7.オピニオン

ほんとうのリーダーのみつけかた

著 者:梨木香歩
出版社:岩波書店
出版日:2020年7月10日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆☆(説明)

 「言葉」に対する著者の真摯な態度に、共感し背筋が伸びる思いがした本。

 出版社の岩波書店のサイトによると、本書の大部分は、2015年に「僕は、そして僕たちはどう生きるか」の文庫の刊行を記念して、20歳までの人を対象に開催された、梨木香歩さんの講演を収めたもの。梨木さんは原則として講演の依頼を受けてこられなかったけれど、当時の社会情勢に強い危機感を抱き「若い人たちに直接メッセージを届けたい」とこの講演を引き受けられたそうだ。

 講演の主題は「社会などの群れに所属する前に、個人として存在すること。盲目的に相手に自分を明け渡さず、自分で考えること」。これを例をあげたり他の書籍を引いたりして、噛んで含めるように語る。私は講演の対象となった「若い人たち」ではないけれど、ゾクゾクするような共感と気付きを得た。

 「共感」は、著者が「日本語」について語る部分で。「大きな容量のある言葉をたいした覚悟もないときに使うと、マイナスの威力を発揮します」と著者は言う。「今までに例のない」「不退転の決意で」など。それほどのこともないのに、大袈裟な言葉を使うと、言葉が張り子の虎のように内実のないものになってしまう。そして「今の政権の大きな罪の一つは、こうやって、日本語の言霊の力を繰り返し繰り返し、削いできたことだと思っています」と続く。

 「気付き」は、「ほんとうのリーダー」について。これは書籍のタイトルにもなっているように、本書のキモなので、ぜひ読んでもらいたい。上の「講演の主題」で書いた「盲目的に相手に自分を明け渡さず、自分で考えること」に深く関わってくる。どうすればそうできるのか?を教えてくれる。

 本書に深く関わりのある本が2つある。一つは講演のきっかけとなった著者の「僕は、そして僕たちはどう生きるか」。もう一つは吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」。この本は1937年、日中戦争に突入しファシズムが世を覆い始めたことに危機感を感じて、若い人に向けて出版されたもの。梨木さんの「僕は~」は、この本の問いかけへの一つの答えの意味合いがある。だから3冊を読んで欲しい。順番は問わない。敢えて言えば本書は70ページと、とてもコンパクトで読みやすい。それで本書を読むと、他の2冊のことが気になって読みたくなるだろう。

 最後に。吉野源三郎の本の出版(1937年)も危機感からなら、著者がに講演を引き受けた(2015年)のも危機感からだ。実は「僕は~」の執筆(2007年)も、本書の刊行(2020年)も危機感からなのだ。1937年はファシズムに対して、2007年は前年の教育基本法の改変に対して、2015年はやはり前年の集団的自衛権行使容認などに対して。そして今年は、新型コロナウイルス感染症下の同調圧力に対して。「自分を明け渡してはいけない」私たちは繰り返し試されている。

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呪いの言葉の解きかた

著 者:上西充子
出版社:晶文社
出版日:2019年5月25日 初版 6月15日 2刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 この本を読んだことで、私も救われることがあるかもしれない、と思った本。

 著者の紹介から。著者は法政大学の教授で労働問題の研究者で、何度か国会で意見陳述もしている。この紹介で何も思い当たらなくても、国会での質疑と答弁を街頭で上映する「国会パブリックビューイング」の主宰者、といえば分かる方がいるかも?「ご飯論法」という用語の生みの親、といえば「へぇ~」と思う人がいるかもしれない。

 その著者が、2018年の通常国会での「働き方改革関連法案」の国会審議に関するツイートを積極的にする中で気が付いたことがある。「野党は反対ばかり」という野党への批判に対し、当の野党側から「賛成している法案の方が多い」という反論がされていることだ。ここは「こんなとんでもない法案に、なぜあなた方は賛成するんですか?」と返すべきだろう、と。

 つまり「反対ばかり」という言葉は、本質的な問題ではない「反対と賛成の割合がどの程度か」ということに、相手の思考の枠組みを縛る効果がある。これに「賛成もしている」と答えるのは、まんまと縛られてしまっている。著者はこの「相手の思考の枠組みを縛る言葉」を「呪いの言葉」と定義。それは相手を心理的な葛藤の中に押し込め、問題のある状態に閉じ込めてしまう。

