5.ノンフィクション

あいちトリエンナーレ「展示中止」事件

著 者:岡本有佳 アライ=ヒロユキ
出版社:岩波書店
出版日:2019年11月27日 第1刷 2020年1月15日 第2刷 発行
評 価:☆☆☆☆☆(説明)

「表現の自由」「言論の自由」「○○の自由」は、キチンと対策を立てて対処しないと守れないものなのだと知った本。

本書には昨年の「あいちトリエンナーレ」で何が起こっていたかが克明に記録されている。ずい分と話題になったので必要ないかもしれないけれど、まずは「あいちトリエンナーレ「展示中止」事件」を簡単に振り返ってみる。

2019年に愛知芸術文化センターなどで開催された国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で、その一企画である「表現の不自由展・その後」に対して、開幕の8月1日から多数の匿名の「電凸」による嫌がらせや攻撃があった。それを理由に開催3日後にこの企画は展示中止を強いられた。後に10月8日に展示を再開、閉幕まで6日間の展示を行った。

もう少し細かく言うと、展示中止に至るまでには、河村たかし名古屋市長による展示撤去の要請や、菅義偉官房長官による補助金不交付の示唆などがある。あいちトリエンナーレ(以下、あいトリ)実行委員会の展示中止の理由は、匿名の攻撃、特に放火を示唆するFAXを受け「安全性の確保ができない」こと。

これは表向きの理由で、側面的に(あるいは本当の理由)は名古屋市長や官房長官による「検閲」と捉えられている。つまり「河村市長+管長官+電凸組」対「あいトリ実行委員会(大村県知事+津田芸術監督)+作家」を「表現の自由を侵す側」対「守る側」という対立構造だと考えられている。。

しかし、本書を読んでもっと深く掘ると別の姿が見えて来る。それは、作家とあいトリ実行委員会が対峙する姿だ。あいトリ実行員会には、展示中止の前にも後にも、できることするべきことがたくさんあったのだ。本書はこのことを、一方の当事者である「表現の不自由展実行委員会」によって記録したものだ。

さらに言うと「表現の不自由展実行委員会」は、キュレーターとしての立場でもあって、各々の作品の作家たちと同一ではない。さらにさらに言うと、作家の間(例えば海外の作家と国内の作家)でも、この展示中止に関する態度が違う。実に複雑で錯綜した関係を、私たちは(少なくとも私は)報道を通して、「侵す側」対「守る側」なんて単純に見ていたのだ。なんと浅いことか。

「おわりに」を読むと、展示中止というショッキングな出来事の直後に、「何が起きたのか、しっかり社会に伝える本を作ろう」と著者に伝えた人がいるという。それが本書の編集者らしい。歴史に残る業績だと思う。「おわりに」の冒頭にはこうある。「記録は抵抗のはじまり」。金言だ。

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新聞記者・桐生悠々忖度ニッポンを「嗤う」

著 者:黒崎正己
出版社:現代書館
出版日:2016年12月16日 初版
評 価:☆☆☆☆(説明)

 私は、桐生悠々のことを深くは知らず、浅薄であったな、と思った本。

 タイトルにある「桐生悠々」というのは、明治から昭和初期に活動した石川県出身のジャーナリストの名前。いくつかの職業に就き、いくつかの新聞社で記者として勤めた後、明治43年に信濃毎日新聞社の主筆に就任。一度退社した後に昭和3年に復帰、昭和8年まで同社の主筆を務めた。

 「桐生悠々」の名は、「長野県の近現代史」や「戦争とジャーナリズム」について勉強していると、比較的早い段階で知ることになる。昭和8年に信濃毎日新聞社を退社する原因となった「関東防空大演習を嗤ふ」という社説が有名だからだ。当時、関東一帯で行われた防空演習について、「帝都の空に迎へ撃つといふことは、我軍の敗北そのものである」と、「防空演習なんてしたって意味ないじゃん」と嗤ったのだ。昭和8年は、日本が国際連盟を脱退した年。2年前に起きた満州事変を境に、報道と世論が軍部支持に染められていたころだ。

