コロナ黙示録

書影

著 者:海堂尊
出版社:宝島社
出版日:2020年7月24日 第1刷発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 面白かったけど「こんな本を出版して大丈夫なの?」と思った本。

 「チーム・バチスタの栄光」から始まる「田口・白鳥シリーズ」に連なる作品。

 舞台は桜宮市と北海道と東京。2019年11月から2020年5月29日まで。中国の武漢で新型コロナウイルス感染症の感染者が確認されたのが2019年の年末。タイトルで明らかなので言うまでもないけれど、物語の大きなテーマは「新型コロナウイルス」。世界がその存在を認識してからの半年ほどの間に、日本で起きた騒動を、フィクションの形にして振り返る。

 桜宮の東城大学医学部付属病院の田口医師は、高階学長からウェブサイトでのコラム執筆の依頼を受ける。元々の依頼者は厚生労働省の白鳥技官。北海道では、極北市民病院の世良院長と、雪見市救命救急センターの速水センター長、フリーランスの病理医の彦根が、北海道知事との会議に参集していた。

 もうこの説明で、著者のファンならば「オールスターキャスト」だと分かるだろう。物語のストーリーはあまり紹介しない。なぜならば、私たちの多くがすでに知っているからだ。

 横浜港に停泊したクルーズ船「ダイヤモンド・ダスト号」の事件、そこに乗り込んだ感染症の専門家の医師の告発、人と人との接触の八割削減を提唱した「八割パパ」、3月の卒業シーズンに発せられた「休校要請」、全世帯に2枚の布マスク..。名前が少し違っても容易に想像がつく出来事が起きる。

 これに加えて、「安保首相」や「明菜夫人」が国有地の売買に関わった「有朋学園問題」や「満開の桜を愛でる会」、首相補佐官と厚労省の審議官の不倫カップル、官邸の守護神と呼ばれる検事長まで登場。政権に対して著者が振るう刃は留まるところを知らない。

 もちろん、田口医師らの活躍はオリジナルストーリー。物語の中で東城大学医学部付属病院は「奇跡の病院」と呼ばれる。面白くてためになった。

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他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ

書影

著 者:ブレイディみかこ
出版社:文藝春秋
出版日:2021年6月30日 第1刷 9月5日 第5刷 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 ちょっと読みづらい面もあったけれど、押して読んでよかった本。

 2019年にベストセラーになった著者のエッセイ「ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー」に、こんなエピソードが載っている。著者の息子さん中学の授業で「エンパシーとは何か」という問題が出た。息子さんは「自分で誰かの靴を履いてみること」と答えたらしい。これが今回のタイトルになっている。

 「エンパシー(empathy)」は日本語で「共感」と訳される。「シンパシー(sympathy)」も同じく「共感」と訳される。しかし2つの言葉が差し示す意味は違う。

 英英辞書(Oxford Learner’s Dictionaries)では、エンパシーは「the ability to understand another person’s feelings, experience, etc.(他社の感情や経験などを理解する能力)」で、シンパシー(の1番目の字義)は「the feeling of being sorry for somebody.(誰かをかわいそうだと思う感情)」。エンパシーは「the ability(能力)」で、シンパシーは「the feeling(感情)」だ。

 ..という感じで始まって、本書は1冊まるまるエンパシーについて語る。きっかけは、前書にわずか4ページだけ書いた「エンパシー」という言葉が、大きくクローズアップされたこと。まるまる1冊を費やしたことには「社会問題の解決や個人が生き延びるために「エンパシーがいま必要だから」という、著者の思いも感じられる。

 SNSや巷の「論争」が、自分の主張ばかりで一向に噛み合わず、「論破」が目的のようになっていることを鑑みると、「エンパシー」の重要性が分かるし、その欠如に暗い気持になる。救いは「エンパシー」は「能力」であるので、トレーニングによって身に着けられる、ということだ。

 さらに言うと「エンパシーを身に着ける」という意識は、日本でこそ重要だと思った。言語は関心が強い分野には語彙が豊富だという。日本語に「エンパシー」に対応する適切な言葉がないのは、あまり関心がなかった、重要ではなかったという証左だ。英国では中学の授業で習う。日本では強く意識しないとそれは身に着かない。

 本書の前編ともいえる「ぼくはイエローで~」が、エッセイでとても読みやすいものであるのに対して、本書は多くの文献を参照した論説なので、やや読みづらい面がある。しかしその読みづらさを押してでも読む価値があると、私は思う。