 本書には「労働をめぐる」「ジェンダーをめぐる」「政治をめぐる」の3分類の「呪いの言葉」を論じている。例えば、労働環境の悪い会社で働く労働者にむけれらる「嫌なら辞めればいい」。この言葉は辞めずに文句を言う者に向けられている。「辞める」か「文句を言わずに働く」の二者択一の思考の枠組みに縛られている。「会社側が労働環境を改善する」が、正しい在り方であるのに。

 「呪いの言葉」→「解決策」の一問一答のようなものではない。少し文章を読み込まないと分からない。それは現実の問題解決の難しさを反映しているのだと思う。実際にはそんなに手軽に解決できない。(実は、本書の企画の元はTwitterの「#呪いの言葉の解き方」というハッシュタグで、そちらの方は一問一答に近い。「大喜利」風で簡単な分、浅薄に感じる)

 それでも、問題解決には遠くても、自分が「呪いの言葉に縛られている」と認識するだけで、袋小路からは脱出して救われることは多いだろう。

 一読をおススメ。ただし、著者の活動を反映した内容もある(多い)ので、「国会パブリックビューイング」や「ご飯論法」を不快に思う人は別。

「呪いの言葉の解き方」まとめサイト

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新型コロナウイルスとの戦い方はサッカーが教えてくれる

著 者:岩田健太郎
出版社:エクスナレッジ
出版日:2020年6月3日 初版第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「サッカーが教えてくれる」ってどういうこと?と思って読んだ本。

 「新型コロナウイルスの真実」で紹介したように、著者の岩田先生は感染症の専門家で、現下の状況で積極的に情報を発信している。私は、その情報発信を追うために著者のTwitterをフォローしているのだけれど、ちょいちょいとサッカーの話題、特にヴィッセル神戸関係のツイートやリツイートが混じる。どうもサポーターの間では「やたらと感染症に詳しい神戸のサポ」認識されていえるそうだ。(「神戸を応援している感染症の専門家」ではなく)

 つまり「感染症に詳しいサッカーファン」の著者が、なかなかうまく伝えられない「新型コロナウイルス」のことも、サッカーに例えて説明すると分かりやすく伝えられるのでは?と考えて記したのが本書(「サッカーが教えてくれる」とは少しニュアンスが違う)。例えば感染症対策には「ゾーニング」とう概念がある。サッカーにもディフェンスの時に「ゾーンで守る」という考え方がある。

 著者の目論見どおりに、サッカーを知っている人には、本書はとても分かりやすい。裏を返せばそうでない人にはピンとこない、ということになるのだけれど、そう心配は要らない。詳しくなくてもいい。「知っている」ぐらいで大丈夫だ。例えば「ロングシュート」が「ゴールの遠くから打つシュート」、「スライディング」が「足から滑り込んで相手からボールを奪おうとすること」だって分かれば全然問題ない。

 この2つを使って新型コロナウイルスのことを説明する。「可能性はゼロではないから、できることはすべてやる」は、入るかもしれないからと言ってロングシュートを打ちまくるのと同じ。「片っ端から検査をして陽性者見つけ出す」は、まだ自陣のゴールからは遠いのに、相手にスライディングをしまくるようなもの。

 多くの人は分かったと思うけれど、一応説明する。どちらも「ムダなことはしない方がいい」ということ。かつては「とにかく止まらないで試合中は走り続けろ!」という、サッカーの指導者もいたようだけれど、休める時に休まないのは、ただ体力を消耗しているだけだ。感染症対策に限らず一般的に、合理的であろうとすると「さぼっている」と言われて悪者扱いされがちだけれど、それでは必要な時に力を発揮できない。

 このように紹介すると、著者は楽観的で「もっとユルくても大丈夫」と言っているように感じるかもしれない。しかしそこは感染症の専門家であり、締めるべきところに妥協はない。そのこともとても参考になるので、一読をおススメ。

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きみのまちに未来はあるか?

