9.その他

エレガントな宇宙―超ひも理論がすべてを解明する

書影

著 者:ブライアン・グリーン 訳:林一、林大
出版社:草思社
出版日:2001年12月25日第1刷 2002年1月28日第7刷
評 価:☆☆☆(説明)

 超ひも理論を豊富な例え話を交えての解説を試みた本。著者は、超ひも理論の新鋭理論物理学者。難解な理論を普通の言葉で語れる数少ない1人とされている。本書も全米でベストセラーになっているらしい。

 ベストセラーはホントだとして、本書の内容が読者に理解できたのかどうかは、非常に疑わしい。超ひも理論の奥深さに似て、本書の内容も奥深く、いかに「普通の言葉」で語られようと、難解であることには違いないからだ。

 しかし、本書の約1/3を占める第2部までは、今までに無い明快さで相対性理論と量子物理学が語られている。特に、相対性理論による時空の解説が良く分かる例え話とともに秀逸だと思う。
 残念なことに、良く分かるここまでは、超ひも理論の解説に入る前段階、本書の主たるテーマではない。テーマではないが、アインシュタインの相対性理論に興味がある、興味があっていくつか本を読んでみたが分からなかった、という方には、ここまでだけでもおススメしたい。

 残る2/3の部分も、4次元以上の空間次元を頭の中で想像できれば、少し分かる。逆に言えば読者にはそうした想像力が要求されることになる。著者自身も「かなり難解なのでうんざりなさらないように」と書いている部分があるほどだ。すべてを理解しようと力まない方が読み進められる。

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図解雑学 超ひも理論

書影

著 者:広瀬 立成
出版社:ナツメ社
出版日:2006年11月27日初版
評 価:☆☆(説明)

 テレビで、宇宙の成り立ちを解き明かす究極の理論として「超ひも理論」を紹介していた。それを観たときには少しわかったような気がした。だから、本を読んでもっと良く知ろうと思って本書を手にした。

 結論から言えば、私向きの本ではなかったようだ。超ひも理論のおぼろげな形を掴むことさえできずじまいだった。
 本書は、「図解雑学」というシリーズの1冊で、その他には「人体の不思議」や「世界の歴史」など、自然、社会、人文科学のテーマが50あまり並んでいる。本書のテーマ「超ひも理論」はかなり難解な部類に入るだろう。
 左ページに解説、右ページにはその説明図、という構成で、平易な説明をしよう、という意思が、この構成からも文章からも伝わる。それでも難しかった。

 量子力学と相対性理論の概略から始まって、この相対する2つの理論の統合の道のりが丁寧に説明されている。これが今の科学のあり方なのかもしれないが、「相反する理論A(例えば量子力学)と理論B(例えば相対性理論)が、ともに正しいとすると、こうでなければうまく説明できない。→であれば、こんなものが存在するはずだ」という、哲学のような論理展開が多い。
 そして、理論的に存在を予言されたものを実験で発見できれば、理論の正しさが証明された、となるわけだ。これは良いのだけれど、実験で裏付けられていない物質は「まだ発見されていない」という言い方をするらしいが、これには違和感がある。理論に誤りや見逃しがあったら一生見つからないのではないか?
 また、今はないけれど、「ビッグバンから10の-44乗秒後から10の-36乗秒後までの間には存在した状態」なんてことを、サラッと言われてもついていけないし、そんな一瞬以下の時間に意味があるようにも思えない、なんて思ってしまうのは、私が科学者ではないからか?

 そもそもは、テレビでは「超ひも」は、10次元、11次元の世界に存在する、ひも状の振動だと言っていた。そして、多次元の存在であることを、パラレルワールドの考え方と関連付けていたので、興味を持ったのだ。これについては、本書からは得るものはなかった。テレビがテレビ特有の味付けで「超ひも」を料理してしまっていたのかもしれない。

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大人になると、なぜ1年が短くなるのか?

書影

著 者:一川誠、池上彰
出版社:宝島社
出版日:2006年12月30日第1刷
評 価:☆☆(説明)

 著者2人は、それぞれ認知科学者と、元NHK記者のジャーナリスト。2人の対談をまとめて出版した形。

 認知科学者である一川誠氏は、山口大学の「時間学研究所」のメンバーである。「時間学」なる学問が確立されているとは思わないが、心理学や物理学から、文学、考古学、哲学といった様々な学問の学際的研究によって、時間に関する学問の価値創造を行っているらしい。この取り組みは面白いと思う。