 前置きが長くなった。しかし、このことは著者が本書を著すきっかけであり、現在と大いに関係がある。2017年に「X国からミサイルが発射され、我が国に飛来する可能性がある」として、全国で避難訓練が行われた。アラートから着弾まで4分とされる中で、頑丈な建物に避難するか、物陰に身を隠す、そうなければ「地面に伏せて頭部を守る」、という訓練だ。もうお分かりだと思うが、「関東防空大演習」と同じかそれ以上に「意味ないじゃん」だ。

 著者は金沢の放送局の現役のディレクターだ。報道に携わる者として、「国難」とまで言って煽って実施された、2017年の避難訓練について、「こんな訓練に意味はあるのか?本当は誰のための何のための訓練だったのか?こんな訓練を各地で繰り広げるより前に、政府がすべきことがあるのではないのか?」と伝えるべきだった(逆に言うと、そういう報道はされなかった)としている。

 著者には「抵抗するものを排除し、安全を理由に自由を規制し、情報を隠蔽する」現在の光景が、桐生悠々の時代と二重写しに見えている。だから桐生悠々を見直すことで、現代日本の危機を浮かび上がらせ、教訓を引き出したい。本書はそんな意気込みがこもった本だ。

 私は「長野県の近現代史」を勉強する中で、桐生悠々の名に出会い、「関東防空大演習を嗤ふ」のことも知っていた。しかし、和たちは浅薄であった。この社説を詳しく読んだことがなかったため、その主張が、主義としての「反戦」より、リアリズムに立ったものであることを、初めて知った。また、信濃毎日新聞退社後も、会員制の個人雑誌を8年間にわたって、29回もの発禁・削除処分を受けながら発行して主張し続けたことも知った。その記事の多くを読むこともできた。よかった。

 最後に。桐生悠々は昭和10年に「第二の世界戦争」を予想し、それが各国国民を挙げての絶望的戦争となり、その悲惨さ故に「「将来戦争は戦われ得ない、少なくとも戦われてはならないことを、人類が痛切に感ずる時期がくる」と記している。(念のため。世界が二度目の世界大戦に突入するのは、4年後の昭和14年(1939年))。完璧な予言だ。しかし「将来戦争は戦われ得ない」の部分の「戦争」を「世界大戦」に限れば、だ。この限定さえも破ってしまうことのないように祈る。

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となりの難民

著 者:織田朝日
出版社:旬報社
出版日:2019年11月8日 初版第1刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 この国はマズいんじゃないかと、本格的に思った本。

 著者は、日本で暮らしている外国人を支援する活動として、外国人収容施設での面会活動などをしている。外国人収容施設とは、出入国在留管理庁(以前の入国管理局)が管理をしている施設で、全国に17カ所ある。そこには在留資格のない外国人「非正規滞在者」が収容されている。

 本書は、著者が支援活動を通して知った、外国人収容施設のヒドイありさまが記されている。そこに実際に行って収容されている外国人と面会して知った「実体験」だけに迫真の報告だ。そしてそればあまりにも痛々しく、そんなことを行う施設と国家に(それは私の国、日本だ)、私は強い怒りを感じる。

 そこでは何が行われているか?収容時にはスマホや病気の薬などの持ち込みが禁止される。持病があっても薬を飲むこともできない。家族や友人への連絡は、KDDIの高いテレホンカードを買って公衆電話からしかできない。外から連絡を取ることはできない。

 刑務所のようだ、と言いたいところだけれど刑務所よりヒドイことがある。刑務所は、裁判を受けて刑期が決まって入る。外国人収容施設は突然に収容が決まる。弁護士も付かず自身を守る方法もなく、身一つで収容される。裁判に相当する手続きもなく、収容期限は決まっていない。いつ出られるのか分からない不安は心身を蝕む。

 とりわけ人道上の問題があって許せないと思うのは医療の問題だ。持病の薬が持ち込めないだけでなく、外国人収容施設では必要な医療が受けられない。著者らの調べでは1997年から2019年の約20年に起きた、入管での死亡事故・事件は18件。うち5件は「医療放置」。「死ぬまで放っといた」ということ。ちなに自殺は6件、餓死が1件...

 「在留資格がないのに在留しているのは法律違反だ」だから当然だ、という声が、ネットを中心にある。しかし、たとえ法律違反でもこれはひどい。それに、望まずにその状態にされてしまった人もいる。母国を追われて日本を頼って来た人が、難民申請をしてもなかなか認められない。認められなければ在留資格もない。その間も場合によっては容赦なく収容される。こんな理不尽なことってある?

