居ごこちのよい旅

書影

著 者:松浦弥太郎
出版社:筑摩書房
出版日:2016年4月10日 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 古書販売の「バリューブックス」さんのクラウドファンディングの返礼としていただきました。感謝。返礼品は5冊の本で、いくつかある中からテーマを選べました。私が選んだテーマは「旅」。

 著者は「暮らしの手帖」の元編集長。クックパッドを経て、今は「くらしのきほん」というウェブメディアの主宰者。本書は、2005年からおよそ2年間、「暮らしの手帖」編集長の就任前後に雑誌「COYOTE」に連載した紀行エッセイをまとめたもの。副題が「地図は自分で歩いて作る」だったそうだ。

 「旅の情報をほとんど持たずにその街を訪れ、一時間も歩けばひと回りできるような狭いエリアを何日もかけて歩き」、見たこと感じたことなどを、地図に描き文章に残す。本書で著者が訪れた街は12か所。サンフランシスコ、ニューヨーク、パリ、ロンドン、バンクーバー、ハワイ島、台北、中目黒などなど。それぞれの場所の紹介が、10ページ余りの文章と著者の手書きの地図と写真でされている。

 大きな都市の名前が多いけれど、著者が訪れたのはその中の限られたエリアだ。例えばパリでは「オベルカンフ」という通りの周囲の数百メートル四方の範囲。1か所だけある日本の地名が「東京」でも「目黒区」でもなく「中目黒」。これで距離や広さの感覚を掴むとちょうどいいと思う。

 旅に出ると発見がある。自分の暮らしにはないもの。著者はニューヨークで「ハドソン川に浮かべた船からスーツ姿で出勤する人」に出会う。大きな邸宅がそのまま船になって浮かんでいたりする。初めての旅先でも、居心地のよい場所が見つかることもある。著者のように街を丹念に歩けば、たいていの場所には気持ちが落ち着くカフェが見つかるらしい。

 「世界ふれあい街歩き」という番組があった。旅先での出会いや発見に焦点を当てた構成が、私は好きだった。本書と共通する部分があると思う。もっとも、あの番組は偶然を演出しているけれど、周到な準備がされているそうだ。その準備はきっと本書のような「街歩き」によってなされていたのだろうな、と想像した。

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木洩れ日に泳ぐ魚

書影

著 者:恩田陸
出版社:文藝春秋
出版日:2010年11月10日 第1刷 2017年10月10日 第9刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 著者は「蜜蜂と遠雷」で、2016年下半期の直木賞と2017年の本屋大賞を受賞した。帯に「祝本屋大賞&直木賞W受賞!」の文字が躍る。裏側には「恩田陸ミステリの隠れた傑作です!」と書いてある。2007年の作品。

 主人公はアパートの同じ部屋に暮らす一組の男女。今夜、最後の一晩をこの部屋で過ごし、明日にはめいめい別の場所へ出ていくことになっている。別れの夜というだけでも、晴れやかな雰囲気は期待できない。しかし、この物語を覆う「重苦しさと危うさ」は、もっと深く入り組んだ事情を、二人が抱えているためだ。

 男の方は「彼女があの男を殺した」と思っている。今夜中に彼女はそのことを白状するだろうか?自分はさせることができるだろうか?。女の方も「彼があの男を殺した」と思っている。今夜中に彼は自分を殺すつもりなのではないか?と疑っている。

 こんな感じで、お互いに相手を「殺人者」だと疑いながら、表面的には関係をきれいに解消するカップルを演じる。こんなヒリヒリするような心理戦を、章ごとに一人称を交互に彼と彼女に割り振って、心の中をえぐるように描くことで綴る。読者の特権で、互いの手の内が見える分、よけいにスリリングだ。

 物語で流れる時間はたった一晩で、場所はアパートの一室から出ない。本書は約300ページの長編なのだけれど、時間も場所も制限されたなかで、よくこれだけの起伏のある物語が描けるものだ。しかもちゃんと着地するし。「今さら」だけれど、著者の筆力には驚く。

 上に書いたように「深く入り組んだ事情」があり、それは何度も読者の想定を越え、時に禁忌に触れようとさえする。また「あの男を殺した」のは誰なのか?真実はどこにあるのか?「隠れた傑作」という評は当たっていた。W受賞がなければ、本書を手に取らなかっただろう。W受賞に感謝する。

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苦労して成功した中小企業のオヤジが新人のボクに教えてくれた 「上に立つ人」の仕事のルール

書影

著 者:嶋田有孝
出版社:日本実業出版社
出版日:2017年9月10日 初版発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 著者の嶋田有孝さまから献本いただきました。感謝。