 前半は、一川氏の専門である認知科学の面白い事例が紹介されていて、「へぇ」と思わせてくれる。人間は実は見たもののほとんどを覚えていない、とか。例えば、見知らぬ人に道を聞かれて、途中で道を聞いた人が入れ替わっても、半数以上の人は気付かない、といった実験。また、同時に光っても、動いている光点は実際より先に進んで見えてしまう「フラッシング効果」も興味深い。サッカーのオフサイドは、この錯覚のために正確な判定は難しいそうだ。

 後半になってタイトルの「大人になるとなぜ1年が短くなるのか」の話題になる。しかし、これに対しては、期待を満たすような回答はない。「子どものころは変化に満ちていて、運動会や遠足などイベントが多くて充実しているからではないか」などと、普通に思いつくようなことが言われているだけだ。これについての学問的検証もない。対談で出てきた話題の中で、ウケそうなものをタイトルにしただけではないのか?

 ただし、「大人になると…..」という話のくだりではないのだけれど、「1,2,と、カウントしないで自分で1分を測ることで、代謝の良い悪いが分かる」ということが紹介されていた。
 代謝が良いと実際より早く1分だと感じてしまう、悪いと遅く感じる。子どもの頃は代謝が良いので、自分は1分経ったと思っても45秒だったりするわけだ。これなら、子どもの頃は時間がゆっくり流れるように感じるはずで、この説明なら何とか学問的かもしれない。

 タイトルに対する明快な解や研究を期待すると裏切られてしまうが、時間に関する興味深い話を仕入れることはできる。

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時間はどこで生まれるのか

書影

著 者:橋元淳一郎
出版社:集英社
出版日:2006年12月19日第1刷 2007年1月30日第3刷
評 価:☆☆(説明)

 本書が目的としているのは、現代物理学を踏まえた時間論の展開。それも、過去・現在・未来といった主観的な時間の観念がどこから発生しているか、というもの。
 これは、哲学の範疇の命題として捉えられることが多いがテーマなのだが、それを現代物理学の観点から捉えようという意欲的なものだ。

 しかし、意欲は善しとしても、結果的にはその目論見はうまくいかなかったようだし、私には合わなかった。著者も「読み飛ばして結構」と書いているが、6割は現代物理学の解説に割いてしまっているし、これが難解さをぬぐえない。
 原子のレベルのミクロの世界では、色や温度という概念が消滅してしまうように、時間や速さといった概念もなくなってしまう。少なくとも、過去や未来といった主観的な概念はない。ということを何度も繰り返し説明される。
 量子物理学の世界では常識なんだそうだが、専門外の者にとってはすぐには胸に落ちない。非常に短いかもしれないけれども、我々が感じる時間の断片は、原子レベルでも存在するはずだと、私は思う。
 しかし、それでは説明できない実験結果がある(らしい)。だから、「原子レベルでは時間は存在しない」という結論になっているそうだ。しかし、これって証明の仕方として問題はないのだろうか?
 「無い」ことを証明するのは、「有る」ことを証明するのより何倍も難しいということは分かる。しかし、「有る」ということにすると説明ができないからと言って、「無い」ことの証明には不足だと思うがどうか。見落としている新事実があるかもしれないのだから。私などより、よほど論理的だと思われる科学者たちは、こういう論法を素直に受け入れられるのかな。

 話が脇にそれてしまったが、タイトルの「時間はどこで生まれるのか」について。これは、「エントロピー増大の法則によって無秩序に向かう世界に抗して、生命という秩序を守る意思が時間を生み出した」というのが本書の解答である。
 自らが意思を持つことによって未来が生まれる。それが主観的な時間概念になる、というわけだ。まぁ、こういう結論もアリでしょう。しかし、現代物理学を持ち出す必要はなかったんじゃないでしょうか?
 

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反社会学の不埒な研究報告

書影

著 者:パオロ・マッツァリーノ
出版社:二見書房
出版日:2005年11月25日初版
評 価:☆☆☆(説明)

 同じ著者による「反社会学講座」の続編。どうして出版社が変わったのだろう?
 今回は、前著のような「社会学のいい加減さを斬る」というような趣は影を潜め、世の中の気になったことを1つづつ取り上げて料理してみようといった感じ。
 ネタは広範囲に及ぶし、「おもしろければなんでもアリ」と、著者も言っている通り、面白みというか雑学的な楽しみはあるしで、前著より楽しめる。
 しかし、どこかで披露して「へぇ~」と言われる以上には得るものはあまりない。