 読んだら気持ちが沈むと思うけれど、知っておいた方がいい。私の国の一部分は、紛れもなく「最低」だ。

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ケーキの切れない非行少年たち

著 者:宮口幸治
出版社:新潮社
出版日:2019年7月29日 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 いろいろなことが分かったけれど、これはちょっと重たい問題だと思った本。

 発売されたころに新聞や雑誌などでさかんに取り上げられていたので、帯のいびつな円の「三等分」とともに書名は知っていた。きっかけがあって読んでみた。

 著者は、現在は大学の臨床心理系の教授。前歴は、児童精神科医として病院で勤めた後、医療少年院に法務技官として勤務している。本書は、その医療少年院での勤務経験が元になっている。医療少年院というのは、発達障害や知的障害を持ち非行を行った少年たちの「矯正施設」のこと。

 まずケーキの話から。医療少年院で、ある粗暴な言動が目立つ少年の面接で、円を描いて「ここに丸いケーキがあります。3人で食べるとしたらどうやって切りますか?皆が平等になるように切ってください」という問題を出した。すると少年はまずケーキを縦に半分に切って、その後「う~ん」と悩みながら固まってしまった、というエピソード。タイトルが「~非行少年たち」と複数になっているように、こうした少年(少女も含む)は、医療少年院に大勢いるらしい。

 ケーキが切れない理由は何かと、これの何が問題なのかと言うと「少年たちは、こんな簡単なことも分からない。ちゃんとした教育を受けられなかったこと」ではなく、ましてや「ケーキを切ってもらうような家庭環境になかったこと」なんかではない。(タイトルだけを見て考えると、こんなことを思う人もいそうだけど)

 ケーキが切れない理由は「認知機能に問題がある」からなのだ。そして問題は「この少年たちへのこれまでの支援が役に立たない」ということ。これまでの支援というのは「認知行動療法」と言って、ワークブックなどで思考の歪みを修正して対人関係スキルなどを改善するもの。しかし「認知機能」に問題があれば効果は期待できない。この点については著者からの解決策の提示がある。

 さらに発展した問題。医療少年院や児童精神科に来た少年たちは「発見された」わけで、まだ発見されていない少年たちが存在する。「認知機能」に問題があると、簡単な問題が解けない。想像ができないので、他人の気持ちがわからない。先のことを考えられないので、目標を立てられないし、それに向かって努力もできない。そんな子どもは、本来は支援を必要としているのに、「困った子」「悪い子」と思われている可能性が高い。そして「少年」はいつか「大人」になる

 正直に言って、どう消化していいのか分からない。今は「知ること」で第一歩だと思うしかない。

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帝国の慰安婦

著 者:朴裕河
出版社:朝日新聞出版
出版日:2014年11月30日 第1刷 2015年1月30日 第4刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 いわゆる「慰安婦問題」について、興味がある人は読むといいし、どのような立場であれ発言しようとする人は読むべきだと思った本。

 著者は韓国の世宋大学校日本文学科教授。日本の慶應義塾大学文学部を卒業し、早稲田大学大学院の博士課程を修了。著書や研究で日韓関係について積極的に発言、本書で、アジア・太平洋賞特別賞、石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞を受賞している。ちなみに著者は、本書に先立って同名の書籍を韓国で出版しているが、本書はその翻訳ではなく、著者自身が日本語で書き下ろしたものだ。

 「慰安婦問題」とは、第二次世界大戦中に日本軍が関与し、兵士の性的な相手をした女性たち、特に「朝鮮人慰安婦」に対する人権問題だ。彼女たちは「性奴隷」なのか「売春婦」なのか、「強制連行」だったのか「自発的」だったのか。相反するイメージを持った対立が先鋭化して、解決の糸口が見えない。

 本書はそんな中で、感情や政治的立場を排して、慰安婦自身の声と文献に当たって、事実に忠実にあろうと努めた、孤高の存在と言える。なぜなら著者が言うように「慰安婦問題発生後の研究は発言が(中略)発話者自体が拠って立つ現実政治の姿勢表明になっ」てしまっているからだ。どのようなことを言うにしても「(慰安婦問題を支援するのか否定するのか)どちら側なのか?明確にしろ」という圧力がかかる。

