中国報道の「裏」を読め!

書影

著 者:富坂聰
出版社:講談社
出版日:2009年12月1日 第1刷発行 
評 価:☆☆☆☆(説明)

 R+(レビュープラス)様にて献本いただきました。感謝。

 著者は、1980年代に北京大学に留学、89年の天安門事件に至る学生デモには、共同通信の非常勤通信員として密着していたという、いわば現代中国の歴史の目撃者とも言える。その豊富な人脈と独自のニュースソースから生み出されるレポートには定評がある。

 そんな著者のプロフィールの後では、けし粒ほどの意味合いを見出すことも危ういが、私は、著者が北京大学で学んでおられた今から25年ほど前、「改革開放」が進む中国を50日間旅したことがある。その時に感じた「民衆の期待感の盛り上がり」は、青二才の学生だった私にさえ、この国の行く末の「可能性」と「危うさ」を気付かせるに十分だった。
 その時バックパッカーとして屋台の包子で昼夜2食を賄い、土ぼこりにまみれて各地を旅した経験は、私の財産になった。中国本土の再訪は叶っていないが、以来「中国」は私の主たる関心事の1つとなった。中国の歴史を勉強し直し、中国文学を読み、中国からのニュースに耳を傾けるようになった。つまり、本書はまさに私の関心のど真ん中なのだ。

 「中国報道の「裏」を読め」というタイトルからは、「日本で報道されている中国の○○のニュースには、実はこういうことでこんな裏事情がある」式の暴露もしくはウンチク本が想像される。しかし、そういった部分が皆無ではないものの、本書の内容はもっと硬派な報道記事だ。
 そもそも本書は昨年12月に出版された「COURRiER BOOKS」の1冊なのだ。つまり、海外のメディアが報じた記事を素材にして日本と世界の「今」を描き出す、という独特な編集方針の雑誌「COURRiER Japon」のDNAを持った本だ。だからタイトルの「中国報道」も、「日本での中国に関する報道」ではなく、「中国のメディアによる自国のニュース報道」のことで、それも調査報道が多い。

 「調査報道なんて言ったって、中国のメディアなんて共産党の広報機関で、公式発表ばっかりなんじゃないの?」と思った人がいると思う。その人は有力な見込み読者だ。いや既に著者の術中にはまっている、と言った方が的確だろう。そう思う人にこそ、本書は新鮮な驚きを与えてくれるからだ。
 本書の序章「中国メディアの現在」は、日本でも大きく報じられた「段ボール入り肉まん」事件から始まる。これは北京テレビが「透明度」という人気番組で犯した「やらせ」事件。事件自体は何とも低レベルな出来事には違いない。
 しかし著者は「この事件の裏には、政府や権力者よりも視聴者を意識するようになったメディアの態度がある」と分析する。そう、今の中国メディアは共産党の広報機関などではないのだ。潜入取材や告発があるかと思えばゴシップもある、特にテレビは良くも悪くも日本のワイドショー顔負けのヒートアップ気味らしい。

 改めて本書の内容を..。本書は中国の経済、人々の意識、汚職と不正、うっ積するストレス、などをテーマに章ごとに、中国メディアが報じたニュースを基に著者が分析を加えて解説する形で進められる。多くが耳に新鮮な内容なのだが、ここでは私が最も注目した「中国の労働事情」について紹介する。
 伝統的な中国の労働者像は「職業選択の自由が無い代わりに失業も無い」といったものだろう。ところが本書によると、中国では「派遣労働者」が急速に増大し、労働者を守る目的で施行された「労働契約法」がこれに拍車をかけている、というではないか。
 これはオドロキだ。今や中国の労働市場は、見方によっては日本より過激な競争市場になっているわけだ。そしてあの「毒入りギョーザ事件」の影に大量のリストラを指摘する意見もあるそうだ。となれば中国の事情は日本の食卓をも直撃する。決して「対岸の火事」ではないのだ。