 冒頭の「統計奇譚」では、社会問題として語られる論説の多くは、個人的かつ感情的な意見で、それを客観的かつ科学的な学説に格上げするために、世論調査や意識調査をする、と言っている。
 そして、その調査の例で、3,4日前の選挙選挙に「投票した」と答えた、250人中41人が実際には投票していなかった、というものを紹介していた。どうしてウソをつくのか?と思うが、15%もの人がウソの答えをするかもしれないのでは、調査もそれから導かれる結果も信用ならない。確かなものなどないのだ。

 「武士道」に関するくだりでは、著者の新渡戸稲造は、外国向けに紹介するために書いたもので、武士道を日本に再興しようなんて意図はなかったのだとか。本人は、武士道やそれを振りかざすうすっぺらな言説に対する鋭い批判的な主張も多くしていて、今の愛国心を巡る現状も、もし生きていればきっと苦々しく思っているだろうと、著者は言う。
 「武士道とは死ぬことと見つけたり」と言う「葉隠」にしても、そう言う傍らに「無理してイヤなことはせず、好きなことをやって暮せ」とも書いているんだって。

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反社会学講座

書影

著 者:パオロ・マッツァリーノ
出版社:イースト・プレス
出版日:2004年6月23日第1刷 2004年10月5日第6刷
評 価:☆☆☆(説明)

 著者の素性は不明。恐らくはどこかの大学の社会学の先生なのだろう。何しろ、膨大な資料を読み込んでいる。これだけの資料・文献にアクセスでき、情報を整理して結論を導き出すのは、誰にでもできることではない。社会学の専門家に違いない。
 このような作業を経て、著者が全20回の講座で明らかにしたことは全て、世の中で社会学、統計によって語られている言説への反証だ。

 世の中で心配されている少年犯罪の増加も、フリーター・ニート問題も、少子化もすべて社会学によるトリックで、スーペーさん(超悲観主義者:スーパーペシミストと著者は呼んでいる)と、問題がないと困る官僚などによるでっち上げだと言い切る。
 社会学の手は、世の中の出来事に対して、「ある仮説を立てる→調査によって証明する」という方法であり、実験による証明は難しい。そうである以上、仮説を証明するための都合のよい調査結果だけを取り上げてしまう過ちから無縁ではいられない。意図的に行えば、どんなでっち上げの結論も導き出せる。
 このような手法で、いろいろな言説の裏付けがなされていると、著者は主張している。しかし、著者の反証の方法も、同じ手法から一歩も出ていないのだが、これも仕方ないことか?

 そんな中で、冒頭の少年犯罪の増加についての記述は秀逸だと思う。平成元年からの少年凶悪犯罪のグラフを見ると2倍の増加、ということになる。しかし、その左、つまり過去をグラフに付け足すと、昭和35年ごろに今の3倍以上を記録していて、以降全般的には下降傾向にありることが分かる。少年犯罪の増加を主張する人々やメディアは、グラフの右端部分を拡大することで、未曽有の事態が起きていることを演出したのだ。

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「学級」の歴史学

書影

著 者:柳治男
出版社:講談社
出版日:2005年3月10日発行 2005年6月7日2刷
評 価:☆☆☆(説明)

 副題は「自明視された空間を疑う」 つまり、学校の中の学級という装置について考え、「生徒はおとなしく先生の言うことを聞く」などの決まりを、当たり前の事とするのではなく、もう1度考え直す、ということだ。
 著者は、この論の展開のために、近代の学校と学級の成立過程から解き起こしている。学校は、19世紀初の英国で始められた教育システムがその起こり。3R’s(Reading, wRiting, aRithmetic) つまり、「読み書き計算」を、効率的に教える仕組みとして始められている。そこには、個性の尊重も、道徳さえも考慮されていない。同時期に英国で起こったパックツアーと同様に、個々人の希望を制限することで、事前に決められた内容を効率的に消化するしくみだったのである。

 元々がそういうものだったのだから、現在の個性尊重の教育が行き詰まり、諸々の問題が起きても仕方がない、というのでは説得力に欠ける。しかし、さらに学級が持つ機能の分析という視点を持つことで、現在の問題点が明瞭に解き明かされる。
 つまり、お互いに縁もない40人もの同じ年の子どもを12年間もの長期間に亘って、1つの空間に押し込もうとすることの理不尽さ。それをこれまでは可能にした、競争という動機付け(これには必ず敗者を生むという危険性がある)の失敗。つまり、その競争に残れば、良い生活が送れるという幻想の崩壊、といったことである。
 また、本書からは、いかに無責任な教育言説が堂々と声高に語られているか、ということも読み取ることができる。

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スルメを見てイカがわかるか!