 著者の嶋田さんは、日経サービスというビル管理などの事業を行う会社の社長を務めておられる(ちなみに、日本経済新聞社の日経グループとは関係ない)。本書のタイトルにある「中小企業」とはこの会社で、「オヤジ」とは著者が入社した当時の会長で、「新人のボク」は著者自身だ。本書は今から30年近く前の、著者と会長のエピソードが23編つづられている。

 会社は当時、大阪の東心斎橋にあって、年商28億円。創業者は会長で、どいうわけか社長を兼ねていた。つまり会長は「大阪の中小企業の創業社長」。ステレオタイプで人を決めつけてはいけないが、本書を読めば、会長がこの「大阪の~」で思い浮かべるイメージ通りの人だと分かる。

 最初の出会いのエピソードがこう始まる。

 「おい、そこのメガネ」「何キョロキョロしとんねん。お前や」

 これが入社初日の昼休みのこと。それで会長が著者を呼んだ用件というのが「バナナこ買うてきてくれ」だった。

 この後も「アホ」「ボケ」「帰れ」と罵倒されたりもして、今の時代なら完全にパワハラ。いや今の時代でなくったって当時でも問題だろう。しかも時代はバブル景気真っ最中で、有名私大を卒業している著者なら、探せば他に就職先は見つかっただろう。でも、そうしなかった。その理由も本書を読めば分かる。

 会長は社員一人ひとりの適性や人間性を見抜いて、育てるために絶妙な塩梅で厳しくしている。そして社員たちにもそれが分かる。だから罵倒されても辞めないのだ。厳しさは、社員をとても大事にしている裏返しだ。それは、必ずしも優秀な人材を採用できるわけではない、中小企業の経営者としての冷静な判断でもある。本書は面白くてタメになる。

 最後に。何度も登場するセリフがある。「お前ならきっとできる」。こんなことを真正面から言う上司なんてなかなかいないと思う。言われたらグッとくるだろう。 

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ポストデジタル時代の公共図書館

書影

編  者:植村八潮、柳与志夫
出版社:勉誠出版
出版日:2017年6月5日 初版発行
評 価:☆☆(説明)

 まず最初にタイトルの「ポストデジタル」について。本書は当初「公共図書館と電子書籍」というテーマで企画された。しかしそれでは、類書がすでにあり議論に広がりもないため、「デジタル時代の公共図書館」とテーマを改めたそうだ。切り口を「電子書籍」から「デジタル時代」に広げることで、議論にも広がりを、という狙いだろう。では「ポスト」はどこから?..それは後ほど。

 全部で8章。内容的には「電子書籍・電子図書館の課題」「米国における公立図書館と電子書籍」「電子書籍がもたらす変革と図書館の対応」「大学図書館における現状と問題点」「公共図書館におけるデジタルサービスの位置づけ」「デジタルアーカイブ」について2章「公共図書館の未来と展望」

 生真面目な本だ。上に書いた「内容」は章のタイトルを要約したものなのだけど、これを見て思い浮かぶのは「○○白書」だ。最初の方に「現状」続いて「課題」その後に「個別の話題」最後は「展望」。それが悪いわけでない。「○○白書」がそうであるように「現状認識」には向いている。

 様々な統計データも丹念に調べられているし、テーマも網羅されている。特筆すべきは、米国の公共図書館についてのレポートで、彼我の違いがくっきりと浮かび上がる。テキサス州のある郡では「紙のない図書館」の3館目が建設中だという。

 ただやはり残念に思う。デジタル環境の発展によって「図書館という仲介は、必ずしも必要ではないのだ」とか、「紙の資料を求める利用者と、貧弱なICT設備しか提供できない公共図書館との間で、需給の均衡が保たれている」とか。諦めてしまったかのような言葉が随所に見られる。

 残念に思うのはこのことだけではない。「ポストデジタル」は21世紀初頭までの「デジタル時代」ではなく、2010年以降の「Google検索とSNSコミュニケーション時代」を指しているそうだ。この認識には異論はあるが「ひとつ先の時代」という意識は分かる。

 先に「ポスト」はどこから?と疑問を投げかけたけれど、これは「ひとつ先」への期待と意気込みを表しているのだと思う。だからこそ、本書の議論が「現在まで」の「現状認識」で終わってしまっていること、その先については、ほとんど語られていないことを、とても残念に思う。

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正しい本の読み方

書影

著 者:橋爪大三郎
出版社:講談社
出版日:2017年9月20日 第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 この本の一部分がネットで公開されていて、それを読んで興味が湧いたので購入して読んでみた。