 最後に..。何でも自分に引き付けて考えてしまうのは良し悪しだと思うが、もっと言えば上の「中国の労働事情」代表される、本書に書かれている「中国で起きていること」が、「日本で起きていること」を増幅した現象、に思えて仕方ない。
 中国は短期間に市場経済を導入したため、その効も罪もが急速にそして端的に現れているのだ。また、本書によれば、右から左、愛情から憎悪、賞賛から罵倒、と中国の世論が怖いぐらい大きく振れる。こうした現象を著者は「追い詰められた人間に共通する特徴」と書いている。
 言い換えれば、この現象はいわゆる「国民性」に原因があるのではなく、社会全体が持っている余裕の無さによるのではないかと私は思う。その一点において、急速に余裕を無くしているように見える日本の社会にとって、本書は「対岸の火事」どころか「近未来を写す鏡」かもしれないのだ。

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陽気なギャングの日常と襲撃

書影

著 者:伊坂幸太郎
出版社:祥伝社
出版日:2006年5月20日 初版第1刷発行 6月10日 第6刷発行 
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「陽気なギャングが地球を回す」の続編。あの銀行強盗の4人組が帰ってきた。演説(内容はまったくない)の達人 響野、人間ウソ発見器 成瀬、動物を愛する天才スリ 久遠、精密体内時計を持つ天才ドライバー 雪子。

 今回の物語は、成瀬の職場である市役所から始まる。定年退職したばかりの男性から「最近、町に変な奴がうろついている」という訴えが持ち込まれる。これが発端となって4人は、大がかりな犯罪組織と事件に巻き込まれる。
 全部で4章からなる内の第1章は、4人がそれぞれ別々の事件に遭遇して、持ち前の才能を生かして一応の解決を見る。「あぁ今回はこういう趣向なのね」と、短編集なのかと思っていた。「それはそれで面白そうじゃん」とも思った。
 ところが、第1章は前ふりで、第2章以降に起きる様々な事件に、あるものは緊密に別のものは緩やかに絡んでくる。響野が経営する喫茶店「ロマン」で交わされる、空疎で上っすべりな会話も、後になって意味を持ってくる。巧みな伏線が特長の伊坂作品の魅力が今回も生きている。

 最初私が短編集だと思ったのもムリはなく、第1章は2004年から2005年にかけて月刊誌「小説NON」に載った4つの短編を改稿したものだそうだ。以降の描き下ろし部分につなげるために「大掛かりな」改稿をしたそうなので、月刊誌の読者も第1章から読んだ方がいい。もっと言えば、「陽気なギャングが地球を回す」のエピソードが関連する部分もあるので、1作目から順番に読んだ方がいいと思う。

 この後は書評ではなく、この本を読んで思ったことを書いています。お付き合いいただける方はどうぞ

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(さらに…)

猫を抱いて象と泳ぐ

書影

著 者:小川洋子
出版社:文藝春秋
出版日:2009年1月10日 第1刷発行 
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「ダ・ヴィンチ」1月号で、2009年の「編集部が選ぶプラチナ本 OF THE YEAR」に選ばれた作品。著者の最高傑作との声もあり、さまざまなところで高い評価を得ているので、取り寄せてちょうど読んでいたところに、「プラチナ本~」の記事に接して、ますます興味が湧いた次第だ。
 昨年出た本で一番か?というと「そうだ」とは言い難いけれど、この悲しくも美しい物語と、静謐な音楽か詩のような文章は、他の本では感じることのない「特別な何か」を持っている。その意味では特筆すべき1冊であることは確かだ。

 主人公は「リトル・アリョーヒン」と呼ばれたチェスプレイヤー。アリョーヒンは実在のチェスのグランドマスター。主人公はそのグランドマスターになぞらえられて「リトル」を付けて呼ばれている。
 唇が癒着して生まれてきた彼に対し、祖母は「神様はきっと他のところに特別手を掛けて下さって、唇を切り離すのが間に合わなかったんじゃないだろうか」と言う。その神様が特別手を掛けて下さった部分が、類まれな記憶力と集中力。
 それを基にしたチェスの腕はまさに天才。何しろ彼はチェス盤の下にいて(つまり盤上を見ないで)、どこに相手が駒を指したかを感知し、刻々と変わる盤上の配置を正確に記憶し、どんな強いプレイヤーとも互角に戦ってしまうのだ。

