はこれだった) 売りたくない本でも届いた分は、月末請求で代金を支払わなくてはいけないことは?返品しても、大きな書店は即返金されるのに、小さな本屋は場合によっては1か月先になることは?

会社というのは商品が売れなくなっただけでは倒産しない。資金繰りが滞って債務の返済ができなくなって倒産する。返金が遅れればその間は借金になって、資金繰りを圧迫する。小さい本やにとっては死活問題だろう。「隆祥館書店」はこうした悪弊に異議を唱え続けて、僅かではあるけれど改善を勝ち取ってきた。

後半に収められた、「隆祥館書店」主催の「作者と読者の集い」の講演録も必見。藤岡陽子さん、小出裕章さん、井村雅代さん、鎌田實さんの4人の方のお話がとても示唆に富む。

さて、町の小さな本屋を守りたい、と思うなら何をすればいいか?それを考えねば。

もし「書籍流通の悪弊」に関心があったらこちらの記事も読んでほしい。
なぜ書店にヘイト本があふれるのか。理不尽な仕組みに声をあげた1人の書店主:ビジネスインサイダー

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きみのまちに未来はあるか?

書影

著 者:除本理史、佐無田光
出版社:岩波書店
出版日:2020年3月19日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 「未来はあるか?」と問いかけて、「その未来はあなたがつくる」と呼びかける本。

 地域づくりについて事例を交えて考察する。まず「地域」を取り巻く現状を俯瞰する。国全体は借金が膨らみ、産業は空洞化、そして高齢化が進む。地域(地方)に目を転じると、「消滅可能性都市」として全国の多くの市町村で存続が危ぶまれる。一方、若い人たちの間では「ローカル志向」「田園回帰」などと呼ばれるトレンドも注目されている。

 トレンドは追い風ながら、都市の消費者は「手っとり早い消費」を志向していて、過度の観光地化や不動産開発などの弊害もある。そのような弊害を招かないよう注意しながら、住民間のつながり、土地、自然、まちなみ、景観、伝統・文化などの地域の「根っこ」を意識した地域づくりを提案する。

 「根っこ」を意識した地域づくりの事例として「福島県飯館村」「熊本県水俣市」「石川県金沢市」「石川県奥能登」の4つを挙げる。飯館村は1980~90年代の住民組織の活動。水俣市は水俣病を捉えなおした1990年代の「もやい直し」の運動。金沢市は1960年代から近年まで続く断続的な街づくり。奥能登は2000年代からの里山里海と人材育成をテーマとした活動。

 「意外」というか「面食らった」というか。理由は2つ。ひとつは事例の選定の問題。飯館村は活動で得た多くのものを原発事故で失ってしまっている。水俣市は水俣病という重い負の遺産を抱えた街だ。金沢市は、何度も行ったことがあるけれど、地方の町から出かけていくと繁栄した大都市に見える。一見すると、地域づくりがテーマになるような街の参考にいいのは、奥能登の取り組みぐらいではないか?と思った。

 ふたつめ。本書は「岩波ジュニア新書」の一冊で、私としては「未来はあるか?」という刺激的な問いかけをして、小中学生に何を伝えるのか?という興味を持ったので読んでみた。小中学生を侮ってはいけないけれど、相当の前提知識がないと伝えたいことが伝わらないと思う。繰り返すけれど、小中学生を侮ってはいけないとしてもだ。

 「意外」ではあったけれど、私自身には気づきもあった。それは「多就業スタイルの生活」。奥能登に移住してきた人の例が載っている。漁師の収入だけでは足りないけれど、キャンプ場の管理人や観光協会の事務局や、ダイビングのコーディネートや民宿の手伝いをして補っている。それで「のんびり自然にあわせて暮らし、農漁業が休みになる時期には、年に1回くらい海外旅行に行く」、そんな生活ができる。

 もちろん不安定さはある。でも休む間もなく1つの仕事だけをする、というのは「都市のスタイル」なんじゃないか。「地方には(暮らしていけるだけの収入を得る)仕事がないから」と言って、若者が都会に流れる。それはスタイルが合ってないからなのかもしれない、と思った。

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精神科医・安克昌さんが遺したもの

書影

著 者:河村直哉
出版社:作品社
出版日:2020年1月17日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 今年1月に放送された「心に傷を癒すということ」というドラマで知った安克昌さんのことを、もっと知りたいと思って読んだ本。

 何よりもまず安克昌さんとは。安克昌さんは、1995年1月の阪神大震災において、神戸大学附属病院精神科医局長として、自らも被災しながら、精神科救護所・避難所などで、カウンセリング・診療などの救護活動を行った医師。その後も被災者の心の問題と取り組み続けた。しかし2000年12月に39歳の若さで肝臓がんで亡くなっている。