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安いニッポン「価格」が示す停滞

書影

著 者:中藤玲
出版社:日本経済新聞出版
出版日:2021年3月8日 1刷 4月6日 3刷
評 価:☆☆☆☆(説明)

 「価格を下げる」ことを「経営努力」と呼び始めたあたりから、世の中がおかしくなってしまったと思った本。

 日本の様々なものの価格が他国と比べて安い、ということを調査や統計データによって論じる。4章建て。第1章「ディズニーもダイソーも世界最安値水準」、第2章「年収1400万円は「低所得」?」。第3章「「買われる」日本」、第4章「安いニッポンの未来」。

 世界の6都市にあるディズニーランドの大人1日券(円換算、当日券、1パークのみ、2021年2月)の比較が、冒頭の話題。日本の8,200円に対して、一番高いフロリダは1万4,500円で約8割も高い。カリフォルニア、パリ、上海も1万円を超える、香港は8,500円。日本が最も安い。実は、2014年3月までは6,200円で、6年で2,000円、3割以上も値上げしたけれど「世界最安」なのだ。

 このくらいのことはなんてことはない。「いいサービスを安く受けられて何が悪い?」と言っていられる。「ディズニーランドの入場料なんて、一部の国民にしか関係ない」という声も正論だ思う。ダイソーが「100均」なのは日本だけで、台湾は180円、フィリピンは190円、タイは210円、と聞いても「大した違いはない」と思うかもしれない。

 実は、日本だけは100円で売ることができる主な要因は「人件費」なのだ。第2章で明らかになるけれど、日本の賃金が先進国でダントツで低くて「一人負け」の状態。そしてこれが経済の停滞の主要因。さらには、日本の不動産や技術を持つ会社や人材が安値で外国資本の手に渡る。ということが書いてあるのが3章。

 「安くて何が悪い?」とは言っていられない。なんでこんなことになってしまったのか。何とかしないとこのままではジリ貧だ。

 ある意見に「わが意を得たり」と思った。

 日本の生産性が低いという理由の一つは、日本の価格付けの「安さ」にある。

 何とかするためのヒントになる意見だと思った。

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スモールワールズ

書影

著 者:一穂ミチ
出版社:講談社
出版日:2021年4月20日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 中に一つとても怖い話があって、それに不意打ちをくらって震えた本。

 本屋大賞第3位。

 50ページほどの長めの短編を6編収録。主人公はそれぞれの物語で代わる。前後の短編のエピソードに緩い繋がりがあって、連作短編集の形にもなっている。特筆すべきは、6編がそれぞれ全くちがったテイストの作品であることで、連作にしては一体感がないものの、色々な料理をちょっとづつ食べるような楽しさを感じた。

 「ネオンテトラ」は、子どもを望みながら授からない女性の話。ままならない日常を抑え目に描く。「魔王の帰還」は、少しぶっ飛んだ豪快な姉を持つ高校生の話。青春と豪快な姉の細やかな心情を描く。「ピクニック」は、新生児の女性とその母に起きた悲しい出来事。誰も望んでいない意外な結末。

 「花うた」は、傷害致死で兄を亡くした女性とその事件の犯人との間の往復書簡。互いに理解が進むようで進まない。「愛を適量」は、冴えない高校教師の男性の話。ある日突然、娘が「男」になって現れた。「式日」は、高校時代の後輩からその父親の葬式への出席を頼まれた男性の話。後輩の過去を聞かされる。

 私が好きなのは「魔王の帰還」。「少しぶっ飛んだ豪快な姉」というキャラクターがいい。傍若無人な振る舞いは傍迷惑かもしれないけれど、それで救われる人もいる。正しいことを躊躇なく言っても嫌味にならないのは、根っからの善人だからだ。子どもたちが懐くのがその証拠だろう。

 心に残ったのは「愛を適量」。物語自体というより「愛にも適量がある」という考えが。主人公は「適量が分からない」から料理が下手。それと同じように、娘への接し方も下手なのだ。そう言えば、他の短編の登場人物の振る舞いも「適量」じゃない気がする。まぁ「適量」の人ばかりじゃドラマにならないのだけれど。