 要約することは難しい。本書を読めば、この問題が大変複雑であり、その複雑さを無視して「性奴隷か売春婦か」「強制はあったのか否か」という、単純化した論争にしてしまったことに、解決の困難さがあることが分かる。要約してはいけないのだ。

 それでも2つだけ。「植民地支配と記憶の戦い」というサブタイトルに関係して。

 一つ目は少女像が象徴し、国連の報告書にも反映されている「慰安婦=強制的に連れていかれた少女」というイメージは誤りだということ。平均年齢が25歳という資料もあり、「自発的」「親に売られた(買ったのは韓国の業者)」というケースもある。でも、これらは韓国の「公的な記憶」の成立過程で、都合が悪いために消し去られてしまっている。

 二つ目。少女だけでないとしても、日本軍による強制がないとしても、その責任が免れるかというと、そうではないこと。なによりも人権を蹂躙したことには変わりない。また、「大日本帝国」と「植民地」という、支配関係の中での出来事であるという文脈から、その「強制性」を検証しなくてはいけない。

 私自身、これまでこの問題をもっと単純化して考えていて、どう受け止めればいいのか分からないことが多い。本書の内容を消化するのに、もう少し時間がかかりそうだ。

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命に国境はない 紛争地イラクで考える戦争と平和

著 者:高遠菜穂子
出版社:岩波書店
出版日:2019年6月5日 第1刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

私は何も知らなかったんだ、と思った本。

著者は、イラクでエイドワーカーとして人道支援の活動をしている高遠菜穂子さん。30代より上の世代には、2004年に起きた「イラク日本人人質事件」で、人質として拘束された女性、と言えば、多くの人が思い出すだろう。今も変わらずイラクで平和のために活動していらっしゃる。

本書は、その著者が、2003年のイラク戦争勃発から現在に至るまでのイラクの現状と、自身の人道支援の取り組みを記したもの。現地に身を置いて、あるいは現地から日本を見て、自身の目と耳で得たこと。それは、私たちが(少なくとも私が)知っていることと、まったく違うことだった。

例えば、イラク戦争は正規軍の戦いが終結した後にも、「武装勢力」と米軍の戦いが長く続いた。ではその「武装勢力」とはどういった人々なのか?イラク軍の残党?地方の軍閥?アルカイダ?そういう人もいただろう。しかし「米軍に殺害された市民の遺族」が、抵抗勢力となったものが数多いのだ。(著者を拘束した武装集団もそうだった)

では、遺族はどうやって生み出されたのか?私の認識では「巻き添え」だ。米軍が言うような「戦闘員だけを標的にしている」という言葉は信じていないけれど、「多少の犠牲は仕方ない」という大雑把な攻撃をして市民にも多くの犠牲が出ている、と思っていた。

ところが例えば、ファルージャではこんなことが起きた。米軍は小学校を占拠。「子どもたちが勉強できないから返せ」と200人ぐらいがデモ行進。米軍はなんと銃撃して20人ぐらいが死亡。こんなことが繰り返されて、米軍側にも犠牲者が出るに至って、米軍は街を封鎖して総攻撃を行う。14歳以上の男性は戦闘年齢にあたるとして街から出ることを許さずに。「虐殺」だ。「巻き添え」なんかではない。

最後に日本について。上に書いたような出来事が進行する最中に、米軍を支援する日本の陸上自衛隊がサマワに派遣される。「人道復興支援」といいながら軍服を着ている。米軍の兵站も担う。当然だけれど「自衛隊」なんて言葉はアラビア語にはない。「日本」がイラク国民からどう見えたか?今もどう見られているか?私たちは「知らなかった」では済まない。「国民として責任がある」なんていう間接的なことではなくて、このままでは私たちが危険だ言う意味で。

本書は、わずか87ページ、わずか620円(+税)。それで大事なことを知ることができる。

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検閲という空気 自由を奪うNG社会

著 者:アライ=ヒロユキ
出版社:社会評論社
出版日:2018年7月31日 初版第1刷 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 プロフィールによると著者は、美術、社会思想、サブカルチャーなどをフィールドに、雑誌、新聞、ポータルサイトなどに執筆しているそうだ。著作や執筆一覧を見ると、「美術」を軸足にした幅広いテーマを扱っている。骨のあるライター、とうところだろうか。