著 者:除本理史、佐無田光
出版社:岩波書店
出版日:2020年3月19日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 「未来はあるか?」と問いかけて、「その未来はあなたがつくる」と呼びかける本。

 地域づくりについて事例を交えて考察する。まず「地域」を取り巻く現状を俯瞰する。国全体は借金が膨らみ、産業は空洞化、そして高齢化が進む。地域(地方)に目を転じると、「消滅可能性都市」として全国の多くの市町村で存続が危ぶまれる。一方、若い人たちの間では「ローカル志向」「田園回帰」などと呼ばれるトレンドも注目されている。

 トレンドは追い風ながら、都市の消費者は「手っとり早い消費」を志向していて、過度の観光地化や不動産開発などの弊害もある。そのような弊害を招かないよう注意しながら、住民間のつながり、土地、自然、まちなみ、景観、伝統・文化などの地域の「根っこ」を意識した地域づくりを提案する。

 「根っこ」を意識した地域づくりの事例として「福島県飯館村」「熊本県水俣市」「石川県金沢市」「石川県奥能登」の4つを挙げる。飯館村は1980~90年代の住民組織の活動。水俣市は水俣病を捉えなおした1990年代の「もやい直し」の運動。金沢市は1960年代から近年まで続く断続的な街づくり。奥能登は2000年代からの里山里海と人材育成をテーマとした活動。

 「意外」というか「面食らった」というか。理由は2つ。ひとつは事例の選定の問題。飯館村は活動で得た多くのものを原発事故で失ってしまっている。水俣市は水俣病という重い負の遺産を抱えた街だ。金沢市は、何度も行ったことがあるけれど、地方の町から出かけていくと繁栄した大都市に見える。一見すると、地域づくりがテーマになるような街の参考にいいのは、奥能登の取り組みぐらいではないか?と思った。

 ふたつめ。本書は「岩波ジュニア新書」の一冊で、私としては「未来はあるか?」という刺激的な問いかけをして、小中学生に何を伝えるのか?という興味を持ったので読んでみた。小中学生を侮ってはいけないけれど、相当の前提知識がないと伝えたいことが伝わらないと思う。繰り返すけれど、小中学生を侮ってはいけないとしてもだ。

 「意外」ではあったけれど、私自身には気づきもあった。それは「多就業スタイルの生活」。奥能登に移住してきた人の例が載っている。漁師の収入だけでは足りないけれど、キャンプ場の管理人や観光協会の事務局や、ダイビングのコーディネートや民宿の手伝いをして補っている。それで「のんびり自然にあわせて暮らし、農漁業が休みになる時期には、年に1回くらい海外旅行に行く」、そんな生活ができる。

 もちろん不安定さはある。でも休む間もなく1つの仕事だけをする、というのは「都市のスタイル」なんじゃないか。「地方には(暮らしていけるだけの収入を得る)仕事がないから」と言って、若者が都会に流れる。それはスタイルが合ってないからなのかもしれない、と思った。

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新型コロナウイルスの真実

著 者:岩田健太郎
出版社:KKベストセラーズ
出版日:2020年4月20日
評 価:☆☆☆☆(説明)

 やっぱり「本当の専門家」の話を聞くことが大事だよね、と思った本。

 「新型コロナウイルスのことを何か言うなら、これを読んでからにしよう」と言われて読んでみた。

 著者は神戸大学大学院医学研究科の教授。北京でSARSやアフリカでエボラ出血熱の臨床を体験している、感染症の専門家。今の状況下ではその知見はとても大切にされてしかるべきなのに、なぜか評価が分かれている。「ダイヤモンド・プリンセス号」に乗り込んで2時間後に追い出された、という「事件」についての評価が分かれているからだ。(その事件のことも本書に詳しく書いてある)

 本書は5章立て。第一章「コロナウイルスって何ですか?」、第二章「あなたができる感染症対策のイロハ」。この2つは、著者の知識と経験による専門的知見だ。第三章「ダイヤモンド・プリンセスで起こっていたこと」。これは、あの船の中の状況を専門家の視点で伝える貴重な記録。将来の検証に必要なものだと思う。

 第四章「新型コロナウイルスで日本社会は変わるか」、第五章「どんな感染症にも向き合える心構えとは」。この2つは、社会とか人間の心理についての著者の意見で、他の章と比較すると「専門外」と言える。「専門外」であることを認識した上で、私はこの2つの章に強く惹きつけられた。そして、それとともに感染症対策の困難さを感じた。

 例えば第五章の最初の節「「安心」を求めない」。日本では「安全・安心」とひとまとめにして言うけれど、「安全」と「安心」は当然ながら違う言葉だ。「安全」は「危険性が除かれた状態」。危険に対する対策を行うことで、そういう状態は実現するわけで、その意味では「実在する」。それに対して「安心」は、「安心したい」「大丈夫だと信じたい」という「願望」で、リアリティとは離れたところにあって「実在しない」。