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星を掬う

書影

著 者:町田そのこ
出版社:中央公論新社
出版日:2021年10月25日 初版 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 根底に母娘や家族に対する深い理解があるのは感じとれる。それにしても..と思った本。

 本屋大賞第10位。

 主人公は芳野千鶴、29歳。パン工場で夜勤の仕事をしている。千鶴は大きな問題を抱えている。数年前に分かれた元夫の弥一が、金がなくなると千鶴の家に来て、ありったけの金を持って行ってしまう。「困るから止めて」と縋ると手加減のない平手打ちを受ける。職場のパン工場に電話してきて、千鶴の給料の前借を申し込んだりまでする。

 千鶴は、ラジオへの投稿をきっかけにして、22年前に生き別れになった母の聖子の消息を知り、さらには弥一の手から逃れるために、聖子が住んでいる共同住宅に移る。そこには聖子と母娘のように暮らす芹沢恵真と、介護福祉士の九十九彩子が住んでいた。物語は、ここでの女4人の共同生活を描く。

 千鶴にとって聖子との生き別れは「母に捨てられた」という別れだった。本当は関係ないと分かっていても、弥一のことを含む今の境遇を「母が私を捨てたから」だと思ってしまう。そして22年ぶりに自分の前にあらわれた母は、若年性認知症を患っていた。

 終盤に至るまで、キリキリと心を引き絞られるようなつらい物語だった。弥一に見つかるかもしれない恐怖から、千鶴は家から一歩も出られない。それなのに、聖子は病気のせいなのか元々の性格なのか、そんな千鶴に辛辣な言葉を浴びせる。

 それぞれにつらい経験もしている恵真と彩子は、優しく接してくれて、それなりに平穏に暮らしているけれど、時にその優しさが疎ましい千鶴は、二人をそれぞれ辛辣な言葉で詰ってしまう。ひどい目にあった人が、同じようにひどい目にあった人に、ひどい言葉を投げつける。「止めろ」という心の声を聞きながら止めることができない。心が痛む。

 感謝の気持ちや、誰かを大事に思う気持ちがあるのなら、間に合ううちに伝えよう。

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硝子の塔の殺人

書影

著 者:知念実希人
出版社:実業之日本社
出版日:2021年8月10日 初版第1刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 ミステリーというジャンルへの著者の愛が感じられる本。

 本屋大賞第8位。

 雪で外界から閉ざされた山奥に建つ館で起きる連続殺人事件のミステリー。主人公は一条遊馬。館の主人である神津島太郎の専属の医師。神津島が「重大発表がある」と言って、遊馬の他にミステリー作家や編集者、自称霊能力者らを館に招待したその夜に、主人の神津島が殺された..。部屋の扉にはカギが掛かっていて他に出入口はない..。館には遊馬たちゲストが6人、主人の神津島と執事とメイドと料理人の4人の、合計10人。

 いわゆる「密室殺人」で、密室の謎を解き明かさないと犯人を突き止められない..普通ならそうなんだけれど、本書は違う。なぜなら冒頭のプロローグで遊馬が犯人であることを告白しているし、続く章でいかにして密室を作り上げたかも明らかになっている。

 これは「刑事コロンボ」や「古畑任三郎」のように、犯人が最初に分かっている「倒叙ミステリー」だ。名探偵が事件の解明を進めて犯人を追い詰める心理劇。だから名探偵が必要なのだけれど、本書にも「名探偵」を名乗る、なかなか魅力的な人物が招待客の中にちゃんと配置されている。

 なかなか楽しい物語だった。閉ざされた建物の中で次々と人が殺されるのだから、緊張感が漂っているのだけれど、それが時々フッと緩むときがあって、微苦笑する。登場人物の多くがミステリーマニアだという設定で、膨大な数の実在のミステリー作品のうんちくが語られるのは、善し悪しだと思うけれど私は楽しかった。

 そうそう。上に、犯人が最初に分かっている「倒叙ミステリー」だということを書いたけれど、読み終わったらそんな説明では「全く足りない」ことが分かる。目に見えていることが真実だとは限らない。

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黒牢城

書影

著 者:米澤穂信
出版社:角川書店
出版日:2021年6月2日 初版 11月25日 3版 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 戦国武将を描くのに、こういうやり方もあるのか、と思った本。