 物語は彼が少年時代にチェスの手ほどきを受け、成長して「リトル・アリョーヒン」と呼ばれ、チェスを指す場所を変えて生きていく様を、時々の彼を取り巻く人々との関係を交えて悲しくも静かに描写していく。
 本書の芯には「優れたチェスの対戦が残した「棋譜」は、詩や音楽のように美しい」という確信がある。このあたりは、数式を美しいと言った「博士の愛した数式」と相通じるものがあると思う。
 そして、著者はその確信を、駒の動かし方しか知らないチェスの素人の私にも共有させることに、その筆力によって成功させた。私も、チェスの棋譜から美しさを感じてみたい、と心から思った。

この本は、本よみうり堂「書店員のオススメ読書日記」でも紹介されています。

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あけましておめでとうございます。

 皆さん、あけましておめでとうございます。

 昨年は、本好きのためのSNS「本カフェ」に加入して、そこでたくさんの本好きの方との交流ができました。読んだ本の感想はもちろん、新しい作家さんや本を教えてもらったりして、読書の幅が拡がりました。

 さらに昨年は、100冊ちょうどの本をここで紹介しました。働く場所があること、働きながらも本を読む時間があること、読んだ本の感想をブログに書く余裕があることの幸せを改めて感じます。今年も、この幸せが続くことを祈って止みません。

 それでは、今年が、皆さんにとって良い年でありますように。

2009年の「今年読んだ本ランキング」を作りました。

 昨年に引き続いて、今年も読んだ本のランキングを作ってみました。今年はこのブログでこれまでに100冊ちょうど本を紹介することができました。☆を付けなかった雑誌2冊を除くと「☆4つ」は39冊、「☆3つ」は55冊、「☆2つ」が3冊です。何と今年は「☆5つ」がありません。我ながら評価が辛すぎますね。あんなに楽しんでおきながら....
(参考:昨年のランキング

 昨年と同じく小説部門は10位まで、ビジネス・ノンフィクション部門は5位までです。また、皆さんからご意見もいただきたく、右のサイドバーに小説部門の人気投票を設けました。お気に入りの本などありましたら、ドンドン投票してください。では、ご覧ください。

■小説部門■

順位 タイトル/著者/ひとこと Amazonリンク
獣の奏者 3.探求編、4.完結編 / 上橋菜穂子 Amazon
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人と獣のあるべき姿について、答えは出ないと思っていたが、その答えを用意した続編。エリンの凛とした姿が嬉しい。娘にも読ませたい。
シアター! / 有川浩 Amazon
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表現者としての著者が想いを込めて、表現者としての「劇団」を描いた。狙い澄ましたセリフで人物の心を描写する。文庫で登場が嬉しい。
宵山万華鏡 / 森見登美彦 Amazon
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著者が描くのはグダグダな男子学生だけではない。舞台は祇園祭の宵山。京都の街のきらびやかさの中に潜む妖しさを描き出した傑作。
茨文字の魔法 / パトリシア・A・マキリップ Amazon
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物語全体を幻想的な雰囲気が覆う。幻想文学の名手が描き出した、三千年の時を越えた愛の物語、壮大なスペクタクルファンタジー。
魔法の使徒(上)(下) / マーセデス・ラッキー Amazon
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「ヴァルデマール年代記」に登場する「伝説の魔法使者」の若き日々。屈折した少年の心が痛々しい。魔法の天恵が開花するまでを描く。
流星の絆 / 東野圭吾 Amazon
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ベストセラー作家のベストセラー小説。両親を殺された兄弟妹の3人が寄り添うように生きる、ミステリー&兄弟愛。ラスト20ページに完敗。
植物図鑑 / 有川浩 Amazon
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草食系男子を拾った20代後半女子の物語。顔ヨシ、気配りヨシ、家事ヨシ、料理は特にヨシ、女子騒然の男登場。野草料理がおいしそう。
陽気なギャングが地球を回す / 伊坂幸太郎 Amazon
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現場で必ず演説をぶつ、何とも軽いノリの4人組銀行強盗の物語。「黒」と「白」の伊坂さんがいるとしたら、「白伊坂」のコメディ作品。
サクリファイス / 近藤史恵 Amazon
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250ページ足らずの小品に人間ドラマが詰まっている、読み応えアリの作品。自転車ロードレースの魅力と選手たちが抱える葛藤を描く。
10 駆け出し魔法使いと海の呪文 / ダイアン・デュエイン Amazon
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児童向けファンタジーシリーズの2作目。10代の新米魔法使いたちが世界の破滅を救う。背負った運命の重さに児童書ながら目が離せない。