 「願望」だから、その人によって求めるものが違う、なかなか満たされない人もいる。誤解を恐れずに言うと「キリがない」と思わされる人もいる。また、必ずしも「安全」でなくても、大丈夫だと信じることはできる。原発の「安全神話」がいい例で、「安全」じゃなかったのに「安心」していたわけだ。

 今の日本の状態は、著者の意に反して「安心」を求めて前のめりになっているように思う。「安心」を求めるあまり「安全」を損なうようなことが起きるかもしれない。心配だ。一方で「「安心」を求めない」でいられるほど、私たちは強くないとも思う。感染症対策の困難さを感じたのは、そのためだ。

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なんのために学ぶのか

著 者:池上彰
出版社:SBクリエイティブ
出版日:2020年3月15日 初版第1刷 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 「どうして勉強しなくちゃいけないの?」に、何にでも詳しい池上彰さんなら何と答えるのだろう?と思って読んだ本。

 帯には「この難問に池上彰が真正面から答えます」とある。いきなり落胆させてしまうけれど、「なんのために学ぶのかというと、それは○〇のためです」という「真正面」からの答えは本書の中にはない。その代わり、著者が何をどのように学んで、それがどのように役立ったか、といったことが書いてある。そこから「なんのために学ぶのか?」を、読者が自分で導き出す、あるいは感じる必要がある。本書は元々は大学で行われた講演らしい。

 全部で5章ある。第1章は、学び全般についての「勉強が好きじゃなくてもいい」。第2章は、学校での学びについての「どうして勉強しなくちゃいけないの」。第3章は、著者の経験を披露した「失敗・挫折から学ぶ」。第4章は、読書についてと推薦本の紹介の「読書が好き」。第5章は、再び学び全般についてのまとめ「生きることは学び続けること」

 章に分かれてはいるけれど、内容にはオーバーラップが多く、大まかに2つのことを繰り返し繰り返し伝えている。一つは「知識は、すぐには役に立たなくても、いつか役に立つかもしれない」こと。例えば著者は、因数分解がニュース解説に役に立っているそうだ。世界史の勉強が思わぬ形で取材で役立ったこともある。シェイクスピアが人間関係をよくしたこともある。

 もう一つは「自ら問題意識を深め、得た知識を基に自分の頭で考える」こと。世の中に出たら誰もが認める正しいことというのはなかなかない。そうした問題に立ち向かうために「この人はこう主張している。だけど本当だろうか?」と、自分の頭で考えることが、そうしたことの訓練が必要、というわけ。

 大学での講演だけあって、学生さんには最適な話だ。もちろん、そうした訓練ができていない大人が大量にいる(と思わざるを得ない)現状を鑑みれば、大人にも聞いてもらいたい。正直に言うと、著者が言っていることは、個別の事例を除けばそれほど目新しいことはなく、むしろありきたりで既視感があるのだけれど、大事なことだから何度でも繰り返し言ってもいい。

 印象に残った言葉。学んで得たことは「決して人から盗まれることのない財産です」

 と、まとめたところで再び既視感。その既視感の元は突き止められなかったけれど、それを探る過程で検索していて分かった。著者がフィリピンで聞いたというこの言葉は、「教育」「知識」の重要さを語る時に、とてもよく使われていた。これまでに様々な国籍の様々な人が口にしている。こちらは「ありきたり」と言うより、世界共通の「真理」なのだろうな、と思った。

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サル化する世界

著 者:内田樹
出版社:文藝春秋
出版日:2020年2月28日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 この人のお話をじっくり聞きたい、こちらからもお話をさせてもらいたい、そう思った本。

 著者がブログに書いた記事などをまとめた本。「サル化する世界」は、冒頭の記事のタイトルでもあり、その記事で著者は、ポピュリズムを「「今さえよければ、自分さえよければ。それでいい」という考え方をする人たちが主人公になった歴史的過程のこと」と言う。その「今さえよければいい」という思考を、「朝三暮四」のサルに例えて、それで「サル化する世界」というわけ。