 著者は新聞社の記者で、安医師(著者に倣って「安医師」と書く)とは震災前から記者と医師として付き合いがあり、震災後は安医師に依頼して、新聞紙面に「被災地のカルテ」という連載を掲載している。おそらくはその過程で、互いに記者と医師という関係を越えた信頼感が生まれたのだろう。安医師の死後にもご遺族との面会を続け、関係者にインタビューを重ね、本書の基になった原稿を仕上げた。

 安医師が残した功績は大きい。昨今の災害時の「心のケア」として取り組まれている活動の多くが、阪神大震災時に安医師ら(安医師個人ではなくて、あの時活動したたくさんの人々)が、暗中模索の中で確立していったものだと言える。本書には、そのことが「被災地のカルテ」などの安医師の文章を引用する形で記されている。

 しかし実は、本書はそのことを多く書いたものではない。本書に書いてあるのは、そうした功績を残した後のことだ。自らの容態を知った安医師が、医師としての責任を全うしながら、どのように家族に寄り添って生きたか。そしてその遺族はどのように「その後」を生きたか。その記録だ。

 読んでいる間ずっと圧倒されっぱなしだった。私は神戸の出身だけれど震災時には東京に住んでいて、震災は「体験していない」。そのことがずっと心の中にわだかまりとしてある。本書にある「同じ体験をした人でないとわからない」という被災者の言葉に少し息苦しくなる。

 実は、先の被災者の言葉に対して「わかりますよ、といったとたんに嘘になってしまう」と、安医師も語っておられた。私などとは比較できないほどの葛藤を抱えておられたのだと知り、決して気が楽にはならないのだけれど、少し視界が広がった。ありがたい。

 最後に。著者は平成14年に原稿を脱稿したものの、ご遺族に配慮して本にはしなかった。それを今年になって本にしたのは「日本に大きな災害が相次いで起こるようになってしまったから」だと言う。「(安医師が)心の傷と癒しについて、とても大切なことを教えてくれているように思う」と。まことにその通りだった。

NHK土曜ドラマ「心の傷を癒すということ」公式サイト

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女帝 小池百合子

書影

著 者:石井妙子
出版社:文藝春秋
出版日:2020年5月20日 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

「経歴詐称は重大なことだけれど、そんなこともかすむ」と聞いて読んでみたら本当にそうだった本。

東京都知事の小池百合子さんの半生を追ったノンフィクション。著者は2018年の文藝春秋に「虚飾の履歴書」という記事を載せて、小池氏の「カイロ大を首席で卒業」という経歴に切り込んでいる。本書の幹の部分はこの経歴疑惑だけれど、根の部分にあたる「幼少期からエジプト時代」、幹から伸びる枝の部分にあたる「キャスターから政治家へ」を加えることで、小池氏の全体像が明瞭な輪郭をもって浮かび上がっている。

本書には小池氏のネガティブ情報が満載だ。「芦屋令嬢」の住まいが阪急電車の線路わきにあったこと。政治家のタニマチを自称する父が大言壮語の末に身上をつぶしてしまったこと。細川護熙、小泉純一郎、 小沢一郎と時の権力者に近寄って自身の地位を固めたこと。頼ってきた人たちへのたくさんの裏切り..。

「カイロ大を首席で卒業」について言えば、小池氏が証拠として提示した「卒業証書」に、成績が「5段階の3番目」と記されている。この卒業証書が仮に真正なものだとしても「首席」ではありえない。文藝春秋の記事が出た後に、都議会でこのことを問われた小池氏は「教授にいい成績だったといわれて嬉しくなって書いた、ということだと思います」と答えている。

まぁネガティブ情報については、誰でも探せば見つかるだろうし、一方からの見方でしかないかもしれない。カイロ大卒業の経歴疑惑も「些細な事」だと片付けることもできるかもしれない。ただ、カイロ大卒業をめぐる小池氏の言動には、彼女の人間性が見える。この人間性はその他の出来事にも通じる。

それは「ウソをつくこと」と「他人を尊重しないこと」だ。ウソは本人にしてみれば、他人を楽しませようとしてついた小さなウソかもしれない。「教授がいい成績だったと言った」を「首席で卒業」と言い換えるウソ。本当だったらいいのに(面白いのに)を、本当のように言ってしまう。この手のウソの例が、本書にはたくさん載っている。

「他人を尊重しない」は、「5段階の3番目」の卒業証書を示しながら「首席」と言い張ることで感じた。「5段階の3番目」だと分からないぐらいの語学力なんじゃないの?という指摘もある。そうであったとしても疑惑に答える証拠なのだから、普通なら何が書いてあるのか確かめるだろう。つまり「どうせ分かりっこない」「分かったとしても大したことない」と軽く見ているのだ。「どうせ大したことない」の例もたくさん載っている。

さて「ウソをつく」「他人を尊重しない」人を、また都知事に選んでいいの?国政に戻る気も満々で、一時は「初の女性首相候補」と言われていたけれど、そんなことに現実味を加えるようなことがあっていいの?