 今年は、昨年の「ゴールデンスランバー」のように「コレだ!」という作品はありませんでした。世間的には「1Q84」がそれに当たるのでしょうが、気になることもあって10位には入れたくありませんでした。
 他の選外の作品について言うと、伊坂幸太郎さんの「魔王」や、ダイアナ・ウィン・ジョーンズさんの「キャットと魔法の卵」、ポール・スチュワートさんの「崖の国物語」あたりが悩んだ作品です。 それから、4位、6位、10位は東京創元社の海外ファンタジーですが、すべて「本が好き!」プロジェクトでいただきました。もし参加していなかったら、手に取ることもなかったと思います。読書の幅を拡げていただいて感謝しています。

■ビジネス・ノンフィクション部門■

順位 タイトル/著者/ひとこと Amazonリンク
14歳からの世界金融危機。 / 池上彰 Amazon
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「45分でわかる!」と銘打った本。お手軽が売り物の本には懐疑的だけれど、この本は役に立った。14歳だけに読ませるのはもったいない。
グローバル恐慌 / 浜矩子 Amazon
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米国発の世界金融危機。「危機」などという生優しいものじゃないとの意味が「恐慌」に字に込められる。出口が見えない現状を斬った良書。
フラット化する世界 増補改訂版(上)(下) / トーマス・フリードマン Amazon
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障壁が除かれ世界中の人がゲームに参加する現在から未来を展望。私たちは守勢に回らるしかないのか?対策はあるのか?を解説。
ローマ亡き後の地中海世界(上)(下) / 塩野七生 Amazon
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著者の15年間にわたって執筆された「ローマ人の物語」全15巻の完結から2年、同じ目で著者が見た「ローマ後」を書いた事実上の続編。
かっこちゃんI / 池田奈都子 Amazon
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このブログでは取り上げることが珍しいコミック。特別支援学校の先生の話。ハンディのある子どもたちとその家族の生の感動を伝える。

 1位、2位は、昨年の後半から続く景気の悪化が生んだ本とも言えます。3位はさらにそこに構造的な問題が提示されています。当たり前と言えばそれまでですが、ノンフィクションの読書は世相を反映するようですね。ランク外では「中学生が考える-私たちのケータイ、ネットとのつきあい方」が☆4つでした。
 

眠れなくなる宇宙のはなし

書影

著 者:佐藤勝彦
出版社:宝島社
出版日:2008年7月7日 第1刷 2009年8月10日 第5刷 
評 価:☆☆☆(説明)

 今年は条件が良いらしく10月にオリオン座、11月にしし座、12月にふたご座と、何度も流星群が観測できる機会があり、星空を見上げることが多かった(残念なことに流れ星には出会えなかったけれど)。そうでなくても冬は空気が澄んでいて、オリオン座という分かりやすい星座が長く南の空にあるので、何気なく星空を見上げる回数も多くなる。

 その星空を見上げて思索を巡らせた、神話から古代・中世の哲学者や天文学者、そして現代の物理学者らの様々な人々のことを、ソフトな口調で丁寧に紹介した本が本書だ。取り上げられるテーマは、古代インドの巨大なヘビとカメの上に乗った宇宙観から、プラトン・アリストテレスを経て、相対性理論や最新の「十次元空間に浮かぶ膜宇宙」論まで、多彩で幅広い。
 著者は東京大学の教授で宇宙物理学者、本書後半にある最新の宇宙論の研究者で言わば最先端を走る方だ。前半の神話や哲学者らの話は専門外かと思うが、想像するに著者の中では、神話も宇宙物理学も違和感も断絶も無く、一枚の織物のようにつながっているようだ。読んでいる方の頭にもスッと入ってくる。

 「世界を知りたいという思いは、自分が何者なのかを知りたいという思いと同じ」という言葉が本書にある。「夜」が無ければ宇宙のことは分からなかった、おそらく考えられもしなかったに違いない。また日中は忙しくて、思索の時間には向いていない。だから、宇宙に思いを馳せるのも自分を見つめるもの夜に限る。
 そこで、ということなのだろう。本書は眠る前の一時の語りの形で、第一夜から第七夜までの七つの章で成っている。各章は「それでは、今晩はこの辺りで。おやすみなさい。」で終わる。その趣向に乗って、眠る前の20分を本書に充ててみてはいかがだろう?