 本書の構成は8つの章に分かれていて、「なぜ本を読むのか」「どんな本を選べばよいのか」という、「本を読む」の前段階のことから始まって、「どのように本を読めばよいのか」を経て、「何を学べばよいのか」「どのように覚えればよいのか」「なんの役に立つか」と続く。

 そしてそれでは終わらず、さらに「どのようにものごとを考えればよいのか」「情報があふれる現代で、学ぶとはどういうことか」と、かなり大きなテーマへと発展する。著者が考える「正しい本の読み方」は、ただ単に「本を読む」という行為だけでなく、その前後の知的活動全体を包含しているわけだ。

 私がネットで読んだのは「どのように本を読めば良いのか」の部分で、先の言い方では「ただ単に「本を読む」という行為」に当たる。なかなか共感することが多かった(だから購入したのだけれど)。例えば「すなおに読む」。感情や予断を排して読む、ということ。

 好きとか嫌いとか、賛成とか反対とか、そういう感情からはなかなか免れえない。だから読み終わってからなら感じてもいい。でも、読んでいる最中にそう思ってしまうと、予断が生まれる。著者が伝えたいことをくみ取れなくなる。「あぁ確かにそうだ」と思う。楽しむための読書なら「好き」ならいいけど「嫌い」と思いながら読んだのでは、ますます気に入らなくなるだけだ。

 一つ、私の一方的な思い違いがあった。特に意識せずに、私は小説などの文芸書を念頭に置いていたけれど、著者は学術書や哲学書、思想などを中心にしていた。文芸書に言及する時には「文芸書では」という断り書きが入る。だから論理とか定義とか前提とか構造とか、論理学的な視点からの解説が多い。ちょっと私と著者の間の「すれ違い」を感じた。

 著者の経歴を見れば「すれ違い」が予想できたかもしれない。東京工業大学名誉教授。著書に「はじめての構造主義」。哲学に造詣が深いらしく、例としてあがる著者が、マルクスとかサミュエルソンとかヘーゲルとか。文芸書では..であがるのはドストエフスキーとか。 

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ここが知りたい!デジタル遺品

書影

著 者:古田雄介
出版社:技術評論社
出版日:2017年8月19日 初版第1刷発行
評 価:☆☆☆(説明)

 「デジタル遺品」とは、故人がデジタル情報として遺したもののこと。スマートフォンやパソコンに保存された写真や書類、ブログやSNSの投稿などインターネット上のデータ、様々なサイトに登録したアカウント情報、ネット銀行や証券の口座とそこに残る預金や株式など、多種多様なものがある。

 著者はデジタル遺品研究会ルクシーという団体の理事。デジタル遺品の取り扱いに困った遺族のサポートや、遺族が困らないための生前準備の普及、の2つの活動を行っている。ルーツには東日本大震災での家族写真などの復旧活動があるらしい。

 本書は、団体の2つの活動に沿うように、(1)遺族としての向き合い方と具体的な方法と、(2)自分の資産をどうやって遺すかという準備、について説明する。本書の中でも言及されていたが、(1)の部分は(2)の倍ぐらいの分量がある。生前に自分で準備する方がずっとずっと楽、残された遺族が対処するのは困難なのだ。

 自分のデジタル資産は自分一代限りで結構、遺すつもりはない、という人も、自分はそれでいいけれど、遺族はそうはいかない。株式やFXで大金の請求が来ることだってある。「そんなものない」というのは、自分だから分かることで、遺族は「ないことも分からない」。「ない」なら「ない」ことが伝わるようにしよう。

 15年以上書き続けているこのブログは、この記事が1,229個目の記事だ。私があの世に行けば「デジタル遺品」になる。そうなった時にどうしたいか、考えたこともないけれど、考えておかないと残された家族を煩わせてしまうかもしれない。巻末の付録に「デジタル遺品・資産整理シート」が付いているので、活用してみたい。

 最後に。生前の準備の章のタイトルは「自分の資産を託す・隠す・整理する」サブタイトルにも「隠す!」の字があるけれど、家族や同僚に「何も隠すことはない」人はいいけれど、そうでない人はコントロールできるようにした方がいい、と思う。

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えどさがし

書影

著 者:畠中恵
出版社:新潮社
出版日:2014年12月1日 発行 2016年10月15日 6刷
評 価:☆☆☆(説明)

 「しゃばけ」シリーズの第12作。裏表紙の説明に「初の外伝」とある。もともとこのシリーズは、長編、連作短編、短編集と、巻によってバラエティに富んだ構成になっている。短編集の中には、外伝に相当する短編はあったけれど、本書は収録された5編がすべて外伝。文庫オリジナル。