 サブタイトルは「自由を奪うNG社会」。「NG」はもちろん「No Good」。ドラマや映画での演技の失敗を表す言葉だったけれど、最近は「やってはいけないこと」の意味で、一般人の日常生活でも使われる。本書では序章に説明があるて、領域によってさまざまに形を変える、規制、自粛、監視、圧力などの「自由の阻害」を表す言葉を代用する多義的な言葉として、「NG」を使っている。

 例えば、保育所が地域社会から拒絶される「NG」。「平和」「憲法」「原発」が地域社会や公共の場、さらには言論からも締め出される「NG」。戦争加害などの「負の歴史」が排斥される「NG」。これについては公共機関、報道、図書館や美術館、大学での学問まで、広範な「自由の阻害」が起きている。

 本書の目的は、これら様々な領域で起きているNGの、共通する問題を拾い上げて、それを線でつないで、共通の原因と背景を探ること。上の例では現政権の保守的な姿勢と圧力が想起されるが、著者はそのことを厳しく糾弾しながらも、さらにその奥にある要因に迫っていく。

 本書に指摘されるまでもなく、現在の日本はさまざまな自由が阻害され、たいへんに窮屈な社会、領域によっては危機的な状況になってしまっている。しかし「ではどうしたらいいのか?」は、キーワードは示されているけれど、十分には考察できていない。いくつもの二律背反があって、簡単じゃないのだ。それは、これから議論しなくてはいけない。よく整理された本書はその議論の出発点として最適の一冊となるだろう。

 最後に。本書のタイトルは「検閲という空気」だけれど、いま起きている「自由の阻害」は明確な形をとらない曖昧なものだ、例えば「空気」のような。言っても詮無いことだけれど「空気という検閲」というタイトルの方がふさわしいように思う。

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消えたフェルメール

著 者:朽木ゆり子
出版社:集英社
出版日:2018年10月10日 第1刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 昨年の11月に「フェルメール最後の真実」という本を読んだ。実はその前に「上野の森美術館」で開催された「フェルメール展」に行って、9点のフェルメール作品を観てきた。私は、美術展には好きでよく出かけるけれど、美術の専門家ではないし、ましてやフェルメールに詳しくもないけれど、「フェルメール展」をきっかけのに、ちょっと興味が湧いて、本書も読んでみた。

 本書のテーマはフェルメール作品の盗難事件。著者はノンフィクション作家で、美術作品をテーマにした著書が多い。特に「フェルメール全点踏破の旅」「盗まれたフェルメール」「謎解きフェルメール」と、フェルメールに向ける関心には並々ならぬものがあり、本書のテーマの盗難事件についても、長く追い続けている。

 フェルメール作品は、これまでに5回盗難に遭っている。中には2回盗まれた作品もある。5回のうち4回は、大きな損傷を受けたものもあるけれど、作品は戻って来た。本書は残る1回、今もって行方が分からない「合奏」という作品の盗難事件を中心に据えて、他の盗難事件やフェルメール作品の来歴などを、テンポのいい筆致で描く。

 著者の意図とは違うだろうし不謹慎だと思うけれど、読んでいてワクワクしてしまった。かなり詳しく事件の詳細が描かれていて、それはまるで映画の1シーンのようだ。逆の視点から見ると、「名画の盗難」が度々映画やドラマになるのもムリはないと思った。実際の事件がこれだけドラマ性があるのだから。

 本書を読んで思ったことが3つ。

 一つ目は、絵画の周辺には興味深いことが色々とあること。前に読んだ「フェルメール最後の真実」は、作品の「貸し借りを手配する人々」に焦点を当てたものだし、本書は「盗難事件」だ。双方から「作品の来歴」に関する興味も喚起された。

 二つ目は、私が上野で観た絵にはそういう経緯があったのか!ということ。「手紙を書く女と召使い」は、2度の盗難に遭って戻って来た。戻って来た際の修復や検査の度に、新しい発見があったそうだ。後に塗りつぶされたものが発見されたり、透視図法技術に使われた針穴が見つかったり。できればもう一度観たい。

 三つ目は、これから新たなフェルメール作品が見つかるかもしれない、ということ。17世紀に行われた競売の記録に載っている21枚のフェルメール作品のうち3点は「現存しない」。でもどこかに眠っているかもしれない。

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安倍官邸vs.NHK 森友事件をスクープした私が辞めた理由