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シアター!

書影

著 者:有川浩
出版社:アスキー・メディアワークス
出版日:2009年12月16日 初版発行 
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「有川先生、ありがとうございます。この本、とても面白かったです。」と、著者に会うことがあれば言いたい。本書は、12月16日に創刊された「メディアワークス文庫」というエンタテイメント小説の文庫の第1弾の8冊の内の1冊。公式ホームページを見ると、「図書館戦争の有川浩をはじめ、豪華作家陣オール書き下ろし」とあって、本書が目玉作品であることが分かる。

 物語の舞台はそこそこ力のある小劇団「シアターフラッグ」。登場人物はほぼ劇団の面々だけ。主人公は劇団の主宰の巧。彼は人見知りがひどく、子どもの頃はいわゆる「いじめられっこ」。遊ぶ相手は兄の司だけ。それも決まって、とっくに放映の終わったテレビのヒーローのソフビ人形でのゴッコ遊び。レッドが巧でブルーが司というのも決まっている。
 司が助けなければ、人生から脱落してしまいそうだった巧が演劇と出会い、人並みに生きていけるようになったことは司も嬉しく思っている。しかし、演劇で食えてはいない。好きな事をやっているのだから貧乏で当たり前、ということらしい。案の定300万円の借金を抱え、返せなければ劇団が潰れてしまう、という緊急事態から物語は始まる。

 劇団員は10人いるのだけれど、それぞれが抱える微妙な感情の揺れの描き方がうまい。おそらく練りに練ったセリフが、狙い済ましたように物語の随所で繰り出される。そのセリフを言ったりつぶやいたりした、その時だけはその登場人物が主人公になる。彼や彼女の物語が突然目の前に開けるのだ。
 むしろ巧だけがそういった感情の発露がなかった、と言えば言いすぎだろうか。本書は1人の主人公の物語でなく、巧を取り巻く20代の若者たちの群像劇だったのかもしれない。そして、司を入れて11人の思いはクライマックスの公演へと集約される。このスピード感、ハラハラ感は圧巻。 

 ところで、著者の有川さんのデビュー作「塩の街」は、第10回電撃大賞受賞作だ。「電撃」は、本書の出版社のアスキー・メディアワークスのブランド。著者の名を一躍有名にした「図書館戦争」シリーズもこの出版社から出している。
 第1弾の他の作家さんも似たような経緯の方が多いようだが、著者は飛びぬけた出世頭と言えるだろう。その出版社の新文庫創刊への書下ろしは、とても面白い作品だった。自分を世に出した出版社への恩があるとすれば、これは良い恩返しになったと思う。

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魔法の使徒(上)(下)

著 者:マーセデス・ラッキー 訳:細美瑤子
出版社:東京創元社
出版日:2009年11月20日第1刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「本が好き!」プロジェクトで献本いただきました。感謝。

 主人公ヴァニエルは16歳の少年。武人の家であるアシュケヴロン家の長男。長い鼻の面貌が特徴の家系だが、ヴァニエルは飛びぬけた美少年。そして武術よりも音楽の才能があり学問を好む。「自分のような跡取り」を望む父からは疎まれ蔑まれ、ひずんだ性格の少年に育ってしまっていた。
 そして彼は、魔法使者である伯母のサヴィルのところに、教育を受けるために半ば厄介払いの形で送られる。そこでも彼は孤立を深めるのだが、ついに「生涯の絆」で結ばれたタイレンデルと出会い、やがて二人は愛し合うようになり心の平安を得るが..。(ちなみにタイレンデルは男。つまり二人の愛情は同性愛。ちょっと身構えてしまうかもしれないが、登場人物たちの多くは頓着しない。読者も同じ心構えで臨もう)