 1編目は「五百年の判じ絵」。シリーズの主人公の一太郎の守り役の一人、佐助が主人公。佐助が一太郎の家である長崎屋に、奉公することになったいきさつが描かれる。2編目の「太郎君、東へ」は、利根川を根城にする、河童の大親分の禰々子の話。利根川の化身として人の姿に化した坂東太郎も登場する。この短編は「Fantasy Seller」にも収録されている。

 3編目は「たちまちづき」。妖封じで名高い高僧の寛朝が、亭主に憑いた妖を退治してほしい、という依頼を受ける。しかし亭主に何かが憑いている様子はない。4編目は「親分のおかみさん」。人はいいけれど腕はそうでもない、岡っ引きの親分、清七のおかみさんが主人公。

 5編目が表題作の「えどさがし」。一太郎のもう一人の守り役、仁吉が主人公。ところが舞台はなんと明治の街。仁吉が一太郎と暮らしていた時代から100年は経っている。仁吉たち人ならぬ身の妖は、長寿で千年を越えて生きる。だから必ず親しい人を見送ることになる。

 このシリーズが長く続いているし、人間以外にも、妖、河童、天狗、雷様、神様、川や山..と、なんでも人格化して、自由な広がりを見せている。だから登場人物が多い。それぞれが主役を張れる魅力と人物造形を持っている。その特長が、こうして「外伝」として結実したわけだ。

 いつもの主人公の一太郎は登場しないし、舞台となっている長崎屋さえほとんどでてこない。「えどさがし」なんて、時代まで違う。それでも5編全部が、しっかりと「しゃばけ」の世界観を持っている。自由に広げているようでいて、著者はしっかりとこの、世界の根っこを押さえているのだろう。

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けむたい後輩

書影

著 者:柚木麻子
出版社:幻冬舎
出版日:2014年12月5日 初版 2017年7月25日 4版 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 著者の本はこれまで「ランチのアッコちゃん」「本屋さんのダイアナ」「ナイルパーチの女子会」と3冊読んでいて、どれも女性同士の関係を描いていた。出版年で言うと本書はこの3冊に先立つ作品で、やはり女性同士の関係を描く。

 登場するのは主に3人の女子大生。一人は羽柴真実子。小樽から横浜にある聖フェリシモ女学院に進学してきた。次は浅野美里。真実子の幼稚園時代からの親友。同じ大学、同じ寮、同じ部屋。身体の弱い真実子の世話を何かとやいている。最後は増村栞子。真実子たちの1年先輩。14歳の時に詩集を出版して作家デビューしている。

 真実子は13歳の時に栞子の詩集を読んで魅了された。大学でその栞子と出会った真実子は、すぐに彼女の崇拝者となった。それも一途に。どんなことでも言うことをきき、呼び出されれば飛んでいく。真実子は喘息を患っているのに、栞子は平気で真実子の前で煙草を吸う。

 美里から見て、真実子の崇拝ぶりは度を越している。何より栞子は「14歳の時に詩集を出した」以外には、これといった魅力があるわけではない。だから美里は、真実子をたしなめる。栞子のことが気に入らない。

 栞子の方も美里のことが気に入らない。栞子は自分が「普通の子と違う」ことに価値を見出している。だから煙草を吸うし、けだるそうに話すし、何かに真面目に取り組んだりしない。真実子の自分を崇める目が心地いい。敵意や軽蔑が潜む美里の目は気に入らない。

  真実子は、栞子のことを崇拝しているし、美里とは自他ともに認める親友だ。こうして、女性3人の三角関係が出来上がる。三角形のどの辺でも衝突や綱引きを起こしながら、物語は真実子たちの大学の4年間を描く。

 私は50代の男で、強いて言えば話の中でしか登場しない、彼女たちの父親に近い。というか、私にも大学に通う娘がいるので、父親そのものだ。だからその目で見てしまう。

 美里はともかく真実子も栞子も、もう心配でならない。真実子なんか死んじゃうんじゃないの?と思う。栞子は「イヤな女」キャラなんだけれど、無駄なプライドを抱えていて、それが呪いとなっている。飄々としているけれど、実は一番不安定だ。

 そうそう、男性も登場する。ゲスな大学教授と、自分探し中のカメラマン志望。どっちもダメダメ。

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会社でやる気を出してはいけない

書影

著 者:スーザン・ファウラー 訳:遠藤康子
出版社:サンクチュアリ出版
出版日:2017年6月10日  初版第1刷 発行
評 価:☆☆☆☆(説明)