 2021年下半期の直木賞、2021年の山田風太郎賞受賞、4大ミステリーランキングで第1位、 本屋大賞第9位。

 時代は戦国時代、主人公は摂津国の有岡城の城主、荒木村重。村重は織田方で信長の信を得ていた武将であったが、敵対する大坂本願寺に与して謀反を起こす。やがて幾万の織田勢に取り囲まれるであろう有岡城に籠った。その有岡城に秀吉からの使者として黒田官兵衛が来る。村重は官兵衛を帰さず土牢に捕らえた。物語はこんな状況から始まる。

 この状況説明で明らかなように、本書はいわゆる「戦国モノ」。主人公の荒木村重は知名度がやや劣るけれど、この織田への謀反と官兵衛の幽閉は、信長や秀吉の物語の中での1エピソードとしてよく知られている。そこにフォーカスを当てれば、戦国エンタテインメントに仕上がりそうだ。

 しかしそれだけではなかった。本書はミステリー、その中のアームチェア・ディテクティブ(安楽椅子探偵)の変形でもある。村重が籠る有岡城内で起きる不可解な事件、例えば「監視下にあった人質が殺された。矢傷があるのに矢がどこからも見つからない」という出来事の真相を探る。

 英明な村重をしても、その謎が解けない。自ら地下に降りて囚われの官兵衛に、事件の一部始終を聞かせる...。そう、安楽椅子に座る代わりに牢につながれた官兵衛が探偵役を務める。そんなことが何度か繰り返される。背景にはもう少し大きな物語も流れている。

 最初に村重が官兵衛に事件のことを聞かせるあたりで「そういえば」と思い出した本がある。同じ著者の「折れた竜骨」という作品。本書は「戦国モノと謎解きミステリー」のハイブリッドだけれど、その本は「ファンタジーと本格推理」のハイブリッドだった。「魔法あり」の世界で「密室殺人」を描く、というチャレンジングな試みが、見事に成功していた。

 その時のような驚きは本書では感じなかったし、正直言って「これが直木賞なのかなぁ?」と思ったし、ミステリーランキングを総ナメしたのには違和感があるけれど、少し変わった設定の謎解きは楽しめた。

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正欲

書影

著 者:朝井リョウ
出版社:新潮社
出版日:2021年3月25日 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 この物語が意味することを、私たちは受け止めきれないと思った本。

 本屋大賞第4位。

 平成から令和に変わった2019年5月1日を挟んだ600日ほどの物語。主人公が複数いる群像劇。不登校の小学生の息子がいる検事の男性、イオンモールの寝具店で働く女性、学祭の実行委員会に所属する女子大学生、大手食品会社の新商品開発担当の男性、ダンスサークルに所属する男子大学生。

 検事の「息子が不登校」のような、少しうまくいかないことを全員が抱えている。イオンモールの女性は、モールの空気に自分だけが馴染めていないと感じる。女子大学生は男性の視線に拒否反応を起こしてしまう..などなど。

 一見するとバラバラな人たちのバラバラなエピソードが順々に語られる。まぁもちろんそのバラバラなエピソードは交差をし始める。

 心をかき乱す物語だった。冒頭から忌まわしい予兆を感じる。誰かの独白に続いて児童ポルノ所持の摘発事件の記事。ここに書くのをためらうような出来事が語られる。その前の独白にはこんなことが書かれている。

 自分という人間は、社会から、しっかり線を引かれるべきだと思っているので。ほっといてほしいんです。

 本書のテーマは「多様性」。特に「性的指向の多様性」。私たちは性の話をするのが苦手だ。そんな中でも性的マイノリティの権利問題などを、話し合うことができるようになった。あえてこの言葉を使うけれど「進歩」した。もちろん不十分だけれど、進歩していることに喜ばしさを感じている。本書はその喜ばしさに死角から刃を突き付ける。冒頭の独白にはこんなことも書いてある。

 だから、おめでたい顔で「みんな違ってみんないい」なんて両手を広げられても、困んるんです。

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赤と青とエスキース

書影

著 者:青山美智子
出版社:PHP研究所
出版日:2021年11月23日 第1版第1刷 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 本屋大賞ノミネート作品。

 「このままじゃないよね?」と思って読んでいたら、やっぱりこのままじゃなかった本。

 全4章の連作短編の形式。章ごとに主人公が変わる。第1章では大学の交換留学でオーストラリアに来ている21歳の女子大生、第2章では美大を卒業した30歳の額縁職人、第3章ではかつてのアシスタントがマンガ大賞を取った漫画家の48歳の男性、第4章では輸入雑貨店に勤める51歳の女性。