 16歳とは言えまだ少年のヴァニエルが痛々しい。父からも母からも普通に得られるはずの愛を受けられず、家臣である武術指南には一方的になぶり倒される。そして大きな心の負担となる悲劇が、彼の秘められた天恵(そしつ)を開かせるという皮肉。
 物語の舞台となる場所が何度が変わるのだが、そのたびに「あるべき場所」に近づき、ヴァニエル自身も「あるべき姿」に近づいていく「前に進んでいる」感が読者には心地よい。異世界ファンタジーの秀作と言える。ファンタジー好きにはオススメだ。

 ところで、本書は「ヴァルデマール年代記」と呼ばれる著者の一連の作品群の1つ「最後の魔法使者」三部作の1つ目にあたる。「ヴァルデマール年代記」は、ヴァルデマール国建国の1000年前から建国後1376年までの、実に約2400年間の出来事を綴る時代と主人公を変えた、6つの三部作を含む20数作品が発行されている。
 本書は建国後750年あたりの時代で、主人公ヴァニエルは後の時代の作品で「伝説の魔法使徒」として言及される形で登場しているらしい。現在10作品ほどが日本語訳されているので、その読者は本書の発行によって「あのヴァニエルの少年時代」を楽しめる趣向となっているわけだ。

 どうらや海外には大人向けのファンタジー作品の豊かな鉱脈があるようだ(本書は色々な意味で「大人向け」だ)。今回はその鉱脈の1つに行き当たったような感触がある。しかし、日本語訳されている作品は、その多くが上下二分冊ですでに10作を超える。未邦訳作品はその倍以上ある。この鉱脈は奥が深い、さてどうするか?

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やればできる まわりの人と夢をかなえあう4つの力

書影

著 者:勝間和代
出版社:ダイヤモンド社
出版日:2009年12月3日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 著者が、香山リカさんの「しがみつかない生き方」の第10章「<勝間和代>を目指さない」への反論書と自ら言っている本。「しがみつかない生き方」のレビューは8月に掲載した記事にも関わらず、現在もこのブログの人気記事ランキングの第1位であり続けている。Googleで「しがみつかない生き方」や「しがみつかない」と検索すると、けっこう上位にリストアップされるので、そこを経由して来られる方がたくさんいらっしゃるためだ。

 本書の発行の前に、アエラ10月12日号に「勝間和代×香山リカ 激論2時間」という6ページの記事が掲載された。ドクロマークのジャケットを着た香山リカさんが勝間和代さんに執拗に絡む、といった図式の記事。まぁ香山さんがヒール役を演じて絡んだにも関わらず、議論はあまりかみ合っていない。
 ただ、香山さんが「<勝間和代>は成功者のアイコンとしてカッコ付きで使った」と言い、そのアイコンと勝間さん本人とは違う、という点は両者の共通認識になった。その他のことは勝間さんの冷静な受け応えが目立って、ヒール役の不利もあって香山さんには分が悪い展開だった。(アエラはここからデジタル雑誌で購入可能です)

 さて本書である。表裏の両表紙とプロローグとエピローグに「しがみつかない生き方」への答(反論書)と書く念の入れようだ。それにも関わらず、本書には「しがみつかない生き方」への答も反論も載っていない。そもそも「~目指さない」の答が「やればできる」では、ねじれの位置にある2つの直線のように交わるところがない。
 だからと言って、ただの売るためのコピーかと言うとそうではない。著者は香山さんやその著書にではなく、「しがみつかない生き方」の読者と世間に対して、反対の作用を及ぼすメッセージを発しているのだ。著者は「努力してもムダかも?今のままでもそこそこ幸せだし」という雰囲気が漂って、社会が努力を止めて停滞することを懸念している。そうならないように「いえいえ努力すればいいことあるって」という意味で「やればできる」とハッパをかけているわけだ。つまり社会に「ガンバリの天秤」があるとして、「そんなにガンバラなくてもそこそこ幸せなんじゃないの?」と「ガンバラない」方に少し傾いたので、「ガンバる」方にオモリを置いた、という感じだ。

 肝心の中身は、分かりやすさを念頭に丁寧にかみ砕いた文章を誠実に綴ったものだ。「しなやか力」「したたか力」「へんか力」「とんがり力」という、著者が創造した4つの力を表す言葉を紹介し、これを順に身に付けていきましょう、それぞれのステップはこうです、と実に丁寧に書かれている。
 また、巷にあふれる自己啓発書の多くのように「○○さえやれば」という特効薬はなく、4つの力を完成させるプロセスは「早くても数年、遅いと10年はかかる」と言うあたりは、誠実さの表れだ。「全員ができるとも言いません。」と言うのも至極当然のことだ。