書影

著 者:養老孟司/茂木健一郎
出版社:角川書店
出版日:2003年12月10日初版
評 価:☆☆☆(説明)

 著者2人の対談を中心としたヨモヤマ話。なんとも言えないフワフワした現実感のない話題が、延々と次々に展開される。
 例えば...「言葉は不思議だ。"リンゴ"と言った時、人それぞれ違う音を出している。書いた字も違う。リンゴそのものだって1つとして同じものはない。それでもリンゴはリンゴ。」または...「標本箱に閉じ込めた昆虫は自然か人工か?...自然と人工の両面を持っている。」といった感じ。こんな話に何の意味があるのか?
 タイトルの「スルメを見て...」というのは、「生きているものをデータ化するには、生きていて動いているものを止めなくちゃいけない。それでも生きているものを相手にしていると言えるのか?」というくだりにほんの僅かだけ出てくる。スルメはイカを干してある時点で動きを止めたもの。現実をデータ化して考えるのは、スルメを見てイカを語るようなものだ、と言うわけ。興味深い指摘だ。
 しかし、この話は本書のキーワードでもなんでもない。ダラダラした話の中にひょっこり顔を出した、少しマシな指摘という以上のものではない。これをタイトルにしていいのだろうか。「バカの壁」が売れに売れたことで、養老本を早く出したい、とばかりに角川書店が、何でもいいから対談させて、そのまま簡単に作った本、という感じがしてならない。口述筆記の「バカの壁」を上回る無責任さだ。
 それでも、心に引っかかった話を1つ。ほとんどの物はコントロールできない。自分の体や意識さえ。しかし、手入れすることはできる。里山のように適切に手を入れて、後は自然に任せる。これで維持することができる。人間関係も子育ても、ほとんどのことはままならない。それは当たり前のことなのだ。

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バカの壁

書影

著 者:養老孟司
出版社:新潮社
出版日:2003年4月10日発行 2003年12月25日第4刷
評 価:☆☆☆(説明)

 2004年1月現在、250万部。本屋のランキングで連続1位更新中、私が利用している図書館では60人もの人が順番を待っているという、お化けベストセラー本。
 自分が理解できる、共感できる事以外の事には耳を貸さない、壁のこちら側だけに安住するような姿勢。この壁のことを「バカの壁」と称して、その壁の向こうにも世界があることを認識しようよ、という主旨の本。言い換えれば、それだけの本だ。
 中で、イラク問題から教育、環境、宗教など多くの問題が取り上げられ、料理されているが、大した結論などもないままに次の話題へ。まさに、しゃべり散らかしている感じ。いや、この本は口述筆記で作られたそうだから、本当にしゃべり散らかしたんじゃないか。これじゃ、居酒屋で、職場で、家庭で、とめどなく続くおしゃべりと変わらない。
 本の内容より、この本が何で250万部も売れるのか、それを考えた方が面白いし約に立つかも。ランキング1位という事実が呼び水になって、そんなに売れているなら読んでみようか、という人が出てきて、それがまた販売部数を増やした、という雪だるま状態になっているのだろう。現に私も、何が書いてあるのかよく見ないで買ってしまった。680円なら気軽に買えるし。とにかく、話題になることが、一番の宣伝。自分で買ってでもランキング1位になればOK。680円の本を10万部買って6800万円。これって宣伝費としては高い?

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趣味は読書。

書影

著 者:斎藤美奈子
出版社:平凡社
出版日:2003年1月25日初版 2003年2月20日第三刷
評 価:☆☆☆(説明)

 100万部程度売れたベストセラー本を取り上げて批評する趣向の書評本。基は平凡社のPR誌に連載されたもの。
 著者は本書の中で、西尾幹二氏(新しい歴史教科書をつくる会会長)の「国民の歴史」を評して、「歴史の常識がことごとく覆される快感があっちこっちにあふれている」と書いた人。ベストセラーの評判を覆すことが快感なのかもしれない。とにかく、ナナメから見たり裏読みしたりしながらコキ降ろしている。
 まな板に載せられたのは41冊。読んだことがあるのは5冊しかなかった。「巨泉」「話を聞かない男...」「金持ち父さん...」「海辺のカフカ」「ハリーポッター...」。驚くことに、この5冊については、私の考えと一致していた。著者の言葉を借りれば、私も相当な「邪悪な読者」なようだ。
 この本を読んで、紹介してある本を読もうとは思わないように思うが、役には立った。思っていたのとは全く違う内容のものもあった。「読者というのは勝手に曲解して「私もがんばろう」と励まされる」というくだりは笑えた。
さすがの著者も、ハリーポッターは切り崩せなかった。4巻合計で1650万部。なんでこんなに売れるのかを説明することも、揶揄することもできない。まさに魔法。

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