 一見するとバラバラの4つの物語だけれど、一つの絵でつながっている。それは第1章で主人公をモデルにして、赤と青の絵具で描かれた「エスキース」と題された絵。エスキースとは本番の絵を描く前の「下絵」のこと。この絵が第2章以降の物語にも登場する。

 面白かった。どの章の主人公たちも不器用な方で応援したくなる。女子大生は友だちが作れない、額縁職人は美大の友人に「絵を描いてた人間が額の仕事やっててつらくなったりしない?」と言われている。漫画家は才能がある弟子に複雑な感情を持っている。輸入雑貨店の女性はパニック障害でしばらく休暇をとることに..。そして最後には少し上を向けるようになる。

 読みながら「まぁ悪くないんだけれど、これじゃ物足りない」と、ずっと思っていた。「ちょっといい話」が4つあるだけ。物語をつなぐはずの絵にも、ほとんど意味がない。という状態で第4章が終わろうとしたときに..。

 本書を読むなら必ず第4章の最後まで読んで欲しい。これまでの物語を振り返るのが楽しくなるはずだから。

 最後に。タイトルはもちろん例の赤と青の絵具で描かれた絵のことなんだけれど、それなら「赤と青エスキース」なんじゃないの?と思っていた。助詞を間違えてる?と。でも「赤と青エスキース」で合っていた。

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暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ

書影

著 者:堀川惠子
出版社:講談社
出版日:2021年7月5日 第1刷 発行
評 価:☆☆☆☆☆(説明)

 戦争計画にあった「ナントカナル」という言葉が虚しく聞こえた本。

 2021年第48回大佛次郎賞受賞。尊敬する人生の先輩に薦められて読んだ。

 本書は太平洋戦争の戦時下に、広島市の宇品地区にあった「陸軍船舶司令部」に焦点を当てたノンフィクション。「陸軍船舶司令部」というのは、戦時下には参謀本部の直轄となり、戦場への兵隊や軍需品の輸送や上陸を支援する組織。

 キーマンとなるのはその「船舶司令部」の2人の司令官。一人は大正8年に宇品に着任した田尻昌次。上陸用舟艇の開発や組織改革を行い、日中戦争で実際の上陸作戦を指揮し、後に「船舶の神様」と呼ばれる。もう一人は昭和15年、田尻の退任後まもなく着任した佐伯文郎。太平洋戦争中の南アジアや太平洋への兵力の輸送に必要な船舶の手配に奔走、原爆投下後の広島の街の救援にも尽力した。

 「日本はこうして負けたんだな」ということが、これまでになく実感を持って分かる。もちろん敗戦の要因が「無謀な戦略」にあることはまず間違いなく、それを指摘する類書はたくさんある。「無謀な戦略」をもっと具体的に「ロジスティクスの軽視」として「南太平洋にまで長く伸びきった兵站線」を指摘する意見も少なくない。

 しかしこの「長く伸びきった兵站線」の実情を詳細に解明した本はどうだろう?。私は本書がその初めての本だと思う。「実情」を一言でいえば、要は「船が足りない」のだ。本書はその「足りなさ」を、具体例と数値を以てこれでもかというぐらい執拗に明らかにしていく。

 海に囲まれた日本からは、戦場に大量に兵力を送り込む手段は船しかない。輸送船は民間の客船を徴用したもので船員は民間人で火器も積んでいない。当然のように敵の標的されて損耗する一方なので数が足りなくなる(「損耗する」なんてモノのように書いたけれど、1隻撃沈されれば千人単位の兵士・船員が海の藻屑と消えるのだ)。さらには、日本軍の南アジアへの進出は資源を求めてのことだったけれど、その資源を日本へ輸送するための船がない。「船がないから船を新造できない」とう悪循環..。

 上に「本書がその初めての本だと思う」と書いたのには理由もある。本書の取材過程で、田尻昌次が残した全13巻のこれまで未発表で眠っていた手記を著者が発見した。それがなければここまでの事実の解明はできないだろうと思うからだ。発見された手記を基に今後の調査も期待できる。改めて資料の収集と保存の重要さを感じた。終戦から80年が経とうとしていることを考えれば、このような資料の発掘にはもうあまり時間がないかもしれない。

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