 発行所のマルコ社さまから献本いただきました。感謝。

 最初に。いただいた本に対して申し訳ないけれど、タイトルの「会社でやる気を出してはいけない」は、本書の内容をまったく表していない。昨今は、内容が希薄な本を、センセーショナルなタイトルで売ろうとするケースが散見される。腹立たしいけれど、それは分からなくもない。普通に売って売れないのだから。しかし本書の場合は、内容は確かなものなので、こんなタイトルの付け方は逆効果だと思う。残念だ。

 本書のテーマは、リーダーによるモチベーションマネジメント。平たく言えば「どうすれば、自分のグループがヤル気に満ちた集団になれるか」ということ。著者はこれを「モチベーション・スペクトラム・モデル」というものを用いて、とても分かりやすく解説している。

 「モチベーションを引き出す」ということであれば、目標管理や競争を取り入れて、成果を出した人にはボーナスや昇給・昇進といった報酬を与える、こんなところがスタンダードなものかと思う。ただ、著者はこういう「アメとムチ」式の方法は、「モチベーションを引き出すファーストフード」と呼んで否定する。「おいしい(魅力的だ)し、その時は満足する(成果がでる)けれど、長期的には健康を害する(組織が停滞する)」

 そこで登場するのが「モチベーション・スペクトラム・モデル」。モチベーションの種類を「無関心」「外発的」「義務的」「協調的」「統合的」「内在的」の6つに分類する。そして概ねこの順番に推移する、とする。モチベーションの「ある/なし」ではなく、「どのようなモチベーションか」に注目する。

 「会議に出席するモチベーション」で例えるとこうなる。「無関心」は「何の意義も見出せない」、「外発的」は「昇給やイメージアップに役立つから」、「義務的」は「全員が出席することになっているから」、「協調的」は「お互いに得るものがあるから」、「統合的」は「会社や仕事の目的に適うから」、「内在的」は「楽しいから」。

 そして「義務的」までを「後ろ向き」、「協調的」以降を「前向き」のモチベーションと位置付ける。ここまでは単に分析と分類なので、実践的にはあまり役に立たない。本書のキモは、「後ろ向き」の人を、どうしたら「前向き」に移行できるか?を詳述していることにある。これは役に立つ。

 私は、人数が10人に満たない小さな組織だけれど、その責任者をしている。当然、メンバーのモチベーションについて考える。これまで「ファストフード」以外のことは実践はおろか思いつきもしなかった。いい本に出会ったと思う。 

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パーマネント神喜劇

書影

著 者:万城目学
出版社:新潮社
出版日:2017年6月20日 発行
評 価:☆☆☆(説明)

 著者の最新刊。2010年から17年まで、断続的に文芸誌に掲載したものを単行本化した作品。

 表紙に描かれているふくよかなおっさんが主人公。この人は、なんと神様なのだ。神様として最初の配属先が今いる神社で、ざっと千年ぐらいここでお勤めしている。専門は「縁結び」。「リアルなお勤めを紹介した本」を作るために、ライターさんの取材を受けているところから、この物語は始まる。

 彼の「縁結び」のやり方はこんな感じ。時間を止めて、縁を結びたいカップルの片方に話しかける。そのカップルがうまく行くのに必要な事柄を、言霊にしてそいつに打ち込む。話しかけられた人間は、このことは覚えていない。神様が作ったものだから、言霊に込められたことは、その通りになる。こんな感じで千年もやってきた。

 神様なんだから、人の心ぐらいチョイといじれそうだし、そうすれば縁結びが簡単にできそうなものだけれど、そういうことはしないらしい。あくまでも、恋愛成就を妨げているものを、間接的に取り除くようなやり方。まどろっこしいけれど、面白くもある。

 そんな感じで本書は、この神様が言霊を打ち込む場面や、それを受けた人がどんな具合に変わっていって、どう恋愛を成就するかを、コミカルに描く。最初に書いたけれど、神様にも配属があるように、会社のような組織になっている。昇進やらお偉方との確執やらと、妙に俗っぽい神様の暮らしぶりが描かれる。最後の方は、ちょっとホロッと。

 万城目学さんらしい、肩の力の抜けた物語だ。もっとも本人にお会いしたことはないので、「らしい」のかどうか分からないけれど、エッセイやインタビューを拝読する限りは、何事も深刻にならずにゆるゆるとしていることを好まれる方だと感じる。これまでの作品にも、そういう感じはにじみ出ていたkれど、今回はそれが前面に現れたように思う。

 そうそう、「バベル九朔」とか「かの子ちゃん」とか、著者のファンなら「おっ」と思うモノや人も登場する。その登場に「おっ」と思う以上の意味があるのかないのか分からないけれど、私はこういうのはけっこう好きだ。

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