 一応「朝三暮四」の故事成語について。春秋時代にサルを飼う人がいて、朝夕にトチの実をやるのに、「朝に3つ、夕に4つ」と言ったらサルたちが怒り出した。そこで「朝に4つ、夕に3つ」と変えたらサルたちが大喜びした。そういう話。「目先の違いにとらわれて、結局は同じであることを理解しない」またそうやって人を欺くこと、という意味がある。

 記事のテーマは多岐にわたる。「民主主義」「中国」「韓国」「敗戦」「AI」「教育」「高齢者問題」「貧困」「雇用」...巻末にはグローバル化をテーマにした堤未果さんとの特別対談が収録されている。テーマは多岐にわたるけれど、どれにも「朝三暮四のサル」的な思考の蔓延に通じる。このタイトルを付けた人のセンスに敬服する。

 たくさんの気付きがあったけれど、深く共感して心に残ったことをひとつ。それは「優劣を比較する対象があるとしたら、それは「昨日の自分」」ということ。

 よく知られていることだけど、著者は大学の名誉教授であると同時に武道家でもある。300人ぐらいの門人を抱える、合気道の道場を構えている。門人たちを比べて、この人の方がこの人より巧い、というようなことは「考えたこともない」そうだ。修業上にそんなことは何の意味もないからだ。

 話は私事になるけれど、私は「希望する人は全員が大学教育を受けられるように」という政策が実現すればいいと思っている。その話を誰かにすると、かなりの確率で「大学を出ても使えない人もいるし、高卒でも優秀な人はいる」という話が返ってくる。

 ダメな大卒とデキる高卒を比べても意味がない。比べるなら、同じ人が高卒で社会に出た時と、大学教育を受けて社会に出た時を比べないと...と言うのだけれど、これまたかなりの確率で分かってもらえない。だから内田先生のこの話「わが意を得たり」の想いがした。

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教育格差のかくれた背景

著 者:荒牧草平
出版社:勁草書房
出版日:2019年8月20日 第1版第1刷 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 昨今メディアで「教育格差」や「教育格差の固定化」が話題になることがある。教育格差とは「生まれ育った環境により受けることのできる教育に格差が生まれること」。これまでは「環境」として、「親の収入や学歴、職業」という「核家族の範囲内」に限定して議論されているが、もっと広い範囲で「環境」を捉えなければいけないのではないか?ということが、本書の問題提起。

 その「広い範囲」がサブタイトルにもなっている「親のパーソナルネットワーク」。具体的に言えば、「親戚」「友人」「知人」といった人々のこと。祖父母やオジオバ、キョウダイ、ママ友、職場の同僚、等々。本書では、これらの人々の影響がどの程度あるのか?を調査データで検証する。※長幼や性別で漢字が違う続柄はカタカナで表している。

 興味深い結果が導き出された。「世帯年収」や「親の学歴」よりも、「親戚・友人・知人の学歴」「周囲の高学歴志向」の方が、母親の高学歴志向に与える影響が大きい。なお、本書では、データとして使う「子育てに関する調査」に母親が回答していることが多いため、途中から「母親」に焦点を当てた考察になっている。

 もちろん「世帯年収」や「親の学歴」も学歴志向と関連する。しかしそれは、年収や学歴によって「親のパーソナルネットワーク」を構成する人々の属性が異なることに起因する。つまり、「世帯年収」や「親の学歴」は、学歴志向に直接的に関連するのではなく、「友人や知人の選択」を通して間接的に関連すると、本書では見ている。

 実は私は、「教育格差のかくれた背景」として「地域差」についても書かれているかと期待して読んだのだけれど、それについては何も言及がなかった。そのことを別にすれば、考察自体は「そうかもな」と思うものだった。大学への進学の有無について身の周りのことを考えれば、「世帯年収」が大きな要因になっているようには思わない。また、私の父は国民学校卒、今で言えば中卒だけれど、私は大学に行かせてもらった(本当に「身の周り」の一例で恐縮だけれど)。

 補足。本書の考察の目的は、教育格差の解消の有効な政策立案のために、そのメカニズムを明らかにすること。貧困問題と絡めた、「収入」に焦点を当てた現在の政策では不十分ではないか?という疑問への答えを導くことだ。

 その結果「収入」よりも「ネットワーク」ということが分かったわけだけれど、本書には足りない視点がある。本書では「学歴を選択できる」ということが暗黙の了解で、「選択できない層がある」という視点がない。ここに着目すればやはり「ネットワーク」よりも「収入」、ではないかと思う。