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汚れた桜 「桜を見る会」疑惑に迫った49日

書影

著 者:毎日新聞「桜を見る会」取材班
出版社:毎日新聞出版
出版日:2020年2月10日 第1刷 3月10日 第3刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「そう言えばこのことは何にも明らかにならないままじゃん」と思って読んだ本。

 安倍政権の「桜を見る会」疑惑を、毎日新聞の「統合デジタル取材センター」の記者たちが追った記録。タイトルの「49日」は、共産党の田村智子議員が参院予算委員会でこのことを取り上げた2019年11月8日から、年末の野党の政府ヒアリングが行われた12月26日までを指している。(法要の四十九日とのダブルミーニングがあるのかは分からない)

 11月8日の委員会では、田村議員が「総理、つまり、自民党の閣僚や議員の皆さんは、後援会、支援者の招待枠、これ自民党の中で割り振っているということじゃないんですか。これ、総理じゃなきゃ答えられない!」と迫る。この質問によって安倍首相から「招待者の取りまとめ等には関与していないわけであります」という答弁を引き出している。

 後には、招待者に「首相枠」があり、安倍事務所で招待者と取りまとめていたことも、政府として認めることになる。それでも「内閣官房や内閣府が行う招待者の最終的な取りまとめのプロセスには一切関与していない」と、安倍首相は例によって「ごはん論法」ですっとぼけている。この件ではこれ以外にもあきれるような答弁が繰り返され、様々な疑惑が持ち上がって、何が何だかわかりづらくなっているが、このように整理すると分かりやすい。言うことが整合性を欠いている。

 「様々な疑惑」を例示する。「昭恵夫人は私人なのに推薦枠がある」「料理を提供しているのが昭恵夫人の友人」「800人もの「前夜祭」で明細書が発行されていない」「招待者名簿が議員から請求された当日に破棄された」「データもそのころ破棄された」「サーバーのバックアップは公文書ではない」「整理番号60は何を指すのか、担当者に確認するかどうかも検討中」...。これらも全部本書に網羅されている。

 本書の執筆が終わった2020年1月には、新型コロナウイルス感染症がこんな大きな問題になるとは予想されなかった。感染症の問題と比べると「桜を見る会」は分が悪いように感じる。しかし忘れてはいけない。その意味で、こうして1冊の書籍として、誰もが手に取ることができる形でまとめられている意義はとても大きい。

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新型コロナウイルスの真実

書影

著 者:岩田健太郎
出版社:KKベストセラーズ
出版日:2020年4月20日
評 価:☆☆☆☆(説明)

 やっぱり「本当の専門家」の話を聞くことが大事だよね、と思った本。

 「新型コロナウイルスのことを何か言うなら、これを読んでからにしよう」と言われて読んでみた。

 著者は神戸大学大学院医学研究科の教授。北京でSARSやアフリカでエボラ出血熱の臨床を体験している、感染症の専門家。今の状況下ではその知見はとても大切にされてしかるべきなのに、なぜか評価が分かれている。「ダイヤモンド・プリンセス号」に乗り込んで2時間後に追い出された、という「事件」についての評価が分かれているからだ。(その事件のことも本書に詳しく書いてある)

 本書は5章立て。第一章「コロナウイルスって何ですか?」、第二章「あなたができる感染症対策のイロハ」。この2つは、著者の知識と経験による専門的知見だ。第三章「ダイヤモンド・プリンセスで起こっていたこと」。これは、あの船の中の状況を専門家の視点で伝える貴重な記録。将来の検証に必要なものだと思う。

 第四章「新型コロナウイルスで日本社会は変わるか」、第五章「どんな感染症にも向き合える心構えとは」。この2つは、社会とか人間の心理についての著者の意見で、他の章と比較すると「専門外」と言える。「専門外」であることを認識した上で、私はこの2つの章に強く惹きつけられた。そして、それとともに感染症対策の困難さを感じた。

 例えば第五章の最初の節「「安心」を求めない」。日本では「安全・安心」とひとまとめにして言うけれど、「安全」と「安心」は当然ながら違う言葉だ。「安全」は「危険性が除かれた状態」。危険に対する対策を行うことで、そういう状態は実現するわけで、その意味では「実在する」。それに対して「安心」は、「安心したい」「大丈夫だと信じたい」という「願望」で、リアリティとは離れたところにあって「実在しない」。

 「願望」だから、その人によって求めるものが違う、なかなか満たされない人もいる。誤解を恐れずに言うと「キリがない」と思わされる人もいる。また、必ずしも「安全」でなくても、大丈夫だと信じることはできる。原発の「安全神話」がいい例で、「安全」じゃなかったのに「安心」していたわけだ。

 今の日本の状態は、著者の意に反して「安心」を求めて前のめりになっているように思う。「安心」を求めるあまり「安全」を損なうようなことが起きるかもしれない。心配だ。一方で「「安心」を求めない」でいられるほど、私たちは強くないとも思う。感染症対策の困難さを感じたのは、そのためだ。

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