 この「誠実さ」が、カッコ良さや分かりやすさや親しみ易さ(Twitterのつぶやきに見られるような)以上に、著者の人気の秘密なのだと思う。しかし罪深くもある。もちろん、これは著者の責に帰すべきことではなく、言いがかりに近いのだけれども。
 10年ガンバって思うような結果が得られない人はどうなるのか?著者が誠実なだけに「あの本のようにはいかないもんだ」とは思わず、「私の努力が足りない」と思ってしまうかもしれない。最後の方で「成果があがってない人は、それなりのやり方しかしていないのです。」とも書かれている。10年もガンバったのに..私のは「それなりのやり方」だったのか..

 香山さんの「<勝間和代>を目指さない」は、こういった形で心の病を抱えてしまう人が実際にいることを懸念して訴えているのだ。さて、こうした人は割合にするとどのくらいだろうか?おそらくごく僅かだろうが、香山さんはそこにも「生きた人がいる」ことに注目する。
 しかし「断る力」のレビューで書いたように、「リターン・マキシマイズ」を身上とする著者は、これをおそらく「取るべきリスク」と捉えるだろう。100%うまく行く方法などないし、うまく行く人がそれ以上にいて社会が活性化すれば問題なしだ。「うまく行かない人」の捉え方も重みも違う。だから議論は交わらないのだ。

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崖の国物語10 滅びざる者たち

書影

著 者:ポールスチュワート 訳:唐沢則幸
出版社:ポプラ社
出版日:2009年9月第1刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「崖の国物語」堂々の完結編!。9巻目の「大飛空船団の壊滅」のレビューにも書いたが、このシリーズは、世代が違う血のつながったクウィント、トウィッグ、ルークの3人の若い頃の物語が、順序を変えながら綴られてきた。それぞれを主人公にして3巻づつで、バランスとしては9巻目が最終巻と思われたが10巻目の本書が出た。これが本当の最終巻。3人の物語には発展があるのか?

 時代はなんと、ルークの時代から約300年後。クウィント、トウィッグ、ルークの3人はそれぞれ空賊や槍騎兵として、伝説上の人物になっていた。そして今回の主人公は、鉱山で点灯夫という仕事をしているネイトという若者。彼と伝説の3人の関係は分かっていない。ただ父から遺されたメダルに描かれた空賊の肖像画には、何か意味があるらしい。
 そして、ネイトが鉱山を追われた後、ヒロインのユードキシアら数々の出会いと危機を経て運命に導かれるストーリーを中心に、複数の物語が並行して進められる。一見して無関係意のそれぞれの物語が、ネイトのメインストーリーに次々と縒り合わされていく。この辺りの手法は見事だ。

 このシリーズの特長とさえ言えるのだけれど、本が厚い。本書は101章、860ページ超もある。これが苦もなく読み切れるのだから、いかに物語に牽引力があるかが分かるだろう。スピード感と起伏に富んだストーリーが楽しめる。
 前9巻の内容を上手にすくい取ったという意味では、よくできた「完結編」だ。よくできてはいるけれど、壮大な物語をまとめるにはちょっと力不足だったかも。しかし、そんなこととは別に構わない、ネイトの物語が充分に面白い。ネイトとユードキシアという魅力的なキャラクターの物語はまだ始まったばかりだ。「これが本当に最終巻」という言葉は保証の限りではない。

 とは言え、現在のところ公式には最終巻ということなので...
 この「崖の国」シリーズは、ファンタジーが好きな方にはオススメ。魔法は出てこないけれど、とても面白い冒険活劇的異世界ファンタジーの傑作。ただし、私の感想では第1巻がちょっと退屈でいただけない。2巻でグンと良くなり3巻4巻5巻...と巻を重ねるごとに面白くなる。7巻は最高傑作だと思う(8巻以降がダメという意味ではない。念のため)。だから、このシリーズを読もうと思った方は、是非少なくとも2巻までは読んで欲しい。

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