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タテ社会と現代日本

著 者:中根千枝 構成:現代新書編集部
出版社:講談社
出版日:2019年11月20日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 著者の中根千枝さんには「タテ社会の人間関係」という名著がある。1967年刊行で発行部数は100万部を超え、今でも売れ続けているロング&ベストセラー。現在50代の知り合いは、35年も前の社会学部の学生時代にゼミのテキストとして読んだ、と言っていた。

 ロング&ベストセラーである理由は、この本がその時の社会のありようだけではなく、日本の社会の背後にある構造を、見事に言い表したからだ。その構造は、集団に属する期間の長短による序列意識に基づく「タテの関係」が形作る。また、その構造は今も大きく変わっていないからだ。

 前置きが長くなったけれど、本書について。本書は「タテ社会の人間関係」を解説し、その知見をもとに現代日本の諸問題を読み解いてみる、という試み。非正規雇用、長時間労働、いじめ問題、孤独死、女性活躍、などがテーマとして取り上げられる。

 「なるほど」と思うことがないことはないけれど、多くに納まりの悪さを感じた。例えば「非正規雇用」について。これを「早い段階で安定したかたちで属している」というステータスを維持したい、という正規雇用の人の意識で説明している。正規が上、非正規が下、という「タテの関係」によって、正規と非正規が「区別できてしまう」から起きる、と言う。

 しかし、非正規雇用の問題は、主として不安定な上に低賃金の雇用形態にあって、職場での正規雇用の人との関係性や「区別」の問題は、あるとしても付随的なことだと思う。現代日本の諸問題を「タテの関係」で読み解く、ということに拘泥して、適切でないテーマを料理してしまっている気がする。

 本書の巻末に、前著「タテ社会の人間関係」の元となった60ページあまりの記事が、付録として付いている。これを読むと、前著は確かに名著のようなので、現代社会のことはそれを読んで自分で考えた方かいいのでは?と思う。

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女性のいない民主主義

著 者:前田健太郎
出版社:岩波書店
出版日:2019年9月20日 初版
評 価:☆☆☆☆(説明)

 女性を登用しない「実力主義」が、男性優位のルールによるまやかしであったことが分かった本。

 本書の発端の問題意識はこうだ。日本は民主主義の国であるとされている。「民主主義」は「人民が主権を持つ」ことを表し、その「人民」には男性も女性もいる(この枠にはまらない性的少数者も)。であるのに、日本では圧倒的に男性の手に政治権力が集中している。それはなぜなのか?さらに「それにも関わらず、日本が民主主義の国、とされているのはなぜなのか?」

 著者は「これは「政治学」の性格の問題で、こんな疑問を持たなかったぐらいに、著者を含めた政治学者は、女性がいない政治の世界に慣れきってしまっていた」と言う。それによって何か重要なものが見えなくなっているかもしれない。本書は、その「見えなくなっているかもしれない」ものを可視化する試みだ。

 そのために、本書ではジェンダーを「争点」ではなく「視点」として位置付ける。補説すると、「経済」「環境」「人権」「安全保障」などの争点の並列項目ではなく、あらゆる政治現象の説明に用いる「視点」とする、ということ。そうすれば「福祉」が「男性が稼ぐ」モデルを基にしていることが明確になるし、「選挙」において女性候補者が立候補できない理由も浮き彫りになる。

 ひとつ「あぁそういうことか」と思ったことがある。「男性らしく、女性らしく」というジェンダー規範は、二重構造になっている、と言う指摘。例えば企業において「積極的」な社員を高く評価するとする。一方で「男性らしく」に「積極的」、「女性らしく」に「控えめ」という規範があれば、企業としては男女を差別していなくても(いないつもりでも)、男性を優遇する結果になる。

 「差別しているつもりはない」。こういう話題で男性の答えにありがちな言葉だけれど、二重構造のために見えなくなっているだけで、差別になっていることはたくさんあるのだろう。そういう例が本書にたくさん載っている。資本主義という体制自体が、「競争」が原理的の組み込まれている以上、ジェンダー規範に従うと女性は評価されにくい。女性は、不平等なルールのゲームに参加させられているようなものだ。

 最後に。以前読んだ同様のテーマの「日本の女性議員 どうすれば増えるのか」では不調であった「女性議員と男性議員の政策志向の違い」の論考は、本書では見事に証明されている。いい仕事をしたと思う。

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