著 者:相澤冬樹
出版社:文藝春秋
出版日:2018年12月25日 第1刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 今年の5月に「森友学園問題のスクープを連発していたNHK大阪放送局の記者が突如左遷」と、夕刊紙などで報じられた。記事で「A記者」とされていたのが、著者の相澤冬樹記者だ。そう、本書は著者が森友学園問題の取材を始めたころから、夕刊紙で報じられた「左遷」に至るまでの一部始終を記したもの。読み応えあり。

 最初に言っておくと、タイトルの「安倍官邸vs.NHK」は、一旦忘れてしまっていい。もちろん本書を手に取る人の多くは、このタイトルに何かを期待して手に取る。しかしその期待には応えてくれない。安倍官邸がその時何をしたのか?そのことは何も書かれていない。しかし、本書が読者に伝えてくれることは多い。読む価値はある。

 本書に書いてあるのは、森友学園問題について著者が、どのように取材して、それがどのように報じられたか(あるいは報じられなかったか)だ。いつ、だれを、どこで、なにを、どのように、なぜ取材したか。記者が記事の基本を守って書いた文章は、とても読みやすい。

 安倍官邸のことを書いていないのも、この「記事の基本」のためだ。「ウラが取れていない」ことは書かない。著者は自分が取材したり、NHKの中で体験したりして、見聞きしたことしか書かない。一記者である著者には、官邸からの直接の圧力はかかっていなかった。上層部への圧力は推測できただろうけれど、推測は書かない。まぁ書かないことで「NHKの異常さ」が却って際立っているけれど。

 それでも充分だ。森友学園問題でのNHKの報道に疑問を持った人は多いと思うけれど、「あれはこういうことだったのか」と分かる。きちんと報道されなかった事実も多く明らかにしている。また「これは森友学園の事件ではなく、国有地を格安販売した財務省の事件だ」という定義の仕方は、コトの本質を捉えている。

 その後に続いた加計学園の問題や、国会で次々と持ち上がる政府の不誠実な対応に隠れて、森友学園問題は沈静化してしまっている。本書が、真相究明の再スタートとなってくれることを期待する。

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ものがたりのあるものづくり ファクトリエが起こす「服」革命

著 者:山田敏夫
出版社:日経BP社
出版日:2018年11月12日 第1版第1刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 出版社の日経BP社さまから献本いただきました。感謝。

 本書は「ファクトリエ」という、服、雑貨を販売するインターネット通販のブランドを紹介する本。著者の山田敏夫さんは「ファクトリエ」をゼロから立ち上げた人で、本書には、今日に至るまでの苦労とともに、「ファクトリエ」に込めた思いの丈が詰まっている。

 「ファクトリエ」は、店舗を持たない、セールをしない、生産工場を公開する、価格は工場に決めてもらう、という特長をもったブランド。これらは、日本のアパレル業界では異例のことだそうだ。特に生産工場の公開は、タブーとさえ言われる。そして「ファクトリエ」の構想は、このタブーに対する違和感から端を発している。

 著者は、学生時代にパリに留学し、グッチの店舗でアルバイトをした経験がある(この経緯の「力の抜け加減」が、著者の生き方を表している。しなやかで強い)。そこでは商品の一点一点が「自分たちの工房で生まれた」ことに誇りを持っている。ヴィトンもエルメスも工房から生まれた。

 翻って日本では、縫製などを手掛ける工場は、ブランドとの製造契約で「守秘義務」を負っている。ブランドイメージを保ったり、技術の流出を防ぐためだ。しかし黒子の存在では、正当な評価も対価も得られず、海外の安い工場との競争で、国内の縫製工場は疲弊し、急激に数を減らして危機的な状況にあった。そして「どこで作られたか」に関心を持たない消費者は、そのことに気がついてもいない。

 パリのでの経験から「世界に誇れる日本初のブランドを作ってみせる」と誓った著者は、全国の縫製工場を一軒づつ訪問し、「工場発のブランドを直売する」という、著者の構想に賛同する「同志」となってくれる工場を捜すことから始める。先述のように、これは業界のタブー破りになる。だから「同志」というのは大げさな表現ではない。

 そこから年商10億円を超える現在までの、山あり谷ありの一部始終が本書には記されている。この「ものがたり」は、強い引力を持っていて、読む人を惹きつけずにはおかない。

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